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内海の輪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内海の輪
小説の舞台となる尾道市
小説の舞台となる尾道市
作者松本清張
日本の旗日本
言語日本語
ジャンル小説
シリーズ黒の様式」第6話
発表形態雑誌連載
初出情報
初出週刊朝日1968年2月16日 -10月25日
初出時の題名『霧笛の町』
出版元朝日新聞社
挿絵田代光
刊本情報
刊行『内海の輪』
出版元光文社
出版年月日1969年5月15日
装幀伊藤憲治
ウィキポータル 文学ポータル 書物
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小説の舞台の一つとなる蓬莱峡の地形

内海の輪』(ないかいのわ)は、松本清張小説。「黒の様式」第6話として『週刊朝日』に連載され(1968年2月16日号 - 10月25日号)、1969年5月に中編集『内海の輪』収録の表題作として、光文社カッパ・ノベルス)から刊行された。連載時のタイトルは「霧笛の町」。

1971年松竹で映画化、また1982年2001年テレビドラマ化されている。

あらすじ

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東京のZ大学に勤務する考古学者・江村宗三は、愛媛県松山の洋品店主の妻である西田美奈子と不倫関係になっていた。14年前、美奈子は宗三の兄嫁であった。美奈子の現在の夫・慶太郎は不能な老人となって久しい。落ち合った宗三と美奈子は、広島県尾道で宿泊したが、火の点いた美奈子は、自分が松山の家を出ることを主張し始める。スキャンダルで考古学会から葬られることを恐れる宗三。有馬温泉に移ると、美奈子は自分が身篭っていることを告げ、宗三の子を産むと宣言、絶望に落ちた宗三はついに思案を固める。

エピソード

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  • 文芸評論家の小松伸六1974年、「私事になるが、「内海の輪」の助教授殺人事件は、ひとごとではなかった。実は昨年、昭和四十八年七月、もとの私の同僚だった大場助教授が、大学院の女子学生を殺し、九月伊豆の海で一家心中をしてしまった事件を経験したからである。正直に告白すると私は松本作品をよんでいるうちに、考古学専攻の江村宗三助教授と大場助教授がダブってきて、困ってしまった。英語を教えていた大場助教授は松本作品の愛読者だったときいている」「私にとっては大場事件を先取りした恐怖の心理小説と思われて仕方がない。好色の戒め、などという手軽な作品ではないのである。大場助教授の死後、出版された彼の翻訳書、ロード・ラグラン英語版の「文化英雄」のなかに「暗くなってきたね」とはいわずに「昼が夜に強打されて負けている」という言葉があったが、宗三の姿には「昼(愛情)が夜(憎悪)に攻められて逃げてゆく」殺意の心理過程がはっきり出ているのではなかろうかと考えたりした」と述べている[1]

関連項目

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映画

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内海の輪
Shadow of Deception
監督斎藤耕一
脚本山田信夫
宮内婦貴子
製作三嶋与四治
出演者岩下志麻
中尾彬
音楽服部克久
撮影竹村博
編集杉原よ志
製作会社松竹
配給松竹
公開日本の旗1971年2月10日
上映時間103分
製作国日本の旗日本
言語日本語
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ポータル 映画
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1971年2月10日に松竹系にて公開された[2]。現在はDVD化されている。

キャスト

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スタッフ

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製作

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製作発表

1970年11月5日、東京銀座三笠会館で製作発表が行われ[3]、席上、三嶋与四治松竹製作本部長が「『影の車』『家族』とたんねんに作ったものが好評を得ているが、松竹はその波にのって年二、三本のそうした作品を製作する。来年(1971年)の第一作はこの『内海の輪』第二作は『アーロン収容所』[注 1]を予定している。今度の松本原作ものは既に野村監督で『ゼロの焦点』『張込み』をやっているが、在来の野村・橋本コンビと違った形で作ることになり人選の結果、斎藤耕一監督に白羽の矢を立て、又斎藤監督と意気の合う山田氏に脚本をお願いした。松本原作は男が主体となったものが多いが、女を主体にするもので未映画化小説60余篇を企画部で選んで『霧笛の町』に決定、題名を映画向きに変えて着手することになった。これは岩下志麻君にうってつけのものだし、相手役の考古学教授には中山仁君が出演を快諾した。(1970年)11月20日に第一稿が出来るのでその時点でキャストを決め、12月初旬決定稿が出来次第クランクインする。ロケ六甲付近と、雪の新潟が必要なのでその辺の調整を考える。1971年1月下旬アップするが、封切はロードショーにするにしてもこれから決める」と話した[3]。岩下志麻は「お話があって早速読みましたが推理小説というより愛のドラマのように感じました。女のサガとでもいいましょうか、女の愛の一つのタイプのもので一生懸命演じてみたいと思います」と話した[3]。事情は不明だが、考古学助教授役は、中山仁から中尾彬に変更になっている。

撮影

撮影の竹村博は「前年、この作品と同じ原作者(松本清張)の映画化『影の車』が封切され、作品の中に三色分解やレリーフなど特殊技法が駆使されていた(撮影は川又昂)。この『内海の輪』でも、そうした思い出なり過去のシーンがコンストラクションの中において当然出てくるのだが、今回はそうした特殊処理は一切排除し、主人公たちの行動を第三者の立場から傍観して客観的に描こうというのが第一の目的だった」などと述べている[5]。また女性心理が中心になっている原作から、女の哀れさ、男のエゴイズムの丸出しを上手く表現描出したいと考えた...撮影実数27日、約9400尺」などと述べている[5]

三國連太郎は妻(岩下志麻)の全身を撫でることしかできない性的不能者の役だが、三国は愛欲演技のリアリズムで定評があり岩下も覚悟を決めていた[6]。岩下の肩を噛むシーンがあり、三国が「本当に噛みついていいか?」と岩下に聞くので「OKです」と言ったら激しく噛みつき撮影中断[6]。さらに指を岩下の秘部に二度触れた[6]。三国は東映在籍時代の『越後つついし親不知』で佐久間良子の秘部に触り、佐久間は三国と一切口をきかなくなったといわれる常習犯だったが[6]、本作では三国の方が照れて有料試写会には姿を見せなかったという[6]

撮影記録

週刊明星』1971年2月14日号に「雪の新潟水上温泉、そして大阪松山市尾道倉敷仙酔島有馬蓬萊峡などに約20日間のロケを行った」と書かれている[7]。全体の3分の2がロケ[5]瀬戸内海ロケは1971年1月8日、広島県尾道市からスタートし[5]水中翼船に乗り愛媛県[5]。冒頭の釣り場シーンは愛媛県松山市[5]。尾道へ戻り、旅館内と尾道市内の撮影[5][8]。その後、広島県福山市鞆の浦仙酔島[5][8]。大弥山で高所恐怖症の岩下志麻の撮影[5]。仙酔島撮影は2日間[5]。この後、岡山県倉敷市に移動[5][8]。1月19日、兵庫県西宮市蓬萊峡[5][8]。一旦、大船撮影所に戻り、その後、群馬県水上温泉[5]。以降、大船のセットでクランクアップまで、ほぼ連日徹夜の強行撮影[5]。撮影の竹村の証言から撮了は1971年1月末か2月に入ってからと見られ、公開日が1971年2月10日のため、ポストプロダクションは1週間程度と見られる。

断崖のシーンはラストではないものの、全国の景勝地、恋愛がもつれ、主人公がエリートコースを守るため愛人を殺す設定など、後の2時間ドラマの基本フォーマットネタが使われる。

岩下志麻は1960年代からの人気女優であったが、中尾彬も当時テレビ、映画に引っ張りだこの人気俳優になっていた[8]。中尾は「毎日、思わぬ観光旅行ができるうえ、日本一の女優さん相手にラブシーンができるなんて」とロケを喜んだ[8]

宣伝

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当時の雑誌新聞等に広告を掲載する際、読者は活字を読むことに慣れているため、過剰にキャッチコピーが使用される[9]。『映画時報』1971年1月号の表紙に掲載された広告は、岩下志麻の顔のドアップの周りを囲むように以下のコピーが使われている。「『影の車』をしのぐ恐怖とセクスの衝撃ドラマ! 松本清張原作=岩下志麻主演=斉藤耕一監督(週刊朝日『黒の儀式』シリーズ・カッパノベルズ『内海の輪』) あなたを殺そうとする男を愛せるか?〇岩下志麻の強烈セクスシーン(17回)〇作品の大きさ(ミステリーと性)〇『影の車』を超える大作です〇松竹の絶対自信番組! 気品と淫蕩がデリケートに息づく 岩下志麻女盛りの濃密演技![9]

騒動

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映画公開中か、公開後の『シナリオ』1971年4月号で、脚本の山田信夫宮内婦貴子が公開状を出した[10]。内容は「出来上がった『内海の輪』は、私たちのシナリオによる映画ではない。脚本を全面改訂したものになっている」という抗議だった[10]。これに対して斎藤耕一は『シナリオ』1971年8月号で「自分の作品系列を見れば、脚本通りに映画が完成したという例は1本もない。はなはだしい場合は、結末が白から黒に変ってしまったものさえある。では、どうして脚本通り撮れないのか。ぼくにとって、作品の完成という言葉の意味は、脚本を書きだすときに始まり、以後永久に終わることなく続くであろう激しい試行錯誤の一時的な中断に過ぎない。演出コンテというものが、あくまで真実に対する仮説の上に成り立っているものだと解釈すれば、脚本もまた本質的には同じである。事実は絶えずひとつだが、仮説は無数にあり、その選択は自由である」などと反論した[10]

作品の評価

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批評家評

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  • 淀川長治は「題名の呼びかたは『ないかいのわ』。この監督は映画の面白さをよくわきまえていて四国、新潟、水上、兵庫の蓬莱峡と美景がきれいな撮影(竹村博)で目を楽しませる。きれいな景色とこわい話の二重奏で面白い。ところが男が殺気を持つところと、女が殺気に気づくその一番かんじんなところが話べたで、ハムサンドの中にハムが入っていない恨み。一番巧いところは、さめてゆくのを知って、泣きながら旅館のめしを食うところと、宿に男がいないので、あわてて蓬莱峡に駆登り、ぞうり鼻緒を切ったとき。せんさい、見事であった。岩下志麻はもはやカトリーヌ・ドヌーブ級のうまさ。問題は青年のエゴと弱さをさらけだす宗三役の中尾彬。これが弱さのかげをもっと深く見せねばならなかった。難役ゆえに惜しい。ラストはヒッチコックなら身の毛もよだつ描写を見せたであろう。しかし日本映画もこれほど上等になってきた」などと評した[11]
  • 高澤瑛一は「内海の輪』は、ミステリーというより岩下志麻が演じるヒロインの心理の奇怪さを描き出す作品になった。カメラで現実の不可解さを写しとる。その創作方法は斎藤監督がゴダールに共感していたことからも自明だ」などと評している[10]
映画リスト
あ行
 か行
さ・た行
な - わ行

テレビドラマ

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1982年版

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松本清張の内海の輪
ジャンルテレビドラマ
原作松本清張『内海の輪』
脚本中島丈博
監督井上昭
出演者滝田栄
宇津宮雅代
製作
プロデューサー春日千春(大映テレビ)
小林重隆(大映テレビ)
樋口祐三(TBS)
制作TBS
放送
放送国・地域日本の旗日本
放送期間1982年4月17日
放送時間21:02 - 22:53
放送枠ザ・サスペンス
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松本清張の内海の輪」。1982年4月17日21:02-22:53、TBS系列の「ザ・サスペンス」枠にて放映[12]。視聴率18.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。現在はDVD化されている。

キャスト
スタッフ
TBS系列ザ・サスペンス
前番組番組名次番組
陽のあたる場所
(1982.4.10)
松本清張の内海の輪
(1982.4.17)
父殺しの報酬
(1982.4.24)

2001年版

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松本清張スペシャル
内海の輪
ジャンルテレビドラマ
原作松本清張『内海の輪』
脚本那須真知子
監督三村晴彦
出演者中村雅俊
十朱幸代
エンディング工藤静香深紅の花
製作
制作日本テレビ
放送
放送国・地域日本の旗日本
放送期間2001年3月27日
放送時間21:33 - 23:24
放送枠火曜サスペンス劇場

特記事項:
火曜サスペンス劇場20周年記念スペシャル
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松本清張スペシャル・内海の輪」。2001年3月27日21:33-23:24、日本テレビ系列の「火曜サスペンス劇場」枠にて放映。現在はDVD化されている。

ラストの犯行の決め手になる小道具が原作や映画版と異なる。

キャスト
スタッフ
ロケ地

※風景だけのシーンではなく、俳優参加のシーン。

日本テレビ系列火曜サスペンス劇場
前番組番組名次番組
救命救急センター2
(2001.3.20)
松本清張スペシャル
内海の輪
(2001.3.27)
刑事・鬼貫八郎12
(原作:鮎川哲也
(2001.4.3)
松本清張原作のテレビドラマ
一覧
 あ行
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ま - わ行
関連項目
カテゴリカテゴリ / 一覧(作品映画

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^瀬川昌治監督で製作予定があった[4]

出典

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  1. ^角川文庫版(1974年5月)巻末の小松による巻末解説。
  2. ^【作品データベース】内海の輪 ないかいのわ
  3. ^abc“松竹が岩下志麻中山仁共演、斎藤監督で松本清張原作『内海の輪』製作”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1970年11月14日) 
  4. ^鈴木義昭「喜劇の名監督、登場! 瀬川昌治インタビュー」『映画秘宝』2006年12月号、洋泉社、88–89頁。 
  5. ^abcdefghijklmn竹村博(JSC)「撮影報告 『内海の輪』」『映画撮影』第42号、日本映画撮影監督協会、1971年3月20日、12-13頁。 
  6. ^abcde「岩下志麻の秘部に触れた三国連太郎」『週刊現代』1971年2月25日号、講談社、33頁。 
  7. ^「試写室 内海(ないかい)の輪 松竹 恋人が私を殺そうとしている! 岩下志麻主演の愛欲ミステリー」『週刊明星』1971年2月14日号、集英社、75–76頁。 
  8. ^abcdef「芸能・ニュースの広場『役得です」『週刊平凡』1971年2月11日号、平凡出版、51頁。 
  9. ^ab「広告」『映画時報』1971年1月号、映画時報社、表紙。 
  10. ^abcd高澤瑛一「追悼 斎藤耕一 映画をひとつの状況としてとらえた斎藤耕一のダンディズム」『キネマ旬報』2010年2月上旬号、キネマ旬報社、141–142頁。 
  11. ^淀川長治「文化チャンネル 淀長ロードショー 『美景と恐怖の二重奏』 内海の輪(松竹映画)」『週刊朝日』1971年2月26日号、朝日新聞社、104頁。 
  12. ^ザ・サスペンス 松本清張「内海の輪」

外部リンク

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松本清張の作品
作品リスト
推理小説
現代小説
長編
中編
短編
シリーズ
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短編(集)
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