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六神通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教用語
神通
パーリ語abhiññā
サンスクリット語अभिज्ञा\
(IAST:Abhijñā)
中国語神通
日本語神通
英語higher knowledge
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六神通(ろくじんずう、ろくじんつう、:chaḷabhiññā[注釈 1])とは、「直接的な知識[1] 」「高度な知識[2][3]」「超常的な知識[2][4]」のこと。六通ともよばれ、止観瞑想修行において、止行禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである。悟りを開いたブッダ阿羅漢が備える3つの三種の明知(vidyā / vijjā)(智慧・解脱知)である三明:tevijjā)の宿命知・生死知・漏尽知に他心通・神足通・天耳通を加えて六神通とする[5]

概略

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三道宝階降下(アユタヤワット・ガサットラティラート寺院タイ語版)。釈迦は神足通を使って三十三天を訪問し、帰りは帝釈天が用意した豪華な階梯を使って地上に帰還した。
サーンチーの三道宝階降下のレリーフ(紀元前1世紀頃)。

仏教において、悟りを得て解脱したブッダ大乗仏教では菩薩も含む)と阿羅漢が使うことのできる6種の超人的な能力、神通力天部の神々も神通力を使うことができるほか、外道(仏教以外の沙門)も鍛練すれば漏尽通以外の神通力を使えるようになるとされる。

大乗仏教上座部仏教のいずれの仏典においても釈迦は六神通を使う超人的な存在として捉えられており、人々の前世(釈迦本人の過去世も含む)と死者の死後の転生先を全て見通す、空を飛ぶ、相手の思考・心の中で呟いたことを全て読み取る、ガンジス川を神足通で渡る(瞬間移動)、自分の分身を作り出す、三道宝階降下の前日譚として三十三天に転生していた母マーヤーの元に神足通を使って訪問するなどの奇跡を起こしたとされる。現代日本では「釈迦は教えを説いた哲学者のような人物だった」という、あくまで普通の人間だったという認識が強いが、仏教の教義上は「超人的な存在」であり例えるならばイエス・キリストの奇跡譚のような超人的・超自然的な逸話が多く仏典に納められている。信仰の問題(信じるか信じないか)は別にして、平川彰は「釈迦は教義上超人的な存在である」という前提を念頭に置いて仏典を読み解かなければ仏典記述の意味を読み誤る恐れがあると指摘している[6]。釈迦が生涯で起こした奇跡については『ブッダチャリタ』などに記録されている[6]。なお絶対者(創造神)の存在を否定する仏教の教義解釈では、六神通は、イエス・キリストの起こした奇跡のような神的な現象ではなく、「土・水・火・空気」の四元素を変換することによって達成できる現象で、あくまで物理的な現象と捉えている[7]

アジタは心の中で(釈迦に)質問した。 「(我が師バーヴァリの)生年について語れ。姓と特徴とを語れ。ヴェーダの奥義に通じていることを語れ。(我が)師のバラモンは幾人に教えているのか?」

(釈迦は言われた)「彼の年齢は120歳である。彼の姓はバーヴァリである。彼の肢体には3つの好相がある。彼は3つのヴェーダの奥義に達している。彼は500人(の弟子)に教授している。」
スッタニパータ』彼岸に至る道の章(抄)[8]

古代インドではシッディ (能力)英語版 のように、道を極めた沙門が何らかの神通力を使えるのは当然のこととされ、釈迦とカッサパ三兄弟との対峙では、釈迦は様々な神通力を使ってみせ、三兄弟とその門下を帰依させている。

かつて西欧の仏教学者は、釈迦の生涯での超人的な逸話は後世に創作されたとして「釈迦は超人的な宗教指導者ではなくソクラテスのような高潔な哲学者であった」と捉える機運が存在したが、近年ではそうした見解は西欧的価値観の色眼鏡を通して生み出された「再神話化」だとして否定される傾向にある(伝世している仏典はいずれも釈迦を超人的存在と捉えており、それを元に「史的ブッダ」を復元しても、結局歴史学者の主観や願望が入った釈迦のフィクションの人物像が創出されるだけだと見なされている)[9]

浄土教系諸宗派では、悟りを得て如来になった者は仏々相念という神通力(現代的に言えばテレパシー)を使用できるようになり他の如来と意思疎通ができるようになるが、釈迦如来は仏々相念によって現世から西方に十万億仏土過ぎた先の極楽浄土の教主である阿弥陀如来と意思疎通し、阿弥陀如来の功徳を説いたとする。

上座部仏教の教義では釈迦が目指したのは「死後に天界を含めて二度と生まれ変わらないこと」だったと説明される。大乗非仏説では、大乗仏教で説かれるような浄土への往生は後付けの教義とみなす見解が有力であり、上座部仏教の教義の方が釈迦直説に近いと説明される。佐々木閑は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と論じている[10]上座部仏教の教義では、六神通の一つ「漏尽通」によって釈迦は自らが二度と生まれ変わることはないと了知した上で死に臨み涅槃に入った(すなわち無に帰した)と説明される。『ブッダチャリタ』では涅槃に入った釈迦について「地上においては老・死の恐怖はなく、天上においては天界から落ちる恐怖はない。(中略)生があれば不快が生じる。再び輪廻に生まれないことによる非常な快以上の快はない。」と述べている[11]

大パリニッバーナ経』と『ブッダチャリタ』では具体的に何の神通力によるものかは明記されていないが、釈迦の入涅槃にあたり、釈迦は死期を自ら定めたということになっている(『大パリニッバーナ経』ではスーカラ・マッダヴァ(キノコ料理?)を食べて釈迦が食中毒を起こしたことは記録されるが、釈迦はそれ以前に余命を定めていたという)。それらの仏典によれば経緯は以下の通り。80歳になった釈迦の前に、かつて成道を妨害しようとした悪神マーラが再び現れた。マーラは釈迦の教化によって堕落した人間が減り、自らの領域が狭まることを恐れ「あなた様はこの世界で法を説いて回り、もうなすべき事は全てなした筈です。生に執着せず涅槃に入られたらいかがですか」と釈迦に入涅槃を勧めた。これに対して釈迦は余命(一説には釈迦は現世で善行をなしていたので一劫年の余命があったとも[12]、一方「一劫年」は経典の誤読とする説もある[13])を捨てる決意をし、釈迦はマーラに「慌てることはない、あと3か月もすれば私は涅槃に入るだろう」と答えた。釈迦が自ら余命を捨てたため大地で地震が起こり、アーナンダが何かの変事かと思い釈迦の元に駆け付けて理由を問うと、「私は自ら余命を捨てる決意をしたので地震が起きたのである」と答えたという[14][15]

江戸時代の平田篤胤は自著『出定笑語』で、大乗非仏説に基づき大乗仏教や『法華経』などの大乗経典を散々こき下ろし、大乗経典よりも成立が遡ると見られる『阿含経』についても釈迦直説か疑わしいと仏教全体を批判した。しかし釈迦の六神通に関する説話については「釈迦は幻術使いだった」という見解を示し、幻術を用いて人心を惑わし布教を行った姿勢を批判している。文字通りに受け取るならば、平田篤胤は「釈迦は六神通を使う超人的存在だった」こと自体は後世の創作だとして否定せず、事実だと認めていたことになる[16]

仏教の教義上、悟りを得て解脱した者は皆 六神通を使えるようになるが、社会の混乱をきたすため六神通をむやみに濫用してはならないとされている。清水俊史は「悟りを得て解脱した」と称している者はみな六神通(神足通)で空を飛べるはずであるが、彼らが空を飛ばないのは「増上慢」か「戒律に従って六神通で空を飛べることを隠している」かのどちらかであると述べている[17][18]井上順孝によれば、オウム真理教麻原彰晃が空中浮遊に固執していたのは、オウム真理教が仏教の教義を悪用し、さらに麻原自身が「最終解脱者」などと称していたため、麻原が六神通を使えることを誇示する目的があったという[19]

内容

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具体的には以下の6つを指す。

神足(じんそく)通
:iddhi-vidha-ñāṇa
自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。空中飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力。
天耳(てんに)通
:dibba-sota-ñāṇa
世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力。
他心(たしん)通
:ceto-pariya-ñāṇa
他人の心の中をすべて読み取る力。
宿命(しゅくみょう)通
:pubbe-nivāsānussati-ñāṇa
自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力。
天眼(てんげん)通
:dibba-cakkhu-ñāṇa
一切の衆生の業による生死を遍知する智慧。一切の衆生の輪廻転生を見る力[20]
漏尽(ろじん)通
:āsavakkhaya-ñāṇa
煩悩が尽きて、今生を最後に二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。生まれ変わることはなくなったと知る力。

比丘たちよ、このように見て、聖なる言葉を聞く弟子は、色を厭離し、受を厭離し、想を厭離し、サンカーラを厭離し、識を厭離する。
厭離のゆえに貪りを離れる。貪りを離れるゆえに解脱する。解脱すれば「解脱した」という智慧が生じる。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである。

初転法輪律蔵犍度, 大犍度)[21]

他の呼び名

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最後の漏尽通を除く5つを、五通と呼ぶこともある。

経典の記述

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『沙門果経』

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パーリ語経典長部の『沙門果経』においては、釈迦がマガタ国王に仏教の沙門(出家修行者、比丘比丘尼)の果報を問われ、まず戒律順守によって得られる果報、次に止行禅定、四禅)によって得られる果報を次々と述べた後に、その先の観行四念住四念処))によって得られる果報を、以下のように述べている[22]

  • 四禅の次に)「自身の身体が、元素から成り、父母から生まれ、食物の集積に過ぎず、恒常的でない衰退・消耗・分解・崩壊するものであり、意識もその身体に依存している」と悟れる (= 「身念住」身念処
  • (その次に)「思考で成り立つ身体(意生身)を生み出す」ことができる
  • (その次に)「様々な神通(超能力)を体験する」ことができる (以下、神足通
    • 「一から多に、多から一となれる」
    • 「姿を現したり、隠したりできる」
    • 「塀や、城壁や、山を通り抜けられる」
    • 「大地に潜ったり、浮かび上がったりできる」
    • 「鳥のように空を飛び歩ける」
    • 「月や太陽をさわったりなでたりできる」
    • 「梵天の世界にも到達できる」
  • (その次に)「神のような耳(天耳通)を獲得する」ことができる
    • 「神と人間の声を、遠近問わず聞くことができる」
  • (その次に)「他人の心を(自分の心として)洞察する力(他心通)を獲得する」ことができる
    • 「情欲に満ちた心であるか否かを知ることができる」
    • 「憎しみをいだいた心であるか否かを知ることができる」
    • 「迷いのある心であるか否かを知ることができる」
    • 「集中した心であるか否かを知ることができる」
    • 「寛大な心であるか否かを知ることができる」
    • 「平凡な心であるか否かを知ることができる」
    • 「安定した心であるか否かを知ることができる」
    • 「解脱した心であるか否かを知ることができる」
  • (その次に)「自身の過去の生存の境涯を想起する知(宿住通(宿命通))を獲得する」ことができる
    • 「1つ、2つ…10…100…1000…10000の過去生を想起できる」
    • 「それも、幾多の宇宙の生成(成刧)、壊滅(壊刧)を通して想起できる」
    • 「それも、具体的・詳細な映像・内容と共に想起できる」
  • (その次に)「生命あるものの死と生に関する知(死生通(天眼通))を獲得する」ことができる
    • 「生命あるものがその行為()に応じて、優劣、美醜、幸不幸なものになることを知ることができる」
    • 「生命あるものが(身口意の)業の善悪により、善趣・天界や悪趣・地獄に生まれ変わることを知ることができる」
  • (その次に)「汚れの滅尽に関する知(漏尽通)を獲得する」ことができる
    • 「苦しみ(汚れ)、苦しみ(汚れ)の原因、苦しみ(汚れ)の消滅、苦しみ(汚れ)の消滅への道(以上、四聖諦)を、ありのままに知ることができる」
    • 「欲望・生存・無知の苦しみ(汚れ)から解放され、解脱が成され、再生の遮断、修行の完遂を、知ることができる」

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^「チャラビンニャー」

出典

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  1. ^Bodhi (2000), e.g.,SN 45.159 (pp. 1557-8).
  2. ^abRhys Davids & Stede (1921-5), pp. 64-65.
  3. ^Walshe (1985, 2007),passage 56, |SN 45.159.
  4. ^Hoiberg, Dale H., ed. (2010).“Abhijñā”.Encyclopædia Britannica. Vol. I: A-ak Bayes (15th ed.). Chicago, Illinois: Encyclopædia Britannica Inc. pp. 31.ISBN 978-1-59339-837-8.
  5. ^三明”. 浄土宗大辞典. 2025年1月2日閲覧。
  6. ^ab平川 1998, p. 前書き.
  7. ^Jacobsen, Knut A., ed (2011). Yoga Powers. Brill. pp. 83–86, 93 
  8. ^中村 1984, p. 215.
  9. ^Strong, John, ix–x in "Forward" toThe Thousand and One Lives of the Buddha, byen:Bernard Faure, 2022, University of Hawaii Press,ISBN 9780824893545,google booksArchived 2 November 2022 at theWayback Machine.
  10. ^佐々木閑『いかにして多様化したか 部派仏教の成立』NHK出版 2025年、p85-86
  11. ^完訳 2019, p. 322.
  12. ^平川 1998, p. 219.
  13. ^中村 1980, p. 258.
  14. ^中村 1980, p. 72-74、264-267.
  15. ^平川 1998, p. 217-221.
  16. ^菅野博史『富永仲基と平田篤胤の仏教批判』2015年
  17. ^https://x.com/VisAKBh/status/1944377547963195754”. 2025年7月1日閲覧。
  18. ^https://x.com/VisAKBh/status/1932098986657390693”. 2025年7月1日閲覧。
  19. ^井上順孝『オウム真理教とは何か 現代社会に問いかけるもの』p63,76
  20. ^P.A.パユットー 著、野中耕一 訳『ポー・オー・パユットー 仏教辞典(仏法篇)』、2012年2月、サンガ、p.49
  21. ^パーリ仏典,律蔵犍度, 大犍度, 38 Mahakkhandhakaṃ,Sri Lanka Tripitaka Project
  22. ^『世界の名著 1』中央公論社 pp531-537

参考文献

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関連項目

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基本教義
仏教
人物
世界観
重要な概念
菩提への道
信仰対象
分類/宗派
地域別仏教
聖典
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