公正発展党 (こうせいはってんとう、トルコ語 :Adalet ve Kalkınma Partisi ,AK Parti ,AKP [ 12] )は、トルコ のイスラム原理主義 政党 で、ガザ地区で活動する武装勢力ハマス の母体で日本 を含む複数の国でテロ組織指定[ 13] を受けているムスリム同胞団 と強い関連を持つ[ 14] [ 15] 。ハマスとイスラエルとの紛争 では、ハマス側に対して[ 16] 負傷者を受け入れるなどの組織的支援を行っている[ 17] 。2002年からトルコの政権与党であり、親イスラム主義 政党福祉党 、およびその後継政党である美徳党 を前身としている。
公正発展党の前身は、1997年 に軍部の圧力下で(2月28日キャンペーン)非合法化された親イスラム主義政党の福祉党 、およびその後継政党である美徳党 である。
2001年 6月22日 の美徳党の解党を受け、前イスタンブール 市長のレジェップ・タイイップ・エルドアン 、アブドゥッラー・ギュル 、ビュレント・アルンチュ ら美徳党の若手活動家らを中心に、公正発展党が旗揚げされた。このとき元福祉党党首ネジメッティン・エルバカン の流れを汲む旧美徳党党首レジャイ・クタン らの古参幹部は至福党 を起こし、旧美徳党系政党は分裂している。なお2017年より駐日大使を務めるハサン・ムラト・メルジャンも公正発展党設立メンバーである。
公正発展党は、前述の2月28日キャンペーンによる福祉党の閉鎖を受けて、「保守的民主主義」を宣言し、当初は経済自由主義や世俗主義との親和性を強調した。2002年 11月3日 に行われた総選挙においては中道右派政党の支持者から票を奪い得票率34.26%を獲得して第1党となる。得票率10%に満たない政党には議席が配分されないトルコの選挙制度に基づいて550議席中363議席を獲得する地すべり的な勝利を収め、単独与党 となった。このとき、党首のエルドアンは被選挙権 が剥奪されていたために議員になれず、首相には副党首のギュルが就任する。エルドアンが被選挙権を回復して補欠選挙に当選し、首相に就任するのは翌2003年 の3月である。
公正発展党は、結党直後から、軍部や司法関係者からは、国是である世俗主義 原則を脅かす存在として警戒心をもって見られてきた。2002年 の総選挙では、投票直前の10月23日 に、検事総長によって公正発展党解散に向けた提訴が行われたが、却下される事件も起きた。
2007年 に、司法界出身で世俗主義擁護派で知られたセゼル 大統領が任期満了を迎えるにあたり、後任の大統領候補として、副首相兼外相のギュル を擁立した。しかし、ギュルは、軍によって「宗教 的反動勢力」として認定・弾圧 された福祉党出身であり、また「イスラム復興」を標榜していたため、世俗主義擁護派の世論 の猛反発を受けるなど、政教分離 をめぐる論争では、世俗主義勢力と明白な緊張関係にあった。
ギュルの大統領選擁立問題をめぐっては、議会によるギュルの大統領選出が憲法裁判所 に違憲と判断されたことで頓挫したことを受け、公正発展党政権は、国民の信を問うとして同年7月22日 に総選挙を前倒しで実施した。5年間の同党政権下で行った経済発展 の継続を訴えたこの選挙で、公正発展党は前回選挙の得票率を10ポイント以上上回る得票率46.7%を獲得、再び議会の過半数を制した。
2014年8月、党首であったエルドアンが直接選挙で大統領に選出されたため党を離れたことにともない、アフメト・ダウトオール が後任の党首に就任した。
2015年6月に行われた総選挙 では、第1党を維持したものの大きく議席を減らし、過半数の維持に失敗した[ 18] 。しかし、連立協議が成功せず同年11月に行われた再選挙では過半数を上回る317議席を獲得した。
2015年秋ごろより大統領権限を強化する憲法改正を巡り、困難視するダウトオール党首が推進するエルドアン大統領と対立するようになり、2016年5月にダウトオール党首が首相と党首を辞任[ 19] [ 20] 。後任の首相・党首には、エルドアン大統領の側近にして運輸海事通信大臣のビナーリ・ユルドゥルム (英語版 ) が就任した[ 21] 。
2017年4月に国民投票が行われ憲法が改正され大統領の政党所属が可能になったことを受け[ 22] 、エルドアン大統領が5月2日に公正発展党に復党し、その後21日には公正発展党党首に復帰した[ 23] 。
2018年5月には、当初2019年11月に予定されていた大統領・議会同日選挙を1年以上も前倒しした選挙で民族主義者行動党 との選挙協力によりかろうじて与党の座を死守した。
2019年12月13日、ダウトオール元党首が離党を宣言し、新たに未来党 (英語版 ) を結成した[ 24] 。
2024年3月、統一地方選挙において与党人気は激しいインフレにより低迷し、得票率は前回比マイナス.2%の35.5%となり、首都アンカラ、最大都市イスタンブールを含む県庁所在市81の内48都市で野党候補に敗れた[ 25] 。
公正発展党は、2001年の結党から2002年の総選挙までの間は、公共の場での飲酒やレストラン でのアルコール 飲料の販売の禁止をうったえるなど、急進的なイスラム化政策を打ち出すこともあった。その後、選挙運動中および選挙後は改革政党としての面を前面に出し、また、国会議場でのスカーフ 着用問題を回避するため、女性立候補者はすべてスカーフを着用しない人物を登用するなど、イスラム色を抑え、中道右派を標榜していた。
しかし、翌2003年 には、イラク戦争 時の米軍 の領内通過案(大量の造反者を出し、賛成票が反対票を上回るものの、出席議員の過半数に満たず、否決)や、刑法改正(姦通罪 の新設を目指すが、民法上の妻以外に私的に複数の妻を持つ公正発展党議員が反対。条項廃案。[要出典 ] )など、イスラムが絡む場面では大量の造反者を出しており、必ずしもイスラム色が抑えられているとはいいがたいところを見せている。
当初は共和人民党 との対抗のため、クルド人との和解や融和を掲げていたが、2010年代以降、国粋主義 政党の民族主義者行動党 [ 26] [ 27] との連立をするようになってからはイスラム色や民族主義 色を前面に打ち出すようになった。
同党の正式名称は公正発展党 (Adalet ve Kalkınma Partisi 英語 名称は"Justice and Development Party " )だが、この呼称が使われることは、一般の報道をはじめ、公正発展党自らの選挙ポスターなどですらほとんど無く、通常はAK Parti (発音:アク・パルティ)の呼称が用いられる。もともとAKという党名が考案され、公正発展という意味は後付けであるバクロニム とされる。AKとはトルコ語 で「白色」を意味するが、通常使われるBeyazと異なり、「正義」や「公正」といった意味も含まれる。
シンボルマークは光る電球。標語は公式のものではないが、「すべてはトルコのために(Her Şey Türkiye İçin )」が好んで用いられる。地方選挙などでは、トルコの部分が自治体名に変えられることもある。
公正発展党が参加した総選挙での得票率、獲得議席数は以下の通り[ 28] [ 29] [ 30] 。
年 党首 得票数 得票率 獲得議席 2002年 レジェップ・タイイップ・エルドアン 10,808,229 34.3% 363 2007年 レジェップ・タイイップ・エルドアン 16,340,534 46.7% 341 2011年 レジェップ・タイイップ・エルドアン 21,399,082 49.8% 327 2015年6月 [ 31] アフメト・ダウトオール 18.347.747 40.66% 258 2015年11月 (再選挙)アフメト・ダウトオール 23,681,926 49.5% 317 2018年 [ 32] レジェップ・タイイップ・エルドアン 21,333,172 42.56% 295 2023年 レジェップ・タイイップ・エルドアン 19,387,412 35.63% 268
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かつての主要政党
中道右派 公正党 (AP、1961-1980) -祖国党 (ANAP、1983-2009) -正道党 (DYP、1983-2007?)
イスラーム主義 国民秩序党 (MNP、1970-1972) -国民救済党 (MSP、1972-1980) -福祉党 (RP、1983-1998) -美徳党 (FP、1997-2001)
クルド系 人民民主党(HADEP、1994-2003)民主国民党(DEHAP、1997-2005)民主社会党(DTP、2005-2009)民主社会党(BDP、2008-2014)
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