八戸市(はちのへし)は、青森県東部にある市。県庁所在地である青森市に次ぐ県内第二の人口を有しており、南部地方の中心都市である。中核市に指定されており、青森市や県内人口3位の弘前市とともに、青森県主要3市の一角を構成する。1929年(昭和4年)市制施行。
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八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏に位置する[1]、南部地方(青森県東部)の中心都市であり、商圏は青森県東部や岩手県北部を包摂する[2]。2002年12月には東北新幹線が八戸駅まで延伸されている。八戸港は工業港、フェリー港、漁港を兼ねている[3]。
八戸藩が置かれた城下町でもある。伝統芸能であるえんぶり(朳)および八戸三社大祭、騎馬打毬はいずれも国の重要無形民俗文化財に指定されている。伝統工芸品には八幡馬[4]、八戸焼、南部姫毬などが、郷土料理には南部煎餅、八戸せんべい汁、いちご煮など、駅弁は「八戸小唄寿司」、特産品には市川いちご、糠塚きゅうりなどがある。お盆には「背中あて」を食べる慣習が根付いている[5]。温泉・銭湯も歴史的に多く存在する。
スケート、アイスホッケーが盛んで、氷都八戸の異名を持つ[6][7][8]。実業団体やジュニアチーム、女子チーム、素人アイスホッケーを含め加盟登録数は60チームを数える。
B-1グランプリ発祥の地でもある。
「八戸」の名称は、岩手県北・青森県南西部一帯に古くから存在している数に「戸」のつく地名がもととなっている。「戸」自体の由来は牧場の番号や駐屯地の番号など諸説ある。詳細は糠部郡参照。
なお、三八地域県民局が設置されていたが、各地域県民局は2025年(令和7年)3月31日で廃止された(本庁所管部ごとに各圏域に個別に各事務所〈地域連携事務所や県税事務所、環境管理事務所など〉を設置している)[9]。
八戸市中心部周辺の空中写真。2013年4月16日撮影の145枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。縄文時代の是川遺跡や風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文時代後期の米粒[注釈 1]が出土している。風張から出土した合掌土偶は国宝となっている[11]ほか、是川からも数々の工芸品が出土している。
1191年(建久2年)、甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜ったとされている。南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。1334年(建武元年)、南部師行が根城を築き、根城南部氏(遠野南部氏)の祖となった。根城南部氏は1627年(寛永4年)、三戸南部氏(後の盛岡南部氏)の命により遠野に居城を移した。
転機となったのは江戸時代前期の1664年(寛文4年)である。南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため、盛岡藩は御家断絶の危機を迎えた。江戸幕府は盛岡藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸南部氏の祖となる南部直房により八戸城が築かれた。これが八戸藩の始まりである。八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、現在の岩手県久慈市までが八戸藩だった。
八戸城は現在の三八城公園にあった(したがって八戸公園は城跡ではない)。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も八戸市中心市街地となっている。
1870年(明治2年)、天候不順が続き凶作。五穀の収穫は皆無となった[12]。
1915年(大正4年)、鮫浦港修築工事が開始され、1929年(昭和4年)に商港に指定された。
1924年(大正13年)5月16日、大火があり1223戸が焼失[13]。
1935年(昭和10年)6月8日、鮫町天女ヶ窪にあった飛行場で皇国飛行協会八戸支部主催の八戸防空飛行大会が開催。離陸中の飛行機(サムルソン乙型偵察機)が誤って観客者の中へ突っ込み死者3人、重傷1人を出す事故が起きた[14]。
八戸市には馬淵川と新井田川という比較的大きな河川が流れている。特に馬淵川は蛇行が激しく流量も多いため、水害の多い河川だった。特に河口部分で馬淵川が大きく曲がって新井田川と合流するような形で太平洋に注ぎ込んでいた。1937年(昭和12年)、馬淵川の改修工事(河口付近の直線化)が難航し、戦争のために中断された。1949年(昭和24年)に工事が軌道に乗り、新産業都市に指定された1961年(昭和36年)に完成した。これにより水害が減り、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。
1947年(昭和22)8月10日、昭和天皇が館村役場、八戸魚市場、市内の工場、牧場、小学校などに行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[15][16]。また昭和天皇は、1977年(昭和52年)10月3日、第32回国民体育大会開催に合わせ市内を再訪。八戸市公民館、八戸市体育館などにも行幸した[17]。
1961年(昭和36年)5月28日、台風4号接近に伴いフェーン現象が発生。こうした状況下で白銀町の住宅から出火した火災が延焼して4人が死亡、住宅や商店など707棟が全焼[18]。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波により臨海部は大きな被害を受けたものの、岩手県以南よりは比較的被害が少なかった[19]。
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。
年平均気温は10.5℃である。平年値では猛暑日が0.7日、真夏日が14.6日、夏日が55.0日、真冬日が10.5日、冬日が106.7日となっている。
年平均降水量は1045.1mmである。また、年平均降雪量は134cmである。
年平均日照時間は1844.3時間である。
| 八戸市湊町字館鼻(八戸特別地域気象観測所、標高27m)の気候 |
|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 15.0 (59) | 19.0 (66.2) | 23.5 (74.3) | 29.7 (85.5) | 34.3 (93.7) | 34.5 (94.1) | 36.5 (97.7) | 37.0 (98.6) | 35.4 (95.7) | 30.4 (86.7) | 24.9 (76.8) | 19.7 (67.5) | 37.0 (98.6) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 2.8 (37) | 3.6 (38.5) | 7.6 (45.7) | 13.8 (56.8) | 18.7 (65.7) | 21.1 (70) | 24.9 (76.8) | 26.5 (79.7) | 23.6 (74.5) | 18.2 (64.8) | 11.9 (53.4) | 5.4 (41.7) | 14.9 (58.8) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | −0.7 (30.7) | −0.2 (31.6) | 3.1 (37.6) | 8.6 (47.5) | 13.5 (56.3) | 16.7 (62.1) | 20.7 (69.3) | 22.6 (72.7) | 19.4 (66.9) | 13.5 (56.3) | 7.3 (45.1) | 1.7 (35.1) | 10.5 (50.9) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | −3.9 (25) | −3.7 (25.3) | −0.9 (30.4) | 4.0 (39.2) | 9.2 (48.6) | 13.3 (55.9) | 17.7 (63.9) | 19.5 (67.1) | 15.7 (60.3) | 9.0 (48.2) | 3.0 (37.4) | −1.6 (29.1) | 6.8 (44.2) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −15.7 (3.7) | −15.5 (4.1) | −12.3 (9.9) | −5.5 (22.1) | −2.6 (27.3) | 0.4 (32.7) | 5.0 (41) | 9.4 (48.9) | 4.8 (40.6) | −2.6 (27.3) | −6.3 (20.7) | −13.4 (7.9) | −15.7 (3.7) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 43.6 (1.717) | 40.4 (1.591) | 56.6 (2.228) | 63.4 (2.496) | 88.1 (3.469) | 103.7 (4.083) | 136.9 (5.39) | 141.8 (5.583) | 156.3 (6.154) | 110.1 (4.335) | 55.5 (2.185) | 48.9 (1.925) | 1,045.1 (41.146) |
|---|
| 降雪量 cm (inch) | 40 (15.7) | 42 (16.5) | 29 (11.4) | 2 (0.8) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 2 (0.8) | 22 (8.7) | 134 (52.8) |
|---|
| 平均降水日数(≥0.5 mm) | 8.8 | 8.3 | 9.3 | 9.7 | 11.2 | 10.1 | 12.1 | 11.9 | 11.4 | 10.1 | 9.8 | 8.4 | 121.1 |
|---|
| 平均降雪日数(≥1cm) | 10.4 | 9.9 | 5.9 | 0.5 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.7 | 6.1 | 33.3 |
|---|
| % 湿度 | 71 | 70 | 66 | 65 | 72 | 81 | 84 | 82 | 80 | 75 | 71 | 71 | 74 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 126.1 | 130.9 | 166.2 | 186.9 | 198.5 | 168.2 | 149.7 | 159.5 | 148.2 | 155.7 | 130.3 | 124.1 | 1,844.3 |
|---|
| 出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1936年-現在)[21][22] |
1989年(平成元年)に「はちのへ共通商品券」が発行されている。朝市は、市民の買い物・飲食と観光客誘致の両方に貢献している[23]。
八戸市内でも指定されている[26]。
水揚げ数量は2021年度は全国12位の4万4472トンで、サバ1万0005トン、イカ7842トン、イワシ1万8966トンなどが主要な魚種となっている。水揚げ数量が5万トンを割るのは72年ぶりで、水産業再生の必要性が唱えられている。[29]
- 八戸漁港
- 白浜漁港
- 深久保漁港
- 種差漁港
- 大久喜漁港
- 金浜漁港
このほか、アニメイト、未来屋書店、くまざわ書店、文教堂書店、川村商店、成田本店、木村書店、アリス書店などが単独出店している。最大規模の書店はVidawayが運営するTSUTAYA八戸ニュータウン店である。
- 土曜夕方(16:00~16:50)と日曜午前(10:00~11:00)に同支社制作のラジオ番組が放送されている[注釈 9]。
- かつては本社を八戸市に置いていたが、2006年7月1日付けで放送センター(演奏所)のある青森市に移し、同局は八戸支社になった。
IBC、TVI、mitは本来岩手県内のテレビ局であるが、岩手県北部の沿岸地方(久慈市)と内陸地方(二戸市)の双方に交通の便が良い八戸市に取材拠点としての支社を置いている。また同市の大半の地域では、岩手県内のテレビ(TVI、IAT、IBC、mit、NHK盛岡放送局)の送信局の一つである二戸中継局から発射される電波により岩手県のテレビを越境受信する事が可能であり[注釈 11]、特に青森県に存在していないフジテレビ系列の番組を最速で多く放送するmitの需要は同市でもかなり高いものとなっている。また、mitは青森県南部地域(三八上北)を実質的な放送エリアであるとしてHPで明言しており[34]、同テレビの緊急地震速報は岩手県内に出された場合や三八上北地域に出された場合に放送される。岩手県北の商圏が八戸にあるので、岩手県内でのテレビ・ラジオ等の気象情報では岩手県外の八戸地方の天気も紹介される例が多い。
八戸市庁 本館(2007年7月)
(隣の「別館」が完成する前は「新館」と呼称していた。)
八戸市庁 別館(2011年10月)
1994年12月に発生した三陸はるか沖地震の際、当時同地にあった市庁「旧館」が壊滅的な被害を受け使用不能となったことから、それを教訓に免震構造によって建て替えられたものである。
南郷事務所(2007年5月撮影)
かつての南郷村役場であり、2005年3月31日に市町村合併によって設置された地域自治区「南郷区」の南郷区役所を経て南郷事務所となった。- 市長 :熊谷雄一(2021年11月17日就任、1期目)
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|
| 市長職務管掌 | 西岡太郎 | 1929年(昭和4年)5月1日 | 1929年(昭和4年)9月21日 |
| 1 | 1 | 近藤喜衛 | 1929年(昭和4年)9月22日 | 1930年(昭和5年)5月19日 |
| 2 | 2 | 神田重雄 | 1930年(昭和5年)8月18日 | 1942年(昭和17年)8月17日 |
| 3 |
| 4 |
| 3 | 5 | 山内亮 | 1942年(昭和17年)10月1日 | 1946年(昭和21年)5月17日 |
| 4 | 6 | 夏堀悌二郎 | 1946年(昭和21年)7月20日 | 1951年(昭和26年)4月4日 |
| 7 |
| 5 | 8 | 村井倉松 | 1951年(昭和26年)4月25日 | 1953年(昭和28年)10月23日 |
| 6 | 9 | 岩岡徳兵衛 | 1953年(昭和28年)12月8日 | 1965年(昭和40年)11月16日 |
| 10 |
| 11 |
| 7 | 12 | 中村拓道 | 1965年(昭和40年)11月17日 | 1969年(昭和44年)11月16日 |
| 8 | 13 | 秋山皐二郎 | 1969年(昭和44年)11月16日 | 1989年(平成元年)11月16日 |
| 14 |
| 15 |
| 16 |
| 17 |
| 9 | 18 | 中里信男 | 1989年(平成元年)11月17日 | 2001年(平成13年)11月16日 |
| 19 |
| 20 |
| 10 | 21 | 中村寿文 | 2001年(平成13年)11月17日 | 2005年(平成17年)11月16日 |
| 11 | 22 | 小林眞 | 2005年(平成17年)11月17日 | 2021年(令和3年)11月16日 |
| 23 |
| 24 |
| 25 |
| 12 | 26 | 熊谷雄一 | 2021年11月17日 | 現職 |
- 1929年5月1日の市制施行時から市長選任選挙で近藤喜衛が市長に選出され、市長に就任するまでは、市長職務管掌(現在の職務代行者相当)として青森県庁から西岡太郎が派遣された[35]。
- 青森県合同庁舎
- 八戸市庁(本館・別館)
- 八戸市南郷事務所(旧南郷村役場、旧八戸市南郷区役所)
- 八戸市民サービスセンター(市川・大館・是川・下長・館・豊崎・八戸駅・南浜・白銀・島守、八戸駅の前身は上長)
| 氏名 | 会派名 | 当選回数 | 備考 |
|---|
| 田名部定男 | 民主連合 | 8 | 元市議会議員 |
| 清水悦郎 | 自由民主党 | 7 | 元市議会議員 |
| 山田知 | 自由民主党 | 6 | 元市議会議員 |
| 大崎光明 | 自由民主党 | 2 | |
| 高畑紀子 | 新政未来 | 1 | 立憲民主党 |
| 夏坂修 | 公明党 | 1 | 元市議会議員 |
| 工藤悠平 | 自由民主党 | 1 | 元市議会議員 |
| 田端深雪 | 日本共産党 | 1 | |
2015年(平成27年)国勢調査の人口増減を見ると、2.68%減の231,257人であり、増減率は県下40市町村中4位。
 |
| 八戸市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八戸市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 八戸市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
八戸市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 216,955人 | | | 1975年(昭和50年) | 231,945人 | | | 1980年(昭和55年) | 245,617人 | | | 1985年(昭和60年) | 248,691人 | | | 1990年(平成2年) | 247,983人 | | | 1995年(平成7年) | 249,358人 | | | 2000年(平成12年) | 248,608人 | | | 2005年(平成17年) | 244,700人 | | | 2010年(平成22年) | 237,615人 | | | 2015年(平成27年) | 231,257人 | | | 2020年(令和2年) | 223,415人 | |
|
| 総務省統計局国勢調査より |
2024年現在約21万人となっており人口減少が続いている。八戸市の人口推移を見ていくと1950年(昭和25年)では人口14万人程度に過ぎなかったが急速な発展を遂げ、1980年には24万人に到達し、30年間で10万人の人口増加を果たした。八戸市の人口は1950年代は年間4000人、1960年代は3500人、1970年代は3000人の大幅な人口増加が続いていたが、1980年代に入ると産業構造の変化もあり人口移動は社会減少に転じた。それにより1980年以降から2000年頃までは24万人台で頭打ちとなった。2000年以降は自然動態の減少もあり人口減少傾向が年々強まっている。なお八戸市内でも旧八戸市の人口は1997年頃まで人口増加を続けていたが、旧南郷村地域は1955年(昭和30年)頃から長期間に渡って人口減少が続いている。
表1. 国勢調査結果に基づく八戸市の人口推移| 実施年 | 八戸市人口(人) | 旧八戸市人口(人) | 旧南郷村人口(人) | 八戸市増加数(人) | 旧八戸市増加数(人) | 旧南郷村増加数(人) | 八戸市増加率(%) | 旧八戸市増加率(%) | 旧南郷村増加率(%) | 国内増加率(%) |
|---|
| 1950年 | 143,489 | 133,263 | 10,226 | - | - | - | - | - | - | - |
|---|
| 1955年 | 160,412 | 149,938 | 10,474 | 16,923 | 16,675 | 248 | 11.8 | 12.5 | 2.4 | 7.3 |
|---|
| 1960年 | 184,680 | 174,348 | 10,332 | 24,268 | 24,410 | 142 | 15.1 | 16.3 | 1.4 | 4.6 |
|---|
| 1965年 | 198,602 | 189,387 | 9,215 | 13,922 | 15,039 | 1,117 | 7.5 | 8.6 | 10.8 | 5.2 |
|---|
| 1970年 | 216,955 | 208,801 | 8,154 | 18,353 | 19,414 | 1,061 | 9.2 | 10.3 | 11.5 | 5.5 |
|---|
| 1975年 | 231,945 | 224,366 | 7,579 | 14,990 | 15,565 | 575 | 6.9 | 7.5 | 7.1 | 7.9 |
|---|
| 1980年 | 245,617 | 238,179 | 7,438 | 13,672 | 13,813 | 141 | 5.9 | 6.2 | 1.9 | 4.6 |
|---|
| 1985年 | 248,691 | 241,430 | 7,261 | 3,074 | 3,251 | 177 | 1.4 | 1.4 | 2.4 | 3.4 |
|---|
| 1990年 | 247,983 | 241,057 | 6,926 | 708 | 373 | 335 | 0.3 | 0.2 | 4.6 | 2.1 |
|---|
| 1995年 | 249,358 | 242,654 | 6,704 | 1,375 | 1,597 | 222 | 0.6 | 0.7 | 3.2 | 1.6 |
|---|
| 2000年 | 248,608 | 241,920 | 6,688 | 750 | 734 | 16 | 0.3 | 0.3 | 0.2 | 1.1 |
|---|
| 2005年 | 244,700 | 238,428 | 6,272 | 3,908 | 3,492 | 416 | 1.6 | 1.4 | 6.2 | 0.7 |
|---|
| 2010年 | 237,615 | 231,737 | 5,878 | 7,085 | 6,691 | 394 | 2.9 | 2.8 | 6.3 | 0.2 |
|---|
| 2015年 | 231,257 | 225,926 | 5,331 | 6,358 | 5,811 | 547 | 2.7 | 2.5 | 9.3 | 0.8 |
|---|
| 2020年 | 223,415 | 218,718 | 4,697 | 7,842 | 7,208 | 634 | 3.4 | 3.2 | 11.9 | 0.8 |
|---|
八戸市・山形市の二市は東北地方においてそれぞれ9番目、8番目の近い人口規模を抱えている。人口規模の近い山形市と比べて八戸市の人口動態を考察する。八戸市の人口は戦後から高度経済成長期の伸びが著しいのが特徴である。1950年から1980年間の30年間で山形市では人口が1.3倍,5万人の人口増加が見られたが、八戸市では同期間に山形市の人口増加率を大幅に凌ぐ1.7倍、10万人の大幅な人口増加を記録しており24万人の人口を抱えるまで成長している。一方で1980年以降は人口が伸び悩んでおり,2025年現在では、山形市が1980年とほぼ同じ人口規模を維持しているが、八戸市では1980年の人口を15%近く下回る、3.5万人の人口減少となっている。
表2. 八戸市・山形市の人口推移| 実施年 | 八戸市人口(人) | 山形市人口(人) | 八戸市増加率 | 山形市増加率 | 注釈 |
|---|
| 1950年 | 143,489 | 180,569 | - | - | |
|---|
| 1965年 | 198,602 | 193,737 | 38.4 | 7.3 | |
|---|
| 1980年 | 245,617 | 237,041 | 23.7 | 22.4 | |
|---|
| 1995年 | 249,358 | 254,488 | 1.5 | 7.4 | |
|---|
| 2010年 | 237,615 | 254,244 | 4.7 | 0.1 | |
|---|
| 2025年9月1日 | 210,303 | 237,847 | 11.5 | 6.4 | |
|---|
- 私立(五十音順)
- 国立・独立行政法人
- 県立(五十音順)
※:以下は廃校。
- 私立(五十音順)
※:私立高校の数が同規模の他都市より多い。これは生徒の増加に対応して私立高校が早期に開校したことにより受け皿となったためである。同時期に公立高校でも共学化や普通高校の新設が図られた。
- 市立(五十音順)
※:以下は廃校。
- 八戸市・階上町学校組合立
※:以下は廃校。
- 私立
- 市立(五十音順)
※:以下は廃校。
- 八戸市・階上町学校組合立
※:以下は廃校。
- 県立(五十音順)
- 八戸郵便局〔集配局〕(84006)
- 八戸西郵便局〔集配局〕(84060)
- 南郷郵便局〔集配局〕(84087)
- 八戸鮫郵便局(84053)
- 八戸小中野郵便局(84074)
- 八戸常泉下郵便局(84110)
- 島守郵便局(84129)
- 豊崎郵便局(84144)
- 八戸中央通郵便局(84158)
- 八戸新井田郵便局(84160)
- 館郵便局(84163)
- 八戸湊郵便局(84165)
- 八戸荒町郵便局(84185)
- 市川郵便局(84197)
- 本八戸駅内郵便局(84198)
- 八戸白銀郵便局(84200)
- 種差郵便局(84209)
- 是川郵便局(84218)
- 桔梗野郵便局(84210)
- 八戸吹揚郵便局(84224)
- 八戸江陽郵便局(84237)
- 八戸根城郵便局(84244)
- 八戸大町郵便局(84246)
- 日計郵便局(84251)
- 八戸旭ヶ丘郵便局(84255)
- 八戸大杉平郵便局(24259)
- 多賀台郵便局(84262)
- 八戸白銀台郵便局(84263)
- 八戸類家郵便局(84267)
- 八戸中居林郵便局(84269)
- 八戸河原木郵便局(84272)
- 八戸湊台郵便局(84278)
- 八戸田面木郵便局(84282)
- 八戸湊高台郵便局(84284)
- 八戸ニュータウン郵便局(84287)
- 八戸駅前郵便局(84288)
- 高岩簡易郵便局(84707)
- 八戸下長簡易郵便局(84733)
- 三條簡易郵便局(84782)
- 東前田簡易郵便局(84784)
- 八戸卸センター郵便局(84795)
- 市営
八戸駅※:八戸市庁の最寄り駅は本八戸駅であるものの、『JTB時刻表』では八戸駅が中心駅として記載されており、いずれも八戸市中心市街地までは距離がある。八戸駅と市中心街は路線バスが10分間隔程度で結んでいる[36]。
- 南部鉄道:尻内駅(現:八戸駅) - 張田駅 - 正法寺駅 - 七崎駅 - 豊崎駅 - (終点は五戸駅)
※:2009年3月に市が策定した「八戸市地域公共交通総合連携計画」により、同市内を運行する八戸市交通部(八戸市営バス)、南部バス(当時)、十和田観光電鉄(十鉄バス)共通の系統番号表示がなされた。2009年に詳細が決定し、地図『バスマップはちのへ』が発行された。さらに、2010年4月1日のダイヤ改正時よりバスの方向幕への表示が開始された。2022年2月26日よりSuicaと相互利用の地域連携ICカード「ハチカ[37]」を導入。すでに交通系ICカードを導入していたJRバス東北や東北新幹線に加え、市営バス・南部バスでも交通系ICカードが使えるようになった。ただし、在来線の八戸線・青い森鉄道線では使えないため注意が必要。なお、同市内を運行する十和田観光電鉄の路線バスでも利用可能だが、ハチカの交通ポイントや定期券の対象外となる。
高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路
[編集]- E4A 一般国道45号百石道路(三環状線から分岐)
- 八戸市道白銀沼館環状線(市道環状線)
- 八戸市道上組町湊線
- 八戸市道沼館三日町線
- 八戸市道大久喜港線
- 八戸市道厳島線
- 八戸市道南海岸五号線
- 八戸市道沢金浜線
- 八戸市道西金浜二号線
- 八戸市道大久喜線
- 八戸市道階上道線
- 八戸市道二号白浜道線
- 八戸市道白銀金吹沢道線
- 八戸市道白銀鮫線
- 八戸市道島守根子久保線
- 八戸市道十文字沢代線
- 八戸市道沢代西山線
- 八戸市道境ノ沢刈又線
- 八戸市道相畑古里線
- 八戸市道不習長代線
- 八戸市道不習楜桃沢線
- 八戸市道崎ノ木沢水吉線
- 八戸市道不習山田線
- 八戸市道島守根子久保線
1965年から1975年までは三沢空港での民間機共用が米軍の保安上の理由に伴い、中止されていたことから海上自衛隊八戸航空基地が代替していた。
種差海岸- 縄文遺跡、出土品は八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館で展示、出土品は国宝や国の重要文化財に指定[3]。
- 長七谷地貝塚 〔市川町字長七谷地吹上〕国の史跡、縄文時代早期の貝塚および集落遺跡[4]。
- 丹後平古墳群〔根城字丹後平〕古墳100基前後と推定、国の史跡[5]。
- 本殿ほか:国の重要文化財[7]
- 工芸品:国宝(赤糸威鎧兜、白糸威褄取鎧兜)、重要文化財(紫糸威肩白浅黄鎧兜、唐櫃入白糸威肩赤胴丸兜、兜浅黄威肩赤大袖二枚付)
- 前述の八戸市博物館と隣接し、「史跡 根城の広場」として公開されている
- 〔十日市天摩〕[11]、〔南郷大字頃巻沢字長久保〕[12]、〔南郷区市野沢字新田、中野字大久保〕[13]、〔南郷大字大森字砂子崎、字林崎〕[14]、慶長年間
- 日本の音風景100選・ウミネコ繁殖地。国の天然記念物[22]
- 離岸流のため遊泳はできないが鳴り砂で知られる海岸。
環境省が選定した「快水浴場百選」に撰ばれた。
- 種差海岸(種差海岸インフォメーションセンター、芝亭)
- 三陸復興国立公園、国の名勝
- ヒマラヤスギがクリスマスイルミネーションで彩られる。
「氷都八戸」の歴史は1947年(昭和22年)の第1回冬季国体から始まったとされている。以来、冬季国体は2009年のみちのく国体まで過去11回八戸で行われた。また、アイスホッケーは1932年(昭和7年)の第3回全日本アイスホッケー選手権大会から始まり過去4回八戸で開催。60年ぶりの八戸開催となった2007年(平成19年)の第74回全日本アイスホッケー選手権大会は各地で行われた。1948年(昭和23年)の第16回全日本アイスホッケー選手権大会(盛岡)では八戸ホワイトベアが優勝を飾った。アジアリーグアイスホッケーのH.C. TOCHIGI 日光アイスバックス、廃部になったSEIBUプリンスラビッツなどにはゆかりの選手も多い。
- 主なジュニアホッケーチーム
- 八戸ホワイトベアJr、八戸北Jr、八戸南Jr、八戸東Jr、八戸パイレーツJr
- 主なホッケー実業団
- 八戸ブルースターズ(旧八戸市庁)、八戸信用金庫、YSアイスホッケー(吉田産業)、小中野フェニックス
- 主なスケートリンク
- 主なスケートリンク跡地
- フットサルアリーナ八戸(東アイスアリーナ)、田名部記念アリーナ(南部山アイスアリーナ)(南部山健康運動公園内)、GODOアイスパレス
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- ^炭素14年代でおよそ3000年前、竪穴建物の土間(床面)から炭化米粒7粒が出土した。八戸市教育委員会が発掘調査、北海道大学の吉崎昌一のグループが明らかにした。縄文後期に属することが確実であれば、日本最古の米である。[10]
- ^地域自治区が導入されたのは新潟県上越市に次いで2例目。
- ^2015年4月1日、地域自治区の設置期間満了に伴い、南郷となった。
- ^青森県内で直営店舗が置かれるのは八戸市と青森市(青森中央郵便局内)のみである。
- ^ 八戸市内に唯一本店を構える金融機関である 。
- ^岩手県北部(二戸・久慈地区)も取材・購読対象地域としており、地域ニュース面には「岩手県北」欄も不定期で掲載。
- ^青森県全域を取材・購読対象地域としており、八戸地区の地域ニュースは「上十三(かみとうさん)・下北」という題名で掲載。さらにラテ欄も在盛局は最終面に岩手めんこいテレビをフルサイズで、第二TV&ラジオ面には他の在盛民放TV局をハーフサイズで、在盛ラジオ局も在青局と同一サイズで各々掲載。加えて津軽・下北地方は在札局の越境視聴者も多いことから、在札局はテレビ北海道が最終面にフルサイズで、他の在札局は第二TV&ラジオ面にハーフサイズで、在札ラジオ局も在青局と同一サイズで各々掲載。
- ^2017年秋にFM補完放送として開局。
- ^なお、2017年3月までは土曜夕方の番組は県南地方(八戸・十和田地域)のみの放送だった。
- ^地域ニュースの岩手県北(二戸地域)面は日によって「県北・八戸」という題名になる場合があり、岩手県を取材・購読対象地域とする地方紙でありながら八戸地区の話題も掲載。なお第二TV&ラジオ面は在青TVおよび在仙TVのみをハーフサイズで掲載し、ラジオは(在青局を含めた岩手県外局は非掲載で)在盛局のみ掲載。
- ^NHK青森放送局とNHK盛岡放送局が2ch、ABA(青森朝日放送)とIAT(岩手朝日テレビ)が5ch、ATV(青森テレビ)とIBC(IBC岩手放送)が6chでそれぞれリモコンIDが重複するため、同市のテレビの設定においてこれらの在盛局は7ch、9ch、10ch、11chなど在青局と在盛局の双方が使用していないリモコンIDが割り当てられる場合が多い。【例:NHK盛岡総合は7ch(本来は青森県でRABのリモコンIDとして使われる1ch)、IATは10ch(本来は青森県でABAのリモコンIDとして使われる5ch)、IBCは11ch(本来は青森県でATVのリモコンIDとして使われる6ch)】
- ^八戸第二養護学校高等部を旧八戸南高等学校に移設
- ^abcde南部バスの倒産に伴い、2017年3月1日より岩手県北自動車が南部支社として事業譲受したが、南部バスの名称をブランド名として継続使用している。
- ^一部運航便はジェイエア
- ^運航はジェイエア
- ^運航は北海道エアシステム
- 行政
- 観光