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八代亜紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八代やしろ亜紀あき
基本情報
出生名橋本 明代[1]
生誕 (1950-08-29)1950年8月29日[2]
出身地日本の旗日本熊本県八代郡金剛村
(現・八代市
死没 (2023-12-30)2023年12月30日(73歳没)
ジャンル演歌歌謡曲ジャズ
職業歌手女優画家
活動期間1971年 - 2023年
レーベルテイチクレコード(1971年 - 1981年)
センチュリーレコード(1982年 - 1985年)
日本コロムビア(1986年 - 2023年)[注釈 1]
Virgin Music(2017年 - 2023年)[注釈 2]
事務所ミリオン企画
公式サイト八代亜紀オフィシャルホームページ
八代亜紀 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
ジュリー・ロンドン

八代 亜紀(やしろ あき、1950年昭和25年〉8月29日[2] -2023年令和5年〉12月30日[3])は、日本の演歌歌手女優タレント画家熊本県八代郡金剛村出身[4]

来歴

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生い立ち

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幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ[5]。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。

八代が小学5年生のとき、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き[5]、そのハスキーボイスに魅せられる。ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。

15歳で上京してクラブ歌手に

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八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。しかし人前で話すのが苦手で、業務中に歌声を披露する機会もないため3ヶ月で退職した。その後は地元の「キャバレーニュー白馬」に歌手として雇われる[6]。ところが父の会社の従業員が客としてやってきたために3日で発覚してしまう。「不良は家にいらない」と勘当され、東京にいる従姉妹を頼りに上京した[7]

上京後は歌える喫茶店で学費を稼ぎながら、音楽学院で基礎を学ぶ。数年で銀座のクラブで歌うようになり、学校に行かなくなった。そのころは主にスタンダードジャズやポップスを歌っていた。同じクラブで歌っていた三谷謙(のちの五木ひろし)から芸能プロダクションを紹介される。

歌手デビュー

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1971年テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。芸名の姓は出身地の八代(やつしろ)市から採り、語呂を考えて「やしろ」という読みにした[8]。名前は本名の明代より呼びやすい「アキ」とし、漢字の亜紀には「アジア(細亜)で何世も活躍できるように」という願いが込められている[9]

その後、よみうりテレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、徐々にレコードが売れ始める[10]

1973年に「なみだ恋」が120万枚のヒット[11]。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った曲でヒットを連発する。

1979年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、1980年に発表した「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞TBSテレビラジオ)を受賞する。これら2曲は「港町絶唱」とともに阿久悠浜圭介竜崎孝路のトリオによる「哀憐三部作」とされ、NHK紅白歌合戦NHK総合ラジオ第1#NHK紅白歌合戦出場歴参照)では2年連続大トリを務めた。ほどなくして「演歌の女王」と称されるようになる[8][12]

ベテラン歌手へ

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1982年、センチュリーレコードへ移籍。「海猫」「ブルーレイン大阪」「日本海」「陸の船乗り -ロンサム ロード-」「恋瀬川」などを発表する。

1986年には日本コロムビアへ移籍。1987年に個人事務所「ミリオン企画」を設立。1990年に「花(ブーケ)束」を発表。ポップス調バラードの同曲は八代の新たな一面を引き出し、演歌ファン以外からも支持されてロングセラーとなった。

演歌歌手としては珍しく全盛期の楽曲すべてがヒットし、総売上枚数は女性演歌歌手トップである。アルバムについても、オリコンの総合チャートのトップ10に5作品をチャートインさせた。総合アルバムチャートトップ10獲得連続年数は1974年から1976年まで3年で、2007年現在、演歌歌手第3位である[13][注釈 3]

2007年、出資法違反容疑などで摘発された株式会社エル・アンド・ジーによる、顧客獲得のための会員向けコンサートに出演していたことが発覚[14]。被害対策弁護団は違法収益返還の取り組みも行っていたが[15]、照会書において八代は「返還したい」とは答えなかった[16]。なお、同コンサートに出演した演歌歌手の大半は返還以前に照会書への回答すら行っていない[16][17](詳細はエル・アンド・ジー参照)。

晩年〜死去

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2012年ごろからジャズ、ブルースなどを本格的に歌うようになる(後述)。コンサートやディナーショーは演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げていた。また、ボランティア活動や地域社会貢献活動などにも長年関わっていた(後述)。

2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、年内の活動を休止することを発表した[18]

以降は療養を続けてきたが、同年12月30日、東京都内の病院で死去した。73歳没。単独では9月5日長野県佐久市でのコンサートが、入院前日の9月9日に開催された日野皓正のコンサートへのゲスト出演が生涯最後のステージとなった。いずれも杖なしでいつも通りに舞台をこなした。葬儀は八代の遺志により、明けて2024年1月8日に事務所スタッフのみで執り行われ、訃報は翌9日に所属事務所より公表された[19][20]

2024年2月7日、熊本県は「国民に広く敬愛と感動を与えた」として「熊本県民栄誉賞」の授与を発表した(11例目、物故者は川上哲治以来2例目)。また、八代市も「名誉市民」の称号を授与することを発表した(合併後の新・八代市としては初、旧・八代市を含めて6例目)[21]

2024年3月26日、『八代亜紀 お別れの会~ありがとう…これからも~』が東京蒲田の片柳アリーナで行われた。ステージ復帰を熱望していた八代の思いに応える形で、生バンドの演奏に八代の歌声を重ねたコンサート形式で開催した。歌手仲間や関係者、ファンら合わせて3000人が見守った[注釈 4]

2024年、『第66回輝く!日本レコード大賞』において特別功労賞を贈られた[22]

楽曲・絵画等の各種権利については、八代の生前に、ミリオン企画の社長の大野誠が自身の資本で立ち上げた新会社「八代ミュージック&ギャラリー株式会社」に移管されている。また、八代の遺言により、ミリオン企画は2024年で解散となっている[23]

2024年12月19日、菩提寺である安養院に等身大の銅像が建立され、除幕式が行われた[24]。八代の代表曲のひとつ「雨の慕情」を歌う姿を模した像である[25]

人物

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子供時代

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父は浪曲などの歌が得意だった[注釈 5]。また、父が若いころ画家志望だったこともあり、八代は幼い頃から絵画教室に通った。当時は休日に母が作ってくれた弁当を持って父と一緒に写生に出かけ、休憩がてら父のギター弾き語りを聴いていたという[5]

父と母は19歳と20歳で駆け落ち同然で結婚し、共働きをして八代を育ててきた。普通の会社員だった父は八代が小学2年生のころ[26]に運送会社[12]を起業したが、会社経営の難しさから生活が困窮するようになる[注釈 6]

その生活状況に加え、会社経営に苦悩する父の姿を見続けたことから、子供ながらに「早く大人になって働いて、家計を助けるんだ」と決意する[5][12]。12歳で先述の通りクラブ歌手を目指し始めるが、その理由は「一流の歌手はクラブで歌うもの」と勘違いしたことも一因だった[注釈 7]

プロの歌手を目指して上京

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将来クラブ歌手になることを念頭に置き、その前段階として中学卒業後に15歳でバスガイドになった。しかし人前で話すことが恥ずかしくて上手く喋れず、観光名所を通り過ぎるなど失敗が多かった[5]。そのようななか、友達の勧めで市内のキャバレー「キャバレー ニュー白馬」(2025年時点で現存)の歌のオーディションに年齢をごまかして参加し、店の専属歌手として採用される[5][10]

両親に内緒でバスガイドを辞めてキャバレーで歌いはじめるが、3日後に父の友人が来店したことで両親に発覚した[10]。「不良になった」と父親に勘当されて上京[5]。そのため同店で歌ったのは3日間だけであったが、本人は「歌手としての自信を持った大事な場所。ここが歌手・八代亜紀の原点」と位置づけている[8][10]

東京の親族の家で下宿しながら音楽学院に通い、学費と生活費を稼ぐため新宿の歌える喫茶店[注釈 8]でバイトを始める[注釈 9]

銀座のクラブと歌手デビュー

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18歳のころ銀座のクラブで歌うようになると、ホステスたちから「あきちゃんの歌には哀愁がある」と好評を得た[注釈 10]。後日ホステスたちから「レコードを出した方がいい」と背中を押され、その後レコードデビューへと繋がった[5][注釈 11]

歌手デビューした夜は嬉しさのあまり、デビュー曲「愛は死んでも」のシングルレコードを抱いて眠った[27]。同曲はヒットしなかったが、これまで応援してくれた人の気持ちに答えるためにも何とか売ることを決意し、トランクに同曲のレコードを詰めて、ほぼ毎日地方のキャバレー周りをした[注釈 12]

歌に対する考え方

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「歌手としては表現者というより、それぞれの歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」との考えを持っている[26]

学生時代、音楽教師から「そんな声出しちゃいけない」などと言われ、ハスキーな声にコンプレックスを感じていた。しかし銀座のクラブで歌うようになってから、ホステスや客たちから歌声を褒められたことで「自分の声はいい声だったんだ」と気づき、好きになったとのこと[10]

デビュー当時から「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めていた。理由は「私は辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。歌入れの時はそういう人の表情になっているはずで、それを見られるのは恥ずかしいから」であった[27]。また「レコーディングは何回も録らない」という考えをもっている。これはスタジオで曲のイントロを聴き、最初に浮かんだイメージで歌うことを大事にしているため。これまでのレコーディングでは、一曲につき基本的に通しで3回までしか歌っていない[27]

2021年のインタビューで、今後歌ってみたい歌として「歌詞が徹底的なまでに短くて、ギター一本でも成立するようなシンプルな作りで、“どん底の悲しみ”を表現するような歌を歌いたい」と目標を語っていた[27]

ジャズ・ブルース歌手として

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2012年、小西康陽プロデュースによるジャズアルバム『夜のアルバム』をユニバーサルミュージックから発売。同作は世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目で世界デビューした。マレーシアのiTunes Storeジャズチャートで1位・シンガポール2位・台湾4位・香港7位[28]、オリコンアルバムチャートのデイリーチャートで最高9位、週間チャートで最高20位を記録するヒットとなった。11月にはジャズ歌手としてブルーノート東京のステージに立った[29]

2013年3月にニューヨークのジャズクラブ・バードランドでライブを開催。八代が憧れるヘレン・メリルをゲストに招いて初共演した。そのライブの模様はNHK総合テレビのドキュメンタリー番組『演歌の女王 ジャズを歌う〜八代亜紀・ニューヨークでの挑戦〜』として放送。同番組が反響を呼び、8月に当日のライブを収録したアルバム『夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク』が発売された[30]。さらに9月にはジャズ・フェスティバル「第12回 東京JAZZ」に出演するなど、演歌のコンサートと並行してジャズライブも積極的に実施していた。

2015年10月、寺岡呼人プロデュースによる初のブルース・アルバム『哀歌 -aiuta-』を発表。同アルバム発売を記念し、11月には3年ぶりにブルーノート東京で『AKI YASHIRO "aiuta" Special Night』を開催した。12月には東京国際フォーラムで『八代亜紀 "哀歌" クリスマスコンサート』を開催[31]

2017年10月、ジャズアルバム第2弾『夜のつづき』を発売し、前作『夜のアルバム』に続いてiTunesジャズチャートで1位を獲得する。同作品の発売を記念して11月にブルーノート東京、12月にビルボードライブ大阪、2018年1月にブルーノート名古屋でジャズライブを開催した[32]

2022年10月21日・22日の2日間にわたり、フランス・パリ日本文化会館で公演を開催した。公演は2020年の八代亜紀デビュー50周年に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期し、2年越しの開催を迎えた。オープニングの「雨の慕情」からエンディングの「舟唄」まで、全編を通して"八代演歌"で客席のパリジャンからスタンディングオベーションが起こった。

絵に関して

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歌手活動だけにとどまらず、画家としても活動した。画家志望であった父親の影響により、小学生のころは将来画家になるつもりだった。また父親も、八代には歌手ではなく画家になってもらいたかったという[5]

子供のころから水彩画を描いていたが、40歳ごろに油絵の質感に惚れ込んで市川元晴に師事した[33][34]。それ以来、写実的な油絵を描いていた[27]。フランス「ル・サロン」展に1998年から5年連続で入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員[8])になった[5]

歌と絵について本人は「歌うことも絵を描くこともエネルギーがいるけど、私の場合は歌という肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしている感じ」と語っていた[27]

ボランティアなど

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面倒見の良い両親の影響もあり、若いころからボランティア活動をしていた[注釈 13]。1981年より女子刑務所の慰問公演を始め、その後は老人ホームや福祉施設にも赴くようになった。2000年、日本全国すべての女子刑務所を訪問した[35]

ペルー元大統領・アルベルト・フジモリの両親が熊本県出身ということでフジモリを支援し、ペルーへのボランティア活動も行っていた。1994年にはペルー共和国のラ・メルセにヤシロアキ工業技術学校を設立した。

2011年の東日本大震災の後、何度か被災地に訪れて支援活動を行った[注釈 14]。また、体育館で避難所暮らしをする被災者のために、当時の八代市長や市内の畳業者[注釈 15]の協力を得て数千枚の畳を宮城県石巻市や東松島市などに届けた[36][35]

2016年4月に故郷で起きた熊本地震の後、被災地での無料コンサートへの参加や義援金を渡すなどの支援活動を行った[37]

故郷での社会貢献活動

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2002年に八代市の商工会議所などを中心とした「八代亜紀と共に明日の八代をつくる会」が発足し[8]、八代市の活性化を考える会合などに参加していた[38]。この会をきっかけに熊本や八代市での社会貢献活動が増えた[8]

八代市で毎年5月に開かれるウォーキングイベント「九州国際スリーデーマーチ」に、2002年から毎年ゲスト出演しており、会場で絵画展やミニライブを行っていた[39]。2017年の大会では八代にちなんだ「八代亜紀絵画コース」(10km)というコースもあった[40]

2003年からは八代地域の活性化を目的とした「八代亜紀絵画コンクール」の名誉会長を務めた。同コンクールには、八代が選ぶ「八代亜紀大賞」「八代亜紀賞」などの賞がある[41]

2004年に熊本県の観光や物産をPRする「くまもと誘友大使」の名誉大使第1号に就任[8][42]。また、八代市をPRする「八代よかとこ大使」としても活動[38]。さらに2009年から熊本市親善大使に就任した[43]

熊本県の文化振興活動の功績を讃えられ、2012年に「第22回くまもと県民文化賞」の特別賞を受賞した[44]。また、2015年には八代市から市民栄誉賞を受賞された[45]

2019年、熊本で開かれた世界女子ハンドボール選手権の大会特別サポーターに就任し、同大会テーマソング「Hand in Hand~つなぐ想い~」の歌唱も担当した[46]

多方面での活躍

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1973年に「なみだ恋」が大ヒットした後、トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになり「八代観音」と呼ばれる八代の顔を模したデコトラも出現した。これがきっかけとなり、1977年に東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手「紅弁天」役で出演し、八代の曲「恋歌」が挿入歌として使用された。配給収入は10億9000万円を記録。当時の「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)出演時に、実際に運転して撮影したと話している。

1994年、少年漫画『とっても!ラッキーマン』で「ラッキー・クッキー・八代亜紀」というギャグが使われている。同作がアニメ化した際に本人がオープニングとエンディングを担当し「ラッキー・クッキー・八代亜紀」と歌唱した。[47]

2005年から2006年に放送された朝日放送(ABC)トリハダ 〜感じるボロ〜ン〜』では、バラエティ番組のレギュラー司会を初めて担当した。

2012年に故郷である熊本県八代市に新設された熊本県立八代清流高等学校の新校歌制作を依頼され「故郷の若者がふるさとを思い、愛する気持ちを持ってもらえれば」と快諾し、自ら作詞・作曲した校歌を贈った[48]

2013年、日本のヘヴィメタルフェス『LOUD PARK13』で鉄色クローンXのライブに飛び入り参加した[49]

その他エピソード

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厚化粧のイメージがついて回っていた時期があり、ギャグのネタにされたり、嘉門達夫に「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われるなどしていたが、彫りの深い顔立ちをしているだけで、実際の化粧は薄い[50][51]。八代はその後、化粧品のテレビCMにすっぴんで登場し「ざまあ見ろ!」というセリフを発していた。2001年に発行された書籍「素顔」の帯にも、この文言がダブル・ミーニング的に使用されている[52]ビートたけしも「(八代は)厚化粧で、笑うとヒビが入る」などのギャグを飛ばしていた[53]

「お酒はぬるめの燗がいい」「肴はあぶったイカでいい」という歌詞が冒頭に登場する「舟唄」を歌っていたが、本人は「炙ったイカは好きなものの、酒は呑めない」とのこと[54][55]

王貞治から846号目の本塁打を打った際のバットを贈られ、礼として王の肖像画を描いて贈った[56]。号数は語呂合わせで「やしろ」とかけている[57]

「舟唄」は多くの歌手にカバーされている。梶原しげるがイングリッシュ演歌としてカバーしたほか、2006年にコーヒー飲料・ボスのCMでトミー・リー・ジョーンズが歌い話題になった。八代本人も2001年に発売したアルバム『MOOD』では同曲をラップ調にアレンジして歌っている。

学園モノのコメディ漫画『ハイスクール!奇面組』では、八代の名前を使ったダジャレ「三畳紀 ジュラ紀 白亜紀 八代亜紀」が登場する[58]

1994年に元歌手でマネージャーだった男性と結婚した[1]。父の助言で八代からプロポーズしたという。しかし2021年1月に離婚した[1][59]

2006年1月6日、タイヨーエレックのパチンコ台「CR 演歌の歌姫 八代亜紀」が稼動した。

生前は猫を飼っており、保護猫歴は60年。愛猫の絵を描いたこともある[60]

俳優の新田純一とは公私ともに親しく、ラジオなどでも共演機会が多かった。新田の妻が八代のヘアメイクを長年担当していており、八代の療養の際にも事務所スタッフとともに、ほぼ付きっきりで寄り添ったという。新田は八代の危篤の報を受けて駆け付けており、臨終も夫妻で看取っている[61]

2025年4月21日、ニューセンチュリーレコードが『八代亜紀 お宝シリーズ 第一弾 忘れないでね』を発売[62][63]。八代のフルヌード写真2枚が封入され物議を醸した。

→詳細は「八代亜紀 お宝シリーズ 第一弾 忘れないでね § 封入写真をめぐる騒動」を参照

受賞歴

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賞名受賞作品
1973年第6回新宿音楽祭金賞なみだ恋
夜のレコード大賞銀賞
第6回日本有線大賞優秀賞
第4回日本歌謡大賞放送音楽賞
第15回日本レコード大賞歌唱賞
1974年夜のレコード大賞優秀スター賞愛ひとすじ
第7回日本有線大賞グランプリ
第5回日本歌謡大賞放送音楽賞(2年連続)
第16回日本レコード大賞歌唱賞愛の執念
1975年夜のレコード大賞夜のスター賞おんなの夢
第8回日本有線大賞会長特別賞
ベストヒット賞
有線スター賞ともしび
第6回日本歌謡大賞放送音楽賞(3年連続)
1976年第9回日本有線大賞有線スター賞もう一度逢いたい
第9回全日本有線放送大賞功労賞
第7回日本歌謡大賞放送音楽賞(4年連続)
第18回日本レコード大賞最優秀歌唱賞
1977年第10回日本有線大賞有線ヒット賞
第10回全日本有線放送大賞特別賞おんな港町
第8回日本歌謡大賞放送音楽賞(5年連続)愛の終着駅
特別連盟賞
第19回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(2年連続)
1978年第11回日本作詩大賞入賞哀歌(エレジー)
第9回日本歌謡大賞放送音楽賞(6年連続)故郷へ…
第20回日本レコード大賞金賞
1979年第12回日本有線大賞有線音楽賞涙の朝
第12回日本作詩大賞入賞舟唄
第12回全日本有線放送大賞特別賞
第10回日本歌謡大賞放送音楽賞(7年連続)
第21回日本レコード大賞金賞
1980年第6回日本テレビ音楽祭グランプリ雨の慕情
第6回演歌大賞名人賞
第7回横浜音楽祭祭賞
第6回全日本歌謡音楽祭優秀歌唱賞
第13回日本有線大賞有線音楽賞
第13回全日本有線放送大賞優秀スター賞
第9回FNS歌謡祭最優秀視聴者賞
第11回日本歌謡大賞放送音楽賞(8年連続)
大賞
第22回日本レコード大賞大賞
1981年第18回ゴールデン・アロー賞音楽賞
第2回古賀政男記念音楽大賞優秀賞女心は港の灯
第14回日本作詩大賞大衆賞
1982年第8回日本テレビ音楽祭10周年特別賞
第15回日本作詩大賞作品賞海猫
1983年第2回メガロポリス歌謡祭演歌メガロポリス賞ブルーレイン大阪
第4回古賀政男記念音楽大賞大賞恋の彩
第25回日本レコード大賞特別金賞日本海
1984年第10回演歌大賞名誉歌手賞
第17回日本作詩大賞入賞恋瀬川
1987年第20回日本有線大賞20周年特別期待賞
1988年第15回横浜音楽祭ラジオ日本演歌賞冬に恋歌
第30回日本レコード大賞企画賞北愁記
1989年第8回メガロポリス歌謡祭演歌メガロポリス賞下町夢しぐれ
第16回横浜音楽祭ラジオ日本演歌賞
1990年第9回メガロポリス歌謡祭特別賞花(ブーケ)束
第23回日本有線大賞有線音楽優秀賞
第32回日本レコード大賞作詞賞
1996年第29回日本作詩大賞入賞あんた逢いに来い
日本赤十字社金色有功章日本赤十字社金色有功章
1998年第24回欧州国際美術展入選見つめているものは…
フランスル・サロン展入選想い出
1999年第32回日本作詩大賞入賞風のブルース
日本・フランス現代美術展ル・サロン・フランス 芸術家協会名誉会長
会長連署功労賞
フランス ル・サロン展入選銅賞時は流れて
2000年3年連続入選風を見つめて…
2001年4年連続入選一夜物語
2002年5年連続入選[注釈 16]やすらぎ
2003年第36回日本作詩大賞入賞新宿なみだ町
政経文化画人展内閣総理大臣賞
2008年第9回日本・フランス現代美術世界展特別賞
2010年2010年度文化庁長官表彰人の哀感を巧みに描き出す魅力的な歌声と歌唱技術
2011年第23回国際宝飾展日本ジュエリーベストドレッサー賞
60代女性部門
2018年第16回グッドエイジャー賞受賞
2021年第42回松尾芸能賞大賞[64]
2024年第66回輝く!日本レコード大賞特別功労賞

ディスコグラフィ

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シングル

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#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲オリコン
最高順位
規格品番
11971年
9月25日
A面愛は死んでも池田充男野崎真一伊藤雪彦-SN-1170
B面赤坂はせつなくて
21972年
1月25日
A面別れてあなたを悠木圭子鈴木淳森岡賢一郎SN-1206
B面淋しい朝あきらはるお
31972年
10月25日
A面恋街ブルース悠木圭子小谷充88位SN-1282
B面ドアーを叩いて
41973年
2月5日
A面なみだ恋12位SN-1300
B面雨のカフェテラス二条冬詩夫
51973年
6月1日
A面おんなの涙悠木圭子伊藤雪彦17位SN-1310
B面未練恋
61973年
10月1日
A面女ごころ千家和也19位SN-1333
B面過去悠木圭子小谷充
71974年
1月25日
A面しのび恋伊藤雪彦13位SN-1377
B面みれん雨野本高平伊藤雪彦
-1974年A面長崎はみなと町二条冬詩夫-SN-1381
B面霧の摩周湖水島哲平尾昌晃伊藤雪彦
-1974年A面ひとり花中山寛野崎真一-SN-1382
B面恋あざみ泉淳三彩木雅夫
-1974年A面船は行く吉田旺-SN-1383
B面あなたのブルース藤本卓也
81974年
5月25日
A面愛ひとすじ川内康範北原じゅん小谷充10位SN-1397
B面別れのフェリーボート
91974年
9月25日
A面愛の執念伊藤雪彦9位SN-1417
B面悲しい夢
101975年
1月25日
A面おんなの夢悠木圭子鈴木淳馬場良3位SN-1433
B面雨の港町竹村次郎
111975年
5月25日
A面ともしび竜崎孝路10位SN-1451
B面最終列車鈴木淳
121975年
9月25日
A面貴方につくしますSN-1474
B面わかれ雨
131975年
10月25日
A面愛していませんジェームス三木野崎真一伊藤雪彦48位SN-1480
B面命つくして朝倉一雄
141976年
1月25日
A面花水仙池田充男浜圭介14位SN-1494
B面白い桟橋伊藤雪彦
151976年
5月25日
A面ふたりづれ15位RS-6
B面霧笛
161976年
7月25日
A面夢魔のブルース川内康範北原じゅん小谷充69位RS-12
B面かくれ妻
171976年
9月25日
A面もう一度逢いたい山口洋子野崎真一竜崎孝路9位RS-22
B面女の燈台小島高志広崎竜二伊藤雪彦
181976年
11月25日
A面あい逢い横丁ジェームス三木いずみたく親泊正昇87位RS-37
B面かげろうの唄山川啓介
191977年
2月5日
A面おんな港町二条冬詩夫伊藤雪彦13位RS-46
B面盛り場池田充男
201977年
5月25日
A面恋歌16位RS-66
B面迷い鳥井実浜圭介若草恵
211977年
8月5日
A面愛されてみたい小野朱美遠藤実斉藤恒夫50位RS-80
B面夜の顔荒川利夫
221977年
9月25日
A面愛の終着駅池田充男野崎真一竹村次郎13位RS-85
B面なみだの艶歌伊藤雪彦
231977年
11月25日
A面おんな橋梅林貴久生菊池俊輔-RS-100
B面もう泣きません
241978年
1月25日
A面愛の條件川内康範北原じゅん小谷充21位RS-105
B面ひとり寝
251978年
5月25日
A面哀歌谷村新司竹村次郎20位RS-123
B面ボンボヤージ小谷充
261978年
9月25日
A面故郷へ…池田充男野崎真一竹村次郎26位RS-135
B面愛の歳月杉紀彦弦哲也伊藤雪彦
271979年
1月25日
A面涙の朝悠木圭子鈴木淳馬場良17位RS-151
B面ながれ花
281979年
5月25日
A面舟唄阿久悠浜圭介竜崎孝路15位RS-165
B面長いプラットホーム中村泰士
291979年
9月25日
A面女だから悠木圭子鈴木淳馬場良27位RS-180
B面あなたの子守唄小杉仁三
301980年
4月25日
A面雨の慕情阿久悠浜圭介竜崎孝路9位RS-195
B面男と女・酒と歌
311980年
9月10日
A面港町絶唱28位RS-220
B面死ぬほど愛して
321981年
2月5日
A面女の街角悠木圭子鈴木淳斉藤恒夫23位RE-510
B面私にお世話を…池田充男
331981年
4月25日
A面あなたに逢いたい五木寛之弦哲也竜崎孝路41位RE-524
B面たそがれの歩道橋呼子雅彦
341981年
7月10日
A面女心は港の灯山口洋子弦哲也京建輔48位RE-530
B面港は日暮れ
351981年
10月5日
A面うしろ影北原じゅん竜崎孝路50位RE-540
B面なみだ倶楽部
361981年
12月20日
A面はまなすの花が咲いたら岡本おさみ樋口康雄-RE-543
B面黒い髪
371982年
4月5日
A面あなたと生きる五島新森安俊行斉藤恒夫34位7AC-0001
B面銀座海峡
381982年
8月21日
A面海猫高橋直人小林学竜崎孝路43位7AC-0004
B面さいごの恋人杉紀彦曽根幸明
391982年
10月21日
A面いい顔になったね八代亜紀斉藤恒夫-7AC-0005
B面新宿情話みなみらんぼう八代亜紀
40A面うれし泣き八代亜紀竜崎孝路7AC-0006
B面新宿螢斉藤恒夫
41A面夜更けの二人[注釈 17]竜崎孝路7AC-0007
B面北海おんな節高田宏治立花亮
421983年
1月21日
A面積木の城なかにし礼浜圭介竜崎孝路7AC-0008
B面異国の人
431983年
3月20日
A面なみだ川荒木とよひさ三木たかし45位7AC-0010
B面只今恋のド真中里村龍一野崎真一竹村次郎
441983年
5月21日
A面ブルーレイン大阪荒木とよひさ浜圭介馬飼野俊一61位7AC-0013
B面夢ならさめないで水木れいじ
451983年
8月21日
A面日本海阿久悠大野克夫三木たかし79位7AC-0014
B面おんな北帰行浜圭介竜崎孝路
461983年
10月21日
A面恋の彩麻生香太郎藤本卓也-7AC-0017
B面想い出涙色
471984年
2月21日
A面ふたりの夢悠木圭子鈴木淳斉藤恒夫57位7AC-0020
B面粉雪の手紙池田充男野崎真一竹村次郎
481984年
5月21日
A面涙の最終列車69位7AC-0022
B面陸の船乗り -ロンサム ロード-山口洋子中村泰士川村栄二
49A面夢待草荒川利夫聖川湧竹村次郎-7AC-0023
B面恋慕夜曲吉田旺浜圭介馬飼野俊一
501984年
10月5日
A面恋瀬川秋野めぐみ竹田賢斉藤恒夫52位7AC-0031
B面愛夢山口洋子中村泰士川村栄二
511985年
4月5日
A面愛しても今は他人石本美由起遠藤実斉藤恒夫86位7AC-0034
B面裏町しぐれ
521985年
9月21日
A面命火石原信一浜圭介竜崎孝路79位7AC-0043
B面おんなの情念秋野めぐみ竹田賢小谷充
531986年
8月22日
A面港町純情水木かおる鈴木淳池多孝春87位AH-760
B面あなたの噓鳥井実
541987年
4月1日
A面竜二吉岡治三木たかし川口真84位AH-817
B面うぬぼれ鏡佐藤寛
55A面砂の城川口真-AH-818
B面あばよ港町佐藤寛
561987年
9月21日
A面恋は火の川池田充男徳久広司京建輔49位AH-863
B面紅歌石原信一
571988年
4月1日
A面かもめの歌阿久悠浜圭介馬飼野俊一-AH-930
B面北都の女桜庭伸幸
581988年
6月1日
A面最終ひかり沢ひとし大船わたるかみたかしAH-937
B面こころうた曽我部博士荒木圭男前田俊明
591988年
9月1日
A面冬の恋歌阿久悠浜圭介馬飼野俊一AH-974
B面野暮
601989年
2月10日
01下町 夢しぐれ石本美由起岡千秋佐伯亮49位12CA-8153
02信濃路の里
611990年
2月10日
01花 (ブーケ) 束阿久悠服部克久服部隆之67位CA-8390
02たそがれ東京服部良一服部克久
621991年
2月21日
01カクテル川口真若草恵-CODA-8666
02接吻
631991年
8月21日
01愛を信じたい秋元康中崎英也川村栄二CODA-8787
02酒占い
641991年
10月1日
01熱海あたりで[注釈 18]林哲司服部隆之CODA-8798
02はっけよい高橋研若草恵
651992年
4月10日
01雪のれん松井由利夫遠藤実佐伯亮89位CODA-9
02風紋
661993年
3月21日
01カラス岡田冨美子浜圭介若草恵-CODA-168
02「思秋」奥嵯峨MAKI竹田賢桜庭伸幸
671994年
3月21日
01あかんたれもず唱平弦哲也前田俊明94位CODA-397
02あなただけ石坂まさを
681994年
5月21日
01ラッキーマンの歌ガモウひろし佐瀬寿一矢野立美-CODC-426
02恋はブーガ高田ひろお
691995年
3月21日
01とおりゃんせ悠木圭子鈴木淳竜崎孝路91位CODA-606
02女は花になれ
701996年
2月21日
01あんた逢いに来い麻こよみ西峰卓矢前田俊明-CODA-883
02夢のあとさき建石一伊藤雪彦若草恵
711996年
10月19日
01泡沫〜UTAKATA〜野村万之丞竜崎孝路CODA-1024
02(大河ドラマバージョン)野村万之丞
721997年
1月21日
01ミスター サムシング ブルー湯川れい子長谷川智樹CODA-1146
02Sentimental Boat to Heaven鴨宮諒長谷川智樹
731997年
5月21日
01ほんねたかたかし杉本真人矢野立美CODA-1237
02桜吹雪の中で松本比呂若草恵
741997年
11月1日
01男はつらいよ星野哲郎山本直純山本純ノ介CODA-1343
02さよならあんた河島英五川口真
751998年
3月21日
01盛り場流れ唄悠木圭子鈴木淳池多孝春CODA-1457
02きずな
761998年
9月19日
01あなたに乾盃竜崎孝路CODA-1622
02おもかげ前田俊明
771999年
3月20日
01風のブルース吉田旺杉本眞人CODA-1717
02紅の花秋野めぐみ竹田賢
782000年
2月19日
01朧月夜阿久悠弦哲也CODA-1827
02ひまわりワルツ
7901グアム慕情ひさとみまこと中谷靖之助CODA-1838
802000年
8月19日
01あなたの背中に阿久悠杉本眞人南郷達也CODA-1891
02ステーションホテル24時竜崎孝路
812001年
3月17日
01これからがあるもず唱平伊藤雪彦伊戸のりおCODA-1938
02愛の影水木れいじ川口真
822001年
7月25日
01あした天気になーれ[注釈 19]もず唱平大谷明裕伊戸のりおCODA-1984
02Memorie's西森三紗亜乃庸竜崎孝路
832002年
2月21日
01友の焼酎いではく大谷明裕CODA-2024
02冬の鷗桜庭伸幸
842002年
10月19日
01哀しみよ隣りで眠れ荒木とよひさ徳久広司伊戸のりお69位CODA-2063
02友の焼酎いではく大谷明裕竜崎孝路
852003年
4月2日
01裸足のシンデレラ悠木圭子鈴木淳129位CODA-2095
02春夏秋冬ふられ節[注釈 20]荒木とよひさ伊戸のりお
862003年
7月23日
01新宿なみだ町川村栄二84位COCA-15501
02昭和の灯り
872004年
4月21日
01新宿なみだ町-COCA-15661
02おのれ道渡邊智央一色真実長谷川智樹
882004年
7月21日
01不知火酒荒木とよひさ聖川湧石倉重信77位COCA-15682
02愛を信じたい秋元康中崎英也川村栄二
892005年
3月23日
01不知火情話荒木とよひさ岡千秋南郷達也66位COCA-15744
02生まれ変わる朝八代亜紀長谷川智樹
902005年
9月21日
01白い花YANCY-COCA-15798
02空に星があるように荒木一郎YANCY
912006年
1月18日
01骨までしびれるブルースを荒木とよひさ水森英夫矢野立美104位COCA-15832
02最後の女秋野めぐみ竹田賢前田俊明
922006年
8月23日
01女心と秋の空所ジョージ石倉重信109位COCA-15919
02お酒を飲んで…
932007年
2月21日
01鰻谷河島英五河島翔馬179位COCA-15959
02月の花まつり若草恵
942007年
7月18日
01立ち呑み『小春』もず唱平円広志前田俊明105位COCA-16002
02悲しみの法則BORO矢野立美
952008年
2月20日
01役者たきのえいじ大谷明裕竜崎孝路100位COCA-16063
02宗谷岬松山千春石倉重信
962008年
5月21日
01東京音頭〜Remixed by J.P.〜西條八十中山晋平J.P.-COCA-16081
02東京ブギウギ〜Remixed by J.P.〜鈴木勝服部良一
03東京音頭(正調)西條八十中山晋平石倉重信
972008年
9月24日
01昭和の歌など聴きながら荒木とよひさ徳久広司石倉重信88位COCA-16182
02漢江の月前田俊明
982009年
9月16日
01純情カプチーノ岡田冨美子竜崎孝路54位COCA-16291
02女の予感
992010年
4月7日
01一枚のLP盤荒木とよひさ杉本眞人宮崎慎二61位COCA-16349
02昭和の歌など聴きながら徳久広司石倉重信
03CRY ME A RIVERArthur Hamilton京建輔
1002011年
1月19日
01人生の贈りもの吉元由美都志見隆矢野立美93位COCA-16438
02一枚のLP盤荒木とよひさ杉本眞人宮崎慎二
03愛を信じたい秋元康中崎英也川村栄二
1012011年
10月19日
01デスティニーラブ石原信一徳久広司矢野立美65位COCA-16519
02人生の贈りもの吉元由美都志見隆
1022012年
5月30日
01クレオパトラの夢
[注釈 21]
ちあき哲也鈴木キサブロー宮崎慎二103位COCA-16607
02あの日の昭和がここにある鳥井実大谷明裕石倉重信
1032012年
11月21日
01この広い宇宙のかなたで高嶋渉ゲール語民謡間宮工-COCA-16669
02この素晴らしき世界鈴木博文G.Douglas
G.D.Weiss
YANCY
1042012年
12月5日
01追憶の面影橋喜多條忠鈴木淳竜崎孝路143位COCA-16670
02五月雨の道岡田冨美子中崎英也若草恵
1052013年
10月23日
01MU-JO伊藤薫M.Friedman106位COCA-16771
02愛しすぎる女吉元由美クリヤ・マコト
03残心渡辺淳一浜圭介竜崎孝路
04赤い街さくらももこ松雪陽小林信吾
1062014年
10月22日
01心をつなぐ10円玉かず翼杉本眞人矢野立美83位COCA-16930
02あなたにありがとう小川容子若草恵
03五月雨の道岡田冨美子中崎英也若草恵
1072016年
10月19日
01JAMAAS 真実はふたつ伊藤薫G.Jargalsaikhan-COCA-17230
02みんな、こどもだった重実博
1082020年
3月11日
01明日に生きる愛の歌悠木圭子鈴木淳鎌田雅人152位TYCT-30104
02ワタシウタカタヤマケイジ
03舟唄 (ピアノ・バラードVer.)阿久悠浜圭介武部聡志
1092020年
12月9日
01居酒屋「昭和」中山正好八代亜紀
大谷明裕
竹内弘一58位TYCT-30118
02月ノ小舟竹内清訓八代亜紀鎌田雅人
1102023年
3月15日
01想い出通り悠木圭子-TYCT-30136
02六条御息所の恋[注釈 22]相田毅相田毅
周防泰臣
周防泰臣
03Le Portrait鮎川めぐみC.Gioacchino-
04なみだ恋2023悠木圭子鈴木淳鎌田雅人
111
[注釈 23]
2024年
7月31日
A面残酷な天使のテーゼ及川眠子佐藤英敏若林タカツグ-JS7S412
B面いとしのエリー桑田佳祐竜崎孝路

配信限定シングル

[編集]
発売日タイトル作詞作曲編曲
2014年11月12日I Love Squid ~愛しいイカ~
[注釈 24]
朝日恵里葛岡みち

デュエット・シングル

[編集]

※上記シングル曲リスト掲載の「夜更けの二人」「熱海あたりで」「あした天気になーれ」「クレオパトラの夢」以外のタイトル。

発売日デュエットA/B面タイトル作詞作曲編曲オリコン
最高順位
規格品番
1974年
8月10日
石原裕次郎A面
[注釈 25]
別れの夜明け池田充男伊藤雪彦17位SN-1413
1979年
11月25日
A面夜のめぐり逢い野崎真一竜崎孝路51位RS-185
B面ふたりの港町上原賢六
1980年
12月20日
A面わかれ川野崎真一伊藤雪彦52位RE-504
B面なみだの宿上原賢六
1984年
10月5日
夏木勲A面盛り場二人づれ野崎真一竹村次郎-7AC-0032
B面夜の駅
1990年
6月21日
高倉健01挽歌荒木とよひさ平尾昌晃竜崎孝路41位CODA-8539
02放浪雲
1994年
9月21日
ミスターX01水割りのセレナーデたきのえいじ美樹克彦川村栄二-CODA-483
02夜更けのふたり秋野めぐみ
1999年
9月10日
杉本眞人01港灯吉田旺杉本眞人矢野立美CODA-1778
2017年
5月24日
May J.
[注釈 26]
01母と娘の10,000日
〜未来の扉〜
アンジェラ・アキ55位RZCD-86354
2017年
11月29日
モモエ
[注釈 27]
01にほんご音頭倉本美津留長谷川智樹-配信限定
[注釈 28]
2019年
2月6日
みやぞん
[注釈 29]
01だいじょうぶ伊藤薫高見沢俊彦高見沢俊彦
鎌田雅人
73位TYCT-30085

委託制作盤

[編集]
頒布時期A/B面タイトル作詞作曲編曲委託元規格品番
受託社
1974年A面月ヶ瀬小唄八島柳堂
安永光男
芝高治伊藤雪彦奈良県添上郡月ヶ瀬村49-51
テイチク
B面月ヶ瀬夜曲安永光男野崎真一
1975年
8月
A面別れの城下町池田充男野崎真一伊藤雪彦八代観光協会/
八代市果実農協連合会
50-95
テイチク
B面火の国ブルース
1977年A面浜ッ子波止場斉藤宗三伊藤雪彦委託元非公開52-112
テイチク
B面亜紀のブルース
1979年A面モール・イセザキ松信𣳾輔[注釈 30]水谷暢宏伊藤雪彦有隣堂54-44
テイチク
B面(カラオケ)
1981年
3月
A面[注釈 31]新藍こなし唄不詳野崎真一徳島県板野郡藍住町56-17
テイチク
1982年A面鳴門旅情茂田井幸次[注釈 32]伊藤雪彦幸企画音楽出版PAC0001
センチュリー
B面想い出小雪
1984年A面[注釈 33]かわい音頭島田陽子鞍富誠三奈良県北葛城郡河合町PAC0004
センチュリー
2006年01やつしろ よかとこ YOTTOIDE!坂口和夫大谷明裕石倉重信熊本県八代市/
八代くま川祭り
GES-13554
コロムビア
02(カラオケ)

アルバム

[編集]

※オリコン100位内にチャート・インした作品のみ掲載

発売日タイトル最高位
(LP)
最高位
(CT)
最高位
(総合)
1973年3月1日
1994年10月21日 (CD)
なみだ恋35位--
1973年7月1日おんなの涙21位--
1973年9月1日演歌ごころ41位--
1973年10月25日女ごころ24位--
1973年11月25日演歌の旅路58位--
1974年2月5日演歌ごころ〜花と蝶55位--
1974年5月25日ゴールデンスター・ツイン・デラックス13位--
1974年6月25日愛ひとすじ8位8位-
1974年8月25日オン・ステージ8位12位-
1974年10月25日ベスト歌謡165位--
1974年11月1日八代亜紀-1位-
1974年11月25日愛の執念66位--
1975年1月25日愛・12章/おんなの夢17位14位-
1975年2月25日八代亜紀リサイタル I30位11位-
1975年3月1日大ヒット曲集-1位-
1975年6月1日ともしび-2位-
1975年6月25日ベスト歌謡1619位--
1975年8月25日八代亜紀が歌う不滅の演歌42位--
1975年9月1日昭和流し唄-22位-
1975年10月25日ベスト歌謡16/貴方につくします10位--
1975年11月1日全曲集-1位-
1975年11月25日影を慕いて59位--
1976年1月25日花水仙19位8位-
1976年2月25日いつの日も歌を60位--
1976年4月25日大ヒット16曲-5位-
1976年4月25日演歌熱唱67位--
1976年6月25日ベスト歌謡3034位--
1976年7月25日ふたりづれ44位--
1976年7月25日演歌大全集-11位-
1976年10月25日もう一度逢いたい28位--
1976年11月1日スーパー・デラックス20-2位-
1976年11月25日ヒット歌謡ベスト3036位--
1977年1月25日
2014年10月22日 (CD)
熱唱 八代亜紀リサイタル41位35位-
1977年3月5日全曲集-2位-
1977年3月25日おんな港町42位--
1977年5月25日ヒット歌謡ベスト3049位--
1977年6月25日激唱90位--
1977年7月25日恋歌-12位-
1977年7月25日愛されてみたい43位--
1977年10月25日スター・ゴールデン・デラックス-2位-
1977年10月25日オリジナル・スーパーヒット168位--
1977年11月25日愛の終着駅99位--
1978年1月25日
2014年10月22日 (CD)
五周年記念リサイタル 燃えて翔べ86位--
1978年2月25日絶え間なき愛の流れ82位69位-
1978年4月25日華麗なる女心73位59位-
1978年6月25日哀歌74位--
1978年10月25日ベストセレクト20-4位-
1978年10月25日オリジナル・ベスト37位--
1978年11月25日八代亜紀65位--
1979年1月25日八代亜紀リサイタル 愛の季節…そして、亜紀はまだひとり…-76位-
1979年2月25日涙の朝46位8位-
1979年4月25日永遠のヒット全曲集-10位-
1979年5月25日舟唄52位9位-
1979年10月25日スーパースター ビッグヒット20-4位-
1979年10月25日オリジナルベスト46位--
1979年11月25日演歌-43位-
1979年11月25日オリジナルヒット3059位--
1980年1月25日
2013年8月21日 (CD)
八代亜紀リサイタル'79 〜私の愛する演歌〜-38位-
1980年4月25日演歌全曲集-26位-
1980年5月25日全曲集-4位-
1980年5月25日雨の慕情40位--
1980年6月25日大全集78位--
1980年10月25日ワイド・デラックス20-3位-
1980年10月25日オリジナルベスト1634位--
1980年11月25日演歌流し唄-69位-
1981年1月25日
2013年8月21日 (CD)
八周年記念 八代亜紀リサイタル-64位-
1981年2月25日オリジナルヒット曲集-17位-
1981年5月25日スーパースター・ヒット全曲集-25位-
1981年10月25日ビッグヒット-47位-
1982年5月21日あなたと生きる-54位-
1982年7月25日全曲集-54位-
1982年9月21日海猫-62位-
1983年2月21日ヒット歌謡20 なみだ川-57位-
1983年6月21日ブルーレイン大阪-57位-
1984年3月21日ふたりの夢-65位-
1984年11月5日全曲集-68位-
1990年10月25日全曲集-92位-
1991年10月25日全曲集-64位-
2012年10月10日夜のアルバム--20位
2015年10月28日哀歌 -aiuta---80位
2017年10月11日夜のつづき--69位

近年のオリジナル、ライブ、企画アルバム

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発売日タイトル備考
1995年9月21日色彩花変化25周年記念アルバム。河島英五作詞作曲「月の花まつり」「さよならあんた」が新境地。
2007年にシングル化された「鰻谷」はこのアルバム用に書き下ろされ、お蔵入りになっていた。
1998年1月21日
2008年12月1日
八代亜紀と素敵な紳士の音楽会
〜LIVE IN QUEST〜
1997年9月、原宿クエストホールで行った初のジャズ・ライヴを収録した18年振りのライヴ・アルバム。
往年のスタンダード・ナンバーを中心に、八代自身のヒット曲もジャズ調にアレンジ。
2008年に再発売された。
2000年1月21日いい男 いい女 いい時代30周年記念アルバム。阿久悠が監修、全曲の作詞を担当。
ダンチョネ節から始まり、ダンチョネ節で終わる構成になっており、当初アルバムタイトルは『THE 舟唄』であったが変更された。
後にシングル・カットされた「あなたの背中に」はシングルとは別バージョン。
2001年11月21日
2010年1月25日
MOOD南佳孝大貫妙子大沢誉志幸かの香織などポップス系アーティストの書き下ろし9曲の他、
セルフカバーとしてラップ調の「舟唄」、R&B調の「愛を信じたい」、
カバー曲「UNCHAINED MELODY」「FLY ME TO THE MOON」を収録し、演歌色の無い意欲的な企画アルバム。
2010年にオンデマンドCDとして再発売された。
2005年6月22日VOICE35周年記念ミニ・アルバム。アコースティック・サウンドで全編が優しい音色で統一されている。
花(ブーケ)束」「生まれ変わる朝」も新アレンジで再録。「この素晴らしき世界」を日本語でカバー。
「白い花」は後にシングル・カット。
2007年9月19日彩月〜いろどりづき〜円広志荒木とよひさBORO美樹克彦弦哲也河島英五松山千春など多彩なアーティストが楽曲を提供。
シングル候補になった曲を集めたアルバム。2008年2月「役者」をシングル・カット。
2010年8月18日人生の贈り物40周年記念オリジナル・アルバム。
杉本眞人伊藤薫、弦哲也、さとう宗幸都志見隆吉元由美鈴木淳などが楽曲を提供。
2011年1月、「人生の贈りもの」のボーカルを新たにレコーディングし直してシングル・カット。
2012年10月10日夜のアルバム小西康陽プロデュースによる初の本格ジャズ・アルバム。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「サマータイム」など全12曲収録。
ユニバーサルミュージックより発売され、世界75ヵ国に同時配信。
2013年8月21日夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク2013年3月27日、ニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドで行ったライブを完全収録した15年ぶりのライブ・アルバム。
2015年10月28日哀歌 -aiuta-寺岡呼人プロデュースの初のブルース・アルバム。アメリカのブルース5曲、日本のブルース3曲のカバーに、
THE BAWDIES横山剣クレイジーケンバンド)、中村中らの書き下ろしによる新曲4曲を含む全12曲収録。
2017年10月11日夜のつづき『夜のアルバム』に続くジャズ・アルバム第2弾。「帰ってくれたら嬉しいわ」「フィーヴァー」「黒い花びら」など全13曲収録。
同年11月1日には完全生産限定でアナログLPも発売。
2021年9月25日八代亜紀ベストヒット 〜ニューレコーディングス&ニューシングルズ〜ヒット曲12曲の新録音にVirgin Music移籍後に発売されたシングル曲を収録したベスト・アルバム。

タイアップ曲

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楽曲タイアップ
1975年愛していませんTBS系ドラマ「愛の断崖」主題歌
1976年夢魔のブルース週刊女性連載小説「夢魔性魔」(川内康範・著)テーマ曲
あい逢い横丁テレビ朝日系ドラマ「玉ねぎ横丁の花嫁さん」主題歌
1977年おんな橋日本テレビ系ドラマ「うどん一代」主題歌
もう泣きません日本テレビ系ドラマ「うどん一代」挿入歌
1978年愛の歳月MBS系ドラマ「風を見た女」主題歌
1980年はまなすの花が咲いたらTBS系ドラマ「はまなすの花が咲いたら」主題歌
黒い髪TBS系ドラマ「はまなすの花が咲いたら」挿入歌
1981年あなたに逢いたいTBS系ドラマ木曜座「夜の花火」主題歌
1983年積木の城TBS系ドラマ「母も娘も」主題歌
ブルーレイン大阪映画「ブルーレイン大阪」主題歌
1984年陸の船乗り -ロンサムロード-三菱自動車工業ふそう大型トラック ザ・グレートCMソング
1986年キャバレーフラミンゴ映画「玄海つれづれ節」主題歌[注釈 34]
1988年最終ひかりJR東海東海道新幹線キャンペーンソング
1990年挽歌三菱自動車工業「ふそう中型トラック ファイター」CMソング
1991年熱海あたりでテレビ朝日系「トゥナイト」エンディングテーマ
1994年ラッキーマンの歌テレビ東京系アニメ「とっても!ラッキーマン」OPテーマ
恋はブーガテレビ東京系アニメ「とっても!ラッキーマン」EDテーマ
1995年とおりゃんせ映画「極道の妻たち 赫い絆」主題歌
女は花になれ映画「極道の妻たち 赫い絆」挿入歌
1996年泡沫〜UTAKATA〜NHK総合大河ドラマ秀吉」挿入歌
1997年ミスターサムシングブルー大鵬薬品ソルマック」CMソング
男はつらいよ映画「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」主題歌
2000年To Feel the FireキリンFIRE」CMソング[注釈 35]
グアム慕情グアム政府観光局「楽しさエンドレスキャンペーン」CMソング
2004年おのれ道日本テレビ系アニメ「ごくせん」EDテーマ
2005年白い花JR東日本「会津時間旅行篇」CMソング
2012年この広い宇宙のかなたで田中貴金属工業・CMソング
2014年I love squid 〜愛しいイカ〜ベネッセコーポレーションほか制作アニメ
しまじろうのわお!」歌のコーナー使用楽曲
2017年にほんご音頭NHK Eテレシャキーン!」挿入歌
2020年ワタシウタ日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」EDテーマ

映像作品

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発売日タイトル備考
1984年6月21日八代亜紀の世界 艶歌・女を歌う
1984年6月21日八代亜紀の世界 旅・港を歌う
1992年7月21日演歌の花道
1992年11月21日史上最大の歌謡ワンマンショー!!
熱唱!! 八代亜紀 22年の軌跡
2本組
1995年12月1日歌手生活25周年記念リサイタル
明日にむかって
NHKホールで行われた25周年記念リサイタルを収録
司会:玉置宏、ゲスト:上沼恵美子
2006年1月18日八代亜紀DVDコレクションPV(ビデオ・クリップ)
2012年1月18日歌人伝説〜八代亜紀〜BSフジで放映された番組『歌人伝説』出演時のロングインタビューとスタジオライブを収録

楽曲提供

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書籍

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出版年月タイトル出版社備考
1980年11月八代亜紀写真集 熱唱 燃えて哭く…双葉社
1980年11月八代亜紀 不知火スポニチ出版石原信一
1985年11月私の命火 -35才自伝的エッセイ-主婦の友社八代亜紀著
1986年4月八代亜紀写真集 望郷美・来人
1989年12月愛蔵版 燃える恋歌東京新聞出版局20周年記念・半生記
1991年10月亜紀、夢をありがとうKKロングセラーズ橋本タミ子(八代亜紀の実母)著
1995年11月幻の恋に燃えて -八代亜紀 うたの風景-日本短波放送木戸征治著 写真とエッセイ、対談を収録
2000年4月みんな、こどもだった 八代亜紀抒情画物語PARCO八代亜紀著 初画集
2001年11月素顔青春出版社八代亜紀著 自叙伝
2007年12月舟唄ビューティーアスコム初のビューティー・ブック
2009年6月八代亜紀のゆる〜い3カ月骨盤ダイエット
二の腕・ウエストに効く雨降れウォーク
幻冬舎フジテレビ「どーも☆キニナル!」編著
2010年11月八代亜紀物語 時流れて、今西日本新聞社浜口雅也著 西日本新聞連載をまとめて単行本化

NHK紅白歌合戦出場歴

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年度 放送回曲目出演順対戦相手備考
1973年第24回なみだ恋08/22菅原洋一紅白初出場
1974年第25回2愛ひとすじ19/25五木ひろし
1975年第26回3ともしび20/24フランク永井
1976年第27回4もう一度逢いたい19/24森進一
1977年第28回5おんな港町24/24五木ひろし(2)紅組トリ
1978年第29回6故郷へ…18/24五木ひろし(3)
1979年第30回7舟唄23/23五木ひろし(4)大トリ(2)
1980年第31回8雨の慕情23/23五木ひろし(5)大トリ(3)
1981年第32回9うしろ影21/22五木ひろし(6)トリ前
1982年第33回10海猫21/22五木ひろし(7)トリ前(2)
1983年第34回11日本海17/21北島三郎
1984年第35回12恋瀬川18/20北島三郎(2)
1985年第36回13命火17/20北島三郎(3)
1986年第37回14港町純情17/20細川たかし
1987年第38回15恋は火の川01/20森進一(2)紅組トップバッター
1989年第40回16下町夢しぐれ17/20吉幾三2年ぶり紅白復帰
1990年第41回17花(ブーケ)束24/29布施明
1991年第42回18舟唄(2回目)20/28堀内孝雄
1992年第43回19愛の終着駅09/28小林旭第1部トリ
1993年第44回20もう一度逢いたい(2回目)06/26鳥羽一郎
1999年第50回21舟唄(3回目)18/27かぐや姫6年ぶり紅白復帰
2000年第51回22なみだ恋(2回目)20/28前川清
2001年第52回23これからがある06/27鳥羽一郎(2)最後の紅白出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

座長公演

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上演期間劇場タイトル第一部演目第二部演目
1980年5月28日 - 6月1日新宿コマ劇場八代亜紀8周年記念公演越前おんな節演歌! 八代亜紀のすべて
1981年5月2日 - 10日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演不知火おんな節いま燃える亜紀の世界
1982年4月29日 - 5月9日新宿コマ劇場八代亜紀10周年特別公演北海おんな節亜紀 燃える演歌
5月26日 - 30日梅田コマ劇場
1983年7月3日 - 13日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演
夏木勲特別出演
昭和疾風おんな節ヒット・パレード
亜紀 演歌の夏まつり
7月21日 - 31日梅田コマ劇場
1984年7月1日 - 15日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演
夏木勲特別出演
日本海疾風おんな節八代亜紀 この夏情熱!
7月梅田コマ劇場
1985年10月3日 - 28日新宿コマ劇場デビュー15周年
八代亜紀特別公演
火の国疾風おんな節亜紀・いま艶花!
1986年3月1日 - 26日梅田コマ劇場
10月3日 - 28日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演越前無情
-おんな節シリーズ第7弾-
昨日・今日・明日
演歌ひとすじ
1987年5月6日 - 31日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演
左幸子特別出演
うず潮慕情
-おんな節シリーズ第8弾-
亜紀演歌
十八番歌いっぱなし
7月3日 - 28日梅田コマ劇場
1988年3月4日 - 29日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演津軽人情おんな節ヒット・パレード
八代演歌 今・炎える女ごころ
8月梅田コマ劇場
1989年2月2日 - 27日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演関東疾風おんな節ヒット・パレード
春一番! 八代演歌まっ盛り
5月4日 - 29日梅田コマ劇場浪花疾風おんな節'89八代演歌まっ盛り
1990年6月2日 - 27日新宿コマ劇場デビュー20周年記念
八代亜紀特別公演
不知火お雪旅暦歌に魅せられ20年
今、更なる飛翔!!
7月4日 - 29日梅田コマ劇場
1991年3月1日 - 26日梅田コマ劇場八代亜紀特別公演母恋道中旅日記ヒット・パレード
今、新たな演歌時代
6月2日 - 28日新宿コマ劇場
1992年1月2日 - 28日梅田コマ劇場八代亜紀特別公演春姿千両纏初春に舞う 演歌吹雪!!
3月1日 - 28日新宿コマ劇場春に舞う 演歌吹雪!!
1993年6月2日 - 27日大阪・劇場飛天八代亜紀奮闘公演花暦照姫人生双六ヒット・パレード
亜紀、飛天を翔ける!!
9月2日 - 28日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演闇の華・剣の舞総ざらえ!
今、華やかに亜紀演歌
1994年8月2日 - 28日大阪・劇場飛天八代亜紀奮闘公演人情ばなし恋泥棒ヒット・パレード
演歌繚乱 亜紀の花道
10月2日 - 28日新宿コマ劇場八代亜紀特別公演望郷疾風おんな節
-五社英雄監督を偲び-
1995年1月2日 - 28日名古屋・中日劇場歌手生活25周年記念
八代亜紀特別公演
闇の華・剣の舞歌い初め!絢爛演歌大絵巻
11月2日 - 27日新宿コマ劇場おりん事件帳千両飛脚あなたにありがとう、
そして今遥かなる歌の道!
12月2日 - 25日大阪・劇場飛天
1997年5月3日 - 26日大阪・新歌舞伎座八代亜紀特別公演
菅原文太特別出演
豚と真珠とおもろい夫婦八代亜紀オンステージ
2001年9月1日 - 28日新宿コマ劇場二人のビッグステージ
千昌夫・八代亜紀
じゃぱにーずどりーむ
「あした天気にな〜れ」
ミリオンセラー
愛のヒットパレード
2002年3月1日 - 27日梅田コマ劇場
2003年4月4日 - 28日大阪・新歌舞伎座新歌舞伎座特別企画
八代亜紀・神野美伽
多岐川舞子林あさ美
女の春夏秋冬 ふられ節グランド・フィナーレ

出演

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映画

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上映年タイトル配給主演備考
1972年銀蝶流れ者 牝猫博奕東映梶芽衣子
1973年夜の歌謡シリーズ なみだ恋東映中島ゆたか八代は劇中で「なみだ恋」を歌う本人役
1974年夜の演歌 しのび恋東映中島ゆたか八代は劇中で「しのび恋」を歌う本人役
1976年おしゃれ大作戦東宝由美かおる
1977年トラック野郎・度胸一番星東映菅原文太
1978年多羅尾伴内東映小林旭挿入歌「愛の條件」も担当
1986年玄海つれづれ節東映吉永小百合八代は準主演
1995年極道の妻たち 赫い絆東映岩下志麻主題歌「とおりゃんせ」、挿入歌「女は花になれ」も担当
2022年スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免東映ビデオ純烈
2024年てっぺんの剣narrowz北乃きい本郷奏多

劇場アニメ

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上映年タイトル配給役名備考
2016年ファインディング・ドリーウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ海洋生物研究所の女性アナウンス(八代亜紀)[65]日本語吹替版
日本語吹替版のエンドソングも担当[66]

テレビドラマ

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放送日タイトル放送局役名備考
1973年6月6日特別機動捜査隊NET第605回「恋の裏通り」
挿入歌「なみだ恋」も担当
1976年玉ねぎ横丁の花嫁さんNETゲスト出演
1977年海峡物語テレビ朝日ゲスト出演
1980年4月24日長七郎天下ご免!テレビ朝日おふじ第25話「春を呼ぶ鉄火飛脚」
1982年5月6日木曜ゴールデンドラマ
北のめぐり逢い
読売テレビ八代亜紀デビュー10周年記念ドラマ
ドラマ初主演
1983年4月26日歌謡ドラマ
海猫哀歌
NHK総合八代の曲「海猫」をモチーフにしたドラマ
1983年11月24日木曜ゴールデンドラマ
悲恋
読売テレビ初めて入浴シーンに挑戦
1985年3月14日木曜ゴールデンドラマ
主婦、逃避行
読売テレビ
1987年2月18日水曜ドラマスペシャル
袋小路の女
TBS /ユニオン映画主演・木島景子
1991年3月25日水戸黄門 第20部TBSお涼第20話「弥七を狙う女 -八代-」
1991年また又・三匹が斬る!テレビ朝日くれないお京第9話「湯煙り血煙り咲いた女の三度笠」
1992年1月10日金曜ドラマシアター
主婦たちのざけんなヨ!!
フジテレビ
1994年2月10日ニュー・三匹が斬る!テレビ朝日第6話「艶姿!度胸で渡す大井川」ゲスト出演
1994年4月5日積木くずし、そして…テレビ東京
1995年3月3日金曜エンタテイメント
清水次郎長物語
フジテレビお民挿入歌「茶っ切り節」も担当
1995年4月14日金曜エンタテイメント
ざけんなヨ!!8
フジテレビ「長男の嫁・三日間の地獄」
1995年7月22、29日土曜ドラマ
メナムは眠らず
NHK総合日本・タイ国際共同制作ドラマ
1995年8月17日痛快・三匹が斬る!テレビ朝日猪鹿お蝶第17話「噂の女と千両疵」
1996年1月7日
- 12月22日
大河ドラマ
秀吉
NHK総合おせん挿入歌「泡沫〜UTAKATA〜」も担当
1997年御家人斬九郎フジテレビ第2シリーズ第11話ゲスト出演
2001年9月30日女子刑務所東三号棟3
私たちは息子を殺しました…
TBS八代亜紀刑務所を慰問する歌手役として特別出演
2007年7月13日
- 9月28日
スポパラドラマ24
BOYSエステ
テレビ東京
2008年6月23日スミレ16歳!!BSフジヤシロアキ八代の曲「鰻谷」がフィーチャーされる
2014年4月28日東京特許許可局NHK Eテレ第3話ゲスト出演
2019年2月22日約束のステージ 〜時を駆けるふたりの歌〜読売テレビ田村キヨコ全日本歌謡選手権審査員・特別出演)
2021年4月FM999 999WOMEN'S SONGSWOWOW総理大臣の女第2話ゲスト出演

ドキュメンタリー番組

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  • 八代亜紀 ブラジルで「にほんのうた」を歌う(BSジャパン、2012年12月30日)
  • 人生指南紀行 女の横町 東京・人情編(NHK BSプレミアム、2014年8月20日) - ナレーション
  • 人生指南紀行 女の横町 地方・旅情編(NHK BSプレミアム、2014年8月27日) - ナレーション
  • 八代亜紀 ブルース、魂の叫び〜聖地メンフィス、ミシシッピ・ブルース街道へ〜(BSフジ、2015年11月13日)

バラエティ・教養番組

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ラジオ番組

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  • ラジオ喫茶 八代(ラジオ日本、2012年10月1日 - 2016年3月28日)
  • 八代亜紀 RADIO PALETTE〜音のアトリエ〜(JFN系、2013年10月 - 2018年3月)
  • 今日も八代亜紀晴れ(かっぱFM
  • ムーンラウンジ八代(ラジオ日本、2016年4月4日 - 2023年12月)

CM

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ほか多数

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^2002年10月から2010年9月まではコロムビアミュージックエンタテインメント
  2. ^2012年・2013年の両年に日本コロムビア在籍時のままにユニバーサルジャズ(レーベルはEmArcy)よりジャズアルバムを発売している。
  3. ^1位は7年連続の氷川きよし、2位は4年連続の五木ひろし。
  4. ^「昨年暮れ、残念でしたが長い歌手人生に終止符を打ちました。苦しい時も、楽しい時も心の支えになったのは皆さんからの声援でした。感謝の気持ちでいっぱいです」。この日のメッセージ部分は全て最新AI音声。本人が2020年、声を音源データに残すことを希望し、生前とかわらない、包み込むようなやさしい声が出席者を出迎えた。中央の遺影は、鮮やかなピンクのドレスをまとった八代が微笑み、スポットライトの先には生前着用していた青いドレスが飾られた。ステージセットと祭壇には胡蝶蘭・バラ・カーネーションが並べられた。会場には、フランスの由緒ある公募展ル・サロンに入選した絵画や熊本県民栄誉賞や八代市名誉市民の賞状など、ゆかりの品々が展示され、アトリエを再現したコーナーも設けられた。発表された戒名は、「艶唱院釋信譽明煌清大姉(えんしょういんしゃくしんよみょうこうせいだいし)」。コンサート映像や写真などで足跡を振り返り「舟唄」からはじまり「雨の慕情」「なみだ恋」など全20曲が流され、"演歌の女王"として歌謡界、芸能界に貢献してきた八代に別れを告げるため、多数の歌手仲間、出席者らが思い思いの祈りをささげ献花した。最後に「皆さん、八代亜紀は幸せでした。幸せでしたよ」。そして「ありがとうね。バイバイ!!」の声とともにステージの幕を下ろした。
  5. ^特に浪曲は、親戚や近所の人が時々聞きに集まっていたほどであった。
  6. ^また父は、自分たちより従業員の生活を優先して給料を払っていたことも困窮する理由となった[5]
  7. ^ジュリー・ロンドンのレコード裏のプロフィールに書かれていた「アメリカのクラブ歌手で、一流のシンガーとして…」という文言を勘違いした。当時アメリカのクラブは、知名度のある歌手やダンサーのショービジネスの場であった。一方日本のクラブは、女性キャストを相手に酒を飲む場所で、歌手が下積みの一環として歌うことが多く、意味がまったく異なっていた[5]
  8. ^本人によると「美人喫茶」という業種である[10]
  9. ^当時、音楽学院にやって来たレコード会社の社員によりスカウトされたこともある。しかしそれはレコードデビューを騙った詐欺で「デビューさせてあげるから200万円用意しなさい」と言われ、八代は「結構です!」と断った[5]
  10. ^大人びた曲を歌ってはいたが、当時は女の哀しみや男女の恋愛についてよくわかっておらず「哀愁がある」と言われてもピンと来なかったと八代は回顧している[26]
  11. ^八代によると、当時店のホステスたちは勤務時は素敵に見えたが、その多くは給料日に恋人にほとんどの金を持っていかれるなど辛い思いをしていたという。彼女たちから「世の中には私たちみたいな悲しみを背負った女性が沢山いるから、レコードを出してそういう人たちにもあきちゃんの歌を届けてあげてほしい」と言われた。
  12. ^夜行列車に乗って見知らぬ街で降りたあと、地図を見ながらキャバレーを巡ってレコードを売り歩いた。当時は重いトランクを引いていたため、手は豆だらけになったという[10]
  13. ^生活が困窮していた時代も、母は多めに肉じゃがを作って近所におすそ分けした。また父はホームレスの男性を「外は寒いだろう」と約1ヶ月間家に住まわせることもあった[26][10]
  14. ^被災地での慰問コンサートの開催・全国各地のコンサート会場での義援金の呼びかけ・自身の絵画展の収益の一部を寄付する等[36]
  15. ^八代市は、畳の原料となる“いぐさ”の日本一の生産地である。
  16. ^5年連続入選により永久会員となる(以降は無鑑査で作品展示)。
  17. ^デュエット:増田登
  18. ^デュエット:桂三枝
  19. ^デュエット:千昌夫
  20. ^八代と神野美伽多岐川舞子林あさ美の4人による楽曲。
  21. ^デュエット:小林旭。発売当時小林の所属していたテイチクレコードからも発売された。カップリングは小林の「惚れた女が死んだ夜は」(品番TECA-12347)。
  22. ^啖呵:玉川奈々福
  23. ^アナログ盤でのシングル・カット。
  24. ^しまじろうのわお! & 八代亜紀名義だが、八代単独の歌唱。のち、「しまじろうのわお!」シリーズのサウンド・トラックアルバム『劇場版しまじろうのわお!「しまじろうと おおきなき」+テレビ版「しまじろうのわお!」 オリジナル・サウンド・トラック』(品番 MHCL-2506)に収録される形で、CDでもリリース。
  25. ^B面は石原裕次郎の「泣き砂浜」。
  26. ^May J. duet with 八代亜紀名義。
  27. ^八代亜紀とモモエ名義。
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出典

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外部リンク

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1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
第32回から第34回までは演歌・歌謡曲とポップス・ロックの2部門に分けて発表された。括弧内の数字は第○回を示す。
カテゴリCategory:日本レコード大賞受賞者Category:日本レコード大賞受賞曲
第11回 - 第20回
(1969年 - 1978年)
第21回 - 第30回
(1979年 - 1988年)
第31回 - 第40回
(1989年 - 1998年)
第41回 - 第50回
(1999年 - 2008年)
第51回 - 第60回
(2009年 - 2018年)
第61回 -
(2019年 - )
注釈

第1回から第10回までは制定なし。第12回 は発表なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表
(ただし第32回に限り演歌・歌謡曲、ポップス、ロックの3部門に分けて発表した)。

第1回 - 第10回
(1968年 - 1977年)
第11回 - 第20回
(1978年 - 1987年)
第21回 - 第30回
(1988年 - 1997年)
第31回 - 第40回
(1998年 - 2007年)
第41回 - 第50回
(2008年 - 2017年)
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1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
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10代
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30代
40代
50代
60代
以上
男性
特別
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象
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