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入船亭扇橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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入船亭 扇橋(いりふねてい せんきょう)は、落語家名跡。当代は10代目

初代から7代目まで「船遊亭 扇橋」(せんゆうてい せんきょう)と名乗っており、系統から代々「音曲噺」「都々逸」を得意としていた。8代目から系統が変わり亭号も入船亭とした。初代扇橋を祖とする一門は扇派と呼ばれ、春風亭や柳家などのいわゆる柳派もこの一門から派生している。

初代

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初代船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
別名鉄五郎
生年月日不詳年
没年月日1829年5月15日
出身地日本の旗日本
師匠3代目常磐津兼太夫
初代三笑亭可楽
弟子初代都々逸坊扇歌
初代土橋亭里う馬
2代目船遊亭扇橋
初代鯉昇亭栄橋
初代麗々亭柳橋
初代鼠遊亭鉄扇
3代目司馬龍生
初代山松亭圓喬
名跡1. 2代目常磐津若太夫(1809年 - ?)
2. 初代船遊亭扇橋(? -1829年
活動期間1809年 -1829年
活動内容常磐津節
江戸落語

初代船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、生年月日不詳 -文政12年4月13日1829年5月15日))は、江戸時代の落語家。俗称は鉄五郎。

初代三笑亭可楽の弟子で、いわゆる「可楽十哲」の一人。音曲噺の祖である。

生まれは奥平家家臣の武家であった。芸人としては初めは常盤津の太夫になり3代目常磐津兼太夫の門下で2代目常磐津若太夫と名乗っていたという。文化6年(1809年)に初めて寄席に出たというが、この時から可楽門下で船遊亭扇橋と名乗っていたかどうかは明らかではないが、扇橋以外の名を名乗ったという記録は残っていない。可楽門下の里楽の弟子だったのが、その後可楽の直門になったという説もある。

法名は「広誉扇橋居士」、墓所は深川浄心寺。

浄瑠璃のさまざまな太夫の節調を語り分けるのに優れていたという。

弟子

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初代扇橋を祖とする一門は扇派と呼ばれる。

など

2代目

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2代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
本名鈴木 十蔵
別名並木吾市
生年月日1786年
没年月日1861年
出身地日本の旗日本
師匠初代船遊亭扇橋
弟子2代目入船米蔵
5代目船遊亭扇橋
6代目船遊亭扇橋
初代入船萬蔵
名跡1. 船遊亭新橋(不詳)
2. 船遊亭扇蝶(不詳)
3. 初代入船扇蔵(? -1829年
4. 2代目船遊亭扇橋(1829年 -1841年
活動期間? -1841年
活動内容狂言作家
江戸落語

2代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、天明6年(1786年)(算出) -文久元年(1861年)(算出))は、江戸時代の落語家。本名は鈴木 十蔵

藪下(または千駄木)の茶漬茶屋の倅とも、初代の弟ともいわれる。最初は並木吾市という名の狂言作家で並木五瓶の弟子筋の流れを汲むものと思われる。初代扇橋の門下で船遊亭新橋、扇蝶、初代入船扇蔵を経て、師匠の死後の(文政12年)1829年?に2代目扇橋を襲名した。

天保12年、門下の2代目扇蔵に扇橋の名跡を譲り、陸奥へ遊歴の旅に出発する。後に巡行記の『奥のしをり』を著した。また、落語史研究の資料として重宝されている『落語家奇奴部類』(弘化5年)の著者としても知られる。落語家奇奴部類には自らの名を「語仏老人 扇翁」としている。

また俳諧狂歌に長けており、書の中で「東都落語ノ作者」と称している。

享年は75といわれる。

弟子は2代目米蔵、5代目、6代目扇橋、初代入船萬蔵らがいた。

3代目

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3代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
本名山高 鉄三郎
生年月日不詳年
没年月日不詳年
出身地日本の旗日本
師匠2代目船遊亭扇橋
名跡1. 入船扇童(不詳)
2. 入船扇之助(不詳)
3. 2代目入船扇蔵(? -1841年
4. 3代目船遊亭扇橋(1841年 - ?)

3代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、生没年不詳)は、江戸時代の落語家。本名は山高 鉄三郎といわれる。

江戸]の生まれ、文政時代から2代目扇橋の門下で入船扇童、扇之助2代目扇蔵を経て天保12年(1841年)には3代目扇橋を襲名。番付類には嘉永中期まで見え嘉永末には宇都宮で死去したという。

4代目

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4代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
別名庄太郎
生年月日不詳年
没年月日1868年
出身地日本の旗日本
師匠2代目船遊亭扇橋
弟子3代目都々逸坊扇歌
2代目春風亭柳朝
名跡1.(亭号不明)扇風(不詳)
2.初代立川扇太郎(不詳)
3.4代目船遊亭扇橋(? -1858年
4.初代入船米蔵(1858年 -1868年
活動期間? -1868年
家族初代五明楼玉輔(父)

4代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、生没年不詳)は、幕末の落語家。俗称(または幼名)は庄太郎(または昌太郎)。

初代五明楼玉輔の実子。天保初年ころ?から2代目扇橋の門下で扇風から初代立川扇太郎を経て4代目扇橋を襲名。1858年には歌舞伎役者の4代目市川小團次(初名:市川米蔵)の縁故から初代入船米蔵となる。明治元年ころ(1868年ころ)没したという。

弟子は3代目扇歌、2代目春風亭柳朝らがいた。

5代目

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5代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
生年月日不詳年
没年月日不詳年
出身地日本の旗日本
師匠4代目船遊亭扇橋
名跡1. (亭号不明)扇吉
2. 入船萬蔵
3. 船遊亭志ん橋
4. 5代目船遊亭扇橋

5代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、生没年不詳)は、幕末の落語家。本名不詳。

4代目扇橋の門下で扇吉から入船萬蔵、船遊亭志ん橋を経て5代目扇橋を襲名。歌舞伎俳優3代目市川市蔵などの声色で売り出していた。

若手真打時代には三遊亭圓朝と競い合うなど人気者だったが嘉永期以降番付類には見られず、没年も不詳。

6代目

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6代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
本名千葉 音蔵
生年月日不詳年
没年月日1882年
出身地日本の旗日本
師匠初代司馬龍斎
2代目三遊亭圓生
4代目船遊亭扇橋
名跡1. 司馬語遊
2. 2代目司馬龍斎
3. 3代目竹林亭虎生
4. 露野五郎治
5. 2代目入船亭扇太郎
6. 6代目船遊亭扇橋
7. 初代五明楼松玉
活動期間? -1882年
配偶者竹本浪志摩
家族竹本手遊太夫(息子)
所属三遊派

6代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、生年月日不詳 -1882年)は、幕末から明治にかけての落語家。本名は千葉 音蔵

弘化時代? に初代司馬龍斎門下で語遊となり、師の存命中に2代目龍斎、2代目三遊亭圓生門下で3代目竹林亭虎生となり、再び初代龍斎門下で露野五郎治、4代目扇橋門下で2代目扇太郎を経て6代目扇橋を襲名。晩年は初代五明楼松玉となる。怪談噺が得意だった。向柳原に妻竹本浪志摩と住んでいた。息子は竹本手遊太夫である。1882年に向柳原で死去。

弟子に3代目扇太郎、4代目扇太郎、講談2代目両面舎扇玉、2代目五明楼松玉、五明楼松橋(後の初代春風亭年枝、本名:松岡唯吉)、米蔵(「ガンモドキ」)などがいる。

7代目

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7代目船遊亭せんゆうてい扇橋せんきょう
本名清水 栄蔵
生年月日1848年1月
没年月日1890年9月26日
出身地日本の旗日本
師匠3代目麗々亭柳橋
名跡1. 2代目春風亭柳好(? -1879年
2. 7代目船遊亭扇橋(1879年 -1889年
3. 船遊亭團扇(1889年 -1890年
活動期間? - 1890年

7代目船遊亭 扇橋(せんゆうてい せんきょう、1848年1月 -1890年9月26日)は、明治時代の落語家。本名は清水 栄蔵。俗に「薪屋の扇橋」という。

明治極初期に3代目麗々亭柳橋門下で2代目春風亭柳好を経て1879年ころ? 7代目扇橋を襲名した、1889年?、船遊亭團扇と名乗って、若松町屋を兼業し始めた。

8代目

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8代目入船亭いりふねてい扇橋せんきょう
本名進藤 大次郎
生年月日1865年6月20日
没年月日 (1944-10-08)1944年10月8日(79歳没)
出身地日本の旗日本
師匠2代目滝川鯉かん
4代目麗々亭柳橋
3代目春風亭柳枝
弟子9代目土橋亭里う馬
名跡1.瀧川鯉三
1882年 -1888年
2.瀧川鯉橋
(1888年 -1894年
3. 春風亭枝橋
(1894年 -1897年
4. 4代目春風亭柏枝
(1897年 -1905年
5. 8代目入船亭扇橋
(1905年 -1944年
活動期間1882年 -1944年
家族3代目柳亭燕枝(息子)

8代目入船亭 扇橋(いりふねてい せんきょう、慶応元年5月27日1865年6月20日) -昭和19年(1944年10月8日)は、明治から昭和にかけての落語家。本名は進藤 大次郎。俗に「宗匠の扇橋」という。

呉服屋で奉公していたころ、主人が芸事好きだった影響を受けて、天狗連の流しで役者の声色などで笑いをとっていた。そのうち談笑(3代目古今亭志ん生)の余興を手伝いをしたりした後、1882年2代目滝川鯉かんの下に入門し、鯉三となる。しかしこの鯉三の見抜いた鯉かんによって翌年初代春錦亭柳桜(3代目麗々亭柳橋)の下に連れて行き、その長男の4代目麗々亭柳橋の門下に入ることとなった。初代柳桜・柳橋から落語を教わったほか、6代目桂文治から芝居噺を学び、後にこれを演じた。

1888年12月には瀧川鯉橋を襲名し、寄席4軒掛け持ちするような人気者になる。1894年3月には3代目春風亭柳枝の門下で枝橋となり、1897年10月4代目春風亭柏枝で真打に昇進し、1905年12月に8代目入船亭扇橋を襲名。

著書には『杉戸のかげ』『昔の芸道修行』『回顧五十年』などがある。他にも数十席の速記を残している。

3代目柳亭燕枝は息子、弟子に9代目土橋亭里う馬1944年に死去。享年80。

9代目

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9代目入船亭いりふねてい扇橋せんきょう
Irifunetei Senkyô 9th
9代目 入船亭(いりふねてい) 扇橋(せんきょう) Irifunetei Senkyô 9th
九代目入船亭扇橋定紋「つたの葉」
本名橋本はしもと光永みつなが
別名光石
生年月日1931年5月29日
没年月日 (2015-07-10)2015年7月10日(84歳没)
出身地日本の旗日本東京都
師匠3代目桂三木助
5代目柳家小さん
弟子入船亭扇遊
入船亭扇海
2代目入船亭扇好
入船亭扇治
入船亭扇辰
入船亭扇里
名跡1. 桂木久八
1958年 -1961年
2.柳家さん八
(1961年 -1970年
3. 9代目入船亭扇橋
(1970年 -2015年
出囃子俄獅子
活動期間1958年 -2015年
所属日本芸術協会
(1958年 -1959年
フリー
(1959年 -1960年
落語協会
(1960年 -2015年
公式サイト入船亭 扇橋
受賞歴
文化庁芸術祭(1982年)
芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)(1983年)
備考
落語協会理事(1970年 - 2010年)
落語協会相談役(2010年 - 2015年)

9代目入船亭 扇橋(いりふねてい せんきょう、1931年5月29日 -2015年7月10日[1])は、東京都青梅市出身の落語家。本名∶橋本 光永出囃子は『俄獅子』。

経歴

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埼玉県立飯能高等学校中退後、職を転々。流行していた浪曲にあこがれ、弟子入りするも師匠に落語を薦められる。[要出典]

1957年12月、26歳の時に8代目三笑亭可楽の『笠碁』を聴いたことで落語のファンになり3代目桂三木助に入門。翌年桂木久八で初高座。1961年1月に師匠三木助が死去、5代目柳家小さん門下へ移籍。[要出典]

1961年5月、桂文平とともに二ツ目昇進。木久にちなみ柳家さん八と改名。[要出典]

1970年3月、真打に昇進して9代目入船亭扇橋を襲名した[要出典]

1975年4月に柳家小三治桂文朝とともに「三人ばなし」スタート(1997年8月まで)[2]

1981年、落語を題材にした映画『の・ようなもの』に「出船亭扇橋」役で出演[要出典]

1982年に文化庁芸術祭大賞を、1983年芸術選奨新人賞大衆芸能部門を受賞。1989年には映画『キッチン』に出演した[要出典]

2011年8月に脳梗塞で倒れ[3]、意識不明の寝たきりで胃ろうをしていた。2015年7月10日、呼吸不全のため死去[1]。84歳没。戒名は「徳圓光澤信士とくえんこうたくしんじ[4]。墓所は安楽寺(青梅市)に所在している。

役職

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人物

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10代のころから俳句を嗜み「光石」の俳号を持つ俳人でもあり「東京やなぎ句会」の宗匠、俳人協会の会員でもあった[要出典]

当代屈指の古典落語の実力派として評価が高く、長らく主要ホール落語会や寄席の主任の常連であった。抑揚を抑え淡々とした語り口からの人物・場面描写にすぐれ、人情噺を中心に真価を発揮した。一方で飄々としたとりとめのない長いマクラも持ち味であり、ライバルかつ無二の親友である10代目柳家小三治は“マクラの小三治”とまで称される自らのマクラの長さについて扇橋の影響が大きいと述懐している。[要出典]

薬王寺第22世住職・光史は従兄弟にあたる[要出典]

1970年に真打となったが、当時の落語協会会長だった6代目三遊亭圓生は非常に芸に厳しい人物であり、会長在任中は6代目三遊亭圓窓、10代目柳家小三治、扇橋(昇進順)の3名しか真打にしなかった。圓生は門下ではなかったにもかかわらず、扇橋を大変かわいがり、噺の稽古をつけてくれるだけでなく、たびたび地方の公演にも前座として帯同させてくれたという。真打昇進時には新品の袴を贈られてもいる。いくらめでたい真打昇進とはいえ他門の弟子に高額な袴を贈ることはほとんど例がなく、これには扇橋本人だけでなく、師匠の5代目柳家小さんも驚いていたという。[要出典]

歌手の島倉千代子の大ファンとしても知られており、彼女が乳がんの手術をした時は電話で勇気づけ、扇橋夫人の許可を得て島倉の使用済のブラジャーを貰いうけたというエピソードがある[5]

弟子

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系図

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九代目入船亭扇橋
 
入船亭扇遊
 
4代目入船亭扇蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入船亭扇白
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入船亭扇太
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入船亭扇七
 
 
 
 
 
 
入船亭扇海
 
 
 
 
 
 
3代目入船亭扇蔵
 
 
 
 
 
 
2代目入船亭扇好
 
 
 
 
 
 
入船亭扇治
 
 
 
 
 
 
入船亭扇辰
 
10代目入船亭扇橋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入舟辰乃助
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入船亭辰ぢろ
 
 
 
 
 
 
入船亭扇里
 

廃業

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  • 入船亭扇よう

作品

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映画

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DVD

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著書・関連書籍

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ab“落語家の入船亭扇橋さん死去”. 産経ニュース (産経デジタル). (2015年7月11日). https://www.sankei.com/article/20150711-IWMKKM43IZKZZA4WHEIK6YOQAA/ 2017年12月4日閲覧。 
  2. ^別冊太陽スペシャル「十代目 柳家小三治」編集部 (2018年10月25日). 五〇年を振り返る 小三治高座記録. 平凡社. pp. 126-127. ISBN 978-4-582-94587-4 
  3. ^平成23年7月30日|噺のついで|note”. note(ノート). 2020年8月2日閲覧。
  4. ^春風亭小朝、入船亭扇橋さん通夜で「落語界に一つの色が抜けた」”. サンスポ (2015年7月15日). 2015年7月15日閲覧。
  5. ^入船亭扇橋 著、長井好弘 編『噺家渡世 扇橋百景』うなぎ書房、2007年7月。ISBN 9784901174237 

参考文献

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。2025年9月
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