児童移民(じどういみん、英語:Child migration)あるいは「移住または移動している子どもたち」(時にはより一般的な意味で「移動中の子どもたち」[1]) は、3歳から18歳の間の児童が親や法定後見人の同伴の有無に関わらず、政治的国境内または政治的国境を超えて、別の国や地域に移動することを指す。児童らは渡航文書の有無に関わらず渡航すること、目的地である国に難民、亡命希望者、あるいは経済移民として到着することがある。
子どもたちが移住する動機も移住するそれぞれの個人も多様である。これには経済的な理由、教育に関する願望、ジェンダー、文化に関連した理由や個人的な動機に加え緊急事態、自然災害、迫害や人道危機などが含まれる。より良い機会を求めて国を去る子どもがいる一方で、暴力や搾取、虐待や紛争から逃れる子どももいる。複数の理由が重なることも多い。親が移住したり別居したりした場合、子どもは片方の親または両親と共に別の場所や国に移住することもあり、親に置き去りにされ間接的に移住の影響を受けることもある[1]。
意見を聴かれる権利は、国連の子どもの権利条約によって定義されている子どもの権利の原則である。この条約の第12条によれば、子どもは自らに影響を及ぼすあらゆる事柄について意見を表明する権利を有し、その意見は子どもの年齢及び成熟度に応じて、正当に考慮されなければならない。この権利は司法及び行政手続きへの関与と同様に、社会や政治的な事柄への子どもの参加にも等しく適用される。一般原則として、子どもの意見を聴かれる権利は、子どもの「主体性」という概念を反映しており、子どもを特別な保護を必要とする脆弱な者としてのみ見るのではなく、情報に基づいた意思決定者、権利保有者や現役の社会の一員としても見ている[2][3]。
多くの子どもたちは、情報を開示することが自らの利益にならないかもしれないこと、また自らの事情を話すことが母国への送還に繋がるかもしれないことを恐れて、目的地国の当局と情報を共有することをためらっている。子どもについては、第三者から自らの話の特定の部分だけを明かすように指示されている可能性、脅迫や報復への恐れが関与している可能性や、警察や地方当局は自分たちを守ってくれると信頼していない可能性がある。子どもの尊厳を守り、尊重する受け入れ体制は、子どもが出会う職員や専門家に対する信頼感を育むことに繋がる。通訳者は子どもの話がどのように理解され認識されるかに影響を与えることから、亡命手続きや犯罪捜査における情報収集の過程に影響を与える可能性がある。不正確な翻訳は子どもの発言を損ない、誤った情報に基づいた判断に繋がる可能性がある。これは翻訳された内容そのものだけでなく、子どもが用いる文体や意味の選び方、そして通訳者がそのメッセージをどのように伝えるかにも関係している[4]。
子どもの権利条約は、あらゆる差別からの幅広い保護と、すべての人間に保証される本質的かつ平等で譲ることのできない権利を子どもに与えている。この条約は、締約国がその管轄内にあるすべての子どもに対して、いかなる種類の差別もなく条約に定められた権利を尊重し、確約しなければならないことを規定している。その際、子ども自身またはその親、法的保護者の人種、肌の色、性別、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国籍、民族的もしくは社会的出自、財産、障害、生まれやその他の地位によって差別してはならない[5]。
この条約によって保障される権利は、国籍を持たない子どもにも適用され、子ども自身やその親の移住・移動の状況にかかわらず保障される。これには、一時的に滞在している子ども、難民、移民労働者の子ども、そして非正規滞在の子どもも含まれる。差別を受けない権利は、子どもの状況や最善の利益が評価されている間、その子どもが直ちに支援や援助を受ける権利を意味している。差別を受けないということは、子どもに自動的に滞在許可が与えられることを意味するものではないが、子どもを送還するか、あるいは受け入れ国がその子どもに対する管轄権を引き受けるかについて、子どもの最善の利益の原則に基づいて決定がなされることを意味している[6][7]。
子どもの事案や状況を評価する際、国家当局には、どの国がその子どもに対して管轄権を有するのかを明確にし、必要かつ適切な場合には、目的地となる国において管轄権を移譲または確立する責任がある。国民ではない子どもの子どもに対する管轄権が不明確なままであると、その子どもは不確実な状態に置かれる危険があり、身分が完全に正規化されるか、または管轄権を有する国に帰還するまで、一時的なサービスや保護措置しか受けられない可能性がある。管轄権に影響を及ぼす一般的な要因には、次のようなものがある。
居住国以外の国にいる子どもには、自国を代表する大使館や領事館から援助を受ける権利がある。 領事館職員は、国外にいる子どもを支援・援助し、支援にかかわる連絡先や照会先を確定し、援助を調整する上で重要な役割を果たし得る。領事館職員は、子どもに関する事案において、技術的助言を得るために中央当局や国内の連絡窓口に連絡することもある。国際連合の1963年「領事関係に関するウィーン条約」に基づき、領事の職務には、派遣国の国民を援助・支援することが含まれる。これには、特に保護者の選任が必要な場合において、受入国の法律や規制の範囲内で、派遣国の国民である子どもの利益を保護するための措置が含まれることがある[9]。子どもの保護者の選任が検討されている場合、目的地の国の当局は、遅滞なく管轄の領事館に通知しなければならない。保護者の選任に関する受入国の法律及び規制が適用され、該当する領事館への情報共有によって影響を受けることはない[10]。
すべての人々(親、子どものいる家族、そして同伴者のいない子どもを含めて)はヨーロッパ地域内で移動の自由を享受している。ヨーロッパの移動自由圏内において、EU加盟国及びEFTA諸国(アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェー、スイス)の市民は、他のEU加盟国内において、登録なしで最長3ヶ月間の入国及び滞在が認められ、収入があることを証明できる場合には滞在許可が与えられる。ヨーロッパの移動自由圏内における、同伴者のいない子ども(単独移住児)の権利は明確に定義されておらず、関連する制度的責任も不明確なままである。同伴者のいない18歳未満の子どもに対して、各国政府が移動の自由に関する規則をどのように解釈し、規制しているかは国によって異なる[11]。
移動している子どもはよく「ヴァルネラブル」(vulnerable) であると言われるが、この言葉の意味は児童保護の文脈で明確に定義されているわけではない。ヴァルネラビリティはしばしば弱点として理解され、弱さや保護の必要性と同一視される。子どもの権利に基づくアプローチからすると、ヴァルネラビリティとは国連の児童の権利に関する条約下で保有されるべき権利を十分に行使するにあたって子どもに機会が限られていることを指す[12][13]。
困難な生活状況や暴力、紛争から逃れるため移民する子どもにとって、移民はリスクを下げる機会でもある。一方で移民している間や目的地でより深刻なリスクにさらされることもある。社会的セーフティーネットが弱いため、人身取引を含む搾取や虐待にさらされやすくなる子どものグループもある。子どもがさらされているリスクはしばしば相互に絡み合って高まると考えられている。既に貧困や虐待、学校からのドロップアウトなどのヴァルネラブルな状況で暮らしている子どもは、搾取的な関係や危険な移民など、他のリスクが加算されるとよりヴァルネラブルになると考えられている[12][13]。
安全性が低い移民により子どもはさらなるリスクにさらされる。暴力行為を受ける可能性に加え、必要書類を持たずに旅をしたり、生計を立てるために不法行為や犯罪行為に手を染めたり、他人に説得あるいは強要されてそうした行為を行ったりすると、子どもが法的問題に巻き込まれるリスクもある。習慣的・巡回的に移動する状況に置かれると、子どもの福祉、安全、発達が相当な影響を受ける可能性がある[12][13]。
移動している子どもはさまざまな形の搾取のリスクにさらされる。これには売春やポルノグラフィ、ウェブカムで盗撮を行いながら移動する性犯罪者、子ども虐待画像、インターネットの不法コンテンツなどにかかわる性的搾取も含まれる。オペア、工場、工事現場、アスファルト舗装、レストラン、清掃業、農業、ベリー摘み、物乞いなどの児童労働や家事労働で搾取が発生することもある。国境を越えた子どもの強制結婚や児童婚のケースもある。子どもの搾取は家族によって行われることもあるが、大小の犯罪ネットワークにより行われることもある。子どもはドラッグ生産やドラッグ取引、すり、侵入窃盗などの不法行為・犯罪で搾取されることもある[14][15]。子どもの人身取引はますます物乞い、福祉不正受給、信用詐欺、保険詐欺などの目的で行われるようになっている[16]。
子どもの人身取引は2000年に出た「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約の移住者の密輸に反対する議定書」により、搾取を目的とする子どもの求人、移送、移動、隠匿、受領を指すものとして規定されている。この定義は国境を越える場合や犯罪組織が絡んでいる場合のみ適用されるが、子どもの人身取引はその後通常こうした条件の外でも認識されるようになっている[17]。国際労働機関は子どもの人身取引の最重要側面として移動と搾取を含むよう定義を拡大している[17]。
国際人身取引の被害者が国境を越える際、移動のための法的書類がある場合もない場合もあり、密輸者の助けがある場合もない場合もある。国境を越えた後に人身取引に勧誘されることもよくある。多くの場合、人身取引は国内で発生し、国境を越えない。2000年の国連の議定書は、人身取引被害者の身元確定において取引方法や子どもの同意はいかなる人身取引行為においても重要ではないと考えている。人身取引を構成する搾取には、「少なくとも、他人に売春させる搾取あるいはその他の性的搾取、強制労働や強制サービス、奴隷制あるいは奴隷制に類似する行為、従属あるいは臓器摘出」が含まれる
2005年の人身売買に対する行動に関する欧州評議会条約は国際的な定義をそのまま逐語的に採用しているが、人身売買が国内で起こったり、大規模な組織犯罪グループがかかわっていなかったりする場合も被害者が保護されることを強調している[18]。
2011年にEUが出した人身取引に関する指令は人身売買の概念における作品の意味を広げた。人身売買の定義の一部として犯罪的な活動における搾取目的を明確に含むこととしている。第2条第3項では「『犯罪的活動における搾取』はとりわけスリ、万引き、ドラッグ取引その他の罰を受けるが金銭的利益を及ぼす可能性がある類似の行いとして理解されるべきである」と明確に述べている。この指令は「取引対象になった従属している者を物乞いのために用いることを含む物乞い目的の搾取は、強制労働や強制サービスを構成する全ての要素が発生している時にのみ人身取引の範囲に含まれる」としている[19]。
「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約の移住者の密輸に反対する議定書」は人間の密輸(移住者密輸)を「直接的あるいは非直接的に、その者が国民でも永住者でもない国に不法に入国させて金銭的あるいはその他の物質的利益を得るため斡旋を行うこと」と規定している。移住者密輸を行う者は移動のための書類なしに金銭その他の利益のため他の者が国境を越えられるようにする。 ひとたび密輸者が越境を手助けしたり、合意している目的地に確実に移民を到着指せたりする場合、密輸者と密輸された移民の間の連絡は通常、途絶える。国境を越える人間の密輸が目的国で搾取を行うためになされる場合は人身取引行為と見なされる[20][21]。
子どもの売買とは子どもがある人か集団によって報酬その他の対価のため他の者の手に移動させられる行動あるいは取引を指す。子どもの人身取引は人間の売り買いを含むことがあり、子どもの販売は搾取につながることもあるが、必ずしも常にそうであるというわけではない。たとえば、子どもは時として不法な養子縁組などで販売されることもある。子どもは性的搾取や労働目的で売られることもある。こうした場合は人身取引と売買はひとつの法的事案のなかでふたつの犯罪行為が重なり合うことになる[22]。
移民と持続可能な発展の間の関連は広く認められている。移民は「持続可能な開発目標のための2030アジェンダ」に直接かかわっている。現状の人口のトレンドからして、富裕な国の人口は不均衡に高齢化する一方で収入が低い国は若い世代が過剰となるため、労働市場、社会保障、教育、栄養などにひずみが生じる[23]。
移民により、双方の人口不均衡を緩和できる可能性がある。労働力を増やし、必要なところで若い世代の数を補強できる可能性がある。これにより移民の目的地となる高収入な国の社会福祉システムに貢献し、貧困率と失業率が高い移民を送り出す国の社会福祉システムのひずみを減らすことになり得る。 移民及び移動に関する政策により、理想的には知識、能力、人材の相互交換がすすみ、一方的な移動や頭脳流出が防がれることが望ましい。この観点から、移民は貧困を減らし、より公平で持続可能な世界的発展に貢献する可能性がある[24][25]。
人権にもとづき、開発を指向する観点からすると、移民を送り出す国も受け入れる国も移民を管理する責任を共有する。良好な開発を最大化し、移民によりリスクを最小化するためには、移民した人々の長所を引き出し、双方の国の間で社会的、経済的、政治的関係において協力しながら移民の管理に尽力することが必要である[25]。
19世紀末頃から20世紀初頭にかけて、オーストラリア先住民の子どもが多数家族から引き離され、養育期間や里親家庭に預けられたが、これはのちに盗まれた世代と呼ばれるようになった[26]。
2009年11月にオーストラリア首相ケビン・ラッドが国を代表し、公式に「忘れられたオーストラリア人たち」と児童移民たちに謝罪を行った[27][28]。「忘れられたオーストラリア人」というのは孤児院や養護施設、里親などに預けられた子どもを指してオーストラリアの議員が使った言葉であり、そのうちの一部は児童移民にあたる[29]。
19世紀に作られたカナダの先住民寄宿学校システムは先住民をヨーロッパ的なカナダ社会に強制的に同化させることを目指すものであった[30]。最後の寄宿学校は1996年に閉校となった[31]。 2008年6月11日にカナダ首相スティーヴン・ハーパーが当時の内閣を代表し、CBCで全国放送された演説の中で過去の政府の同化政策について先住民の代表者の面前で謝罪を行った[32]。2009年にベネディクト16世はこの件に関してカトリック教会メンバーの過去の行為に対する悲しみの意を表明した[33]。
1949年12月9日にオーストラリアカトリック移民委員会と移民労働大臣の間で結ばれた協定に従い、310人の子どもが1950年から1965年の間に「オーストラリア児童移民計画」のもとマルタからオーストラリアに移民した[34]。この計画に基づいてオーストラリアに送られたマルタの子どものほとんどは政府の孤児院か教会の養育施設出身であり、全員が親の同意のもとに出発したということになっている。オーストラリア政府はマルタ出身の8歳から11歳の男子及び5歳から10歳の女子をカトリックの施設に迎え入れ、これに関して責任を負うことになっているカトリックの機関の監督下で雇用を提供すると約束していた[34]。こうした子どものうち1人は聖職者になり、他の多くは違うキャリアを歩んだが、親が移民に同意したということを知って傷ついてもいたという[34]。2009年にオーストラリアの首相が養育機関、孤児院、里親制度のもとで監護者による虐待に苦しんだ人々に対して謝罪した際、マルタからの移民もこの謝罪の対象に含まれていた[34]。
労働力の不足を緩和するため、貧しい子どもや孤児をイギリスの植民地に送り出すという行為は1618年にイングランドで始まっており、100人の浮浪児が集められてヴァージニア植民地に送られた[35]。20世紀後半までにホームチルドレンプログラムは貧しい子どもにオーストラリア、カナダなどで「よりよい人生」が得られるようにし、旧植民地に良い「白人人材」を提供する手段であると見なされていた。子どもも親も事前に相談されることはなく、しばしばきょうだいが引き裂かれた[36]。全部で130,000人ほどの子どもがイギリスからカナダ、ニュージーランド、南アフリカ、ローデシア(現ジンバブエ)、オーストラリアに送られた。子どもは親が亡くなったという嘘を教えられることもあり、多くは新しい家で虐待に直面した[27]。2010年2月にイギリス首相ゴードン・ブラウンは「恥ずべき」子どもの再定住プログラムに関して公式な謝罪を行い、「誤った」プログラムに影響を受けた家族に補償するため6百万ポンドの資金を準備すると報告した[37]。これ以降、児童移民トラストが、イギリス政府のかつての児童移民及び家族を助ける案の一部として、かつての児童移民を家族と再会させる家族回復ファンドを設立した[38]。
第二次世界大戦中に350万人ほどの子どもが空襲リスクのある地域から地方に疎開した[39]。
2012年にナンド・シゴナ博士が中心となってオクスフォード大学の移民政策社会センター (COMPAS) が完了した研究によると、120,000人程度の子どもが在留資格なしでイギリスに住んでおり、そのうち65,000人は在留資格のない住民を親としてイギリス国内で出生している[40]。
19世紀の間には人口が密集したアメリカ合衆国東海岸から中西部や西部の地方の家庭や孤児院に子どもを移動させようとする動きが多数あり、最も有名なのは孤児列車である[41]。さらにアメリカ先住民の子どもたちは西洋文化に無理矢理同化させることを目指して家族から引き離され、寄宿学校に送られるということが起こった[42]。