元首 (げんしゅ、国家元首 、ラテン語 :dux civitatis 、フランス語 :chef d’État 、英語 :Head of state [ 1] )とは、国の首長または、国家を外に向って一般的に代表する資格をもつ機関[ 2] 。
歴史的には、三権を統合する国家の統治者としての絶対君主 (皇帝、国王など)を指したが、三権分立 が広がるに従い国家元首の権限は(行政権を除き)空洞化し、三権を統合する国家を憲法に従って統治する立憲君主 (イギリスなど)、三権を統合する国家の儀礼的な長である名誉職型大統領(ドイツ、イタリアなど)、三権を統合する国家の長と行政府の長を兼任するアメリカ型大統領 、三権を統合する国家の長と行政府の一部の長を兼任する半大統領制の大統領(フランスなど)などがある。三権分立の国家では、行政府の長ではない国家元首の権限は儀礼的なものが多く、行政府に対し首相の任命、立法府に対し議会の招集、法律の公布、司法府に対し最高裁判所長官の任命などの権限が残るのみである。
国家元首は、「政府の長 」(行政府の長、英語 : Head of Government )と異なる概念であり、「政府の長」は行政府のみを管轄するのに対し、国家元首は三権を形式的にではあるがその権限に含む。
「国家元首」の概念は、国家有機体説 に発している。近代では、行政権の長として対外的代表権を持つ存在(人)、転じて、(行政権の長であるかないかは問わず)対外的代表権を持っている存在(人)を指して「元首」と呼ぶようになった[ 3] 。しかし、行政権の長は「政府の長」と言われ、国家元首とは異なる概念であり、また条約法に関するウィーン条約 第7条第2項(a)は、全権委任状がなくても当然に対外的に国を代表する存在として、元首、政府の長、外務大臣の3名を挙げており、「対外的代表権を持っている存在を指して元首と呼ぶ」というのは正確ではなく、したがって、外国に対する代表権を基準に元首を定義するのは「論理の逆転」と言わざるを得ないとの批判もある[ 4] 。「行政権の長として対外的代表権を持つ存在、転じて対外的代表権を持っている存在」は「国家元首」とは限らず、厳格には「政府の長」である(英国国王に対する英国首相など)。
社会契約説 の国家観の下では社会的な委任契約における社会的人格の一つ[ 注 1] 。
現在の主要国の憲法典において「元首(英語 :Head of state 、フランス語 :chef d’État 、中国語 :元首 、ドイツ語 :Staatsoberhaupt )」なる語を用いてその地位を定義しているものは多くなく[ 6] [ 7] 、一般に元首という概念は講学上の概念として実質的に扱われるのが通例である(ドイツのように憲法裁判所で連邦大統領の地位をStaatsoberhauptと認定した例はある[ 8] )。フランスの共和暦12年憲法 やドイツのビスマルク憲法 では、皇帝の地位は明確に絶対君主のそれであったが「元首」という用語自体は使われておらず、法律上の定義も含まれていない。この点で4条に明確な定義を置く大日本帝國憲法 は例外的であった[ 9] 。元首とみなされる地位にある者は、通常は憲法で定められている[ 10] 。
君主制 の国家では皇帝 ・国王 などの君主、共和制 の国家では大統領 が元首とされることが通例である。社会主義国 では大統領の他、ベトナム の国家主席 やかつてのキューバ の国家評議会議長 、ソ連 の最高会議幹部会議長 、東ドイツ の国家評議会議長 なども国家元首に該当する。
一般的に国家元首が置かれる場合、ひとつの国に一人とされるが、例外もいくつかある。
以下の項目において国家元首の大まかな分類を行う。各国の憲法上の規定には差異があり、元首の機能も多種多様である。
皇帝や国王のような君主が、強大な政治的権限を有している。君主は世襲 であることがほとんどである。憲法を制定していない場合(絶対君主制 国家)や、憲法を制定していても実際的には君主の大権 が憲法を超越している場合(専制君主制国家)などがある。このような国家では、君主が富裕で国家から歳費を支給されていないことが多い。そのため、政府 や議会 が歳費の支給を停止して、君主の権限である大権を制限させることができない。さらに、宣伝や教育によって君主による統治の正当化が行われている。
リヒテンシュタイン の公 (侯)[ 注 2] は形式的には立憲君主制 [ 11] [ 12] の君主であるが、実際的には強大な権限を握っており、絶対君主制または専制君主制の典型であるといわれる。
アラビア半島 所在の諸国(サウジアラビア 、アラブ首長国連邦 を構成する7首長国 、オマーン 、カタール 、クウェート )のスルターン は、絶対君主制の君主の典型である。君主の下に行政の実務を担当する首相 が置かれる場合もあるが、君主が首相を兼任していたり、君主の一族(皇太子 など)が首相となっている場合も多く、こうした事例では事実上、首相の権限は君主大権の中に包括されている。
アラブ首長国連邦の国家元首は大統領 である。これは国家の最高意志決定機関である連邦最高評議会(FSC) で互選されるため、形の上では君主ではない。しかし、連邦最高評議会は絶対君主制を採る7首長国の首長から構成されるとともに、実際には大統領はアブダビ首長、副大統領兼首相 はドバイ首長が世襲により継ぐのが慣例化している。さらに、アブダビは連邦の最大国家であるとともに連邦の中心国家である[ 13] ため、アブダビ首長が兼ねる連邦の大統領は事実上、絶対君主制国家の君主に比肩する強大な権限を行使している。
君主の政治的権限が強い立憲君主制国家の元首[ 編集 ] 議院内閣制 を採用する立憲君主国 であり、行政を担当する首相が存在するが、国家元首である君主(国王)が国政の実権を握っている場合。
ヨルダン・ハシミテ王国 の国王 などが、これに分類される。
君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制国家の元首[ 編集 ] 議院内閣制 を採用する立憲君主国 であり、行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である君主(国王)は国政の実権を有さない場合。
イギリス 、オランダ 、ノルウェー 、デンマーク 、スペイン 、カンボジア 、タイ などの国王が、これに分類される。
憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・大公使の接受といった儀礼的なものである。これらの国の中には、イギリスの国王 のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。上記のような理由から政治的発言の自制が求められる。
上記の通り、このタイプの国家の君主は儀礼的役割のみを果たすことが通例であるが、政争やクーデター による国政の混乱時には、仲裁者としての役割を期待され、権限を行使する場合もある。
君主は世襲によって継承されることが一般的であるが、例外もある。
君主が統治権の行使に関与せず象徴化している立憲君主制(=象徴君主制)国家の元首[ 編集 ] 立憲君主制のひとつではあるが、君主の政治的権限を排除した場合には、君主=国家元首の役割は象徴的なものに限定される。こうした事例に対しては、象徴君主制 という新たな区分で説明されることがある。
スウェーデン の国王は、首相 の任命や議会の招集・解散の権限を形式的にも失っており、国家元首と行政府を完全に分離している[ 14] 。そのため、世界で最も象徴的な立憲君主制とされており、これを象徴君主制 の典型とみなす説がある[ 15] 。
イギリスの国王(女王)もこれに分類されることがある[ 16] 。イギリスの国王は形式的には強力な権限 を持っているが、実際にはそれを行使しないのが通例となっているからである。
日本 の天皇もこれに分類されることがある。日本国憲法第4条 に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されているからである(象徴天皇制 )。ただし、天皇が元首であるか否かは諸説ある(「#日本の元首 」を参照)。
共和制国家では国家元首の権限は各国の政治体系によりまちまちであり、大統領が議会から独立した政府の長 として強大な権限を握っている場合(大統領制)、大統領は行政に関して権限を有するが、議会による一定の制限を受ける場合(半大統領制 )、大統領は形式的な権限を行使する象徴的なものである場合(議院内閣制 )、などがある。社会主義国 は君主制でない点において共和制国家に分類されるが、国家元首の地位は形式的・象徴的であり、実権は共産党 の書記長・総書記が握っていることが多い。また、国家元首の地位は独任の機関ではなく、合議体の長(ソ連の最高会議幹部会議長、東ドイツなど旧東欧圏やキューバの国家評議会議長など)であることが多い。東アジア の共産圏では、大統領に相当する職位がある場合でも、中国やベトナム 、北朝鮮 のように国家主席と称する。
大統領は有権者の選挙により選出され(代議員制の場合もある)、一般に政府の長として強大な権限を有する。大統領は議会とは独立した地位にあり、議会の勢力と関係なく一定の任期が保証される。一般に大統領は議会の法案への拒否権 を持つが、法案の提出権はない[ 注 3] 。また閣僚の任免権を有する。閣僚は一般的に、国会議員との兼任はできない。議会の勢力が、大統領派の与党 で占められている場合には強大なリーダーシップを発揮できるが、野党 が多数派になった場合には厳しい議会運営が強いられる。
大統領が行政を総攬し、首相を置かない場合:アメリカ合衆国、フィリピン共和国 など。 大統領とは別に首相が置かれ、首相は大統領の補佐役として行政の実務を担当する場合:大韓民国 や中華民国 (台湾 )がこれにあたる。正式には、前者は国務総理 、後者は行政院長 と呼ばれる。韓国の国務総理は国会議員である必要はなく、大統領を補佐しその命を受け行政機関を統括し国務会議(日本の内閣 に相当)の副議長を務める。 例外として、首長国 による連邦制国家 であるアラブ首長国連邦は各国 の首長 から選出する独自の大統領制を導入している。 議会が選出する首相・内閣と、国民が直接選挙で選ぶ大統領(国家元首)が併存する体制[ 17] 。行政権の主体は大統領と首相(内閣)にあることが多く、内閣の首班たる首相は議会の承認を得て大統領に任命される。大統領は議会と独立した存在でその任期中は地位、身分を保障され、首相の任免権を通じて実質的に法案提出権を行使する。このように内閣は議会に責任を持ち、議院内閣制の枠組みが取り入れられているが、同時に大統領に対しても責任を負っている。大統領は議会解散権や法案拒否権、大統領令の発布など議院内閣制と比べより強大な権限を有することが多い。
議会で大統領側の勢力が多数を占めれば、大統領は内閣を自由に組織し、内政でも強大なリーダーシップを発揮できるが、反対勢力が多数派を占めた場合は、反対勢力の党首に組閣を命じざるをえず、外交・国防は大統領、内政は反対勢力の首相が分担することとなる。このような状態をフランスではコアビタシオン と呼ぶ。
フランスやロシア の大統領や中華民国 の総統 が、半大統領制 に分類される[ 18] 。
議院内閣制を採用する共和国の大統領がこれにあたる。行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である大統領は国政の実権を有さない。憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・外交官の接受といった儀礼的なものである。大統領は直接選挙で選出される場合と、それによらずに議会の投票により功績のある長老政治家が選出される場合などがある。これらの国の中には、オーストリア の連邦大統領 のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。
インド 、イタリア 、アイルランド 、アイスランド 、ギリシャ の大統領、ドイツ の連邦大統領 、オーストリア の連邦大統領 などが、これに分類される。
スイスでは、合議体である連邦参事会 (内閣)が国家元首かつ政府の長 とされているが、その7人の閣僚の中の1人が輪番制で就任する連邦大統領 (任期1年)は、他国において通常、国家元首が果たす儀礼的な機能を果たしている。
スイスに類する例として、かつてのイングランド共和国 においても、元首として護国卿 が設置されるまでは、合議体である国務院 (Council of State)が元首とされた。なお、国務院の議長は(枢密院議長と同じく)Lord President of the Councilと呼ばれたが、ここでいうpresidentは単に議長の意味である。
社会主義国の国家主席 の権能は国によりまちまちであるが、通常は議会共和制国家における国家元首に相当する権能を有する[ 注 4] 。国家主席自体は儀礼的な存在であり、実質的な最高指導者である共産党 の党首(書記長 ・総書記 ・第一書記 など)が兼任したり、長老幹部を礼遇するための名誉職として用いられたりするケースが多いが、元首の職権に実質的権限が付与されるケースとして、毛沢東 ・劉少奇 が就任した時代の中華人民共和国主席 や金日成 時代の朝鮮民主主義人民共和国主席 、ミハイル・ゴルバチョフ が就任したソビエト連邦大統領 がある。ベトナムでは、最高指導者であるベトナム共産党書記長 と元首であるベトナム社会主義共和国主席 が分離することが慣例化しており[ 注 5] 、書記長がベトナム共産党中央軍事委員会 書記を兼任と言う形で実質的にベトナム人民軍 を掌握している一方で、国家主席が憲法上の軍の統帥権を持っており、全く無力な存在という訳ではない。なお、党中央が動揺する非常時に、首相が自らの判断で重要な権限を行使する例[ 注 6] がある。
ベトナム社会主義共和国の憲法 第86条
—国家主席は,国家元首 であり,対内的及び対外的にベトナム社会主義共和国を代表する。
中華人民共和国の憲法 第81条
—中華人民共和国主席は、中華人民共和国を代表 し、国事活動を行い......
現行の中華人民共和国憲法 には国家元首 を直接定める規定はないが、第81条の規定で国家を代表するとされている国家主席が外交慣例上では元首と同様の待遇を受けている。 ラオス人民民主共和国の憲法 第65条
—国家主席は,ラオス人民民主共和国の国家元首 であり,国内外において,多民族からなるラオス国民の代表者である。
他に社会主義国の特徴としては、正式には国家の最高決議機関の常設委員会に国家元首の権能が与えられ、その議長が代表して国家元首の権限を執行するケースが見られる[ 注 7] 。
北朝鮮の国家元首に関する規定は複雑であり、名目上の国家元首と実際の最高権力者が一致しない時期がある。
1948年 から1972年 までは、政治的実権は首相 であった金日成 にあったが、形式上は最高人民会議常任委員会 委員長が元首であった。1972年から1994年 までは、金日成が朝鮮民主主義人民共和国主席 として国家元首になったが、1994年に金日成が死去したことによって主席が空席となる。その後、1998年 の憲法改正で金日成を「永遠の主席 」と表記したことに伴い、主席は廃止された。そして、2009年 に改訂された現行の朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法 の序文でも、金日成を「永遠の主席」としている。 2009年までの国家元首は最高人民会議常任委員会委員長 であった。1998年憲法第111条で「最高人民会議常任委員会委員長は、国家を代表し、外国の使臣の信任状、召還状を接受する」と規定されているからである。ただしこの職の権能は儀礼的な部分にとどまり、実際の最高権力は朝鮮労働党中央委員会総書記 、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会 委員長、朝鮮人民軍 最高司令官の金正日 が掌握していた[ 注 8] 。 2009年に同国の憲法が改正され、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長 (以下「国防委員長」)を「朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者である」(第100条)と明確に規定した。これにより、国防委員長 が国家の最高指導者としての国家元首に宛てられたことになる。ただし、その一方で「最高人民会議常任委員会委員長(以下「常任委員長」)は、国家を代表し、外国使節の信任状、召喚状を接受する」(第117条)という規定もそのまま残されており、常任委員長も国家元首の権能の一部(ただし儀礼的な部分に限られる)を行使していることになる。 2011年 に金正日が死去すると国防委員長 は空席となり、翌年の第12期最高人民会議 第5回会議で金正日を「永遠の国防委員長 」と位置づける決議が採択されるとともに、憲法が改正されて国防委員長の職は廃止された。新たに国家の最高指導者として国防委員会第一委員長 が設置され、金正恩 が就任した。2016年 6月29日 に朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が改正され、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会が廃止され、それに代わる国家の最高政策指導機関として朝鮮民主主義人民共和国国務委員会 が設置された。国家の最高指導者と規定された国務委員長には、金正恩が就任した。2019年 8月29日 に朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が改正され、朝鮮民主主義人民共和国国務委員長に法令や重要な政令、決定を公布する権限と外国に駐在する外交代表の任命や解任の権限が規定された。朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法 第100条
—国務委員長は、国を代表する朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者 である。
キューバでは、2019年までは国家元首は国家評議会議長であり、単に儀礼的地位にとどまらず強大な権限を有していた。さらに、内閣に相当するのは閣僚評議会 であり、閣僚評議会議長 が行政権の担当者としての首相に相当する。機構上ではその両者は分離されているが、1976年 制定の新憲法では国家評議会議長は閣僚評議会議長が兼任すると規定されており、国家元首と行政権の首長の権能は統合されて国家の最高指導権が集中していた[ 注 9] 。ラウル・カストロ が国家評議会議長を退いた2018年以降は大統領制が導入され、国家元首は大統領 と定められた。
専制国家・軍事国家・独裁政治国家の国家元首[ 編集 ] 形式的には共和制などの政体を採っているものの、実際には終身大統領のような独任制の元首が強大な政治的権限を有している。軍部・宗教団体・部族・外部勢力といった特定の集団が権力を掌握し、その代表者が元首に就任していることが多い。これらの場合、形式的に議会は存在していても、それは国家元首や特定集団の追認機関に過ぎない。民主的で公正な選挙が行なわれていないこともよく見られる。北朝鮮、アフリカ の多くの諸国や、いわゆる「開発独裁 」制を敷く国家、かつての南米の多くが、これに分類される。
軍事国家 では、軍部出身の大統領が国家元首となる場合や、軍事政権が樹立した「○○評議会」(革命評議会、救国評議会、国家評議会など)議長が国家元首の役割を果たす場合、などがある。
かつてのナチス・ドイツ では、1934年 8月2日 に発効した「国家元首に関する法律」によって、それまで国家元首であった大統領 と首相 の職務が統合され、指導者および首相であるアドルフ・ヒトラー (Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler )個人に大統領権限が委譲された。これはヒトラーが民族共同体 の指導者であるという指導者原理 に基づくものであり、法律や命令を必要とせず、発言すべてが「法」となる存在となった(総統 を参照)。
ナチス・ドイツの支配下にあったクロアチア独立国 (1941年 -1945年 )では、建国当初の国家元首は国王(トミスラヴ2世 )であった。しかしこの地位はまったく形式上のもの(トミスラヴ2世は終始イタリア に居住し、クロアチアには足を踏み入れることがなかった)であり、国家の最高指導者はポグラヴニク (国家指導者 または総統 と訳される)の称号を名乗るアンテ・パヴェリッチ であった。さらに、1943年 のイタリア敗戦にともなってトミスラヴ2世国王が退位したため、パヴェリッチはポグラヴニクの称号のもとで名実ともに国家元首となった。
ムアンマル・アル=カッザーフィー (カダフィ大佐)が支配していた時代のリビア はジャマーヒリーヤ (直接民主制 )という特異な政体を標榜しており、法的には国家元首は存在しなかった。通常は国家元首の職務とされている権能の一部は、全国人民会議書記 が担っており、同書記が事務的には元首代行ともいえる。事実上の最高指導者は革命指導者 のカッザーフィーであり、1979年までは革命評議会議長 や全国人民会議書記長 という役職に就いていた名実ともに国家元首であった。カッザーフィーは1979年に一切の公職を退いているが、それ以降も革命指導者という肩書で他国元首と親書 のやり取りをするなど、対外的に国家元首と受け取れる役割を担っていた。その一方でカッザーフィーは1988年に勃発したパンアメリカン航空103便爆破事件 の容疑者引き渡し問題で国連 のコフィー・アナン 事務総長 と会談した際には「私は国家元首でも首相でもないので、容疑者を引き渡す権限を持っていません」と語ったことがある。
イラン はイスラム共和制 を採っており、国家元首に相当するのはイスラーム聖職者 である最高指導者 である。それとは別に、直接選挙によって選ばれる大統領 は存在するが行政権の首長にすぎず、最高指導者から解任される規定がある。ただ、対外的にはイランの大統領も元首に準ずる存在として扱われている。日本の外務省 は最高指導者と大統領が「元首」としての権能を分有しているとしている[ 19] 。
バチカン市国 の国家元首はローマ教皇 である。ローマ教皇はバチカンという独立国の国家元首であるとともに、全世界のローマ・カトリック教会 の統治者であり、イエス・キリスト の代理人とされている。教皇の選出はローマ・カトリック教会の高位聖職者である枢機卿 による互選(コンクラーヴェ )であるから、大統領制のような国家元首公選制と見ることもできる。ただ、教皇は任期が定められていない上に本人の意に反する退位が認められておらず、事実上終身の地位である[ 注 10] 。また教皇の地位には特別な権威(聖座 )が認められている。そうした点ではバチカン市国の国家元首としてのローマ教皇の地位は大統領制の大統領と同等とはいえず、むしろ選挙君主制 のもとでの君主に近い。
チベット (1959年 以降は亡命政権 )の国家元首は、チベット仏教 のダライ・ラマ 法王であった。ダライ・ラマ法王の地位は世襲でも選挙制でもなく「転生 」という特異な方式により継承されていた。1959年のチベット動乱 によってダライ・ラマ14世 とチベット政府(ガンデンポタン) はインドに移って亡命政府 を樹立した。1961年 、将来の独立チベット国家の体制の指針であるとともに亡命チベット人社会を統治するための自由チベット憲法 が制定され、ダライ・ラマは立憲君主制体制の元首と定められた。その後、2011年にダライ・ラマ14世の発議によって亡命チベット人憲章が改訂され、ダライ・ラマは「チベットとチベット人の守護者であり象徴」となり、チベット亡命政府の国家元首の座は亡命政府主席大臣に移譲された。
サモア独立国(1997年7月3日までは西サモア(独立国)) の国家元首は、オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー という名称であり、独立前の1960年 10月28日 に起草され、1962年1月1日の独立とともに施行されたサモア憲法 (英語版 ) で定められた国家元首の称号である[ 20] 。「アオ」「マーロー」は現地語(サモア語 )でそれぞれ「頭(ここでは“長(おさ)”)」「政府/王国」を意味する(詳細はサモア国家元首の「概要」 を参照)。独立時にはサモアの伝統的な大首長 の家系出身である、トゥプア・タマセセ・メアッオレ とマリエトア・タヌマフィリ2世 が終身でその地位についた[ 20] 。 2007年のタヌマフィリ2世の没後は立法議会から選出され、5年の任期制を取ることが規定されているが、以降に就任したトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ とトゥイマレアリッイファノ・ヴァアレトア・スアラウヴィ2世 はいずれも大首長の家系出身者である。国際的な敬称は「殿下」に該当するHis Highnessが用いられている。日本外務省も2012年時点では「殿下」の称号を用いていたが[ 20] 、2025年時点では「閣下」の称号を用いている[ 21] 。サモア憲法では共和制であるとは明記されておらず、立憲君主制とする意見や共和制であるとする意見もある。学術的な立場からも、「共和制的ウエストミンスター型」(ヤシ・ガイ (英語版 ) とジル・コットレル)、「伝統的首長を基礎とした国家元首」(マイケル・クワベナ・ナツミー (英語版 ) )などと、類型的な分類は行われていない[ 20] 。
政治的な諸事情によって本来の国家元首を置くことができない場合、それに代わる存在が国家元首となる場合がある。
第一次世界大戦 後のハンガリー王国 は、本来はハプスブルク家 出身のオーストリア大公 ヨーゼフ・アウグスト を国王とする王国として成立するはずであった。しかしハプスブルク家の国王を戴くことに内外の反発が強かったため、ヨーゼフ・アウグストは国王になることができず、さらにオーストリア=ハンガリー帝国 最後の皇帝であったカール1世 (カーロイ4世)のハンガリー国王としての復辟運動 とその失敗もあり、国王空位の王国となった。国王に代わる国家元首として摂政 が置かれ、建国から1944年まで海軍提督ホルティ・ミクローシュ が摂政を務めた。スペイン内戦 後のスペイン では、内戦に勝利したフランシスコ・フランコ 将軍が独裁権を握り、国家元首に就任した。国家元首としてのフランコはカウディーリョ (Caudillo、日本語では総統 と訳される)の称号を用いた。なお、軍総司令官としてのフランコの称号はヘネラリッシモ (Generalísimo、総帥 )である。一方、フランコは自分の後継体制においては王制復古してスペインを王国に戻すべきだと考えていた。1947年にフランコ総統は「国家首長継承法」を制定し、スペインを「王国」とすること、フランコが王国の「摂政」として終身の国家元首 となること、フランコに後継の国王の指名権が付与されることなどを定めた。満洲国 は1932年の建国の際、愛新覚羅溥儀 が国家元首となった[ 22] 。清 の最後の皇帝 であった溥儀は、満洲国でも皇帝となることを熱望していたが、同国の実質上の支配者であった日本の関東軍 は帝政を採ることによる新国家のイメージの低下を懸念してそれを許さなかったため、建国当初の満洲国の国家元首の称号は執政 という曖昧なもの [独自研究? ] となった。関東軍の意向は「満洲国の元首は執政、ただし執政が善政を敷くこと数年に及ぶならば、全国民の推戴によって執政は皇帝となる」というものであった。1934年(康徳元年)3月1日、満洲国は帝政に移行して溥儀が皇帝に即位、それによって「執政」の称号は消滅した。満洲国の組織法第三条は「皇帝は国の元首にして統治権を総攬し本法の条規によりこれを行ふ 」と規定した[ 23] 。
ヴィシー政権 のフランス(国号は「フランス国」、1940年 - 1944年)の国家元首はフィリップ・ペタン 元帥 であった。国家元首としてのペタンはフランス国家主席 (フランス語: Chef de l'État français)の称号を名乗っていた。
大日本帝国憲法 では天皇を元首と規定していたが、日本国憲法 を始めとする現行の日本の法律には国家元首の規定がない。
内閣法制局 は、「要するに元首の定義いかんに帰する問題である」「かつてのように元首とは内治、外交のすべてを通じて国を代表し行政権を掌握をしている、そういう存在であるという定義によりますならば、現行憲法のもとにおきましては天皇は元首ではないということになろう」「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えない」[ 24] 「天皇は限定された意味における元首である」としており[ 25] 、天皇を元首と呼びうるかは定義によるとしている[ 26] 。
憲法学 説上は議論があり、多数説は内閣 または内閣総理大臣 元首説で、元首不存在説等もある。
外交慣例上では天皇は元首と同様の待遇を受けている[ 27] 。
国家元首の慣例とみなされる例については「兵は誰に忠誠を誓うか」や「自国で開催されたオリンピック開会式の開会宣言は誰が行うか」などがある。
国家元首や政府の長および外務大臣については、慣例により対象国による外交官接受がなくとも外交特権 が認められる。
パスポート や査証 の扱いも異なり、例えば日本では、皇后を除く皇族が外交の際に用いるパスポートは外交旅券であり、天皇及び皇后は旅券は必要ない。公式訪問の際には、受入れ(接受)国に保護義務が発生する。
古代ローマ の昔より軍はインペリウム (ローマ法 に承認された命令権)に対して忠誠の宣誓 を行なうことが政軍関係 の基礎とされていた。
日本では1882年 (明治15年)の軍人勅諭 において、統帥権は天皇にあり忠節は国家・国権に尽くすものとした。戦後、この忠誠宣誓 は自衛隊法 施行規則(39-42条)により規定された[ 28] が、国、日本国憲法 、法令 および国民の負託に宣誓する体裁をとっており、天皇 や内閣総理大臣 に対する宣誓の体裁は採用していない[ 29] 。一方で自衛隊法 第7条により、内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する、とされる。なお、服務宣誓については国家公務員一般職(国家公務員法 第97条[ 30] )、地方公務員一般職(地方公務員法 第31条[ 31] )においても求められる。
オリンピックの開会式の開催宣言は誰が行うか[ 編集 ] オリンピック憲章 では近代オリンピック の開会宣言は、開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されている[ 32] 。
日本で開かれた近代オリンピック(1964年東京 ・1972年札幌 ・1998年長野 、2021年東京 )では、いずれも天皇 が開会宣言を行っている[ 27] 。
一個人としての国家元首がいないとされるスイスでは2回のオリンピック(1928年サンモリッツ と1948年サンモリッツ )でいずれもその年の連邦大統領 が開会宣言を行っている。
1980年にソビエト連邦 で開かれた1980年モスクワオリンピック では最高会議幹部会議長 レオニード・ブレジネフ が開会宣言を行っている。
英連邦王国 においては、1976年モントリオールオリンピック ではエリザベス2世 がカナダ女王 として開会宣言を行っている。その後、1988年カルガリーオリンピック でカナダ総督 ジャンヌ・ソーヴェが開会を宣言して以降、2000年シドニーオリンピック ではオーストラリア総督 ウィリアム・ディーン が、2010年バンクーバーオリンピック ではカナダ総督ミカエル・ジャン が開会を宣言している。
ただし、憲章ができる前には閣僚や有力者が、国家元首が出席できない場合は国家元首に準ずる人物(王配 や副大統領 など)が、開会宣言を行ったことがある。
現在の事例として、次のようなものがある。
かつての事例(近代 以降)。
日本における「外国の元首」が関連する法規定[ 編集 ] 日本では「外国の元首」が関連する法規定として以下のものがある。
特別永住者 を外国の元首に対する犯罪行為で禁錮 以上の刑に処せられた上に日本国の外交上の重大な利益が害されたと法務大臣 が認定して退去強制 させる規定(入管特例法 第9条第1項第3号)日本国内における外国政府と個人における労働契約終了効力に関する訴えであって、当該外国元首によって当該訴えに係る裁判手続が当該外国等の安全保障上の利益を害するおそれがあるとされた場合は裁判権から免除される規定(対外国等民事裁判権法第9条第2項) ^ 委任契約の命令的性格については議論があり、全権委任と解する立場も可能である(独裁政)。現代では憲法に基づく命令委任と解することが多い。国会議員についてはむしろ純粋代表と解釈し、命令的委任 と解することを否定するものが見られる。第五共和制フランス憲法27条1項「命令的委任はすべて無効である」ドイツ連邦共和国基本法38条「……議員は、国民全体の代表者であって、委任及び指示に拘束されず、かつ自己の良心にのみ従う」[ 5] ^ リヒテンシュタイン家は、ハプスブルク家の重臣として家産を蓄積した。つまり、公国とは無関係なので、「国民の財産を取り返す」というようなことができない。また、第二次世界大戦時、大権によって選挙を停止し、ナチズムの台頭を阻止した。そのため、今でも大権の行使が正当化されている。このような経緯で、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、ヨーロッパ最後の絶対君主制 と言われる。 ^ 米国では教書 、韓国では議案提出権の形で立法素案が提示される。大統領は拒否権を持つため教書、議案に極端に反する立法はすべて拒否される。 ^ いわゆる「社会主義国」の場合も一人の人物に権力が集中していることがあるが、その場合、その人物が国家元首だからではなく一党独裁制 を敷く共産主義 政党の党首だからという場合が大半であり、国家元首自体には権限が殆どない場合が多い。例えば、中華人民共和国 では、国家主席 の地位にある人物が、外交・内政での強大な権力を行使している場合があるが、これはその人物が中国共産党 の最高職である総書記 をも兼任しているためである。国家主席は党中央委員会 の決定を追認しているに過ぎず、実質的な権限を有さない。主席と総書記が別の人物である場合も当然にあり得る。 ^ 書記長と国家主席が兼任になった例としてホー・チ・ミン (1956年11月1日 ‐ 1960年9月10日)、チュオン・チン (1986年7月10日 ‐ 1986年12月18日)、グエン・フー・チョン (2018年10月23日 ‐ 2021年4月5日)、トー・ラム (2024年8月3日 ‐ 2024年10月21日)がある。 ^ 六四天安門事件 の際に戒厳令 を発令した国務院総理 李鵬 。 中国語版ウィキソース に本記事に関連した原文があります:国务院关于在北京市部分地区实行戒严的命令 ^ ソビエト連邦の最高会議幹部会議長、東ドイツ の国家評議会議長 、ハンガリー人民共和国 の国民議会 幹部会議長、国家主席廃止 時における中華人民共和国の全国人民代表大会常務委員会 委員長やベトナムの国家評議会議長など。 ^ このうち、国家の代表(事実上の国家元首)としての肩書きは「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長」となっていた。2000年6月の南北首脳会談 や2002年9月の日朝首脳会談 ではこの肩書きを使用している。 ^ フィデル・カストロ が2008年 2月24日 に人民権力全国会議で国家評議会議長を退任したが、閣僚評議会議長の辞表や退任表明などは一切行っていない。これは憲法の規定により国家評議会議長が閣僚評議会議長を兼ねることになっているため、国家評議会議長を退任すれば閣僚評議会議長も自動的に退任となるからである。^ 2013年に退位したベネディクト16世 のように、本人の意思で退位することは出来る。 ^ 2024年時点での神社本庁の代表者(総長 )は、田中恆清 および芦原髙穗 である。 ^ “国家元首の英訳 ”. eow.alc.co.jp . アルク . 2023年12月19日閲覧。 ^ 第2版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. “元首(げんしゅ)とは? 意味や使い方 ”. コトバンク . DIGITALIO . 2023年12月19日閲覧。 ①国の首長、②国際法上、外部に対して一国を代表する資格を持つ国家機関、精選版日本国語大辞典^ 「元首は元来、統治権を総攬し、行政権の首長であると同時に、対外的代表権をも君主を、国家有機体説を背景に、国家の頭になぞらえるところに成立したといわれるが、やがて国家有機体説とは無関係に、行政権の首長として対外的代表権をもつ存在を元首と称するようになり、さらにはもっぱら対外的代表権に着眼して元首がいわれるようになった」佐藤幸治『憲法(第三版)』青林書院1995年、P24。 ^ 「したがって、わが国の憲法学説が元首概念を対外的に国家を代表する権能により規定するのは、一種の論理の逆転といわざるを得ないであろう。」渡辺 亘 (2023年3月). “元首概念の再検討―その比較憲法的考察(法政治研究第9号) ”. 関西法政治研究会. pp. 123. 2024年4月21日閲覧。 ^ [1] ^ 確認できるものとして、スウェーデン憲法第5条「王位継承法に従いスウェーデンの王位を保有する国王又は女王は、国の国家元首である。」[2] 、カタール憲法64条「首長アミールは国家元首である。その人格は不可侵であり、すべての人々から尊敬されなければならない。」などがある。 ^ 渡辺2023によれば「憲法史上、はじめて元首の文言が現れたのは、フランス復古王政下の1814年シャルト憲法であると言われている。同憲法14条は「国王は、国の最高元首..」と規定する。ほぼ同様の規定は1830年シャルト憲法、1852年第二帝政憲法にもみることができる。またヴィシー政権下の1940年憲法的法律の第二法律は「フランス国の元首は完全な政府権力を持ち...」と規定する。それ以降の第四共和政憲法、現行の第五共和制憲法では「元首」の文言は規定されていない。」「ドイツにおける元首概念は1818年バイエルン王国憲法「国王は、国の元首であり...」を嚆矢とする。」元首という表現はその後の複数のドイツ諸国の憲法にも見られる。プロイセン憲法には「元首」の規定はない。ワイマール憲法にも存在しなかったが、ナチス政権下に「国家元首法」(1934年)が採択されている。渡辺 亘 (2023年3月). “元首概念の再検討―その比較憲法的考察(法政治研究第9号) ”. 関西法政治研究会. pp. 123. 2024年4月21日閲覧。 、P.P.124-125 ^ Zweiter Senat des Bundesverfassungsgerichts (10 June 2014).“BVerfG, Urteil des Zweiten Senats vom 10. Juni 2014 - 2 BvE 2/09 -, Rn. 94,” . 2023年9月10日閲覧 . ^ 制定時期の1880年代のドイツはビスマルク憲法 、フランスはフランス第三共和政 下の1875年の憲法的法律 であり、いずれも「元首」の文言は採用されていなかった。明治憲法も井上毅 の試案「甲案試草」(1887.5)時点では「元首」の文言は含まず、3条に「天皇は大政を総覧し此の憲法に於て勅定する所の条款に循ひ之を施行せしむ」としていた。これに対してヘルマン・ロエスレル が「皇帝は帝国の【首長】なり..」の文言を提示し、10月の草案で「元首」という文言として組み込まれることとなった。渡辺2014、P.125 ^ 字通, 精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,改訂新版 世界大百科事典,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,普及版. “元首(げんしゅ)とは? 意味や使い方 ”. コトバンク . 2023年12月30日閲覧。 “ある国においてどの地位にある者が元首の資格をもつかは通常憲法で定められている。” ^ “リヒテンシュタイン公国 ”. 外務省 . 2023年12月5日閲覧。 ^ 日本大百科全書(ニッポニカ). “リヒテンシュタイン(国)(りひてんしゅたいん)とは? 意味や使い方 ”. コトバンク . 2023年12月5日閲覧。 ^ 連邦予算の8割を拠出、連邦最高評議会もアブダビとドバイの同意なしに決定をくだすことはできない仕組みになっている ^ “各国憲法集(11) スウェーデン憲法【第2版】 ”. 国立国会図書館 . p. 4. 2023年12月2日閲覧。 “1974 年の統治法の特色としては、国王の権限が大幅に制限されたことを挙げることができる。王制をとる他の北欧諸国では、憲法の条文上、国王に対し、国政に関する権限をある程度付与している。例えば、大臣の任命、法律の裁可、条約の締結などである。しかし、それらの国では、実際においてはその権限の行使を形式的なものとして運用している。一方、スウェーデン憲法の場合には、こうした形式的権限も廃し、条文上においても国王の権限は限定的なものとなっている。国王に首相の任命権はなく、首相選出手続において重要な役割を担うのは国会議長である(統治法第 6 章第 4 条及び第 6 条)。また、国王は、法律を裁可する権限も持たない。国王は、元首としての地位を有するが(統治法第 1 章第 5 条)、条約の締結権は政府に帰属する(統治法第 10 章第 1 条)。統治法上、国王に認められた権限は、首相から国の状況について報告を受けること、外交諮問委員会(後述第Ⅱ章第 2 節(1)参照)又は統治法が規定する特定の場合(第 10 章第 12 条、第 5 章第 3 条及び第 6 章第 6 条)に大臣会議(konselj)を主宰することである。” ^ 『象徴君主制憲法の現代的展開--象徴的国家元首論の観点から見た日本とスウェーデンとの比較考察』下條芳明 憲法研究(38)2006 pp,29 - 58 ^ 『イギリスにおける象徴君主制の成立』浜林正夫 社会思想史研究1991 北樹出版pp,p6 - 17 ^ デジタル大辞泉. “半大統領制(ハンダイトウリョウセイ)とは? 意味や使い方 ”. コトバンク . 2023年12月5日閲覧。 ^ デジタル大辞泉. “半大統領制(ハンダイトウリョウセイ)とは? 意味や使い方 ”. コトバンク . 2023年11月30日閲覧。 ^ 外務省 各国元首一覧 ^a b c d 東裕. “140-サモアの政体についての一考察 ”. 一般社団法人太平洋協会 . 2025年6月23日閲覧。 ^ “各国の元首名等一覧表 ”. 外務省 . 2025年6月23日閲覧。 ^ Inc, NetAdvance Inc NetAdvance. “満州国|日本大百科全書・世界大百科事典|ジャパンナレッジ ”. 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西ヨーロッパ 東ヨーロッパ 南ヨーロッパ 北ヨーロッパ 国家承認を得た国連非加盟の国と地域 関連項目 各列内は五十音順。
北アフリカ 西アフリカ 東アフリカ 中部アフリカ 南部アフリカ 独立主張のある地域 かつて存在した国家 関連項目 各列内は五十音順。※1 一部はアジア に含まれる。
東アジア 東南アジア 南アジア 中央アジア 西アジア 関連項目 各列内は五十音順。※1 現代日本の学説の大多数では、内閣または内閣総理大臣が元首とされている。日本の元首 も参照。 ※2 ヨーロッパ にも分類され得る。※3 一部はアフリカ に含まれる。
大陸部 ポリネシア ミクロネシア メラネシア アメリカ合衆国の 自由連合国 ニュージーランドの 自由連合国 関連項目 各列内は五十音順。※1 カリブ海地域にも領土を有する。 ※2 南アメリカにも分類され得る