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元寇 (軍歌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、1892年に発表された軍歌について説明しています。
  • 鎌倉時代中期のモンゴル帝国(元朝)・高麗による対日本侵攻については「元寇」をご覧ください。
ウィキソースに元寇の原文があります。
筥崎宮境内の元寇歌曲碑

元寇』(げんこう)は、1892年明治25年)に発表された軍歌。全4番からなる。作詞作曲陸軍軍楽隊士官永井建子だが、当時は彼の号である「人籟居士」の下で発表された。

元の襲来(元寇)をテーマにした歌で、大正天皇も愛唱し、歌った後には側近に「お前、閉口か」と笑いかけたという。黒澤明の監督第二作『一番美しく』で、効果的に使用されている。

1937年(昭和12年)2月からは、刑務所の運動時間中に体操のほか、『元寇』(他に「勇敢なる水兵」、『道は六百八十里』の軍歌が指定)の唱和も行われるようになった[1]

歌詞

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歌唱:徳山璉・日本ビクター男声合唱団、演奏:日本ビクター吹奏楽団。ビクター、1937年10月。

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  1. ひゃく余州をこぞる 十万余騎の敵
    国難ここに見る 弘安四年夏のころ
    なんぞおそれん我に 鎌倉男児あり
    正義武断の名 一かつして世に示す
  2. 多々良浜辺の戎夷えみし そは何蒙古勢
    傲慢ごうまん無礼ものともに天をいただかず
    いでや進みて忠義にきたえし我がかいな
    ここぞ国のため 日本刀を試し見ん
  3. こころ筑紫つくしの海に 波押し分けてゆく
    ますら猛夫たけおの身 仇を討ち帰らずば
    死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
    神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし
  4. 天はいかりて海は 逆巻く大浪に
    国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
    底の藻屑もくずと消えて 残るは唯三人みたり
    いつしか雲はれて 玄界灘月清し

替え歌

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校歌『都の西北』制定以前の早稲田大学では、1902年(明治35年)の大学開校式祝典時に坪内逍遥が『元寇』の曲を転用して作詞した記念歌『煌々五千の炬火』が校歌として扱われていた[2][3]

戦後も替え歌テレビなどでも使われ、そのメロディーは歌詞以上に有名である。マンガ『はだしのゲン』の作中で主人公の元が繰り返し歌う「八百八州のこじき、ざる持って門に立ち…」も『元寇』の替え歌である。

脚注

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  1. ^重松一義『日本刑罰史年表 増補改訂版』柏書房、2007年、244頁。ISBN 9784760131655 
  2. ^『早稲田大学百年史』第2巻 第4編 第3章 3 祝賀行列、2019年11月22日閲覧。
  3. ^『校歌「都の西北」と私』:旧字旧仮名 -青空文庫
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