| 保坂三蔵 ほさか さんぞう | |
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![]() 経済産業副大臣就任に際し公開された肖像写真 | |
| 生年月日 | (1939-05-15)1939年5月15日(86歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 立教大学法学部法学科 |
| 前職 | 東京日産自動車販売社員 |
| 所属政党 | (自由民主党→) 無所属 |
| 称号 | 法学士 旭日重光章[1] 藍綬褒章[1] |
| 子女 | 保坂真宏(東京都議会議員) |
| 選挙区 | 東京都選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1995年7月24日 -2007年7月28日 |
| 選挙区 | 台東区選挙区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 1973年7月23日 -1995年7月6日 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1971年4月 -1973年7月 |
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保坂 三蔵(保坂 三藏[1]、ほさか さんぞう、1939年5月15日 - )は、日本の政治家。
経済産業副大臣(第2次小泉改造内閣)、参議院議員(2期)、東京都議会議員(6期)、台東区議会議員(1期)を歴任。
東京府東京市(現・東京都台東区)生まれ。開成高等学校、立教大学法学部法学科卒業。1962年、東京日産自動車販売株式会社に入社した。
1971年、台東区議会議員選挙に出馬し初当選。1973年に任期途中で辞職し、東京都議会議員選挙に台東区選挙区から出馬し、当選。以後6期連続当選。
1995年、任期途中で都議を辞職、第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数5)から自由民主党公認(自由連合推薦)で出馬し、当選。1998年、小渕内閣で通商産業政務次官に就任。2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。2004年、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任した。
2007年、第21回参議院議員通常選挙に3選を目指して東京都選挙区から出馬。自民党東京都連は東京都選挙区から出馬した保坂、丸川珠代のうち、保坂を「本命馬」に位置づけた組織型選挙を展開したが、結果は691,367票を獲得した丸川が4位で当選し、保坂は丸川の票を約4万票下回る651,481票に留まり、683,629票の川田龍平に次ぐ6位で落選した[2]。
2010年、第22回参議院議員通常選挙に比例区からの出馬を表明。自民党は党規の70歳定年制により、70歳を超える者は比例区で公認しない原則を掲げていたが、保坂は例外的に71歳ながら公認を受けた。しかし、全立候補者35人中19位(自民党の当選者枠は12議席)で落選した。
参院選落選後も次期参院選への立候補に意欲を見せていたが、一転、2011年4月の統一地方選挙で行われる台東区長選挙への出馬を表明、現職の吉住弘も3選出馬の意向を示したため、異例の予備選挙が行われた。予備選の結果、保坂は吉住を大差で破って自民党推薦候補に内定し[3]、自民党都連の推薦で出馬した。一方、敗れた吉住も不出馬による候補者の一本化を拒否し、区長選への出馬を表明[4]。そのため自民党から離党勧告を受け、自民党を離党して無所属で出馬した。台東区長選にはこの他、元区議の中山寛進(民主党の元衆議院議員・中山義活の長男)らも出馬したが、吉住が3選し、保坂は次点で落選した。
2017年2月、同年夏の東京都議会議員選挙に息子の保坂真宏が都民ファーストの会から立候補することが決まったことから、「けじめをつけたい」として自民党に離党届を提出。届出は同年7月3日に受理された[6]。
長男は、東京都議会議員を務める保坂真宏[7]。
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|---|---|---|
| 先代 坂本剛二 泉信也 | 小此木八郎と共同 2004年 - 2005年 | 次代 西野陽 西川玲子 |
| 議会 | ||
| 先代 加藤紀文 | 2001年 - 2002年 | 次代 田浦直 |