| その他の「さとうたつお」の同名の人物については「Wikipedia:索引 さとう#さとうた」をご覧ください。 |
| 佐藤 剛男 さとう たつお | |
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| 生年月日 | (1937-07-16)1937年7月16日 |
| 出生地 | 福島県福島市 |
| 没年月日 | (2013-01-23)2013年1月23日(75歳没) |
| 出身校 | 東京大学法学部第1類卒業[1] |
| 前職 | 中小企業庁小規模企業部部長 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 従三位 旭日大綬章 法学士(東京大学・1961年) |
| 内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
| 在任期間 | 2003年9月25日 -2004年9月29日 |
| 選挙区 | (旧福島1区→) (福島1区→) 比例東北ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 | 1993年 -2009年7月21日 |
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佐藤 剛男(さとう たつお、1937年7月16日 -2013年1月23日)は、日本の通産官僚、政治家、弁護士(登録番号:32402)。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。
衆議院議員(5期)、内閣府副大臣、内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進に関する施策担当)、法務副大臣などを歴任した。
福島県福島市生まれ。近未来政治研究会に所属し、自由民主党の国際局長や衆議院の北朝鮮による日本人拉致問題等に関する特別委員会理事などを務めた。
第1次小泉第2次改造内閣にて内閣府副大臣(規制改革、構造改革特区、防災担当)に就任するとともに、内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進に関する施策担当)を兼任した。第2次小泉内閣でも内閣府副大臣に再び就任し、内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進に関する施策担当)にも再度任命された。その後、内閣改造にともない内閣府副大臣を退任した。また、内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進に関する施策担当)は第2次小泉改造内閣が成立したのちに退任した。福田康夫改造内閣では法務副大臣に就任した。
2013年1月23日に肺炎のため死去[2]。75歳没。
| 議会 | ||
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| 先代 松下忠洋 | 2005年 - 2006年 | 次代 河本三郎 |
| 公職 | ||
| 先代 河井克行 | 2008年 - 2009年 | 次代 加藤公一 |
| 先代 伊藤達也 根本匠 米田建三 | 伊藤達也 中島真人と共同 2003年 - 2004年 | 次代 七条明 西川公也 林田彪 |
| 先代 | (行政改革の推進等に係る施策担当) 2003年 - 2004年 | 次代 |
| 第41回 (定数16) |
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| 第42回 (定数14) |
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| 第43回 (定数14) |
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| 第44回 (定数14) |
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| 第45回 (定数14) |
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| 第46回 (定数14) |
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| 第47回 (定数14) |
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| 第48回 (定数13) |
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| 第49回 (定数13) |
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| 第50回 (定数12) |
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| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||||||