| 伊賀国 | |
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■-伊賀国 ■-東海道 | |
| 別称 | 伊州(いしゅう)[注釈 1] 賀州(がしゅう)[注釈 2] |
| 所属 | 東海道 |
| 相当領域 | 三重県西部(伊賀市・名張市) |
| 諸元 | |
| 国力 | 下国 |
| 距離 | 近国 |
| 郡・郷数 | 4郡18郷 |
| 国内主要施設 | |
| 伊賀国府 | 三重県伊賀市(伊賀国庁跡) |
| 伊賀国分寺 | 三重県伊賀市(伊賀国分寺跡) |
| 伊賀国分尼寺 | 三重県伊賀市(長楽山廃寺跡) |
| 一宮 | 敢国神社(三重県伊賀市) |
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伊賀国(いがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。
| 全ての座標を示した地図 -OSM |
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国府は阿拝郡に所在した。現在の伊賀市坂之下字国町にあたる(北緯34度48分9.05秒東経136度9分28.46秒 / 北緯34.8025139度 東経136.1579056度 /34.8025139; 136.1579056 (伊賀国庁跡))。1989年(平成元年)から1994年(平成6年)にかけての発掘調査により、I-IV期に分類される8世紀末から11世紀半ばにかけての遺構とともに、「国厨」の墨書を有する土器が検出された[2]。政庁域は40メートル強四方で、主要建物群として正殿・前殿・左右脇殿の「品」字状の配置が認められている[2]。これらの遺構は、2009年(平成21年)7月23日に「伊賀国庁跡」として国の史跡に指定された[3]。
守護所は、「府中」「こふ」と呼ばれた現在の伊賀市の東条・西条あたりと想定されている。
| 藩名 | 居城 | 藩主 |
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| 伊賀上野藩 | 伊賀上野城 | 筒井定次(20万石、1600年~1608年)。改易により廃藩 |
| 津藩 | 伊賀上野城(城代) | 藤堂家(22万950石→27万950石→32万3950石→27万3950石→27万950石、1608年~1871年) 藤堂氏は、伊賀・伊勢2国を領有し、本城は伊勢津城であったが、伊賀上野城にも城代をおいていた。 |
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伊賀国には有力な戦国大名は誕生しなかった。当時伊賀は群雄割拠の状態で、守護として入国した仁木兵部少輔も柘植氏に討たれた。のち仁木氏が国人達によって追放された後、阿加、山田、阿拝の3郡は六角氏、名張郡は北畠氏によって間接的な支配が行われた。天正9年(1581年)、直接的な支配を目指した北畠信意(織田信雄)により平定されている(天正伊賀の乱)。