| 今枝 宗一郎 いまえだ そういちろう | |
|---|---|
| 生年月日 | (1984-02-18)1984年2月18日(41歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 名古屋大学医学部卒業 |
| 所属政党 | 自由民主党(麻生派) |
| 称号 | 学士(医学)(名古屋大学・2008年) |
| 配偶者 | 今枝朋恵 (2014年 - 2024年死別)[1] |
| 公式サイト | 衆議院議員 今枝宗一郎【公式サイト】|自由民主党 愛知14区 |
| 選挙区 | 愛知14区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 | 2012年12月18日[2] - 現職 |
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今枝 宗一郎(いまえだ そういちろう、1984年〈昭和59年〉2月18日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、デジタル副大臣兼内閣府副大臣。
自由民主党文部科学部会長、文部科学副大臣、財務大臣政務官を歴任した。地元では、「未来の総理候補」と呼ばれている[3]。

愛知県出身[4]。両親宅の近くの豊川市八幡町上宿に、蒲郡市出身の妻と在住していたが[5][6][7]、2024年に妻は大動脈解離のため豊川市民病院で急死した[1][8]。
サラリーマンの父は転居を伴う転勤が多かったため、愛知県内をよく転居していた。小学生時代は、慢性肝炎で3年間入退院を繰り返した。その後、自分が通う病院から医師がいなくなるという医療崩壊を経験する。
東海中学校・高等学校卒業。高校在学中、学費が払えず学校に通えない高校生向けの募金を3000万円集めたという。また、生徒という教育の受け手として、教育問題に提言を行う。政策を変える為に、国会議員を目指そうと決意する。
2002年、医療政策を専門とするために、まずは医師になるべく名古屋大学医学部入学。在学中、 内戦国を訪れたり、NPOを立ち上げたりしていた。また、愛知万博にて、学生による教育・地域活性化の政策コンテストを開催。更に、松下政経塾の勉強会にも参画していた。
2008年、名古屋大学医学部卒業。医師免許を取得し、JR東京総合病院にて研修医を務める。2009年、医師をしながら、東京大学医療政策人材養成講座修了。
2010年、新宿区内の病院で在宅医を務める。また、大前研一創設の一新塾を卒塾。
同年12月、元衆議院議員の杉田元司が自由民主党愛知県第14選挙区支部長を辞任。それに伴う公募に応募し、2011年1月3日、同支部長に就任した[9]。この年から豊川市・新城市で在宅・難病・救急医療に従事。愛知県医師会第一号として、東日本大震災の医療ボランティアを行う。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で愛知14区から出馬し、日本未来の党の鈴木克昌らを破り、全国最年少衆議院議員として初当選を果たした(鈴木も比例復活)。
1期生ながら、専門の医療社会保障では、自民党政務調査会の厚生労働部会薬事小委員会事務局長、それ以外の分野でも自民党政務調査会の国土交通副部会長、水産部会副部会長、金融調査会事務局次長など多くの政策分野に関わっている。
2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に愛知14区から出馬し、民主党から出馬した鈴木らを再び破り、再選(鈴木も比例復活)。その後、自民党の組織運動本部の国土建設委員長・厚生副委員長、政務調査会の農林副部会長・中小企業調査会会長補佐・観光立国調査会事務局次長・山村振興特別委員会副委員長、子どもの元気!農村漁村で育むプロジェクト小委員会事務局長などにも就任している。
2017年8月、第3次安倍第3次改造内閣にて、史上最年少の33歳で、財務大臣政務官に就任[10][11]。
同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に愛知14区(区割変更により愛知12区から幸田町が編入)から立候補し、希望の党公認の田中克典、日本共産党公認の金原信之を破り3選。
2021年10月31年の第49回衆議院議員総選挙に愛知14区から立候補し、立憲民主党公認の田中克典、日本共産党公認の野澤康幸を破り4選[12]。
2023年9月、第2次岸田第2次改造内閣にて、史上最年少で文部科学副大臣に就任[13]。
2024年9月12日、自民党総裁選挙が告示され、9人が立候補した。今枝は同じ麻生派の河野太郎ではなく、加藤勝信の推薦人に名を連ねた[14]。投票日前日の9月26日夜、麻生派幹部6人は都内のホテルに集まり、決選投票に高市早苗が残った場合は高市を支持する方針を決定した[15]。
会長の麻生太郎はさらに踏み込み、河野などの陣営に入っていた派閥メンバーに対し、側近議員を通じて「1回目の投票から高市に入れろ」と指示を飛ばした[16]。同日22時半頃、産経新聞は、麻生が1回目の投票から高市を支援するよう自派閥の議員に指示を出したことをスクープした[17]。9月27日総裁選執行。麻生は昼頃まで、自派閥で他候補の推薦人に名を連ねる議員にまで電話をかけ「1回目から高市で頼む」と訴えた[18]。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[15]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。中日新聞は、愛知・岐阜・三重・長野・福井・滋賀・静岡の国会議員に対し投票先を取材し、翌28日に各議員の回答を報じた[19][20]。今枝は1回目の投票、決選投票、いずれについても、同紙の取材に応じなかった[19]。しかし後に自身公式サイトで1回目は加藤に、2回目は高市に投票したと述べている[21]。
2024年10月4日に成立した第1次石破内閣でも引き続き文部科学副大臣を続投[22]。
2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙では、9万334票を獲得して5回目の当選を果たす[23][24]。しかし当選後の挨拶にて投票日当日の夕方4時過ぎに妻が大動脈解離のため豊川市民病院にて44歳で急逝したことを明らかにしたことにより万歳三唱や花束の贈呈は行われなかった[24][8][25]。
2025年9月3日、自身のXで総裁選の前倒しを求める意思確認の書面に署名・捺印したことを明らかにした[26]。同月5日、東海日日新聞を訪れ、自民党総裁選の前倒しについて実施される見通しを示した[27]。
同年10月4日実施予定の自民党総裁選挙において高市早苗の推薦人に名を連ねた[28]。また、今枝は、参議院愛知選挙区酒井やすゆき議員・衆議院愛知4区工藤彰三(惜敗率による比例復活)らと3人で、自身のX(旧ツイッター)上で動画にて高市早苗候補の等身大パネルを囲んで、自民党総裁選での党員票について高市早苗への投票を9月27日付投稿で呼びかけを行った。[29][30]
2025年10月22日、高市内閣にて、デジタル副大臣兼内閣府副大臣に就任[31]。
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 28 | 愛知県第14区 | 自由民主党 | 7万1881票 | 44.75% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 30 | 愛知県第14区 | 自由民主党 | 7万7513票 | 50.17% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 33 | 愛知県第14区 | 自由民主党 | 9万6303票 | 55.27% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 37 | 愛知県第14区 | 自由民主党 | 11万4160票 | 62.96% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 40 | 愛知県第14区 | 自由民主党 | 9万334票 | 54.07% | 1 | 1/3 | / |
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| 先代 穂坂泰 | 2025年 - | 次代 現職 |
| 先代 穂坂泰 瀬戸隆一 辻清人 鳩山二郎 大串正樹 古賀友一郎 高橋克法 中田宏 本田太郎 | 瀬戸隆一 岩田和親 鈴木隼人 津島淳 井野俊郎 山田賢司 酒井庸行 辻清人 宮崎政久と共同 2025年 - | 次代 現職 |
| 先代 井出庸生 簗和生 | 青山周平→阿部俊子→武部新と共同 2023年 - 2024年 | 次代 武部新 野中厚 |
| 先代 杉久武 三木亨 | 長峯誠と共同 2017年 - 2018年 | 次代 伊佐進一 渡辺美知太郎 |
| 名誉職 | ||
| 先代 松岡広隆 | 最年少衆議院議員 2012年 - 2013年 | 次代 鈴木貴子 |
最年少衆議院議員 | |
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| 帝国議会 |
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| 国会 |
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