| 「今村昌弘」とは別人です。 |
| 今村 雅弘 いまむら まさひろ | |
|---|---|
| 生年月日 | (1947-01-05)1947年1月5日(79歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学法学部第2類卒業[1] |
| 前職 | JR九州関連事業本部企画部長 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(小渕派→無派閥→谷垣G→二階派) |
| 称号 | 法学士(東京大学・1970年) |
| 公式サイト | 衆議院議員 いまむら雅弘 |
| 内閣 | 第3次安倍第2次改造内閣 |
| 在任期間 | 2016年8月3日 -2017年4月26日 |
| 選挙区 | (佐賀2区→) (比例九州ブロック→) (佐賀2区→) 比例九州ブロック |
| 当選回数 | 9回 |
| 在任期間 | 1996年10月21日 -2024年10月9日 |
その他の職歴 | |
首相:フン・マネット (2025年6月17日 - 現職) | |
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今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月5日 ‐ )は、日本の政治家。カンボジア首相顧問。
衆議院議員(9期)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、農林水産副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院決算行政監視委員長、衆議院国土交通委員長、復興大臣(第6代)等を務めた。
佐賀県鹿島市生まれ。佐賀県立鹿島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1]。1970年、日本国有鉄道に入社した。国鉄では主に人事・労務関係の部署に所属し、民営化後の九州旅客鉄道では経営管理室長や関連事業本部企画部長を務めた[2]。


1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀2区より立候補し、新進党新人の横尾俊彦らを破り初当選した。2001年に中央省庁再編後の第2次森改造内閣で国土交通大臣政務官に、2002年に第1次小泉内閣で外務大臣政務官にそれぞれ任命された。
2005年7月、郵政民営化法案の衆議院本会議における採決で造反し、反対票を投じる。そのため、同年9月の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず無所属で立候補。佐賀2区で民主党新人の大串博志らを破り、4選。2006年12月に、郵政民営化に賛成する趣旨の誓約書及び復党届を自民党に提出[要出典]。党紀委員会で今村ら郵政造反組11議員の復党が認められ、自民党に復党した。2007年、自民党佐賀県連会長に就任した。同年8月、第1次安倍改造内閣で農林水産副大臣に任命され、福田康夫内閣まで務める。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、佐賀2区で民主党の大串博志に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、5選。選挙後、衆議院決算行政監視委員長に就任。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、佐賀2区で前回敗れた大串を破り、6選(大串も比例復活)。
2014年の第47回衆議院議員総選挙に際しては、一票の格差是正のための区割変更による佐賀2区・佐賀3区の合区に伴い、当初は新しい区割りとなる佐賀2区からの立候補を模索していたが、10月に比例名簿での上位優遇を条件に、比例九州ブロックへの転出を受け入れた[3]。しかし、比例名簿単独31位に登載され、「上位優遇」は事実上反故にされた[4]。これは、古川康の辞職に伴う佐賀県知事選挙に関し、党本部の意向に反して動いていたことに対する影響とみられている[5]。(今村及び自民党佐賀県連は佐々木豊成・内閣官房TPP政府対策本部国内調整総括官の擁立を目指していた[6])。なお選挙では自民党大勝の波に乗り、比例九州ブロックで自民党が獲得した8議席のうち、最後の1議席を獲得し、7選。
2015年の佐賀県知事選挙では、自民党の推薦を受け、武雄市長を辞職して立候補した樋渡啓祐を党本部の決定に反して支持せず、元総務官僚の山口祥義を支援し[7]、山口が樋渡を約4万票差で破って初当選した[8]。
2015年11月19日、二階派に入会。郵政造反からの復党以来の無派閥での活動に終止符を打つ[9]。
2016年8月3日、第3次安倍第2次改造内閣で、復興大臣として初入閣した[10]。
2017年4月25日、所属する二階派のパーティーで講演した際、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。」と発言したことが問題となり、翌26日付で大臣を辞任した(後任は吉野正芳。後述)[11]。同年の第48回衆議院議員総選挙では自民党の比例九州ブロック単独候補3位で出馬し、8選。
2021年の第49回衆議院議員総選挙では自民党の比例九州ブロック単独候補1位で出馬し、9選[12]。
2024年10月の第50回衆議院議員総選挙では、党佐賀県連が今村を比例上位に処遇するよう申請した[13]が、自民党の比例九州ブロックの名簿に登載されず、不出馬となった[14]。今村は公示日となる15日に「力強いご支援を賜りましたが残念な結果となりました。心残りはありますが、多くの方に心から深く感謝御礼を申し上げます」とのコメントを出した[15]。11月18日に政界引退の意向を表明した[16]。
2025年6月17日、長年にわたる日本・カンボジア間の友好関係促進に貢献したとしてカンボジア王国友好勲章シュヴァリエが授与され、フン・マネット首相の顧問に就任した[17]。





| 当落 | 選挙 | 執行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 佐賀2区 | 自由民主党 | 75,072票 | 55.83% | 1 | 1/4 | |
| 当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年6月25日 | 佐賀2区 | 自由民主党 | 87,240票 | 61.96% | 1 | 1/5 | |
| 当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月9日 | 佐賀2区 | 自由民主党 | 107,522票 | 82.44% | 1 | 1/2 | |
| 当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年9月11日 | 佐賀2区 | 無所属 | 66,995票 | 42.07% | 1 | 1/4 | |
| 比当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年8月30日 | 佐賀2区 | 自由民主党 | 79,243票 | 47.32% | 1 | 2/3 | 7/7 |
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 佐賀2区 | 自由民主党 | 70,767票 | 50.70% | 1 | 1/3 | |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 比例九州ブロック | 自由民主党 | ーー | ーー | 22 | 8/8 | |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 比例九州ブロック | 自由民主党 | ーー | ーー | 21 | 3/7 | |
| 当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 比例九州ブロック | 自由民主党 | ーー | ーー | 21 | 1/8 |
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|---|---|---|
| 先代 高木毅 | 第6代:2016年 - 2017年 | 次代 吉野正芳 |
| 先代 山本拓 国井正幸 | 岩永浩美と共同 2007年 - 2008年 | 次代 近藤基彦 石田祝稔 |
| 先代 小島敏男 山口泰明 丸谷佳織 | 松浪健四郎 水野賢一と共同 2002年 | 次代 日出英輔 土屋品子 新藤義孝 |
| 先代 (創設) | 吉田六左ェ門 岩井國臣と共同 2001年 | 次代 木村隆秀 田中和徳 木村仁 |
| 議会 | ||
| 先代 伊藤信太郎 | 第7代:2016年 | 次代 吉野正芳 |
| 先代 梶山弘志 | 2014年 - 2016年 | 次代 谷公一 |
| 先代 川端達夫 | 2009年 - 2010年 | 次代 大村秀章 |
| 国務大臣(東日本大震災からの復興のための施策を 政府一体となって 推進するため 企画立案及び行政各部の所管する 事務の調整担当) | |
|---|---|
| 復興大臣 | |