今井 通子(いまい みちこ、1942年2月1日[1] - )は、日本の医師[1]・登山家[2]、ラジオパーソナリティー。
和光小学校、女子学院中学校・高等学校を経て、東京女子医科大学医学部を卒業後[1][3]、東京女子医科大学病院に勤務[4]する傍ら、趣味の登山で女性として初めてアルプス三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)の登攀に成功した[2]。
東京女子医科大学泌尿器科医として在籍[4]。日本泌尿器科学会指導医・専門医[1]。医学博士[1][3]。東京農業大学客員教授[3]。兵庫県立森林大学校「特任大使」[5]。
2011年1月(2007年3月定年退職後、準備の後)森林医学の研究者等と共にInternational Society of Nature and Forest Medicine (INFOM) を設立[6]。地球環境と人間環境の両立を計るため国際的に森林の保全と利活用を目的とし森林の持つ生理学的効果の検証を推進。株式会社 ル・ベルソー代表取締役[1][7]。
1942年、各々眼科医をしていた両親のもと、一男三女の長女として東京に生まれた[2]。
1960年、女子学院高等学校を卒業して東京女子医科大学に入学し、山岳部に入部する[8]。1966年、3月東京女子医科大学を卒業[3]。直後の4月に東京女子医科大学附属病院インターンとして勤務した。
1967年6月、東京女子医科大学附属病院泌尿器科教室に入局する。
医師としての勤務の傍ら、女性として初めてマッターホルン(1967年7月19日[9])・アイガー(1969年8月15日[9])・グランドジョラス(1971年7月17日[9])の「ヨーロッパアルプス三大北壁[10]」を制覇する[1]。1967年の今井・若山の北壁登攀・登頂日である7月19日は”北壁の日”となっている。また、グランドジョラス山頂で高橋和之と結婚式を行う[8]。
1978年4月、東京女子医大学附属病院泌尿器科教室と同病院腎総合医療センターの合併により 総合医療センター泌尿器科へ移籍。同時に医局長に就任した。
1983年10月、東京女子医大学附属病院腎総合医療センター泌尿器科非常勤講師となる。同年冬のエベレストに夫婦で南北に別れダブルアタックを試みたが、夫の高橋和之隊は登頂に成功するも北壁を登った通子隊は8,400メートルで悪天のため断念する。
1984年5月、株式会社ル・ベルソーを設立し、代表取締役に就任した。
1987年、朝鮮半島の最高峰白頭山やヒマラヤ8000メートル峰のチョ・オユー(標高8201メートル)に登頂した[11]。
1992年よりニッポン放送の『テレフォン人生相談』で回答者を務める(2002年からはパーソナリティ)[12]。
2007年1月、南極観測50周年記念事業の一環として南極観察団が結成され、毛利衛・立松和平らとともに南極昭和基地に滞在した[13][14]。同年、東京女子医大学附属病院総合医療センター泌尿器科非常勤講師を定年退職した。
ともに眼科医だった両親は1979年11月、ニュージーランド航空機による南極遊覧飛行中の墜落事故で死去した[8]。
政治家で軍縮運動を推進した宇都宮徳馬は伯父にあたる。
『過去就任の主な委員』
『現在就任中の主な委員』