京都刑務所(きょうとけいむしょ)は、法務省矯正局の大阪矯正管区に属する刑務所。通称「京刑(きょうけい)」。
下部機関として舞鶴拘置支所、ならびに2022年に廃庁となった滋賀刑務所の未決区を引き継いだ滋賀拘置支所を持つ。
京都刑務所は、明治2年(1869年)3月15日に、京都御池神泉苑町入小浜藩邸に「京都府徒刑場」として開設されたのが始まりで、大正11年(1922年)11月13日に、それまでの「監獄」から「刑務所」に名が改められ、その頃から山科(当時は山科村)への移転の動きが始まった。
大正12年(1923年)12月1日からは、受刑者の出役により山科(村)椥辻・東野の地に「仮収容所」の着手が始まる。翌年の大正13年(1924年)8月9日には、買収地内の建物等の補償交渉も成立。昭和2年(1927年)1月19日には、京都刑務所の所在地が「京都府宇治郡山科村」となり、その後も、建設工事は進められ、昭和6年(1931年)3月28日に「京都刑務所移転建築工事」竣工式がとり行われた。ここに、現在に続く、新しい「京都刑務所」が完成した。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月10日には、受刑者による大江山採鉱隊が結成され、構外作業として300人が大江山鉱山の鉱業所に出勤した[1]。
所長の下に4部を持つ4部制施設である。

京都刑務所の完成から相当年が経過し周辺地域も完成当初から様変わりしている事から、刑務所を移転し、その広大な土地を地域発展に活用しようとする動きがある。京都市は国に移転を要望している[3]。法務省は移転に前向きな意向を示したが、移転費用や移転先の住民の反応、土地に誘致する施設など、課題が残っている[4]。
座標:北緯34度58分34.1秒東経135度49分2.7秒 / 北緯34.976139度 東経135.817417度 /34.976139; 135.817417