| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 京証9723 1969年10月1日 - 2001年3月1日 大証2部(廃止)9723 2001年3月1日 - 2013年7月16日 |
| 本社所在地 | 〒604-8558 京都府京都市中京区河原町通二条南入一之船入町537番地の4 |
| 設立 | 1927年(昭和2年)6月7日 |
| 業種 | サービス業 |
| 法人番号 | 6130001023386 |
| 事業内容 | 宿泊、宴会、レストラン他 |
| 代表者 | 福永 法弘(代表取締役社長) |
| 資本金 | 1億円 (2023年3月31日時点) |
| 発行済株式総数 | 普通株式1,206万5,400株 A種優先株式1,000株 (2023年3月31日時点) |
| 売上高 | 91億38百万円 (2024年3月期) |
| 経常利益 | 8億07百万円 (2024年3月期) |
| 純利益 | 9億34百万円 (2024年3月期) |
| 純資産 | 19億89百万円 (2024年3月期) |
| 総資産 | 164億51百万円 (2024年3月期) |
| 従業員数 | 391人 (2023年3月31日時点) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | (株)ホテルオークラ 35.33% (株)ニチレイ 16.64% (株)日本政策投資銀行 4.85% 中央建物(株) 4.28% 京阪ホールディングス(株) 3.02% みずほ信託銀行(株) 2.90% 彌榮自動車(株) 2.90% (2023年3月31日現在) |
| 外部リンク | www.kyotohotel.co.jp |
| 特記事項:*各種経営指標は2023年3月期[1] | |
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株式会社京都ホテル(きょうとホテル、英:The Kyoto Hotel, Ltd.)は、京都府京都市中京区に本社を置くホテル運営会社。主要施設のホテルオークラ京都は京都の老舗ホテルの一つである。
株式会社京都ホテルは1927年に設立。1969年10月1日に京都証券取引所に上場、2001年3月1日に大阪証券取引所市場第二部に上場した(大証・京証合併のため)。さらに、2013年7月に大阪証券取引所が東京証券取引所との現物株統合により、東京証券取引所市場第二部に上場した。
1977年以降はニチレイ(旧・日本冷蔵)が筆頭株主となった。特に、1999年12月期決算で40億円以上の債務超過に陥り経営危機に陥った際には、同社が120億円の資金贈与および土地・建物を220億円で買い取るなど経営再建支援を行った[2][3]。2005年1月にホテルオークラが株式譲渡を受け筆頭株主になった。
| ホテルオークラ京都 Hotel Okura Kyoto | |
|---|---|
| ホテル概要 | |
| ホテルチェーン | オークラ ホテルズ & リゾーツ |
| 運営 | 株式会社京都ホテル |
| 前身 | 京都ホテル |
| 階数 | 地下4 - 地上17階 |
| レストラン数 | 11軒 |
| 部屋数 | 321室 |
| 開業 | 1895年3月6日 |
| 最寄駅 | 京都市営地下鉄京都市役所前駅 |
| 最寄IC | 名神高速京都東IC、京都南IC |
| 所在地 | 〒604-8558 京都府京都市中京区河原町御池 |
| 位置 | 北緯35度0分41.3秒東経135度46分10秒 / 北緯35.011472度 東経135.76944度 /35.011472; 135.76944座標:北緯35度0分41.3秒東経135度46分10秒 / 北緯35.011472度 東経135.76944度 /35.011472; 135.76944 |
| 公式サイト | 公式サイト |
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ホテルオークラ京都の起源は神戸の実業家、前田又吉が1888年(明治21年)に二条橋西詰め上ル(現:鴨川二条大橋畔)で創業した旅館「京都常盤」である。前田は旧勧業場跡地(現所在地である河原町御池、幕末期は長州藩邸の所在した場所)の払い下げを受け、1890年に洋風木造建築の「常盤ホテル」を渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎ら財界の大物によって設立された日本土木会社(現・大成建設)の施工で竣工、開業させた。1891年に当時ロシア皇太子であったのちのニコライ二世(日露戦争時のロシア最後の皇帝)も宿泊している[1]。
常盤ホテルは1894年に井上喜太郎(也阿弥ホテルの経営者井上萬吉の弟)によって買収され、平安遷都1100年記念式典の行われる1895年に「京都ホテル」として営業を再開。1925年(大正14年)12月16日、大丸呉服店(現:大丸松坂屋百貨店)社長・下村正太郎が京都ホテルで結婚披露宴を挙行、500名余りが参列した(ホテルでの結婚披露宴のはしり)。1928年(昭和3年)に2月は鉄筋コンクリート構造・7階建ての新館が清水組の設計・施工で完成した。1928年(昭和3年)11月には京都ホテル支店「京都ステーションホテル」の営業開始、1929年(昭和4年)「京都ステーションホテル」を京都ホテルから分離した。
1991年12月、総合設計制度の適用を受け、高さ60mの高層ビル「京都ホテルおいけ本館」の建設に着手、平安遷都1200年となる1994年に竣工した。高さ60mは、京都市中心部のビルでは京都駅ビルと並んで最も高い。現在では総合設計制度の活用が廃止された為、中心市街地にこの様な高層ビルを建てることは困難となっている[4]。
このホテル改築をめぐっては京都の景観を破壊するとの反対意見も根強く、「京都ホテルとJR京都駅の高層化に反対する市民連合(のっぽビル反対市民連合)」や市内の主要寺院で構成する京都仏教会が中心となって反対活動を行った[5]。中でも京都仏教会は、京都ホテルとその系列施設宿泊者の加盟寺院への拝観を拒否することを表明し、1991年11月13日に清水寺、金閣寺、銀閣寺、広隆寺、青蓮院、蓮華寺、相国寺、二尊院の8寺院の門前に拝観拒否を予告する看板を出した[6]。このような反対運動を受け、京都ホテル側は同年11月20日には、着工を延期して設計変更の検討に入ることを表明し、拝観拒否騒動も一旦は収まった[7]。しかし、同年12月5日になって京都ホテル側は、着工を延期して設計変更を行うのは経営基盤を揺るがすおそれがあるとして、当初の計画のまま建設を進めることを表明した[8]。これを受け、仏教会は工事差し止めの仮処分を京都地方裁判所に申し立てたが却下された[9]。しかし、その後も高層化計画の変更や総合設計制度の廃止を要求して、1992年11月には前年に拝観拒否を行った8寺院のうち二尊院を除く7箇所で再び拝観拒否を行うことを決定した[10][11]。最終的に、1999年6月に京都市と仏教会が和解したことを受け拝観拒否は終了した[12]。
2001年に京都ホテルは経営再建策の一環としてホテルオークラとの業務提携を決定、2002年にオークラホテルズ&リゾーツに加盟して本館の名称を京都ホテルオークラに改めた。2022年にホテルオークラ京都に改称[1]。