| いでちょう 井手町 | |||||
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| 国 | |||||
| 地方 | 近畿地方 | ||||
| 都道府県 | 京都府 | ||||
| 郡 | 綴喜郡 | ||||
| 市町村コード | 26343-5 | ||||
| 法人番号 | 1000020263435 | ||||
| 面積 | 18.04km2 | ||||
| 総人口 | 7,018人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 389人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | |||||
| 町の木 | ヒノキ | ||||
| 町の花 | ヤマブキ | ||||
| 井手町役場 | |||||
| 町長 | 西島寛道 | ||||
| 所在地 | 〒610-0302 京都府綴喜郡井手町大字井手小字東高月8番地 北緯34度48分02秒東経135度48分52秒 / 北緯34.800528度 東経135.814479度 /34.800528; 135.814479座標:北緯34度48分02秒東経135度48分52秒 / 北緯34.800528度 東経135.814479度 /34.800528; 135.814479 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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井手町(いでちょう)は、京都府の南部に位置し、綴喜郡に属する町。
木津川の支流である玉川が町を東西に縦断しており、春になると花見をする人々で賑わう。町内の地域としては多賀、井手、有王区域と分かれる。町域の約七割は山林[1]。田園風景の中に井提寺(井手寺)跡[2]や平城京にあった南都七大寺の一つ、大安寺の瓦を焼いたとされる石橋瓦窯の遺構などの史跡が存在している。[1]。
奈良時代の貴族・政治家で、井手町に別荘をもち、「井手の左大臣」と呼ばれ万葉集の撰者とも伝えられる橘諸兄ゆかりの地として知られている[3]。
南北約4.5km、東西約7km、面積18.04km2。
大字はなし
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.55%減の8,454人であり、増減率は府下26市町村中18位、36行政区域中28位。
| 井手町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 井手町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 井手町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
井手町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||

井手町には須恵器が見つかった弥勒古墳や横穴式石室の高月古墳などがあり、古くから人が住んでいた。
奈良時代の有力貴族橘諸兄は、井堤の地(いでと読む、現在の井手町)に相楽別業という別荘を作り、また井堤寺(いでじ)を建立した。
康治2年(1143年)の『井堤郷古絵図』によれば、橘諸兄の居館や井堤寺が記されている[4]。また平安時代には玉川流域が山吹の名所として和歌に詠まれた[5]。
| 代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 初代 | 乾源一郎 | 1958年5月10日 | 1961年1月9日 | |
| 2代 | 平間荘太郎 | 1961年2月5日 | 1965年2月4日 | |
| 3代 | 平間荘太郎 | 1965年2月5日 | 1969年2月4日 | |
| 4代 | 平間荘太郎 | 1969年2月5日 | 1973年2月4日 | |
| 5代 | 木田喜治 | 1973年2月5日 | 1977年2月4日 | |
| 6代 | 木田喜治 | 1977年2月5日 | 1981年2月4日 | |
| 7代 | 木田喜治 | 1981年2月5日 | 1985年2月4日 | |
| 8代 | 木田喜治 | 1985年2月5日 | 1989年2月4日 | |
| 9代 | 木田喜治 | 1989年2月5日 | 1993年2月4日 | |
| 10代 | 木田喜治 | 1993年2月5日 | 1995年7月26日 | |
| 11代 | 汐見明男 | 1995年8月27日 | 1999年8月26日 | |
| 12代 | 汐見明男 | 1999年8月27日 | 2003年8月26日 | |
| 13代 | 汐見明男 | 2003年8月27日 | 2007年8月26日 | |
| 14代 | 汐見明男 | 2007年8月27日 | 2011年8月26日 | |
| 15代 | 汐見明男 | 2011年8月27日 | 2015年8月26日 | |
| 16代 | 汐見明男 | 2015年8月27日 | 2019年8月26日 | |
| 17代 | 汐見明男 | 2019年8月27日 | 2023年8月26日 | |
| 18代 | 西島寛道 | 2023年8月27日 | 現職 |
| 選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 京都府第6区(宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、久世郡、綴喜郡、相楽郡) | 山井和則 | 立憲民主党 | 8 | 選挙区 |

農家人口は1985年の約2000人から2005年には約1200人になった[1]。
2003年に町工場等誘致条例を制定し、2社の誘致に成功、パートを含め約450人の地元雇用につながった[1]。
ベンチャー企業を育成するため新産業育成施設への入居が2001年に始まり、電子機器メーカーなど5社が入居した[1]。
町内に高校はない。京都府立城陽高等学校への通学者が多い。

なお、当町西部を流れる木津川に架けられた玉水橋を渡り、京田辺市側に出ると三山木駅(近鉄京都線)・JR三山木駅(学研都市線)も利用可能となっている。両駅は当町役場より1.7kmの位置にある。
当町内に路線バスは通じていないが、国道307号が徒歩圏となる地域では京都京阪バスが利用可能で、近鉄京都線新田辺駅・JR学研都市線京田辺駅、および宇治田原町方面へ行くことができる。多賀口停留所からは城陽市青谷方面乗合タクシーも利用可能で、1日3往復、火・木のみの運行ながら平和堂(アル・プラザ城陽)や城陽郵便局へ行くことができる。
また、当町南側に接する木津川市(旧:山城町域)が徒歩圏となる地域では木津川市コミュニティバス山城線が利用可能で、棚倉駅、上狛駅および木津駅へ行くことができる。

橘諸兄の旧跡、井提寺(井手寺)跡、六角井戸、蛙塚、小野小町塚がある。
古来より山吹と蛙(かはづ)の名所として世に知られており、歌枕として多くの和歌に歌われてきた[17]。鴨長明の歌論書である無名抄「第17話 井手の山吹、并かはづ」に井手町の山吹、蛙(かはづ)についての言及がある[18]。
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