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井川伊勢吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いかわ いせきち
井川 伊勢吉
生誕
井川 高助

1909年11月7日
死没 (1990-07-04)1990年7月4日(80歳没)
職業実業家
子供8人
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井川 伊勢吉(いかわ いせきち、1909年明治42年〉11月7日 -1990年平成2年〉7月4日)は、日本実業家大王製紙創業者。幼名高助[1]。大王製紙前会長井川意高の祖父。

1943年(昭和18年)大王製紙設立[2]1981年(昭和56年)県功労賞[2]1984年(昭和59年)伊予三島市名誉市民[2]1986年(昭和61年)愛媛放送賞受賞[2]、同年勲二等瑞宝章[2]

経歴

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人物像

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井川伊勢吉は、幼名高助といった[4]チビだったため、低助のアダ名がついた[4]。伊勢吉の経営者としてのスタートは、戦時下という特殊な事情もあって苦難の連続であったが、苦労を苦労としない不屈の精神力と決断力が今日を築いたといえる[2]

伊勢吉について、地元商店街の関係者によると「創業者の井川伊勢吉氏は、身長が百五十センチに満たない小柄な人でしたが、働き者でね[5]。ボロ服を着てリヤカーを引いていた姿が印象的でした[5]。各家庭を回って、製紙の原料に使う段ボールなどの古紙を集めるのです[5]。古紙を原材料に混ぜて製紙を作ると程よい柔らかさになって需要があった[5]。…(中略)伊勢吉氏は、遠方に行く時は旅館には泊まらず、車の中で寝泊りしていた倹約家でした[5]。」という。

宗教真言宗[6]趣味は仕事[2]。余暇にはよく本を読む[2]。なかでも吉川英治が好き[2]。健康法は昼寝[2]

家族・親族

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  • 父・井川伊勢吉(先代、1881-) ‐三島町 (愛媛県)の襤褸・屑物商(ぼろ布や古紙)。原紙商として成功し、同町の多額納税者となる。屑紙の配給統制を運営する大日本製紙原料商業組合の理事も務めた。[7][8]
  • 弟・井川和一(1913-) ‐ 大王製紙役員。[7]
  • 弟・井川達二(1918-) ‐ 京都製紙所社長、大王製紙役員ほか。[7]
  • 弟・井川開 ‐ 三洋製紙副社長ほか。大阪商業学校中退。[7]
  • 弟・井川清(1926-) ‐ 兵庫パルプ工業社長ほか。[7]
  • 姉(妹)・イトエ(糸枝、糸江) ‐ 先代伊勢吉長女。入婿に井川重樹(1912-、大王製紙役員)。川之江高等女学校出身。[7][9]
  • 長男・井川高雄[3]
  • 孫・井川意高 ‐ 高雄の子

脚注

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  1. ^abcdefghijklmn愛媛の偉人・賢人の紹介
  2. ^abcdefghij『えひめ 人 その風土』109頁
  3. ^ab第二十一版 人事興信録(上)』(昭和36年)い五頁
  4. ^abc『えひめ 人 その風土』108頁
  5. ^abcde週刊文春』(2011年11月10日号)31頁
  6. ^第十九版 大衆人事録(西日本篇)』い三七頁
  7. ^abcdef井川伊勢吉自治産業発達誌、国際通信社、1939、p218
  8. ^屑紙図解物資配給総覧 昭和18年版、商工農政研究会、工業組合中央会、1943、p165
  9. ^https://kingendaikeizu.net/sougyou/ikawa.htm

参考文献

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  • 『えひめ 人 その風土』(第一刷発行・昭和61年、発行所・愛媛放送株式会社、108―109頁)
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