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井原正巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井原 正巳
名前
愛称アジアの壁
カタカナイハラ マサミ
ラテン文字IHARA Masami
基本情報
国籍日本の旗日本
生年月日 (1967-09-18)1967年9月18日(58歳)[1]
出身地滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市[1]
身長182cm[1]
体重74kg[1]
選手情報
ポジションDF
利き足右足
ユース
1983-1985滋賀県立守山高等学校
1986-1989筑波大学
クラブ1
クラブ出場(得点)
1990-1991日産自動車 44(2)
1992-1999横浜マリノス
横浜F・マリノス
[注 1]
223(3)
2000ジュビロ磐田 20(1)
2001-2002浦和レッズ 54(1)
通算341(7)
代表歴2
1988-1999[2]日本の旗日本122(5)
監督歴
2009柏レイソル(代行)
2013柏レイソル(代行)
2015-2018アビスパ福岡
2022柏レイソル(代行)
2023-2024柏レイソル
1. 国内リーグ戦に限る。2003年1月1日現在。
2. 1999年7月5日現在。
■テンプレート■ノート■解説■サッカー選手pj

井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者[3]。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表

1990年代のJリーグを代表するディフェンダー(センターバック)で「アジアの壁」と呼ばれ[4]、キャプテンとして1998 FIFAワールドカップに出場した。サッカー日本代表のA代表キャップ数122は遠藤保仁に抜かれるまで歴代1位であった[5]

プロ入り前

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小学3年生の頃兄がプレーしていた[6]、貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた[7]水口中学を経て[8]滋賀県立守山高等学校へと進学[8]、1年時からレギュラーを獲得、2学年先輩に美濃部直彦がいた[9]。1984年に全国高校サッカー選手権に出場した[6]。高校卒業後は筑波大学へ進学して蹴球部に所属した。大学入り前に行われた、ワールドユースに向けたセレクションのメンバーに選抜されたが、ディフェンダーのポジションには空きがあったことから「やってみないか?」と勧められたことがきっかけとなり[6]、フォワードからディフェンダーに転向した[10]。筑波では1986年、1987年に関東リーグと総理大臣杯で連覇を果たした[6]。筑波大学2年時に日本代表に選出された。

筑波大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め[11]、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった[11]。大学では教員免許も取得した[1][12]

クラブ経歴

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日産、横浜マリノス時代

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読売クラブ、全日空、古河電工、ヤマハなどからも誘いを受けていたが[13]、大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、入団初年度はオスカー監督から守備的中盤として起用され、リーグ戦全試合に出場、三浦知良を抑えて日本リーグ新人王を受賞した[12]。1991-92年、1999/2-93年シーズンには天皇杯とアジアカップウィナーズカップの連覇に貢献した。オスカー監督退団時にはブラジルでプレーしないかとも誘われた[12]

1993年Jリーグ開幕節 (5月15日) のヴェルディ川崎戦に出場、同年5月29日のジェフユナイテッド市原戦ではJリーグのオウンゴール第1号を記録した[14]。同年のJリーグオールスターサッカーには三浦知良ジーコらを抑え、ファン投票で最多得票を得て出場した[15]。1994年5月4日のヴェルディ川崎戦でJリーグ初ゴールを挙げた[16]。1995年はJリーグ1stステージで優勝を果たすと、Jリーグチャンピオンシップでは、ヴェルディ川崎戦の2ndレグでダイビングヘッドによる決勝ゴールを決め、マリノス初のJリーグ年間優勝に大きく寄与した[17]

ジュビロ、レッズ時代

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前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われ[18]、当時のJリーグ日本人選手の中では最高額の年俸を貰っていたが[19]、マリノスからは契約延長を提示されず、コーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍、当初はレギュラーとして出場していたが、鈴木政一が新たに監督に就任すると出場機会を大幅に減らした[19]

2001年からは、以前日本代表で共に戦った福田正博が在籍していた浦和レッドダイヤモンズに移籍した。5月19日のガンバ大阪戦での移籍後初ゴールは[20]、現役最後のゴールとなった。同年行われた2002年W杯1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。

2002年、2ndステージ、チームは開幕から引き分けを含め、9試合負けなしで一時は首位に立ったが、10節で鹿島に敗れると、6連敗でシーズンを終えた[21]。またこの年のJリーグカップでは決勝に進出したが、鹿島に敗れた。Jリーグ最終節、古巣横浜F・マリノス戦で先発フル出場をしたのを最後に[22]、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。2004年1月4日、国立競技場で引退試合が開催され、この時ゴールを決めた[23]

代表経歴

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大学2年時に日本代表に選出され[3]、1988年1月27日のアラブ首長国連邦との親善試合でAマッチ初出場を果たした[24]1990 FIFAワールドカップ・アジア予選では朝鮮民主主義人民共和国に競り負け1次予選敗退。1992年のAFCアジアカップ1992ではグループリーグ最終戦のイラン戦で、グループリーグ敗退濃厚な中、試合終盤に起死回生となる三浦知良の決勝ゴールをアシストして決勝トーナメント進出に貢献[25]、決勝ではサウジアラビアを破って初のアジア制覇に貢献した。

1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では、1993年5月5日開催の一次予選、スリランカ戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験した。1994年のアジア大会ではベスト8で敗退したが、その準々決勝の韓国戦で終盤に一時は同点となる目の覚めるようなスーパーロングシュートを決めた[26]。1995年以降、柱谷哲二が代表を退いて以降は、加茂周代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表を外れるまでキャプテンを務めた[27]

1998 FIFAワールドカップ・アジア予選最終予選では、第2戦のUAE戦でFKを頭で合わせると、このボールはゴールに向かい、間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが(決勝ゴールになる可能性が高かった。)、オフサイドのポジションに居た小村徳男がゴール欲しさからかボールを触って押し込んだたため、ノーゴールの判定[28]、この決果0-0の引き分けに終わる。この様なこともあり、苦戦を強いられながらも、アウェイでのウズベキスタン戦では、ロングフィードで試合終了間際に呂比須ワグナーの同点ゴールをアシスト[29]。最終節のカザフスタン戦で代表で最後となるゴールを決め[30]第3代表決定戦進出に貢献すると、イラン代表と決戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。3戦全敗となった1998 FIFAワールドカップでは、大会直前に負傷し[31]、出場も危ぶまれたが[32]、キャプテンとして[3] 全試合に先発フル出場した。

1999年、コパアメリカではグループリーグの2試合に出場したが、ボリビア戦で後半83分に、この試合で2度目の警告を受けて退場処分になった[33]。次の代表戦となったイラン戦は出場停止であったが、『フィリップ・トルシエ監督は「出場停止であるという理由のみで招集しなかった訳ではない。」とコメント[34]、以降再び招集されることはなかった。

指導者歴

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引退後はNHKサッカー解説、TBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』パーソナリティー(2003年度から下半期・木曜日担当)、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダーびわこ成蹊スポーツ大学客員教授、公共広告機構(現:ACジャパン)・骨髄バンクCMなど各方面で活躍。日本各地の少年サッカー教室に参加するなどサッカーの普及にも力を注いでいる。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。

2006年4月にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得[1]。これにより、日本代表及びJリーグ監督に就任出来る事になった。

2009年2月、柏レイソルのヘッドコーチに就任[1]。同年7月、監督の高橋真一郎が解任され、後任監督が決定するまでの代行監督を務めた。2013年にはシーズン中に監督の辞意を表明したネルシーニョに代わって天皇杯の1試合指揮をとった(その後ネルシーニョは辞意を撤回)。2014年限りで柏との契約を満了し退任。

2015年よりアビスパ福岡の監督に就任[35]。最終的には2位磐田と並ぶ勝ち点82の成績を収めたが、得失点差により順位は3位となりJ1自動昇格は叶わず、J1昇格プレーオフに回ることとなった。そのプレーオフの決勝戦において、4位のセレッソ大阪と1-1で引き分けたが、年間順位で上回った為チームを5年ぶりのJ1の舞台に導いた。

2016年シーズンは5年ぶりとなるJ1の舞台で指揮を執ったが、J11stステージで2勝5分10敗、2ndステージで2勝2分13敗と苦しみ、1年でJ2降格となった。

2017年シーズンは21勝11分10敗で4位となり、J1昇格プレーオフに進出。決勝戦で名古屋グランパスと1年でのJ1復帰を賭けて対戦。試合は0-0の引き分けで終了し、レギュレーションによりJ2残留となった。

2018年11月17日、J2第42節・FC岐阜戦終了後の会見で、J1昇格を逃したことに対する責任を取り、辞任を表明[36][37]。11月19日、アビスパ福岡の公式サイト上で2018シーズンをもって退任することが発表された[38]

2018年12月13日、ネルシーニョの柏レイソル監督復帰に合わせて[39]井原も柏レイソルのヘッドコーチに復帰した[40]。2022年4月、左アキレス腱を断裂して手術を受けたネルシーニョが復帰した29日までの間、代行監督を務めた。柏での監督代行はこれで3度目となった。2023年5月17日、チームの成績不振(リーグ戦2勝5分6敗の16位)で退任する事になったネルシーニョ監督の後任として、柏レイソルの監督に就任した[41]。8月以降の公式戦の成績は、7勝8分け2敗で、最終順位は17位と、何とかJ1残留を決めた[42]。一方の天皇杯では、決勝に進出したが、川崎フロンターレにPK戦の末に惜敗した。天皇杯決勝進出と、8月以降成績が持ち直し、J1に残留した手腕を評価され、2024年も監督を続投することとなった[43]。2024年シーズン、何とかチームをJ1に残留させることには成功したが、この年で監督を退任することとなった。

2025年からNHKのサッカー解説に復帰し、『Jリーグタイム』にも出演することとなった。また、同年6月にホンコン・チャイナで開催された国際大会「International Youth Invitational Football Cup at KTSP June2025」 において、U-20Jリーグ選抜チームの監督を務めた。

2025年6月28日、自身のウェブサイト上で韓国Kリーグ2水原三星ブルーウィングスに7月からコーチとして加わることを発表した[44]

プレースタイルと評価

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その鉄壁の守備から「アジアの壁」といわれ[1]、冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う上手さ、体をぶつけられても倒れない強さなど、ディフェンダーとしての要素を全て備えていた[45]。警告を受けることは余り無かったが、激しい当たりなど、肉弾戦も繰り広げた[46]永島昭浩は、総合的に判断すると歴代最高のDFであったと評価した[47]ペレイラも同様に、当時のJリーグの選手の中では最高のDFとして名前を挙げた[48]。また洪明甫か井原か、どちらがアジア最高のリベロか、という比較が日本、韓国メディアで盛んに行われていた[49]

2020年にサッカーダイジェストが企画した、これまでのJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、様々な人物からJリーグ歴代のベストイレブンに選出された[47][50][51][52][53][54][55][56][57][58]。また阿部勇樹は幼少期の頃に好きだった選手として名前を挙げた[59]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1990-91日産4JSL1部22240
1991-9222030
1992横浜M-J-8050130
19933200010330
19944112040471
1995471-20491
199629113010431
199742200020240
19982700010280
1999横浜FMJ12506030340
2000磐田2013000231
2001浦和32616040361
20022809100371
通算日本J129754712303676
日本JSL1部44270102614
総通算341754133242810

その他の公式戦

その他

背番号

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個人タイトル

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代表歴

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出場大会など

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   イングランド代表戦(アンブロカップ)

試合数

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  • 国際Aマッチ 122試合(全試合先発出場) 5得点(1988年 - 1999年)[2]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
198850
1989110
199060
199120
1992110
1993152
199491
1995161
1996130
1997211
1998100
199930
通算1225

出場

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No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1988年01月27日アラブ首長国連邦の旗ドバイ アラブ首長国連邦△1-1横山謙三国際親善試合
2.1988年01月30日アラブ首長国連邦の旗アブダビ アラブ首長国連邦●0-2国際親善試合
3.1988年02月02日オマーンの旗マスカット オマーン△1-1国際親善試合
4.1988年06月02日日本の旗愛知県名古屋市瑞穂公園陸上競技場 中華人民共和国●0-3キリンカップ
5.1988年10月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●0-1日韓定期戦
6.1989年01月20日イランの旗テヘラン イラン△2-2国際親善試合
7.1989年05月05日大韓民国の旗ソウル 韓国●0-1日韓定期戦
8.1989年05月10日日本の旗東京都国立西が丘サッカー場 中華人民共和国△2-2国際親善試合
9.1989年05月13日日本の旗岡山県岡山県総合グラウンド陸上競技場 中華人民共和国○2-0国際親善試合
10.1989年05月22日香港の旗香港 香港△0-0ワールドカップ予選
11.1989年05月28日インドネシアの旗インドネシア インドネシア△0-0ワールドカップ予選
12.1989年06月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 北朝鮮○2-1ワールドカップ予選
13.1989年06月11日日本の旗東京都国立西が丘サッカー場 インドネシア○5-0ワールドカップ予選
14.1989年06月18日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 香港△0-0ワールドカップ予選
15.1989年06月25日朝鮮民主主義人民共和国の旗平壌 北朝鮮●0-2ワールドカップ予選
16.1989年07月23日ブラジルの旗リオデジャネイロ ブラジル●0-1国際親善試合
17.1990年07月27日中華人民共和国の旗北京 韓国●0-2ダイナスティカップ
18.1990年07月29日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国●0-1ダイナスティカップ
19.1990年07月31日中華人民共和国の旗北京 北朝鮮●0-1ダイナスティカップ
20.1990年09月26日中華人民共和国の旗北京 バングラデシュ○3-0アジア大会
21.1990年09月28日中華人民共和国の旗北京 サウジアラビア●0-2アジア大会
22.1990年10月01日中華人民共和国の旗北京 イラン●0-1アジア大会
23.1991年06月02日日本の旗山形県山形県総合運動公園陸上競技場 タイ○1-0キリンカップ
24.1991年07月27日日本の旗長崎県長崎県立総合運動公園陸上競技場 韓国●0-1日韓定期戦
25.1992年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アルゼンチン●0-1ハンス・オフトキリンカップ
26.1992年06月07日日本の旗愛媛県愛媛県総合運動公園陸上競技場 ウェールズ●0-1キリンカップ
27.1992年08月22日中華人民共和国の旗北京 韓国△0-0ダイナスティカップ
28.1992年08月24日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○2-0ダイナスティカップ
29.1992年08月26日中華人民共和国の旗北京 北朝鮮○4-1ダイナスティカップ
30.1992年08月29日中華人民共和国の旗北京 韓国△2-2(PK4-2)ダイナスティカップ
31.1992年10月30日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△0-0アジアカップ
32.1992年11月01日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 北朝鮮△1-1アジアカップ
33.1992年11月03日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 イラン○1-0アジアカップ
34.1992年11月06日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 中華人民共和国○3-2アジアカップ
35.1992年11月08日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 サウジアラビア○1-0アジアカップ
36.1993年03月07日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森陸上競技場 ハンガリー●0-1キリンカップ
37.1993年03月14日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アメリカ合衆国○3-1キリンカップ
38.1993年04月08日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 タイ○1-0ワールドカップ予選
39.1993年04月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 バングラデシュ○8-0ワールドカップ予選
40.1993年04月15日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スリランカ○5-0ワールドカップ予選
41.1993年04月18日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦○2-0ワールドカップ予選
42.1993年04月28日アラブ首長国連邦の旗ドバイ タイ○1-0ワールドカップ予選
43.1993年05月05日アラブ首長国連邦の旗ドバイ スリランカ○6-0ワールドカップ予選
44.1993年05月07日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン アラブ首長国連邦△1-1ワールドカップ予選
45.1993年10月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 コートジボワール○1-0(延長)アフロ・アジア選手権
46.1993年10月15日カタールの旗ドーハ サウジアラビア△0-0ワールドカップ予選
47.1993年10月18日カタールの旗ドーハ イラン●1-2ワールドカップ予選
48.1993年10月21日カタールの旗ドーハ 北朝鮮○3-0ワールドカップ予選
49.1993年10月25日カタールの旗ドーハ 韓国○1-0ワールドカップ予選
50.1993年10月28日カタールの旗ドーハ イラク△2-2ワールドカップ予選
51.1994年05月22日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 オーストラリア△1-1パウロ・ロベルト・ファルカンキリンカップ
52.1994年05月29日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 フランス●1-4キリンカップ
53.1994年07月08日日本の旗愛知県名古屋市瑞穂公園陸上競技場 ガーナ○3-2アシックスカップ
54.1994年07月14日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 ガーナ○2-1アシックスカップ
55.1994年09月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 オーストラリア△0-0国際親善試合
56.1994年10月03日日本の旗広島県みよし運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△1-1アジア大会
57.1994年10月05日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム カタール△1-1アジア大会
58.1994年10月09日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 ミャンマー○5-0アジア大会
59.1994年10月11日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 韓国●2-3アジア大会
60.1995年01月06日サウジアラビアの旗リヤド ナイジェリア●0-3加茂周インターコンチネンタル選手権
61.1995年01月08日サウジアラビアの旗リヤド アルゼンチン●1-5インターコンチネンタル選手権
62.1995年02月15日オーストラリアの旗シドニー オーストラリア●1-2国際親善試合
63.1995年02月21日香港の旗香港 韓国△1-1ダイナスティカップ
64.1995年02月23日香港の旗香港 中華人民共和国○2-1ダイナスティカップ
65.1995年02月26日香港の旗香港 韓国△2-2(PK5-3)ダイナスティカップ
66.1995年05月21日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スコットランド△0-0キリンカップ
67.1995年05月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 エクアドル○3-0キリンカップ
68.1995年06月03日イングランドの旗ロンドン イングランド●1-2アンブロカップ
69.1995年06月06日イングランドの旗リバプール ブラジル●0-3アンブロカップ
70.1995年06月10日イングランドの旗ノッティンガム スウェーデン△2-2アンブロカップ
71.1995年08月06日日本の旗京都府京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 コスタリカ○3-0国際親善試合
72.1995年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル●1-5サン・スパークカップ
73.1995年09月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ●1-2デサント・アディダスマッチ
74.1995年10月24日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 サウジアラビア○2-1デサント・アディダスマッチ
75.1995年10月28日日本の旗愛媛県愛媛県総合運動公園陸上競技場 サウジアラビア○2-1デサント・アディダスマッチ
76.1996年02月10日オーストラリアの旗ウォロンゴン オーストラリア○4-1国際親善試合
77.1996年02月14日オーストラリアの旗メルボルン オーストラリア●0-3国際親善試合
78.1996年02月19日香港の旗香港 ポーランド○5-0カールスバーグカップ
79.1996年02月22日香港の旗香港 スウェーデン△1-1(PK4-5)カールスバーグカップ
80.1996年05月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ユーゴスラビア○1-0キリンカップ
81.1996年05月29日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森球技場 メキシコ○3-2キリンカップ
82.1996年08月25日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ウルグアイ○5-3国際親善試合
83.1996年09月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウズベキスタン○1-0JFA75周年記念試合
84.1996年10月13日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 チュニジア○1-0プーマカップ
85.1996年12月06日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン シリア○2-1アジアカップ
86.1996年12月09日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン ウズベキスタン○4-0アジアカップ
87.1996年12月12日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン 中華人民共和国○1-0アジアカップ
88.1996年12月15日アラブ首長国連邦の旗アル・アイン クウェート●0-2アジアカップ
89.1997年02月09日タイ王国の旗バンコク タイ△1-1キングスカップ
90.1997年02月13日タイ王国の旗バンコク スウェーデン●0-1キングスカップ
91.1997年03月15日タイ王国の旗バンコク タイ●1-3国際親善試合
92.1997年03月23日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
93.1997年03月25日オマーンの旗マスカット マカオ○10-0ワールドカップ予選
94.1997年03月27日オマーンの旗マスカット ネパール○6-0ワールドカップ予選
95.1997年05月21日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国△1-1ワールドカップ記念試合
96.1997年06月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 クロアチア○4-3キリンカップ
97.1997年06月15日日本の旗大阪府長居陸上競技場 トルコ○1-0キリンカップ
98.1997年06月22日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 マカオ○10-0ワールドカップ予選
99.1997年06月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○3-0ワールドカップ予選
100.1997年06月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 オマーン△1-1ワールドカップ予選
101.1997年08月13日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブラジル●0-3国際親善試合
102.1997年09月07日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウズベキスタン○6-3ワールドカップ予選
103.1997年09月19日アラブ首長国連邦の旗アブダビ アラブ首長国連邦△0-0ワールドカップ予選
104.1997年09月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●1-2ワールドカップ予選
105.1997年10月04日カザフスタンの旗アルマトイ カザフスタン△1-1ワールドカップ予選
106.1997年10月11日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン△1-1岡田武史ワールドカップ予選
107.1997年11月01日大韓民国の旗ソウル 韓国○2-0ワールドカップ予選
108.1997年11月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 カザフスタン○5-1ワールドカップ予選
109.1997年11月16日マレーシアの旗ジョホールバル イラン○3-2(延長V)ワールドカップ予選
110.1998年02月15日オーストラリアの旗アデレード オーストラリア○3-0国際親善試合
111.1998年03月01日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 韓国○2-1ダイナスティカップ
112.1998年03月07日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国●0-2ダイナスティカップ
113.1998年04月01日大韓民国の旗ソウル 韓国●1-2ワールドカップ記念試合
114.1998年05月17日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ△1-1キリンカップ
115.1998年05月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 チェコ△0-0キリンカップ
116.1998年06月14日フランスの旗トゥールーズ アルゼンチン●0-1ワールドカップ
117.1998年06月20日フランスの旗ナント クロアチア●0-1ワールドカップ
118.1998年06月26日フランスの旗リヨン ジャマイカ●1-2ワールドカップ
119.1998年10月28日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○1-0フィリップ・トルシエキリンチャレンジ
120.1999年03月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル●0-2キリンビバレッジ
121.1999年06月29日パラグアイの旗アスンシオン ペルー●2-3コパ・アメリカ
122.1999年07月05日パラグアイの旗ペドロ・ファン・カバジェロ ボリビア△1-1コパ・アメリカ

得点数

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#年月日開催地対戦国スコア結果試合概要
11993年5月5日アラブ首長国連邦ドバイスリランカの旗スリランカ6-0勝利1994 FIFAワールドカップ・アジア予選
2
31994年10月11日日本広島市大韓民国の旗韓国2-3敗戦アジア競技大会
41995年6月3日イングランドロンドンイングランドの旗イングランド1-2敗戦アンブロ・カップ
51997年11月8日日本、東京カザフスタンの旗カザフスタン5-1勝利1998 FIFAワールドカップ・アジア予選

指導歴

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監督成績

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年度クラブ所属リーグ戦カップ戦
順位勝点試合Jリーグ杯天皇杯
2009J1-12011--
2015福岡J23位824224108-3回戦敗退
2016J1・1st18位18位11172510ベスト82回戦敗退
J1・2nd18位8172213
2017J24位74422111103回戦敗退
20187位70421913103回戦敗退
2023J117位22214107準優勝
202417位413891415プレーオフラウンド敗退ラウンド16敗退
  • 2009年は代行。
  • 2023年は第14節より指揮。

出演

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CM

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テレビ番組

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脚注

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  1. ^1992年から1998年までは横浜マリノス

出典

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関連項目

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外部リンク

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特別掲額
投票
委員会推薦
(特別選考)
委員会推薦
(チーム)
委員会推薦
(協会会長)
 
獲得タイトル・記録
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
男子 -女子 -国際 -外国人 -男子監督 -女子監督 -男子ユース -女子ユース
AFC -CAF -CONCACAF -CONMEBOL -OFC -UEFA
J1
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
J2
2020年代
J3
2020年代
ベストイレブン(GK -DF -MF -FW) -JCB
1993年から2022年までの30年間での選出 (2023年にJリーグ誕生30周年を記念した企画)
太字はMVP受賞者
ベストイレブン
GK
DF
MF
FW
ベストマッチ
ベストゴール
ボレー/オーバーヘッド部門
テクニカル部門
ミドル/ロングシュート部門
フリーキック部門
ヘディングシュート部門
その他部門
ベストシーン
ベストイレブン(GK -DF -MF -FW) -JCB
※記述のない年は該当者なし
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 -JB11 -得点王 -JBYP賞 -JFP個人賞 -J2MEP -功労選手賞 -最優秀監督賞 -最優秀主審賞 -最優秀副審賞 -JBP賞)
 
日本代表 - 出場大会
 
監督歴
日立製作所
柏レイソル
中央防犯
福岡ブルックス
アビスパ福岡
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回
第20回
第21回
第22回
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第41回
第42回
第43回
第44回
第45回
第46回
第47回
第48回
第49回
第50回
第51回
第52回
第53回
第54回
第55回
第56回
第57回
第58回
第59回
第60回
第61回
第62回
第63回
第64回
第65回
第66回
第67回
第68回
第69回
第70回
第71回
第72回
第73回
第74回
第75回
全般
国立図書館
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