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井上裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 裕
いのうえ ゆたか
文部大臣就任に際して公表された画像
生年月日1927年11月17日
出生地日本の旗日本千葉県成田市
没年月日 (2008-06-22)2008年6月22日(80歳没)
出身校旧制東京歯科医学専門学校
(現東京歯科大学
所属政党無所属→)
自由民主党
称号従二位
桐花大綬章
勲一等旭日大綬章
日本の旗 第23-24代参議院議長
在任期間2000年10月19日 -2002年4月22日
天皇上皇(平成の天皇)
日本の旗 第115代文部大臣
内閣第2次海部改造内閣
在任期間1990年12月29日 -1991年11月5日
選挙区千葉県選挙区
当選回数4回
在任期間1980年6月23日 -2002年5月8日
選挙区旧千葉2区
当選回数1回
在任期間1976年12月10日 -1979年9月7日
その他の職歴
第22代自由民主党参議院議員会長
(総裁:小渕恵三
1998年 -1999年
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井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年昭和2年〉11月17日 -2008年平成20年〉6月22日)は、日本の政治家位階従二位勲等勲一等勲章桐花大綬章

参議院議長(第23・24代)、文部大臣第115代)、参議院予算委員長自由民主党参議院議員会長(第22代)、参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、千葉県議会議員(3期)等を歴任した。

来歴

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千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校(現成田高等学校)、旧制東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業して、六合村に歯科医院を開業する[1]1963年千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、3期連続当選。

1972年第33回衆議院議員総選挙無所属旧千葉2区(定数4)から立候補したが、次点で落選。1976年第34回衆議院議員総選挙に再び無所属で旧千葉2区から立候補し、同区トップの得票数で当選した。この総選挙では、保守系無所属で井上、宇野亨の2人が旧千葉2区から出馬して当選する一方、自民党前職の水野清山村新治郎がいずれも落選した。当選後、自由民主党に入党。1979年第35回衆議院議員総選挙では、前回自民党公認で落選した元職の水野、山村がいずれも保守系無所属で立候補し、上位で当選。井上同様、当選後に自民党に入党した宇野は最下位の4位で当選したが、井上は宇野の得票数を約6千票下回り、5位で落選した(同じく自民党前職の林大幹も落選)。

1980年第12回参議院議員通常選挙千葉県地方区から自民党公認で立候補し、当選。以後、4期22年にわたり参議院議員を務める。1983年第2次中曽根内閣大蔵政務次官に就任。1990年第2次海部改造内閣文部大臣に任命され、初入閣した。1995年参議院予算委員長に就任。

1998年小渕恵三総裁の下で自由民主党参議院議員会長に起用された。2000年、5年にわたり参議院議長を務めていた斎藤十朗参議院比例区非拘束名簿式導入を巡る与野党対立が激化する中で議長斡旋が不調に終わった責任を取って辞任したことを受けて後任の参議院議長に就任するも、与野党対決が尾を引く中で就任日に野党からいきなり不信任決議を提出された初の議長となった(結果は否決)[2]。同年11月の秋の叙勲で勲一等に叙され、旭日大綬章を受章する[3][4]。議長在任中は参議院の権威を回復しようと、各会派代表による超党派の参議院改革協議会新設、国の決算をチェックする機能の充実など、独自性発揮に向けた議論に道筋をつける[2]

2002年4月22日、井上の公設秘書の、鎌ケ谷市汚職事件への関与が発覚し、参議院議長を引責辞任。5月8日に辞職願を提出し、参議院議員を辞職した[5]

2008年6月22日、肺線維症のため千葉県市川市内の病院で死去した。80歳没。死没日付をもって従二位に叙され、桐花大綬章を追贈された[6]

所属団体・議員連盟

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選挙歴

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当落選挙施行日選挙区政党得票数得票率得票順位
/候補者数
比例区比例順位
/候補者数
第33回衆議院議員総選挙1972年12月10日千葉県第2区無所属40,93212.75/9--
第34回衆議院議員総選挙1976年12月5日千葉県第2区無所属59,94516.21/8--
第35回衆議院議員総選挙1979年10月7日千葉県第2区自由民主党47,23812.65/7--
第12回参議院議員通常選挙1980年6月22日千葉県地方区自由民主党1,025,59251.11/5--
第14回参議院議員通常選挙1986年7月6日千葉県選挙区自由民主党1,067,89051.61/8--
第16回参議院議員通常選挙1992年7月26日千葉県選挙区自由民主党809,12052.11/7--
第18回参議院議員通常選挙1998年7月12日千葉県選挙区自由民主党730,64331.42/7--
当選回数5回 (参議院議員4 衆議院議員1)

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.168毎日新聞社ISBN 4620306665
  2. ^ab“元参院議長井上裕氏――就任も辞任も異例。院の権威回復に汗(追想録)”. 日本経済新聞. (2008年7月11日) 
  3. ^『官報』号外第226号103頁 平成12年11月6日
  4. ^「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊
  5. ^『官報』第3357号10頁 平成14年5月10日
  6. ^『官報』第4866号10頁 平成20年7月8日

外部リンク

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公職
先代
保利耕輔
日本の旗文部大臣
第115代:1990年 - 1991年
次代
鳩山邦夫
議会
先代
斎藤十朗
日本の旗参議院議長
第23・24代:2000年 - 2002年
次代
倉田寛之
先代
坂野重信
日本の旗参議院予算委員長
1995年 - 1996年
次代
大河原太一郎
先代
山本富雄
日本の旗 参議院大蔵委員長
1986年 - 1987年
次代
村上正邦
党職
先代
井上吉夫
自由民主党参院議員会長
第22代:1998年 - 1999年
次代
村上正邦
日本の旗文部大臣 (1990年-1991年)
再編前
文部大臣
文部卿
科学技術庁長官
再編後

省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。

日本の旗参議院議長 (2000年-2002年)
カテゴリカテゴリ
日本の旗参議院予算委員長 (1995年-1996年)
日本の旗 参議院大蔵委員長 (1986年-1987年)
定数4
第23回
第24回
第25回
第26回
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第40回
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。
第1回
(定数4)
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定数2
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第19回
定数3
第21回
第23回
第25回
第27回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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