| 「井上俊治」とは別人です。 |
| 井上俊次 | |
|---|---|
| 出生名 | 井上俊次 |
| 別名 | ポッキー 社長 |
| 生誕 | (1960-05-15)1960年5月15日(65歳) |
| ジャンル | アニメソング J-POP ヘヴィメタル ハードロック |
| 職業 | 作曲家 編曲家 ミュージシャン 音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | キーボード |
| 活動期間 | 1977年(昭和52年) - |
| レーベル | ランティス |
| 共同作業者 | レイジー |
井上 俊次(いのうえ しゅんじ、1960年〈昭和35年〉5月15日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ミュージシャン、音楽プロデューサー、実業家。株式会社ハイウェイスターの株主。
株式会社バンダイナムコアーツ代表取締役副社長[1]、株式会社ハイウェイスター取締役会長[2]を歴任。
大阪府大阪市住吉区大領出身[3]。住吉大社の近くにある下町で、中小企業の経理部のサラリーマンの次男として生まれる。小学校2年生の時、母親から買い与えられたオルガンで音楽に目覚める。スズキ・メソード教育法でピアノ練習。中学1年生まで続けて「高等科」試験も取った[4]が、中学2年生の文化祭で同級生から「ピアノやってるやろ。キーボード弾いてくれ」と声をかけられたのを機に軽音楽に出会い、軽音楽に興味が移る。
その同級生に英国のロックバンド「ディープ・パープル」のサウンドを教わり、特にキーボーディストのジョン・ロードが弾く歪んだ音に大きな衝撃を受ける。文化祭では、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」を演奏し、野球部を退部し軽音楽の同好会に入部した。ドラムが大好きで、雑誌を太ももに巻き付けて、長い菜箸でたたいて練習していた。
1976年4月、大阪府立大和川高等学校(現・大阪府教育センター附属高等学校)に入学。友達の誘いで軽音楽部に入り、影山ヒロノブに出会う[5]。
高校1年生の夏ごろ、影山がロックバンド『レイジー』のメンバーを連れて訪ねてきたので、聞くとテレビ出演のオーディションを受けるといい、「助っ人になってほしい」と頼まれる。ドラムでなくキーボード担当の打診だったが「助っ人だけならいいか」と快諾した[6]。
朝日放送「ハロー・ヤング」に出演、司会のかまやつひろしに認められてバンド全員で上京し、1977年、『レイジー』でデビュー。当時の愛称は「ポッキー」[7]。
1981年、『レイジー』解散。同じ事務所「トライアングル・プロダクション」の3人組コーラスグループ『トロワ』とのユニット『BIG BANG』を結成し、クインシー・ジョーンズのヒット曲の日本語カバー「愛のコリーダ」をRVCからリリースする。田中宏幸とともに『ネバーランド』を結成。『ネバーランド』解散後『HUMAN NATURE』を経て、1990年(平成2年)『AIRBLANCA』を結成。1991年、『AIRBLANCA』解散。その後は音楽プロデュースに専念する。1998年、『レイジー』再結成。
1999年、株式会社ランティスを設立。社長に就任。2010年、バンダイナムコグループのライブエンターテインメント事業を担う新会社・株式会社バンダイナムコライブクリエイティブの社長に就任。ランティス社長も引き続き兼任する[1]。2018年、バンダイビジュアルとランティスの統合による新会社「バンダイナムコアーツ」の副社長に就任。
2019年(令和元年)6月23日、『ランティス祭り2019』に『レイジー』の一員として出演。曲間のメンバー紹介の際、ランティス20周年の感謝の意をステージ上から述べた。
2021年(令和3年)4月1日付をもってバンダイナムコアーツ副社長を退任[8]。
2023年(令和5年)9月1日、組織再編により株式会社ハイウェイスターから社名変更した株式会社Earkth(アークス)の代表取締役社長に就任[9]。
特記のない限り音楽プロデューサーを担当。
1983年
1986年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2021年
| 影山ヒロノブ (Vocal) -高崎晃 (Guitar) -田中宏幸 (Bass) -井上俊次 (Keyboards) -樋口宗孝 (Drums) | |||||||
| シングル |
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| アルバム |
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| 映像作品 | |||||||
| 関連項目 | |||||||