| 「二木秀雄」とは別人です。 |
| 二木 秀夫 ふたつぎ ひでお | |
|---|---|
| 生年月日 | 1930年7月1日 |
| 出生地 | 山口県宇部市 |
| 没年月日 | (2019-07-27)2019年7月27日(89歳没) |
| 出身校 | 山口大学工学部 |
| 前職 | 山口県宇部市長 |
| 所属政党 | (無所属→) 自由民主党 |
| 称号 | 従四位 宇部市特別功労者(1991年)[1] 勲二等瑞宝章(2000年)[1] |
| 親族 | 二木謙吾(父) |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1977年5月18日 -1987年6月18日 |
| 選挙区 | 山口県選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1987年7月12日 -1998年7月25日 |
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二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日[2] -2019年〈令和元年〉7月27日)は、山口県宇部市出身の教育者・政治家。学校法人宇部学園学園長[1]。元参議院議員、元科学技術政務次官、元山口県宇部市長[1]。
1930年(昭和5年)7月1日、山口県宇部市で二木謙吾の次男として生まれる[3]。山口県立宇部高等学校を経て山口大学工学部を卒業[1]したのち、学校法人宇部学園で勤務[3][4]。
1977年(昭和52年)、宇部曹達工業労働組合(現・セントラル硝子労働組合)等からなる「明日の宇部市をよくする会」や宇部市議会保守系議員団から宇部市長選挙への立候補要請を、また、当時の宇部市長である新田圭二からも後継指名を受け、二木は同年2月28日に同市長選挙への立候補を表明した[5]。
同年4月29日に行われた宇部市長選挙には、二木のほかに日本社会党・日本共産党の革新系統一候補として藤井昇宇部市助役[6]が立候補したが、保守と中道の勢力から支援を受けた二木が初当選した[7]。市長在職中には宇部市役所の機構改革等に取り組み[8]、以後3期連続当選したが、1987年(昭和62年)6月18日、江島淳の死去に伴う参議院議員補欠選挙立候補準備のため、3期目の任期途中で宇部市長を辞職。同年7月12日に行われた第14回参議院議員補欠選挙山口県選挙区に自由民主党公認で立候補し、初当選[9]。以後、2期連続当選[3]。
参議院議員時代は清和会(安倍晋太郎派)→政眞会(加藤六月グループ)に所属し、国土審議会中国地方開発特別委員会特別委員、中小企業対策特別委員会委員長、科学技術政務次官(第2次海部改造内閣、宮澤内閣)等を歴任した[4]。
なお、二木の後任の宇部市長である中村勝人は、市長1期目の任期満了を前にした1991年(平成3年)1月29日、二木に市長就任を要請したとして辞意を表明したが、翌2月に二木が市長選立候補を断念したことでこれを撤回している[10]。
1998年(平成10年)7月25日に参議院議員を引退。山口県選挙区の選挙地盤は第18回参議院議員通常選挙の際に合志栄一へ引き継がれたが、無所属の松岡満寿男が当選し、合志は落選した。
2019年(令和元年)7月27日、宇部市内で死去[12]。89歳没。死没日をもって、従四位に叙される[13]。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 本村和喜 | 1991年 - 1992年 | 次代 渡海紀三朗 |
| 先代 新田圭二 | 第18・19・20代:1977年 - 1987年 | 次代 中村勝人 |
| 議会 | ||
| 先代 新設 | 初代:1996年 | 次代 大島慶久 |
| その他の役職 | ||
| 先代 二木謙吾 | 学校法人宇部学園理事長 第2代:1984年 - 2015年 | 次代 二木寛夫 |
| 奇数回 | |
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| 偶数回 (第1回の3年議員を含む) | |
| 官選 | |
|---|---|
| 公選 | |
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