 | 手続上存在した東京都久留米市については「東久留米市」をご覧ください。 |
久留米市(くるめし)は、福岡県の南部、筑後地方に位置する市。中核市であり、福岡市、北九州市に次いで福岡県では第3位、九州全体では第8位の人口を擁している。
西鉄久留米駅前
西鉄久留米駅前(西口)
久留米一番街
久留米に行幸した昭和天皇(1949年5月28日)福岡県の南部と佐賀県の東部にまたがる筑紫平野最大の都市。市町村制施行時(1889年4月1日)からの市である。2001年に特例市に指定され、2005年2月5日に三井郡北野町・三潴郡三潴町・三潴郡城島町・浮羽郡田主丸町を編入し人口が30万人を突破、2008年4月1日に中核市に移行した。なお2024年2月に人口減少により30万人を割り込んだ。
市域は旧三潴郡・三井郡・八女郡・浮羽郡に該当する。筑後地方の中心都市であるとともに、独自の経済圏を形成しており、久留米都市圏の人口は約43万人である。
久留米市は福岡県の南部、筑後平野に位置する。中心街である西鉄久留米駅からJR久留米駅にかけての一帯は福岡市から約40kmの場所に位置するが、2005年の周辺自治体編入により市域は東西約32km、南北約16kmとなり、東西に長い自治体となった。市の北東部から南西部にかけて、筑後川が流れている。ほぼ川に沿って境界が引かれており、筑後川が市内を貫いている部分は少ない。市の南部から南東部は耳納(みのう)連山と呼ばれる山地となっており、鷹取山・発心山・耳納山などの山々が連なっている。
2016年1月25日に久留米アメダス(標高7m)において1977年に統計開始されて以来の最低気温(気象官署・アメダス)となる-6.5度を記録した(過去の最低気温記録は1980年2月10日の-6.1度)[1]。
| 久留米市(1991年 - 2020年)の気候 |
|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 20.0 (68) | 23.0 (73.4) | 25.6 (78.1) | 30.7 (87.3) | 35.8 (96.4) | 37.5 (99.5) | 38.5 (101.3) | 39.5 (103.1) | 38.0 (100.4) | 33.2 (91.8) | 29.6 (85.3) | 23.9 (75) | 39.5 (103.1) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 10.1 (50.2) | 11.8 (53.2) | 15.4 (59.7) | 21.0 (69.8) | 25.9 (78.6) | 28.2 (82.8) | 31.8 (89.2) | 33.1 (91.6) | 29.3 (84.7) | 24.2 (75.6) | 18.1 (64.6) | 12.3 (54.1) | 21.8 (71.2) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | 5.6 (42.1) | 6.9 (44.4) | 10.2 (50.4) | 15.2 (59.4) | 20.0 (68) | 23.5 (74.3) | 27.3 (81.1) | 28.2 (82.8) | 24.5 (76.1) | 19.1 (66.4) | 13.2 (55.8) | 7.7 (45.9) | 16.8 (62.2) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | 1.7 (35.1) | 2.5 (36.5) | 5.5 (41.9) | 10.1 (50.2) | 15.1 (59.2) | 19.8 (67.6) | 24.0 (75.2) | 24.6 (76.3) | 20.9 (69.6) | 14.8 (58.6) | 8.9 (48) | 3.6 (38.5) | 12.6 (54.7) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −6.5 (20.3) | −6.1 (21) | −4.9 (23.2) | −0.3 (31.5) | 5.9 (42.6) | 10.8 (51.4) | 16.8 (62.2) | 17.9 (64.2) | 9.9 (49.8) | 3.7 (38.7) | −0.8 (30.6) | −3.9 (25) | −6.5 (20.3) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 56.0 (2.205) | 80.2 (3.157) | 122.5 (4.823) | 156.0 (6.142) | 177.7 (6.996) | 339.2 (13.354) | 376.3 (14.815) | 227.7 (8.965) | 165.4 (6.512) | 89.1 (3.508) | 89.3 (3.516) | 59.0 (2.323) | 1,938.4 (76.315) |
|---|
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 8.3 | 9.0 | 10.6 | 9.9 | 9.4 | 13.2 | 12.6 | 10.7 | 9.0 | 6.2 | 8.3 | 7.8 | 114.8 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 125.6 | 138.6 | 170.0 | 186.6 | 191.9 | 125.3 | 173.6 | 204.6 | 178.4 | 185.2 | 147.9 | 131.3 | 1,963.9 |
|---|
| 出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1977年 - 現在)[2][3] |
久留米市中心部周辺の空中写真。
2010年5月8日撮影の54枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。「久留米」という地名は室町時代から文献に見られ、「久留目」とも書かれた。(「報恩寺坪付帳」によると応永25年(1418年)には「久留目」という地名が記されている)
その語源については、
- 筑後守吉志公忠が天慶7年(944年)に注進した「筑後国神名帳」に「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとするもの。
- 上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、あるいは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したというもの。
- 用明天皇の皇子である「来目皇子(くめのみこ)」に由来するというもの。(来目皇子は新羅討伐のため筑紫に下り推古11年(603年)福岡県糸島郡志摩町久米で病死している)
- 筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするもの。
などの諸説があるが定説はない。
律令制下で制定された令制国の一つである筑後国の国府が置かれ、以後、筑後国の中心として栄えた。平安時代末期の長寛2年(1164年)、肥前国の豪族草野永経が現在の草野地区(旧草野町)に入り、以後約400年間、北部の山本郡は草野氏が支配し、南部の三潴郡は筑後十五城筆頭の柳川の蒲池氏と久留米市西牟田の西牟田氏が支配してきた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州国分の結果、筑前・筑後と肥前のそれぞれ一部を与えられた小早川隆景の養子・秀包が久留米城に入った。関ヶ原の戦いの結果秀包は改易され、石田三成を捕らえた三河国岡崎城主田中吉政が柳川城に入り、筑後一国を治めた。元和6年(1620年)、柳川2代目藩主田中忠政が死去すると田中家は無嗣断絶となった。田中領筑後一国は南北に分けられ、うち北部に有馬豊氏が丹波国福知山(現在の福知山市)から加増移封され、以後久留米は有馬氏の統治による久留米藩の中心地となった。江戸時代は藩の殖産興業策もあり久留米絣など、商業都市として発展する。
廃藩置県によって久留米県の県庁所在地となったが、1871年(明治4年)に三潴県に統合され、1876年(明治9年)に三潴県が福岡県に統合されたため県庁所在地ではなくなった。1897年(明治30年)に第12師団、1907年に第18師団の駐屯地になってからは軍都としても膨張、1922年(大正11年)に始まった地下足袋生産がゴム化学工業の発展に結びつく。
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)8月11日の久留米空襲により死者214名、焼失戸数4,506戸を出した[4]。
1949年(昭和24年)5月28日、昭和天皇が日本タイヤ工場、久留米医科大、日華ゴム工業、戦災者引揚者住宅などに行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[5]。
1953年(昭和28年)6月に九州一帯を襲った昭和28年西日本水害では、筑後川にかかる橋梁の流出や氾濫が発生。特に、宮の陣付近で発生した堤防決壊個所からは、濁流が櫛原町、篠山町を襲い多くの家屋が浸水した[6]。
1960年(昭和35年)3月19日、国立療養所久留米病院で火災。精神科病棟など3棟が全焼し、入院患者11人が焼死した[7]。病院は1994年(平成4年)に国立病院機構九州医療センターとして福岡市へ移転、統合された。
※【編入】とあるもののうち、特記ないものは久留米市への編入。
市域の変遷表
| | | | | | | | | | |
| 久留米市 |
| 三井郡 | 櫛原村 | 1923 |
| 国分村 | 国分町(1922) | 1924 |
| 御井町 | 1943 |
| 山川村 | 1951 |
| 上津荒木村 |
| 合川村 |
| 高良内村 |
| 宮ノ陣村 | 1958 |
| 山本村 |
| 草野村 | 草野町(1894) | 1960 |
| 善導寺村 | 善導寺町(1940) | 1959 | 1967 |
| 大橋村 |
| 北野村 | 北野町(1901) | 北野町(1955) | 2005 |
| 弓削村 |
| 金島村 |
| 大城村 |
| 三潴郡 | 鳥飼村 | 1917 |
| 荒木村 | 荒木町 (1949) | 筑邦町(1955) | 1967 |
| 安武村 |
| 大善寺村 | 大善寺町(1939) | 1956 |
| 城島村 | 城島町(1900) | 城島町(1955) | 2005 |
| 青木村 |
| 江上村 |
| 犬塚村 | 三潴町(1955) |
| 三潴村 |
| 浮羽郡 | 田主丸町 | 田主丸町(1954) |
| 水分村 |
| 川会村 | 筑陽村 (1951) |
| 柴刈村 |
| 水縄村 |
| 竹野村 |
| 船越村(一部) |
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 任期 | 備考 |
|---|
| 歴代市長[12][注釈 1] |
|---|
| 初 | 内藤新吾 | 1889年5月17日 | 1894年4月9日 | 1期 | 前久留米藩公用人 |
| 2 | 田中順信 | 1894年5月21日 | 1898年10月25日 | 1期 | 前市長時の助役 |
| 3 | 石田瑞穂 | 1898年12月15日 | 1904年12月14日 | 1期 | 前市長時の助役 |
| 4 | 吉田惟清 | 1905年9月9日 | 1910年11月 | 1期 | 前久留米市会議長、弁護士、病気により辞任 |
| 5 | 若林卓爾 | 1910年12月29日 | 1916年12月20日 | 1期 | 岐阜県の郡長歴任後、帰郷就任 |
| 6 | 石津和風 | 1917年5月31日 | 1921年2月2日 | 1期 | 辞職勧告決議可決後辞任 |
| 7 | 船越岡次郎 | 1921年7月2日 | 1929年8月 | 2期 | 1925年、7/1離任、8/21再任、前久留米警察署長 |
| 8 | 石野斐夫 | 1930年1月3日 | 1938年1月10日 | 2期 | 1934年、1/11再任 |
| 9 | 石橋徳次郎(二代) | 1938年4月17日 | 1942年4月16日 | 1期 | 名誉市長(無給)、日本ゴム会長 |
| 10 | 後藤多喜蔵 | 1942年12月25日 | 1946年10月22日 | 1期 | 公職追放により辞任 |
| 久留米市長(公選) |
|---|
| 11 | 岡幸三郎 | 1947年4月6日 | 1953年2月10日 | 2期 | 病気により辞任 |
| 12 | 山下善助 | 1952年3月12日 | 1956年2月29日 | 1期 | 杉本勝次は、次弟 |
| 13 | 杉本勝次 | 1956年3月1日 | 1963年1月10日 | 2期 | 前福岡県知事、北九州市長選挙出馬のため辞任 |
| 14 | 井上義人 | 1963年2月8日 | 1971年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
| 15 | 近見敏之 | 1971年2月7日 | 1987年2月6日 | 4期 | 前市長時の助役 |
| 16 | 谷口久 | 1987年2月7日 | 1995年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
| 17 | 白石勝洋 | 1995年2月7日 | 2003年2月6日 | 2期 | 元久留米市職員 |
| 18 | 江藤守國 | 2003年2月7日 | 2010年1月2日 | 2期 | 元久留米市職員、病気により辞任 |
| 19 | 楢原利則 | 2010年2月1日 | 2018年1月30日 | 2期 | 元久留米市職員、前市長時の副市長、大刀洗町出身 |
| 20 | 大久保勉 | 2018年1月31日 | 2022年1月30日 | 1期 | 元参議院議員 |
| 21 | 原口新五 | 2022年1月31日 | (現職) | 1期目 | 元久留米市議会議員 |
- 福岡県久留米総合庁舎
- 久留米県税事務所
- 北筑後保健福祉環境事務所(分庁舎)
- 筑後労働者支援事務所(子育て女性就職支援センター)
- パスポートセンター久留米支所
- 両筑家畜保健衛生所
- 筑後県民情報コーナー
- 久留米県土整備事務所
- 久留米商工事務所
- 福岡県久留米児童相談所
- 筑後川水系農地開発事務所
- その他の警察関係機関
- 定数:36名
- 任期:2027年(令和9年)5月1日
- 議長:吉冨巧(久留米たすき議員団、4期)
- 副議長:田中貴子(公明党議員団、3期)
| 会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
|---|
| 久留米たすき議員団 | 7 | ◎松岡保治、山崎ケブン、大熊博文、甲斐田義弘、石井俊一、中村博俊、そうだ耕一郎 |
| きずな議員団 | 6 | ◎山田貴生、古賀としかず、田住和也、堀田洸太朗、石井秀夫、吉冨巧 |
| 公明党議員団 | 6 | ◎塚本弘道、田中功一、坂田光弘、山下尚、生野薫、田中貴子 |
| 立志会議員団 | 6 | ◎権藤智喜、堺太一郎、轟照隆、長野哲、永田一伸、後藤敬介 |
| みらい久留米議員団 | 4 | ◎古賀敏久、石田眞一郎、藤林詠子、秋永峰子 |
| 緑水会議員団 | 4 | ◎森崎巨樹、佐藤晶二、原口和人、吉武憲治 |
| 日本共産党久留米市議団 | 2 | ◎金子むつみ、小林ときこ |
| 日本維新の会 | 1 | ◎草場公晴 |
| 計 | 36 | |
- 久留米市・うきは市選挙区
- 定数:5名
- 任期:2023年(令和5年)4月30日~2027年(令和9年)4月29日
| 議員名[14] | 会派名 | 備考 |
|---|
| 井上寛 | 公明党 | 元久留米市議会議員 |
| 中村香月 | 新政会 | |
| 新井富美子 | 民主県政県議団 | 党籍は立憲民主党 |
| 江口善明 | 自民党県議団 | |
| 原口剣生 | 自民党県議団 | 自民党福岡県連会長。原口新五市長の実兄[15] |
焼き鳥店数が人口1万人当たり約8軒であり、日本一である。また、日吉町には文化街と呼ばれる歓楽街があり、夜に賑わいをみせる。小頭町(1、2、8、9及び11番地)、通町(2、3及び6番地)、日吉町(1-15番地)、本町(2番地)及び六ツ門町(1-3番地、5-14番地及び17-22番地)は暴力団排除特別強化地域に指定されている[16]。
久留米シティプラザ
久留米岩田屋(市内唯一の百貨店)
ゆめタウン久留米(市内最大の商業施設)- 中心市街地
- 合川地区周辺
- 市内南部
- 市内東部・田主丸地区
- 中心市街地
- 久留米井筒屋
- ダイエー久留米店
- ダイエー久留米東店(旧ユニード久留米店)
- ダイエー六ツ門店(旧ユニードショッパーズ六ツ門、現くるめりあ六ツ門)
- 市内南部
- 寿屋久留米サウスコートショッピングセンター(寿屋久留米マルエ店)
ブリヂストンの創業地であり久留米工場はグループのマザープラントとして重要な生産拠点となっている。[17]他にムーンスター、アサヒシューズと、ゴム加工品メーカーの工場が多く所在する。近年では、ダイハツ工業の子会社であるダイハツ九州の軽自動車専用エンジン工場や、東プレの子会社である東プレ九州の自動車用プレス部品製造工場などが進出し、北部九州における自動車産業集積化の一翼を担う。
また、旧城島町は筑後川沿いに数多くの酒造業が軒を連ね、伏見、灘五郷と並ぶ「日本三大酒どころ」として栄えていた。2005年の周辺町の編入により日本酒の醸造メーカーが18社となり、京都市、神戸市に次いで清酒製造場数で全国第3位と返り咲いた。
市内に本店をもつ金融機関
市内に支店をもつ金融機関
従来の製造業一辺倒からの脱却を図るために、バイオ産業の集積をめざす「福岡バイオバレープロジェクト」のもと福岡県と共同でバイオ関連産業の育成・振興が推進されている。
- 久留米市は九州朝日放送の発祥の地である。かつてはその名残で久留米市にも支社が存在したが、福岡本社に統合されて廃止された[注釈 2]。またRKB毎日放送、テレビ西日本、福岡放送も過去に久留米支社を置いていたが、現在はいずれも本社に統合されて廃止された。なお、TVQ九州放送は元から久留米市に支社は置いていない。
- 姉妹・友好都市
 |
| 久留米市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 久留米市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 久留米市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
久留米市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 255,203人 | | | 1975年(昭和50年) | 265,132人 | | | 1980年(昭和55年) | 280,291人 | | | 1985年(昭和60年) | 288,574人 | | | 1990年(平成2年) | 294,665人 | | | 1995年(平成7年) | 302,741人 | | | 2000年(平成12年) | 304,884人 | | | 2005年(平成17年) | 306,434人 | | | 2010年(平成22年) | 302,402人 | | | 2015年(平成27年) | 304,552人 | | | 2020年(令和2年) | 303,316人 | |
|
| 総務省統計局国勢調査より |
人口当たりの医師数は、全国トップレベルであり[注釈 3]、久留米大学医学部をはじめPETなどの最先端医療設備を持つ施設が集積した高度医療都市である。
- 私立
- 国立
- 公立
- 私立
- 国立
- 市立
- 県立
- 市立
- 自動車教習所
- 職業訓練
最寄り空港は福岡空港で、高速バスも頻繁に運行されており市民に最も利用されている。また、佐賀空港へ予約制乗合タクシーが運行されている。
市内ではJR九州の3路線、西鉄の2路線、計5路線が運行されている。
久留米市から福岡市の中心部の博多まで35 kmほどであり、久留米市は移住者に対して福岡市などへの通勤定期券を一部補助する制度を設けている[19]。
中心駅は久留米駅および西鉄久留米駅。市街地の中心部に位置するのは西鉄久留米駅で、乗降客数は久留米駅より2万人以上多い。
市中心部を走る2社のバス。左が西鉄バス、右が堀川バス。
2006年に試行運行した久留米市コミュニティバス路線の詳細は各バス会社の記事を確認のこと。
市内で高速バスを利用できるバス停は、縄手・JR久留米駅・市役所前・六ッ門・西鉄久留米駅・文化センター前・十三部・千本杉・久留米インター南・久留米インターチェンジ・高速宮の陣がある。
- ●は、乗車・降車のどちらかのみ可能。
- ○は、乗車・降車どちらとも可能。
- -は、その停留所を通らない。
- ×は、通過。
- よりみちバス「コスモス号」- 2015年12月18日運行開始。安全タクシーが運行。
- 北野便・弓削便(火・木・土)
- 大城便・金島便(月・水・金)
- 旧北野町内を中心に、旧善導寺町と隣接する三井郡大刀洗町にも乗り入れる。運賃は200円均一で、西鉄バス久留米22系統石崎-両筑苑間にも利用できる1日乗車券は300円。
- よりみちバス「インガット号」- 2016年3月1日運行開始。くまタクシー、丸金タクシーが運行。
- 旧城島町内を中心に運行される。また西鉄犬塚駅と旧城島町を結んでいる便も存在する。運賃は200円均一で、西鉄バス久留米15系統の一部も利用できる1日乗車券は300円。
その他、久留米市社会福祉協議会が旧田主丸町において定期運行の無料福祉バスを運行している。
また、隣接する広川町の予約型乗合タクシー「ふれあいタクシー」が市内の日高整形外科病院へ乗り入れるが、久留米市内の停留所はこの1か所のみである。
- 高速道路
- 一般国道
- 主要地方道
- その他
- 道の駅
- 浅野陽吉 (1868-1944) - 元・衆議院議員、久留米商業学校長、郷土史研究家。
- 綾部市太 (1888-没年不明) - 浮羽郡竹野村(後の田主丸町)出身。元・宮崎県議会議員、宮崎県日向市大字富高にツツジ園「迎洋園」を開園した。後に迎洋園は閉園し、宅地化されて2001年に日向市迎洋園として日向市の地名となる。
- 石井光次郎 (1889 - 1981) - 元・衆議院議員、第54代衆議院議長。
- 大久保勉 (1961- ) - 元・参議院議員、前・久留米市長。
- 古賀ゆきひと (1959- ) - 参議院議員、元・福岡放送アナウンサー
- 楢橋渡 (1902-1973) - 元・衆議院議員、炭鉱マンから政治家へ転身し、内閣書記官長・運輸大臣を歴任。
- 楢橋進 (1934-1990) - 楢橋渡の長男、渡と同じく元・衆議院議員 。
- 橋本邦寿 (1962- ) - 元・大阪府議会議員
- 荒川文六(1878-1970) - 九州大学名誉教授、元学長。電気工学者。晩年を久留米市の自宅で過ごす。
- 王丸勇 (1901-1995) - 精神医学者、久留米大学元教授、元日本精神神経学会会長、病跡学(パトグラフィー)の大家
- 太田篤志 (1968- ) -姫路獨協大学客員教授、作業療法士
- 鏡山猛(1908-1984) - 旧田主丸町出身。考古学者、九州大学名誉教授、九州歴史資料館初代館長
- 国武豊喜 (1936- ) - 化学者、九州大学元教授、北九州市立大学副学長、紫綬褒章、日本学士院賞
- 横川新 (1936-2009) - 国際法学者、成城大学第12代学長
- 青木繁 (1882-1911) - 洋画家。荘島町に青木繁旧居として生家が保存・整備され広く公開されている。
- 菊竹清訓 (1928-2011) - 建築家
- 金子博信 (1898-1988) - 洋画家
- 古賀春江 (1895-1933) - 洋画家
- 坂本繁二郎 (1882-1969) - 洋画家、文化勲章受賞。京町に生家が現存しており、坂本繁二郎生家として保存・整備の上で公開されている。
- 重松象平 (1973- ) - 建築家
- 高島野十郎 (1890-1975) - 画家。青木繁の影響を受ける。
- 豊田勝秋(1897-1972) -工芸家
- 藤田吉香 (1929-1999) - 画家。櫛原町で出生。牡丹などの静物画が多く写実主義の昭和の一時代を築く。
- 野口竜 (1944-2012) -漫画家、デザイナー、イラストレーター。
- Pantovisco (生年非公表) - マルチクリエーター。
- 松本零士 (1938-2023) -SF漫画家。久留米市で出生。
- 松本英一郎 (1932-2001) - 画家。
- 乙女(おとめ)ちゃん - コスモスの町、北野町のキャラクター。
- 九千坊の九ちゃん - 河童の町、田主丸町のキャラクター。
- たまるくん - 三潴町のキャラクター。
- インガットくん - お酒と瓦の町、城島町のキャラクター。
- くるっぱ - 久留米市の公式キャラクター。
- 分別戦隊ワケルンジャー - ゴミの選別に活躍する3人のローカルヒーロー。
- ミヅマン - YOSAKOIみづま祭りを盛り上げるキャラクター。
- ヤキ江さん - 「久留米焼きとり文化振興会」が一般公募した、雌鶏のキャラクター。
- 町の木 - ケヤキ
- 町の花 - 久留米つつじ、コスモス
- 0942(久留米MA 旧田主丸町を除く)
- 0943(田主丸MA 旧田主丸町地域)
久留米市立図書館
二千年橋(2000年完成)
小森野橋
草野の伝統的町並み
水沼の里2000年記念の森公園
花の露酒造とせせらぎ公園
- 鬼火(玉垂宮、日本三大火祭りのひとつ、毎年1月7日)
- 城島酒蔵びらき[5](城島町、2月中旬)
- 久留米つばきフェア(石橋文化センター、久留米つばき園、久留米市世界のつばき館、3月)
- 久留米つつじまつり(久留米百年公園、4月-5月)
- 水天宮春大祭(水天宮、5月3日-7日)
- あじさい祭(千光寺、6月)
- 高良大社川渡祭、へこかき祭り(高良大社、6月)
- 城島エツ祭(六五郎橋河川敷公園、6月)
- 献灯祭(高良大社、8月)
- 水の祭典久留米まつり(8月3日-5日)
- 筑後川花火大会(8月5日)
- 水天宮夏大祭(8月5日-7日)
- 河童大明神の夏の大祭[27](田主丸町、8月8日) -1955年結成の「九千坊本山田主丸河童族」主催。加藤清正公の怒りを買い、熊本を追放されて田主丸の筑後川へ移り住んだ河童を祀る神事[28]。
- 久留米流し灯籠(筑後川河川敷、8月)
- 鈴虫まつり(久留米城跡、8月)
- 田主丸花火大会(田主丸町、8月下旬)
- 花火動乱蜂(王子若宮八幡宮、9月)
- 城島ふるさと夢まつり(城島町町民の森、9月中旬)
- コスモスフェスティバル(コスモスパーク北野、10月中旬)
- 高良大社おくんち(秋季大祭)(高良大社、10月)
- ふるさとみづま祭(水沼の里2000年記念の森、11月上旬)
- 久留米焼きとり日本一フェスタ(2012年から、9月上旬 久留米焼きとり文化振興会[6] 主催)
2022年9月6日、サッカーJ1リーグのアビスパ福岡と「フレンドリータウンに関する協定書」を締結[29]。しかし地理的に佐賀県と繋がりが深く、サガン鳥栖も以前からサッカー教室などを行っている。アクセスも久留米駅からサガン鳥栖のホームスタジアムのある鳥栖駅まで10分程度なのに対し、アビスパ福岡のホームスタジアムまでは1時間程度かかり、市内にはサガン鳥栖サポーターが多いのが現状である。
- ^市長の任期は、当初6年。1911年以降は4年。
- ^佐賀県の報道取材については佐賀支局が行っている。
- ^政令指定都市・中核市の中でトップ。人口10万人当たりの医師数:全国平均 224.5人 久留米市545.2人[18]。
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- 東久留米市 - 東京都。市制施行前は「久留米町」であったが、由来に関して当市との関係性はない。
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| 注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 |
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