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中西敏二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中西敏二
なかにし びんじ
生年月日1884年9月27日
出生地日本の旗日本徳島県
没年月日 (1973-11-06)1973年11月6日(89歳没)
所属政党(日本民主党→)
自由民主党
称号従五位
勲四等瑞宝章
藍綬褒章
在任期間1956年6月 -1957年7月
東京都の旗 第7代東京都議会副議長
在任期間1952年5月 -1953年6月
東京都の旗 東京都議会議員
選挙区港区選挙区
当選回数4回
在任期間1947年4月30日 -1959年4月29日
1963年4月30日 -1965年6月14日
当選回数3回
在任期間1929年3月16日 -1938年3月
赤坂区会議長
在任期間1929年 -1933年
その他の職歴
赤坂区会議員
1921年 -1937年
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中西 敏二(なかにし びんじ、1884年9月27日 -1973年11月6日)は日本の政治家。赤坂区議(4期)、赤坂区会議長、東京市議(3期)、東京都議(4期)、第7代都議会副議長、第12代都議会議長を歴任した。

経歴

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1884年9月27日、徳島県に生まれる[1]

1921年から赤坂区会議員を4期16年務めた[1]。この間、1929年から1933年まで赤坂区会議長も務めた[1]1929年3月16日から1938年3月まで東京市会議員を3期務めた[1]1947年の東京都議会議員選挙で港区選挙区から立候補して、初当選した[1][2]1952年5月に第7代東京都議会副議長に就任した[1][3]1953年6月に副議長を退任した[1][3]。その後は、都議会日本民主党幹事長(1955年)、都議会自民党幹事長(1955年から1956年)を歴任した[1]。1956年6月に第12代東京都議会議長に就任した[1][3]。また、全国都道府県議会議長会会長にも就任した[1]1957年7月に議長を退任した[1][3]。その後は、4年間の非議員時代を経て各会計決算特別委員会委員長(1964年から1965年)を務めた[1][2]1965年都議会黒い霧事件の影響による自主解散をもって都議を退任した[1][2]。1973年11月6日に死去した。墓所は梅窓院[1]

栄典

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^abcdefghijklmnopq東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、136頁。 
  2. ^abc歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月9日閲覧。
  3. ^abcd歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月9日閲覧。
東京府会議長
府県会規則施行下
府県制施行後
東京市会議長
東京都議会議長
東京都制施行下
地方自治法施行後
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