中澤 良夫(なかざわ よしお、1883年9月19日 -1966年8月28日)は、東京都出身の野球選手、応用化学者、日本高等学校野球連盟会長。
応用化学者・中沢岩太の長男[1]。日本に野球を伝えたと言われるホーレス・ウィルソンから指導を受けた東京開成学校の生徒だった父親の影響で野球に関わるようになり第三高等学校では三塁手としてプレー[2]。
1906年(明治39年)に東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業後、1911年(明治44年)に九州帝国大学教授。1912年(明治45年)、工学博士(九州帝国大学)。1914年に京都帝国大学工学部の教授になり、工学部長(1934年~1935年)、工学研究所長(1941年~1943年)を経て、1944年(昭和19年)退官・名誉教授。
1948年(昭和23年)から日本中等学校野球連盟の二代目会長に就任し、1966年(昭和41年)8月28日に亡くなるまで高校野球の発展に尽力した[2]。この間、1956年(昭和31年)、兵庫県で開催された第11回国民体育大会高校野球競技会場(甲子園球場)に昭和天皇、香淳皇后が行幸啓することとなり、高校野球連盟会長であった中澤が同行して説明役を担うこともあった[3]。
また、1949年(昭和24年)から1962年(昭和37年)まで京都工芸繊維大学の初代学長を務めた[4]。1965年(昭和40年)、「アマチュア野球、ことに高等学校野球の育成、発展に多年尽くした功績」により朝日文化賞を受賞[5]。
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