| ちゅうじょう しずお 中条 静夫 | |
|---|---|
| 本名 | 中條 靜雄(読み同じ) |
| 生年月日 | (1926-03-30)1926年3月30日 |
| 没年月日 | (1994-10-05)1994年10月5日(68歳没) |
| 出生地 | |
| 出身地 | |
| 身長 | 171センチメートル[1] |
| 血液型 | B型[2] |
| 職業 | 俳優 |
| ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
| 活動期間 | 1948年 -1994年 |
| 配偶者 | あり |
| 事務所 | 野間事務所( - 1986年[3]) 田上事務所( - 1994年) |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『ザ・ガードマン』 『鉄人タイガーセブン』 『6羽のかもめ』 『大都会 闘いの日々』 『鉄道公安官』 『雲のじゅうたん』 『赤い迷路』 『赤い衝撃』 『夢千代日記』 『あぶない刑事』シリーズ | |
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中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3月30日[1][2][4][5][6] ‐1994年〈平成6年〉10月5日[4][5])は、日本の俳優。本名、中條 靜雄(読み同じ)[2][5][6]。
東京府八王子市出身[4][注釈 1]。東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業[4][6]。田上事務所に所属していた[1][2]。
新聞記者の父がもうけた二男二女の長男として静岡で生まれる[5]。名の静雄は生誕の地名・静岡の一字からとられたものだという[5]。小学生の時、父の仕事の都合で上京(新宿から八王子へと移る)[5]。1943年12月、東京府立第二商業学校を繰り上げ卒業して兵役につき、1945年9月に復員[4]。従軍当時の上官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か、お前がチュウジョウなわけがない、お前はナカジョウだ」と理不尽な説教をされてたびたび殴られたと後年テレビインタビューで述懐している[要出典]。
1946年4月、神戸製鋼所東京工場にセールスマンとして入社するが、
1965年から始まった『東京警備指令 ザ・ガードマン』(宇津井健主演)に小森隊員役でレギュラー出演し[6]、以来テレビの世界で人気を得て多くの作品で活躍し、下積み時代の蓄積を開花させた[4]。1973年には大映時代から旧知の仲だったうしおそうじが企画・原案を務めた『鉄人タイガーセブン』に出演[7]。1974年に出演した『6羽のかもめ』では、演技が高い評判を呼び[注釈 2]、中条自身も後年のインタビューで「俳優・中条静夫は、倉本聰さんとの出会いによって作り上げていただいた」「僕の代表作ですよ」と語っている[8]。そのほか、山口百恵主演の赤いシリーズや、『あぶない刑事』シリーズなどで印象深い役柄を演じた[4]。また、連続テレビ小説『雲のじゅうたん』で演じた頑固な父親役も人気を博した。
1994年8月、肝臓障害のため顔に黄疸が出るなどの症状が出始め、肝硬変と診断され、出演中だった『オトコの居場所』を途中降板して療養生活に入るが[4]、同年10月5日午後11時59分、癌による肝不全のため死去。68歳没。夫人に看取られての最期であった[4]。遺族によると、葬儀の際には本人の希望により、最も好きであった『夢千代日記』と『花へんろ』の台本が棺に収められたという。告別式には、『あぶない刑事』などでの共演者をはじめとして、既に芸能界を引退していた山口百恵も参列した[9]。戒名は『信楽院端正日静居士』で、墓所は東京都八王子市の本立寺にある[5][10]。
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