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中村貞以

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(2013年4月)
中村貞以

中村 貞以(なかむら ていい、1900年明治33年〉7月23日 -1982年昭和57年〉3月12日)は、日本の日本画家

浮世絵の伝統の上に近代的感覚を加味した画風を築いた。

略歴

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本名は清貞。大阪市船場で鼻緒問屋を営む中村清助の第四子に生まれる。2歳のとき手に火傷したため、合掌描きを工夫した。両親は将来太夫にするつもりで、はじめ浄瑠璃を習わせたが、幼少期より習字や絵に才能を発揮。大阪経理学校中退。始め、浮世絵師長谷川貞信に師事した後、大正8年(1919年)、美人画の巨匠・北野恒富に師事し、大正12年(1923年)、現在の春の院展である試作展に入選。芸術院賞文部大臣賞を受賞[1]昭和7年(1932年)、院展で「朝」が日本美術院賞第1号となる。昭和23年(1948年)には日展の審査員となった。昭和25年(1950年)に松岡政信が、昭和27年(1952年)に長谷川青澄が入門する。

その後も昭和41年(1966年)、「シャム猫と青衣の女」などで日本芸術院賞[2]。画塾春泥会を主宰した。他の門人に浅田庭史森本有泉寺本郷史小川雨虹らがいる。

主な作品

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脚注

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  1. ^中村貞以『出身県別 現代人物事典 西日本版』p954 サン・データ・システム 1980年
  2. ^『朝日新聞』1966年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。

参考文献

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  • 油井一人編 『20世紀物故日本画家事典』美術年鑑社、1998年

関連項目

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日本芸術院賞および恩賜賞受賞者
 
恩賜賞
1950年から1977年
 
第一部(美術)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
 
第二部(文芸)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
 
第三部(音楽・演劇・舞踊)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
太字恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。
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