
中崎 俊秀(なかざき としひで、1874年(明治7年)12月9日[1] -1945年(昭和20年)7月21日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、水戸市長、医師。
茨城県東茨城郡鯉淵村[3](現在の水戸市西部・笠間市東部)出身。神職・中崎正秀の長男として生まれた[3]。済生学舎で医学を学んだ後、郷里で医院を開業し、1902年(明治35年)に鯉淵村長に選出された。日露戦争に従軍し、陸軍三等軍医に任ぜられた[4]。1906年(明治39年)より水戸市内で常盤病院を開院し、1922年(大正11年)には茨城県医師会長に選出された。
水戸市会議員、茨城県会議員を経て、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は補欠当選も加えて5回を数えた。また1932年(昭和7年)より水戸市長に就任し、常磐村の合併や塵芥処理場の改設、日中戦争の対応などに取り組んだ[5]。
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