| 中尾栄一 なかお えいいち | |
|---|---|
初当選の頃(1967年) | |
| 生年月日 | (1930-01-27)1930年1月27日 |
| 出生地 | 山梨県 |
| 没年月日 | (2018-11-18)2018年11月18日(88歳没) |
| 出身校 | 青山学院大学 早稲田大学大学院 |
| 前職 | 衆議院議員秘書 |
| 所属政党 | (無所属→) 自由民主党 |
| 称号 | 衆議院永年在職議員 文学修士(早稲田大学) |
| 親族 | 次男・水野賢一 賢一の養父・水野清 |
| 内閣 | 第1次橋本内閣 |
| 在任期間 | 1996年1月11日 -1996年11月7日 |
| 内閣 | 第2次海部改造内閣 |
| 在任期間 | 1990年12月29日 -1991年11月5日 |
| 内閣 | 竹下内閣 |
| 在任期間 | 1987年11月6日 -1988年12月27日 |
| 選挙区 | (山梨県全県区→) 山梨1区 |
| 当選回数 | 11回 |
| 在任期間 | 1967年1月30日 -2000年6月2日 |
| テンプレートを表示 | |
中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 -2018年11月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)を務めた。山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。元日本テコンドー連盟会長。渡辺派議長。
芦田均秘書などを経て、1967年、無所属で第31回衆議院議員総選挙に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)[1]。当選後、自由民主党の佐藤栄作総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。
1973年には中川一郎、石原慎太郎らとタカ派政策集団 ・青嵐会を結成し名を売った。以来石原と行動することが多く、1980年のハプニング解散でも所属する中曽根派の意向に反して、稲葉修と共に反主流派の大平内閣不信任案欠席に同調、1989年の総裁選に石原が出馬した折も協力した。派閥領袖である中曽根康弘の信頼も厚かった。派閥は中曽根派→志帥会に属した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選した直後の6月30日に若築建設事件で受託収賄容疑で逮捕された。8月11日に5000万円の保釈保証金を支払って保釈。2004年9月、最高裁判所は懲役1年10か月追徴金6000万円の実刑判決が確定。ただし、病気のため刑の執行が停止され、2018年11月の病死まで収監・服役はなかった。
中尾は第一次小泉内閣外相政務官の水野賢一の実父にあたる(賢一の養父は中尾と当選同期の水野)
1989年5月25日、中曽根康弘のリクルート事件に絡む証人喚問を生放送したフジテレビ『TIME:3 タイムスリー』にゲスト出演した際、政治広報センター社長で政治評論家の宮川隆義と怒鳴りあいの口論となった。中尾が宮川を「ごろつき評論家」と罵り、中尾の発言を許せないとする視聴者から420本のクレームの電話が殺到し、一帯の電話が繋がりにくくなる事態になった[3]。これを見ていた作家の筒井康隆は面白がり、スタジオで生CM中も怒鳴り合いが続いてCMの女性が困ってるのに笑ったという[4]。
山梨県のケーブルテレビ会社である日本ネットワークサービスとも深い関わりがあり、創立時の大株主の一人となったことに加え、同社の初代社長も務めた[5]。
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 大野明 | 1989年 | 次代 越智伊平 |
| 先代 塩谷一夫 | 1979年 - 1980年 | 次代 奥田敬和 |
| 先代 金子岩三 | 1978年 | 次代 佐藤隆 |
| 公職 | ||
| 先代 森喜朗 | 第63代:1996年 | 次代 亀井静香 |
| 先代 武藤嘉文 | 第52代:1990年 - 1991年 | 次代 渡部恒三 |
| 先代 近藤鉄雄 | 第38代:1987年 - 1988年 | 次代 原田憲 |
| 通商産業大臣 | |
|---|---|
| 経済産業大臣 | |
| 経済安定本部総務長官 | |
|---|---|
| 経済審議庁長官 | |
| 経済企画庁長官 | |
| 経済財政政策担当大臣 | |