| なかく 中区 | |||||
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| 国 | |||||
| 地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
| 都道府県 | 愛知県 | ||||
| 市 | 名古屋市 | ||||
| 市町村コード | 23106-1 | ||||
| 面積 | 9.38km2 | ||||
| 総人口 | 106,540人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 11,358人/km2 | ||||
| 隣接自治体 隣接行政区 | 名古屋市(千種区、東区、北区、西区、中村区、昭和区、熱田区、中川区) | ||||
| 区の木 | イチョウ | ||||
| 区の花 | パンジー | ||||
| 中区役所 | |||||
| 所在地 | 〒460-8447 愛知県名古屋市中区栄四丁目1番8号 北緯35度10分7.3秒東経136度54分37.2秒 / 北緯35.168694度 東経136.910333度 /35.168694; 136.910333座標:北緯35度10分7.3秒東経136度54分37.2秒 / 北緯35.168694度 東経136.910333度 /35.168694; 136.910333 | ||||
| 外部リンク | 名古屋市中区 | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
中区(なかく)は、愛知県名古屋市を構成する16行政区の一つ。名古屋市の中心となる区であり、愛知県庁および名古屋市役所の所在地である。
1908年4月1日の4区制施行時から存在する。1937年10月1日に一部が中村区となる。1944年2月1日に栄区(さかえく)を分区したが、翌年11月3日に編入されている。
名古屋市の中核に位置する行政区で、市内最大の繁華街・オフィス街である栄や、電気街として有名な大須、観光名所として有名な名古屋城などが位置している。栄は松坂屋や三越、パルコなどの大型商業施設や飲食店が集積する中部地方最大の繁華街であり、中心部には名古屋のランドマークとして有名な名古屋テレビ塔(中部電力 MIRAI TOWER)や久屋大通公園が位置している。栄に隣接する錦三丁目(錦三)や女子大小路は市内随一の歓楽街として夜も賑わいを見せている。栄地区は、ターミナル駅の名古屋駅が位置する名駅地区(中村区)と並ぶ名古屋の2大商業エリアとして発展している。
また、名古屋城南側の三の丸は、国の出先機関、愛知県庁、名古屋市役所などの行政機関が集中している官公庁街である。伏見駅から栄駅の間、または丸の内駅から久屋大通駅にかけての桜通、錦通、広小路通では金融機関が林立するビジネス街となっており、名古屋におけるメガバンク・都市銀行や地方銀行の拠点がこれらの通りに面している所に集中している。

中区の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より[2] | ||||||||||||||||
市内では最も多くの区に隣接している。

名古屋台地上に位置し、旧石器時代から古墳時代の遺跡が複数知られている。竪三蔵通遺跡(栄1丁目)、旧紫川遺跡(大須)、白川公園遺跡などでは旧石器時代の石器、縄文時代の尖頭器、弥生土器、古墳時代の須恵器など原始時代の遺物が多く出土する。名古屋城濠では弥生時代の銅鐸が出土している。
近世以降の開発で多くが失われたが、古墳も複数存在した。特に大須二子山古墳をはじめとする大須古墳群は5世紀成立と推定され、現在では那古野山古墳、日出神社古墳、浅間神社古墳などが一部残っている。
奈良時代以降の律令制下では、尾張国愛知郡に属した。現在の中区中部から北部の地域は、愛知郡日部郷であったと推定されている。平城京から出土した木簡に「尾張国愛智郡草部郷日置里」と書かれており[3]、「日置里」は近世まで日置村と呼ばれていた日置神社周辺のことと考えられる。旅篭町遺跡(松原1丁目から2丁目)や名古屋城三の丸遺跡などでは奈良時代の集落跡が見つかっており、律令制下の日部郷に関連する可能性がある。一方、中区南部の正木、古渡町、平和付近は、律令制下の愛知郡大宅郷(太毛郷)に比定されている。大宅は「大家」とも書かれ、この付近には正木町遺跡をはじめとした古代集落遺跡が集中することから愛知郡の郡衙が置かれた地と推定されている。正木には、7世紀成立と推定される古刹願興寺跡があり発掘調査が行われている。東海道の駅家である新溝駅もこの付近にあったとする説が有力視されている。
区内には古社も複数ある。日置神社は平安中期成立の『延喜式神名帳』に記載のある神社(式内社)である。若宮八幡社は8世紀初頭に現在の名古屋城付近で創建されたという伝がある神社で、『延喜式神名帳』の「孫若御子神社」に比定する説がある。泥江縣神社は平安末期成立の『尾張国内神名帳』に「泥江縣天神」として記録がある神社で、9世紀成立とされる。
律令制が衰退する11世紀以降は「愛知郡日部郷」という郷名は史料上から消え、代わって荘園や公領が成立した。平安末期には現在の名古屋城周辺に「那古野荘」と呼ばれる荘園が成立していたことが知られている。鎌倉期成立の『那古野荘領家職相伝系図』(東洋文庫)に「建春門院法花堂領尾張国那古野庄」とあるのが古く、この記述が「なごや」という地名の文献上の初出でもある。他に「尾張国那古野荘安養寺」「尾州愛智郡那古屋庄亀岳山万松寺」と書かれた史料がある。
一方、大宅郷や市部郷など中区南部に比定されている地名が鎌倉期の史料に見え、公領や神領も存在したらしい。市部郷は正確な比定地は不明だが、近世まで「市部堤」という堤があった尾頭橋周辺を指しているとするのが有力である。『熱田宮領新別納郷等注文案』に「市部郷二十丁七反」とあり鎌倉後期には熱田神宮領があったようだが、後に山城等持院領となったという。大宅郷は律令制下の愛知郡大宅郷を継承したものとみられ、14世紀の『阿闍梨頼意証文』に「愛知郡東條大宅郷...古渡河」とあるので中区南部にあった郷とみられる。
戦国期にには今川氏が那古野城を築き、中区北部を治めた。この城は16世紀後半に一旦廃城となるが、後に名古屋城として再建される。中区南部には織田信秀により古渡城が築城され、織田信長はこの地で元服したという伝がある。

前述の那古野城は16世紀に廃絶した後は荒廃し、周辺は葦が深く茂り、鶏や雉が多くいたという。しかし1610年(慶長10年)、徳川家康がこの地に目をつけ名古屋城を建設し、城南側に広大な城下町を築いた(清洲越し)。もともと那古屋村、広井村、前津小林村、日置村、古渡村などであった地の一部が名古屋城下へと編入・開発されていき、堀川も開削された。
中部地方・東海地方を所管する中央省庁の出先機関(地方支分部局)が中区三の丸界隈に多く置かれている。






主なスポーツ施設
名古屋市や愛知県、中部地方(東海地方)の経済の中枢機能が集積していることもあり、多くの企業が本社を構えている。区内に日本三大証券取引所の一角である名古屋証券取引所や名古屋商工会議所などの金融商品取引所や経済団体などが存在する。また、中日本最大の繁華街である栄を中心に商業などの第三次産業が発展している。





主な城郭
主な寺院
主な神社
宿場
古墳・遺跡
教会



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| 註 |
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| 旧町名 |
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