| おか みつこ 丘 みつ子 | |
|---|---|
| 本名 | 森田 光子 |
| 生年月日 | (1948-01-19)1948年1月19日(78歳) |
| 出生地 | 東京都北区王子 |
| 身長 | 166cm |
| 血液型 | B型 |
| 職業 | 女優、陶芸家 |
| 配偶者 | あり |
| 事務所 | ホリプロ・ブッキング・エージェンシー |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『前略おふくろ様』〈第一シリーズ〉 『大都会 PARTII』 『池中玄太80キロ』 『峠の群像』 『星の金貨』 | |
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丘 みつ子(おか みつこ、1948年〈昭和23年〉1月19日[1] - )は、日本の女優、陶芸家。本名:森田 光子。旧姓:武笠[1][2]。東京都北区王子出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。身長:165.9cm(1968年5月、20歳時)[2]。
北豊島高等学校卒業[1]。三浦海岸の海水浴場で行なわれた「ミス人魚コンテスト」で準優勝し[3]、モデル事務所からスカウトされて当初はモデルとしてデビュー。
モデル活動を経て1968年、東映ニューフェイスに武笠光子名義で[2]最高点で合格した日に辞退し[2][4]、日活へ入社した[4]。このため今日まで東映製作の映画・テレビドラマの出演はない。すぐに大学生の間で人気が出たため[4]、映画「ある少女の告白 禁断の果実」で主演デビューした後日活が吉永小百合・浜田光夫コンビの次に沖雅也とコンビで売り出そうと計画し[4]、『ある少女の告白 純潔』[4]で沖と共演。
1980年代に多くの母親役を演じて「日本のお母さん」と評され[5]、活躍。同時期に健康的なイメージから「マラソン女優」と持て囃されたが、多忙によるストレスから拒食症に苦しんでいた[6]。それを機に自己流で陶芸を始め、アトリエを構えるまでになっている。
結婚後中目黒の一軒家で暮らしていた[3]がその後別荘があった神奈川県足柄下郡箱根町に本宅を建てて移り住んだ。そこで20年近く住んだが、歳を重ねるにつれ箱根の冬の寒さが辛く感じるようになったり[3]、その広さゆえ管理の難しさなどから70歳を迎える前に小田原市へと転居した。
芸能界入りしてモデルの仕事を始めて2年が過ぎた頃、ある映画のワンシーンにモデルが必要になったことからモデルとして出演。撮影中この映画の監督から女優業を勧められことがきっかけとなり、後日東映ニューフェイスに応募することになった[3]。丘が東映ニューフェイスに合格しながら日活に入社したのは、当時東映はヤクザ映画全盛期で日活は青春映画に力を入れており、周囲から「君は日活の方が向いている」と助言されたため。その後1971年頃に五社協定が消滅し映画界が斜陽となり、日活が青春映画からロマンポルノ路線に変わったことで女優としての行き場をなくした丘は、3年間所属した日活を退社。ちなみに日活時代は、共演が多かった渡哲也に随分かわいがってもらったとのこと[3]。
テレビドラマのオーディションを受けることにし、昼の連続ドラマ「オランダおいね」の主役に選ばれる。丘は「(同作の)主役になったことは幸運」としながらも、半年間のハードな撮影スケジュールや台詞覚えがとにかく大変でストレスから不眠や食事が喉を通らない状態となり、一時は芸能界引退を考えるほど追い詰められた。しかし、同作の撮影終了から1ヶ月も経たない内に再び演技をしたくなったことで、「自分は女優という仕事が大好きなんだ」ということに気づき女優を続けることを決める[3]。
家族は造幣局に勤める父、裁縫や料理が得意だった母、3人きょうだい(兄が2人)の末っ子として生まれる[3]。幼い頃はお転婆で野山を駆け回っていたことから、「女ターザン」のあだ名で呼ばれていた。ただし子供の頃は偏食でそれが原因かは不明だが、小学5年生の時に小児腎炎と肝炎を患い一ヶ月間入院する[3]。これにより家族と長い間離れて過ごすことを辛く感じたことから、退院後何でも食べるようになる。中学、高校時代は入部した陸上部の練習に打ち込む。この頃の将来の夢はスタイリストになることだった[3]。
20代の後半から仕事終わりに友達と深夜まで飲み歩くような生活をしていたが、30代に入って体を壊す危機感を覚え、一念発起して健康的な生活を送り始める[3](後述、趣味の欄)。
33歳の頃にテニスクラブで知り合った元ジェット機のパイロットの男性と結婚。[3]。しかし結婚から3年後に夫がアメリカで飛行機のチャーター便の会社を立ち上げたため[5]、それから10年ほどは夫が日本とアメリカを行き来する別居婚状態となる。
その後、箱根に持っていた別荘に陶芸の穴窯を自作するが、焼成中は一週間は窯のそばにいなくてはならないため、夫と話し合い2003年に夫婦で箱根に移住。夫の提案でログハウス形式の自宅を自分たちで建てた後、自然と触れ合う暮らしをしながら仕事がある時だけ東京へ行く日々を20年近く続ける[3]。
老後は暖かい所に引っ越そうと夫婦で話し合っていた所、行きつけの美容院でたまたま隣に座っていた不動産業者の紹介で小田原市の築80年の古民家を内見し、転居を即決。その後耐震などを考えて一年半かけて友人の手も借りながら土台や壁などを作り直す大改装を施し、2017年に小田原の家に移り住む[3]。
先述の通り健康面を考えて30代から水泳やマラソンを始める。特にマラソンは学生時代に陸上をやっていたためすぐに夢中になり、その後青梅マラソンやホノルルマラソンに参加。さらにトライアスロンも始め、37歳の時にハワイで開催された大会に出場するが規定時間オーバーにより失格。この悔しさをバネに猛練習して翌年水泳4km、自転車180km、マラソン42.195kmを完走した[3]。
中目黒に住んでいた頃に陶芸が趣味のお隣さんの影響[3]で丘も陶芸をやり始める。箱根に住んでいた頃は夫婦で自家農園で野菜作りをしたり養蜂などもしていた[3]。
この他の趣味として茶道、習字がある。また、恐竜好きで恐竜図鑑を眺めると童心に返るとのこと[5]。
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