『不毛地帯』(ふもうちたい)は、山崎豊子の小説。1973年から1978年まで『サンデー毎日』に連載された。
大本営の作戦立案参謀であった旧大日本帝国陸軍中佐が、シベリア抑留からの帰還後に総合商社に入社し、経済戦争を戦い抜いていく姿を描く。連載中に、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件があり、偶然似た題材を扱った本作が話題になったが、実在するどの事件の概要とも異なるフィクション作品である[1]。
登場人物の設定に特定のモデルは存在せず、複数のモデルからの取材をもとにした作者の想像の産物である。当時の週刊誌や経済誌によって、主人公の壱岐正元帝国陸軍中佐は伊藤忠商事の元会長瀬島龍三がモデルと繰り返されたが、山崎は瀬島がモデルそのものではなく、複数人のイメージを重ね合わせたものと断っている[2]。
1976年には前半部分が映画化(山本薩夫監督、仲代達矢主演)され、1979年には毎日放送・TBS系列で完全版として連続ドラマ化(平幹二朗主演)、2009年10月よりフジテレビ系列で開局50周年記念ドラマとして連続ドラマ化(唐沢寿明主演)された[3]。
主人公の壹岐正(いきただし)は陸軍士官学校を首席で卒業したエリートで、大本営の作戦立案参謀であった大日本帝国陸軍中佐。終戦の詔に対し、参謀総長の命令書が出されていない以上、武装解除に応じる必要がないと解する関東軍への説得のために満州に出張するが、日ソ中立条約を犯して侵攻してきたソ連軍に拘束され、軍事裁判により、刑法第58条第4項(資本主義幇助罪)、第9項(諜報罪)違反の罪で重労働25年の刑を宣告される。以後、壱岐は囚人(囚人番号 OH5-32037)としてシベリアに送られ、タイセット、ラゾ、ハバロフスクなどで11年の抑留生活を余儀なくされる。
帰国後、壱岐は繊維を主軸に発展してきた大手商社・近畿商事[注 1] の大門一三社長に、参謀としての経歴を買われて社長室嘱託として採用され、近畿商事がライバルと争っている航空自衛隊の次期主力戦闘機選定競争で辣腕を振るうことになる。多くの犠牲を払いつつも近畿商事は自社が代理店として売り込んでいた機体を採用させることに成功、壱岐は大門に進言して「業務本部」を設立し、近畿商事を本格的な総合商社にするため、組織改革案などを提示するなど努力を重ねる。旧来の役員からの反発などを受けながらも壱岐は出世を重ね、第三次中東戦争の正確な戦局予想で近畿商事に巨額の利益を齎したことを皮切りに、日米の自動車会社の提携、中東での石油採掘プロジェクトにも携わっていく。
苦難の末、イラン・サルベスタン鉱区での石油採掘に成功した壱岐は、綿花相場で巨額損失を出していた社長の大門に勇退を進言し、みずからも近畿商事を退職する。そして第三の人生として、シベリア抑留者の親睦団体である朔風会(さくふうかい)の会長となり、現地で亡くなった日本兵への墓参りと遺骨の収集に向かう。
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なお、山崎豊子の他の小説の舞台・登場人物がそのまま本小説にも登場している。例としては、永田大蔵大臣(『華麗なる一族』『沈まぬ太陽』に登場)、大川一郎、阪神銀行、第三銀行など(『華麗なる一族』にも登場)や浪速大学(『白い巨塔』の舞台)、佐橋内閣総理大臣(『運命の人』『華麗なる一族』に登場)など。
| 不毛地帯 | |
|---|---|
| 監督 | 山本薩夫 |
| 脚本 | 山田信夫 |
| 原作 | 山崎豊子 『不毛地帯』 |
| 製作 | 佐藤一郎 市川喜一 宮古とく子 |
| ナレーター | 鈴木瑞穂 |
| 出演者 | 仲代達矢 山形勲 北大路欣也 山本圭 神山繁 山口崇 八千草薫 藤村志保 秋吉久美子 内田朝雄 高橋悦史 辻萬長 仲谷昇 大滝秀治 嵯峨善兵 青木義朗 永井智雄 井川比佐志 加藤嘉 中谷一郎 小沢栄太郎 田宮二郎 丹波哲郎 |
| 音楽 | 佐藤勝 |
| 撮影 | 黒田清巳 |
| 編集 | 鍋島淳 |
| 製作会社 | 芸苑社 |
| 配給 | 東宝 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 181分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 配給収入 | 5億7700万円[6] |
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1976年8月14日[5]に東宝系にて封切。公開当時、原作が連載中であった事もあり、次期戦闘機選定までを映画化。また、シベリア抑留の部分もかなり省略されている。
5億7,700万円の配給収入を記録、1976年(昭和51年)の邦画配給収入ランキングの第9位となった[6]。
監督の山本薩夫は原作で長々と描写されているシベリア抑留には偏見があるとして興味を持たず[7][8]、原作にある戦闘機買い付けを巡る構造汚職の描写に興味を持ち[7]、シベリアの場面を短くしてその部分を膨らませたいと提案し、山田信夫と脚本を練った[7]。汚職事件は60年安保のさなかに起きた事件のため、安保闘争を絡めて描きたいと原作にないシーンを組み入れた[7]。
アメリカでのロケは、ロッキード、ダグラスとも撮影を拒否され[7]、やむなく民間の航空機修理工場でロケした[7]。アメリカロケは『マタギ』などで知られる後藤俊夫[7]。
作品の内容上航空自衛隊や航空機メーカーの協力が得られないため、ジェット戦闘機の登場するシーンは東宝の特撮部が担当し、セットと模型による特撮によって撮影された。しかし、特撮に関わったスタッフは特技監督の川北紘一を始めクレジットはされていない[9]。川北によれば、当時は特撮スタッフがクレジットされないことはよくあり、特に山本は特撮嫌いであったため入れなくても良いと考えたのではないかと推測している[9]。エドワード空軍基地のシーンは、当時の東宝撮影所で最も大きかった第9ステージいっぱいにセットを組んで撮影しており、炎天下にF104が飛び立つシーンの陽炎の表現としてアルコールを撒いて火をつけたり、水を散布して強力なライトで蒸発させたりするといった手法を用いている[9]。
本作は撮影中から話題を呼んだが、クランクインから3週間後の1976年2月にロッキード事件が発生[7]。映画はロッキード事件と伴走するように製作されたが[10]、山本は保守政党の腐敗の本質を映画に反映させようとロッキード事件に対する自身の考えを取り込もうとした[7]。山本は映画製作中にこの件を自身で調べ、児玉誉士夫が介在して飛行機の機種を決める会議に源田実も田中角栄と一緒に出ていたと分かったと、原作にはない、そういうシーンを映画で出した[8]。これが後に問題となった[7][8]。
完成試写後、原作者の山崎豊子が『サンデー毎日』1976年7月18日号誌上のグラビア特集で[11]、原作と映画の違いを発表[7][11][12]。映画版はシベリアにおけるラーゲリ部分が少なくエピソードが友好的過ぎる、天皇の戦争責任に関して原作ではああいう型では扱ってない、山本が付け足した防衛庁空幕長が参院選に立候補する場面で、官房長官室の中で選挙資金が渡されるシーンに、白昼堂々と長官室で金のやりとりするなんて非常識なことするはずないなどのコメントを出し[7][11][12][13]、小説のイメージと同じくされては迷惑なので、原作者を原案にして欲しいと訴えた[11][12]。またこの『サンデー毎日』の記事に選挙資金が渡されるシーンの写真が掲載されたことから[11]、これを見た源田実参議院議員が、1976年7月15日、登場人物である原田空幕長(演者:加藤嘉)が自分であるかのような誤解を招くと抗議[11]、ナレーションのカットを要求してきた[10][11][12][13]。現金受け渡しシーンで"ラッキードとグラマンの間にはさまって~"とナレーションが入るため、「防衛庁から参議院に出るってのは俺しかいない。原田はすなわち源田というのが明白だ」と怒り[7][11][13]、源田の秘書が1976年7月8日に東宝副社長の松岡功に直接会って抗議[11]、また芸苑社プロデューサーの佐藤一郎、原作者の山崎豊子にも抗議し[8][11]、「事実無根の中傷でありカットしないなら名誉棄損で訴える」[7][11][12]、「公開差止めの仮処分を申請する」[11][13]などと伝えた[11]。山崎は「私の小説では、そんな所で金渡しをしてないし、原田は大変ヒューマニストに書いてあります。映画は私は知りません」と解答[8]。山本が決定稿にかなり手を入れたため行き違いが起きた[12]。元々映画に登場人物のそっくりさんを起用したり、名前も一字違いにしたり、時節柄、心配されていたことがやはり起きた[11]。源田の後援会は会員が約10万人おり[11]、観客動員10万人といえば、映画界では"泣く子も黙る"民音、労音に匹敵する[11]。東宝としても無視できない団体であった[11]。これに対し、東宝が山本に源田の要求を飲むよう指示したため[11]、山本が反撥し、1976年7月21日に『天保水滸伝』撮影中の調布大映撮影所でマスメディアの取材に応じ、「東宝サイドから私に対して注文が出ているが、基本的な線では源田氏の要求に応じる意思はない」と話し、名誉棄損問題では勝てると思うが、上映日がもう決まっているため、もし上映停止仮処分が成立した場合の扱いには苦慮している等と説明し、「独立プロと違い企業が事を丸く収めようとする苦労は分かるが、昔、本庄事件を扱った『暴力の街』でも同じような体験をした。今、私が折れる訳にはいかない」と強く訴えた[11]。
日本共産党所属の衆議院議員松本善明が「源田議員のカットを東宝が認めるなら国会で問題にする」と発言[13]。東宝は右からも左からも揺さぶりをかけられ、ニッチもサッチもゆかない状況に追い込まれた[13]。東宝と芸苑社とも「映画の始めに登場人物も全部フィクションであると謳ってあるから架空の人物」と、「削除する意思なし、真向対決する」と構え[11][14]、両者の対立は泥沼化する恐れがあったが[13]、結局上映問題などもあり源田が削除を求めた現金受け渡しシーンはカットされた[7][12][13]。東宝から完成試写を観て欲しいと源田側に要請があり[11]、1976年7月27日に東京有楽町の東宝本社3階試写室で、源田の第一秘書・山崎工と弁護士が完成映画を観て[11]、要望していた箇所のカットを確認し[11]、源田側は「要求を受け入れ東宝側がカットしてくれた」と勝利宣言を出し[11][13]、告訴を取り下げた[8][11][13]。山本が山崎の原作を映画化するのは『白い巨塔』(1966年)、『華麗なる一族』(1974年)に次いで3本目で、前二作は何のクレームもなかったが、山本は「原作の非常につまらないところを、こっちが一生懸命考えてよくしたら怒られる。今後は山崎さんとはやれない」などと不満を述べた[8]。本作の映画化権は東宝や芸苑社ではなく山本が持っていた[12]。しかしこれら一連の騒動は大きな宣伝になり[11]、映画興行にとってはプラスとなった[12][13]。日ごろ映画を観ない年輩者や中年のアベック、政財界関係者などが鑑賞に訪れ[11][13]、東宝は「『日本沈没』(1973年)に匹敵する入りになりそう」と当初は鼻息が荒かったが伸びなかった[13]。
なお、山本と揉めた山崎は、後年のインタビューで、「寂しいのは使命感を持った友人が少なくなっていくことですね。『華麗なる一族』など私の作品を映画化してくださった山本薩夫監督が生きてらっしゃったら、『沈まぬ太陽』も映画にしてくださったのではないかと思いますね」と、この騒動後も山本を認めている発言をしている[15]。
毎日映画コンクール 日本映画大賞 | |
|---|---|
| 1940年代 | |
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
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| 1980年代 | |
| 1990年代 |
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| 2000年代 |
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| 2010年代 | |
| 2020年代 |
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| 不毛地帯(1979) | |
|---|---|
| ジャンル | ドラマ |
| 脚本 | 鈴木尚之 |
| 演出 | 河野宏 |
| 出演者 | 平幹二朗 山本陽子 池上季実子 中村敦夫 西村晃 中村玉緒 志村喬 若山富三郎 |
| 製作 | |
| プロデューサー | 財前定生 |
| 制作 | 毎日放送 |
| 放送 | |
| 放送国・地域 | |
| 放送期間 | 1979年4月4日 - 10月31日 |
| 放送時間 | 水曜22:00 - 22:55 |
| 放送分 | 47分 |
| 回数 | 31 |
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1979年4月4日 - 10月31日にかけて毎日放送の制作によりTBS系列で毎週水曜22時から全31回放映された。原作全編を映像化した最初の作品である。放送話数も多く、映像化作品の中では、もっとも原作に忠実な物となっている。また、田宮二郎の遺作となったテレビドラマ『白い巨塔』(フジテレビ系)の放送終了直後に放送され、脚本も同じ鈴木尚之が担当した事もあり、『白い巨塔』に出演した役者の多くが本作に出演しているのも大きな特徴となっている。2010年2月から4月にかけてDVD全9巻が発売された。
| フジテレビ開局50周年記念ドラマ 不毛地帯 | |
|---|---|
| ジャンル | テレビドラマ |
| 原作 | 山崎豊子 |
| 脚本 | 橋部敦子 |
| 演出 | 澤田鎌作 ほか |
| 出演者 | 唐沢寿明 小雪 和久井映見 遠藤憲一 柳葉敏郎 古田新太 竹野内豊 佐々木蔵之介 多部未華子 斎藤工 袴田吉彦 吉行和子 阿部サダヲ 榎木孝明 松重豊 段田安則 江波杏子 江守徹 橋爪功 天海祐希 中村敦夫 伊東四朗 神山繁 岸部一徳 原田芳雄 |
| 音楽 | 菅野祐悟 |
| オープニング | 坂本龍一「FUMOCHITAI」 |
| エンディング | トム・ウェイツ「トム・トラバーツ・ブルース」 |
| 時代設定 | 終戦直後 - オイルショック |
| 製作 | |
| プロデューサー | 長部聡介 清水一幸 |
| 製作 | フジテレビ |
| 放送 | |
| 音声形式 | ステレオ |
| 放送国・地域 | |
| 放送期間 | 2009年10月15日 - 2010年3月11日 |
| 放送時間 | 木曜日22:00 - 22:54 |
| 放送枠 | 木曜劇場 |
| 放送分 | 54分 |
| 回数 | 19 |
| 不毛地帯 - フジテレビ | |
特記事項: 初回は21:00 - 23:18に放送。 | |
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2009年10月15日から2010年3月11日まで毎週木曜日22:00 - 22:54に、フジテレビ系の「木曜劇場」枠で「フジテレビ開局50周年記念ドラマ」として放送された。ハイビジョン制作、2クール放送、全19回。初回は21:00 - 23:18の拡大版であり、第64回文化庁芸術祭参加作品。
キャッチコピーは「剥き出しの人間たち。」
同じ山崎豊子原作であり、同じフジテレビで2003年に放送された『白い巨塔』(フジテレビ開局45周年記念ドラマ)と同じく主演は唐沢寿明、放送枠も同じ木曜劇場で2クールの放送となった。
原作全編を映像化した完全版であったが、視聴率が低迷したため当初の予定よりも放送回数が減らされた。そのため後半は駆け足の展開となっており、予告編で流されながら本放送ではまるまるカットされたエピソードなどもある。後に発売されたDVD版では、これらのカットされた部分が大幅に追加されている。
| 各話 | 放送日 | 劇中の年代 | サブタイトル | 演出 | 視聴率 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 第一話 | 2009年10月15日 | 昭和20年~ 昭和35年 | 物語 | 澤田鎌作 | 14.4% | 2時間18分 |
| 第二話 | 10月22日 | 黒い頭脳戦 | 11.1% | - | ||
| 第三話 | 10月29日 | 妻と娘の涙 | 平野眞 | 11.6% | ||
| 第四話 | 11月05日 | 俺が殺した | 09.9% | |||
| 第五話 | 11月12日 | 昭和42年~ | 戦争と三人の女… | 水田成英 | 11.8% | |
| 第六話 | 11月19日 | 決戦 | 10.7% | |||
| 第七話 | 11月26日 | 千代田 自動車編 | 妻との誓い | 澤田鎌作 | 10.6% | |
| 第八話 | 12月03日 | 愛妻の死! | 平野眞 | 11.4% | ||
| 第九話 | 12月10日 | アメリカ 近畿商事編 | 哀しい女 | 澤田鎌作 | 10.9% | |
| 第十話 | 12月17日 | 恋と野望 | 水田成英 | 10.8% | ||
| 第十一話 | 2010年01月14日 | 嫉妬に殺される男 | 平野眞 | 12.1% | ||
| 第十二話 | 01月21日 | 裏切りの極秘調査 | 澤田鎌作 | 11.8% | ||
| 第十三話 | 01月28日 | 喰うか喰われるか | 平野眞 | 12.2% | ||
| 第十四話 | 02月04日 | 昭和45年~ 石油開発編 | 百億の賭け | 水田成英 | 10.2% | 30分遅れ |
| 第十五話 | 02月11日 | 邪魔者は消えろ! | 澤田鎌作 | 11.6% | 25分遅れ | |
| 第十六話 | 02月18日 | 地獄からの招待状 | 小原一隆 | 10.7% | - | |
| 第十七話 | 02月25日 | 暗号と密約 | 水田成英 | 11.8% | ||
| 第十八話 | 03月04日 | 汚れた英雄 | 平野眞 | 12.0% | ||
| 最終話 | 03月11日 | 約束の地 | 澤田鎌作 | 15.0% | ||
| 平均視聴率 11.6%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) | ||||||
| TBS系水曜22時台(MBSの制作枠) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
風をみた女 (1978.10.4 - 1979.3.28) | 不毛地帯 (1979.4.4 - 1979.10.31) | 旅立ちは愛か (1979.11.7 - 1980.2.27) |
| フジテレビ木曜劇場 | ||
任侠ヘルパー (2009.7.9 - 2009.9.17) | フジテレビ開局50周年記念ドラマ 不毛地帯 (2009.10.15 - 2010.3.11) | 素直になれなくて (2010.4.15 - 2010.6.24) |
| 1974年10月 -1984年9月 (第1期。TBS→MBS制作) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001年4月 - 2004年3月 (第2期、TBS制作) |
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| 参考:30分枠作品 |
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| 関連項目 | |||||||||||||||||||||||||||
| 1984年 - 1989年 |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990年 - 1994年 |
| ||||||||||||||||||
| 1995年 - 1999年 |
| ||||||||||||||||||
| 2000年 - 2004年 |
| ||||||||||||||||||
| 2005年 - 2009年 |
| ||||||||||||||||||
| 2010年 - 2014年 |
| ||||||||||||||||||
| 2015年 - 2019年 |
| ||||||||||||||||||
| 2020年 - 2024年 |
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| 2025年 - |
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| 関連項目 |
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