Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

下田京子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。2020年5月
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています ご存知の方は加筆をお願いします。2020年5月

下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 -2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。

来歴

[編集]

福島県東白川郡塙町出身。福島大学学芸学部(美術科)を卒業後、中学校教員石川町[1]を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選比例区から立候補し再選。

その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。

党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。

2013年8月27日心不全のため死去[2][3]

委員会理事歴

[編集]
スタブアイコン

この項目は、日本政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:政治学/PJ政治)。

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
[脚注の使い方]
  1. ^赤旗 号外 1983年5月 参議院議員選挙特集版 2ページ目”. 日本共産党中央委員会. 2025年5月25日閲覧。
  2. ^下田京子さんが死去 元 参院議員”. 株式会社日本経済新聞社. 2025年5月25日閲覧。
  3. ^該当する情報がありませんでした。下田京子さんが死去 著名人の訃報検索”. 株式会社 インターリンク. 2025年5月25日閲覧。
  4. ^下田京子 参議院議員 基本情報と活動実績”. 国会議員白書. 2025年5月25日閲覧。
  5. ^新訂 現代政治家人名事典 - 中央・地方の政治家4000人 (新訂)”. 株式会社紀伊國屋書店. 2025年5月25日閲覧。
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
日本の旗比例区選出参議院議員(1983年以降)国会議事堂
奇数回
第13回
(定数50)
自民
社会
公明
共産
民社
サラ新
福祉
新自
二院ク
第15回
(定数50)
社会
自民
公明
共産
民社
二院ク
税金
スポ平
第17回
(定数50)
新進
自民
社会
共産
さきがけ
二院ク
第19回
(定数48)
自民
民主
公明
共産
自由
社民
保守
第21回
(定数48)
民主
自民
公明
共産
社民
日本
国民
第23回
(定数48)
自民
公明
民主
維新
共産
みんな
社民
第25回
(定数50)
自民
立民
公明
維新
共産
国民
れいわ
社民
N国
第27回
(定数50)
自民
国民
参政
立民
公明
維新
れいわ
保守
共産
みらい
社民
偶数回
第14回
(定数50)
自民
社会
公明
共産
民社
税金
サラ新
二院ク
新自ク
第16回
(定数50)
自民
社会
公明
日新
共産
民社
スポ平
二院ク
第18回
(定数50)
自民
民主
共産
公明
自由
社民
第20回
(定数48)
民主
自民
公明
共産
社民
第22回
(定数48)
民主
自民
みんな
公明
共産
社民
たち日
改革
第24回
(定数48)
自民
民進
公明
共産
維新
社民
生活
第26回
(定数50)
自民
維新
立民
公明
共産
国民
れいわ
参政
社民
N党
↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=下田京子&oldid=104990267」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp