| かみじょう つねひこ 上條 恒彦 | |
|---|---|
| 本名 | 上條 恒彦[1] |
| 生年月日 | (1940-03-07)1940年3月7日 |
| 没年月日 | (2025-07-22)2025年7月22日(85歳没) |
| 出身地 | |
| 死没地 | |
| 身長 | 173cm[3] |
| 血液型 | O型[3] |
| 職業 | 歌手、俳優、声優 |
| ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台、吹き替え |
| 活動期間 | 1962年 -2025年 |
| 配偶者 | あり |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『3年B組金八先生』シリーズ アテレコ 『リトル・マーメイド』 『紅の豚』 『もののけ姫』 『千と千尋の神隠し』 | |
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上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日[3][4] -2025年〈令和7年〉7月22日[5][6])は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身[7]。生前はケイセブン中村屋に所属していた[4]。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた[8]。
長野県東筑摩郡朝日村の農家の出身[7]。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。
大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
1968年に結婚。その後長男の恒(俳優)、次男をもうける。1979年ごろ離婚し、2人の子どもは上條が引き取る。1983年、付き人であった女優で16歳年下の悦子と再婚、4人の男児をもうける。末子・駿は俳優。
1970年1月10日に放送が始まったNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』の準レギュラー出演者となり、レギュラー出演者のグループであるヤング101のお兄さん格の扱いを受けた[9][注 1]。1971年、グループ「六文銭」と共演した『出発の歌(たびだちのうた)』で、三重県合歓の郷で開催された「ポピュラーソング・フェステバル'71」のグランプリを受賞[10]。次いで11月、第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞[11]。
翌1972年には、第23回NHK紅白歌合戦に初出場する[注 2]。また、フジテレビ系列の時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』を歌い、ヒットさせる。9月には「日本歌謡祭」で『橋』が入賞。1973年2月には、沖縄海洋博の歌『珊瑚礁に何を見た』を制作する。同年、『さよならの世界』で第4回世界歌謡祭の歌唱グランプリを受賞。
俳優としても活動し、『3年B組金八先生』の社会教師・服部肇役で有名。声優としても、ジブリ作品に複数担当し、ディズニー映画「リトル・マーメイド」の初代セバスチャン役として出演。「アンダーザーシー」も歌唱する。続編でもセバスチャン役は安西正弘に交代したが劇中歌として上條の歌唱が使われた。その後、セバスチャン役は山寺宏一に交代。実写映画では木村昴がセバスチャンを演じ「アンダーザーシー」も木村が歌唱する。
丸大食品のウインナー、フランクフルト商品のCMソングを1980年代に担当していた。
1985年には鳥取県で開催された「わかとり国体」では、大会テーマ曲の『スピリッツ』を秋季大会開会式で歌った。
1987年から長野県諏訪郡富士見町、八ヶ岳山麓に居住。妻の著書『八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん』(ISBN 978-4784072644、信濃毎日新聞社、2015年)に生活の様子が記されている。アトリエ・ダンカンとの契約満了にともない、2013年5月1日よりケイセブン中村屋に所属。
2024年末に誤嚥性肺炎で一時危篤状態となった。2025年1月の公開記念舞台あいさつでは生歌唱を披露する予定だったが、リハビリのため欠席し、手紙で「皆さまの前で歌えないことが残念でなりません」とメッセージを寄せていた[12]。
その後は活動復帰を目指しリハビリを行っていたが、2025年7月22日、長野県の自宅近くの病院にて老衰のため死去した[5]。85歳没。告別式は親族で行い[6]、上條自身の遺志によりお別れの会を行う予定はない[12]。
▲はラジオのみの再放送、△は『特集みんなのうた』での再放送。
| 放送期間 | 曲目 | コーラス | 再放送 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1972年(昭和47年)6月 - 7月 | 空に小鳥がいなくなった日 | シンガーズ・スリー | 2015年(平成27年)6月 - 7月▲ 2020年(令和2年)6月 - 7月▲ | [注 3] |
| 1973年(昭和48年)10月 - 11月 | ヒーハイホー | 東京放送児童合唱団 | 2020年(令和2年)10月 - 11月▲ | |
| 1974年(昭和49年)8月 - 9月 | 想い出のグリーングラス | 1974年(昭和49年)12月29日△ 1975年(昭和50年)2月 - 3月 1975年(昭和50年)12月28日△ 1976年(昭和51年)4月 - 5月 1978年(昭和53年)4月 - 5月 2014年(平成26年)10月25日・11月22日[注 4] 2022年(令和4年)6月 - 7月 2024年(令和6年)12月 - 2025年(令和7年)1月 | [注 5] | |
| 1974年(昭和49年)12月 - 1975年(昭和50年)1月 | みんなのマーチ | 山県すみ子 東京放送児童合唱団 | 2011年(平成23年)12月 - 2012年(平成24年)1月▲ 2023年(令和5年)2月 - 3月▲ | |
| 1976年(昭和51年)12月 - 1977年(昭和52年)1月 | モッキン・バード・ヒル | (なし) | 1975年(昭和50年)5月5日△ 2011年(平成23年)4月23日[注 6] 2011年(平成23年)8月 - 9月 | |
| 1981年(昭和56年)10月 - 11月 | 峠に帰る日 | 2023年(令和5年)10月 - 11月▲ | ||
| 1984年(昭和59年)8月 - 9月 | 天使の羽のマーチ | 東京放送児童合唱団 | 別項 |
| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|---|
| 1972年(昭和47年)/第23回 | 初 | 出発の歌-失われた時を求めて- | 15/23 | 欧陽菲菲 |
| 1973年(昭和48年)/第24回 | 2 | シャンテ | 12/22 | ザ・ピーナッツ |