Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

上山田線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上山田線
基本情報
現況廃止
日本の旗日本
所在地福岡県
種類普通鉄道在来線地方交通線
起点飯塚駅
終点豊前川崎駅
駅数10駅
電報略号ミマセ[1]
開業1895年4月5日[2]
廃止1988年9月1日[3]
所有者九州旅客鉄道
運営者九州旅客鉄道
路線諸元
路線距離25.9km
軌間1,067mm狭軌
線路数全線単線
電化方式全線非電化
閉塞方式タブレット閉塞式
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STR
筑豊本線
BHF
0.0飯塚駅
STRqxABZgr
筑豊本線
exBHF
1.5
0.0
平恒駅 (II)
exABZglexKDSTeq
-
0.7
平恒駅 (I)-1939
exKHSTaexBHF
7.0臼井駅
exSTRrexSTR
両筑軌道-1927?
exhKRZWaeWASSER+r
千手川
exhKRZWaeWABZql
遠賀川
uexKHSTaexBHF
9.6大隈駅
uexSTRrexSTR
大隈軌道-1933
exABZg+lexSTRq
漆生線-1986
exDST
10.7嘉穂信号場
exTUNNEL2
新原トンネル74.4 m
exBHFWASSER+l
12.4下山田駅
exBHFWASSER
14.4上山田駅
WASSER+lexhKRZWaeWASSERr
第1山田川橋梁山田川
WASSERlexhKRZWaeWASSER+r
第2山田川橋梁山田川
exhSTRaeWASSER
百々谷橋梁
exhSTRaeWASSER
中の馬場橋梁
WASSER+lexhKRZWaeWASSERr
第3山田川橋梁山田川
WASSERexhSTRae
第1中の坪橋梁
WASSERexhSTRae
第2中の坪橋梁
WASSERlexhKRZWaeWASSER+r
第4山田川橋梁山田川
exhSTRaeWASSER
第1宮の脇橋梁
exhSTRaeWASSER
第2宮の脇橋梁
exhSTRaeWASSER
第3宮の脇橋梁
exhSTRaeWASSER
熊ヶ畑橋梁
exhKRZWaeWABZgr
長原川橋梁長原川
exBHFWASSER
17.4熊ヶ畑駅
WASSERqexhKRZWaeWASSERr
清藤川
extSTRa
熊ヶ畑トンネル1,712 m
extSTRe
WASSERqexhKRZWaeWASSER+r
第3安宅川橋梁安宅川
WASSER+lexhKRZWaeWASSERr
第2安宅川橋梁安宅川
WASSERlexhKRZWaeWASSER+r
第1安宅川橋梁安宅川
exBHFWASSER
22.1真崎駅
exhKRZWaeWABZg+r
中元寺川橋梁中元寺川
exhSTRaeWASSERl
下真崎橋梁
exBHF
23.7東川崎駅
xABZg+lSTRq
日田彦山線
BHF
25.9豊前川崎駅
STR
日田彦山線

上山田線(かみやまだせん)は、福岡県飯塚市飯塚駅から田川郡川崎町豊前川崎駅までを結んでいた、九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線地方交通線)である。1980年(昭和55年)の国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)9月1日に廃止された[4]

路線データ

[編集]
  • 管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 区間(営業キロ):飯塚駅 - 豊前川崎駅間 25.9 km(嘉穂信号場 - 下山田駅間 1.7 kmは、漆生線と重複)
  • 軌間:1067 mm
  • 駅数:10(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式

歴史

[編集]

上山田線は歴史的にみると、明治時代に筑豊炭田から産出される石炭の輸送のため、筑豊鉄道九州鉄道が建設し、鉄道国有法により国有化された飯塚駅 - 上山田駅間と、油須原線構想により太平洋戦争後に建設された上山田駅 - 豊前川崎駅間に分かれる。

前者の区間は筑豊鉄道若松港への石炭積み出しのために敷設した鉄道(後の筑豊本線)の延長として1895年(明治28年)に飯塚駅 - 臼井駅間を開業したのが始まりであり、1897年(明治30年)に九州鉄道に合併された後、1901年(明治34年)に上山田駅まで延伸(大隈駅 - 上山田駅間は当初貨物線)された。1907年(明治40年)の国有化後は、筑豊本線の一部となったが、1929年(昭和4年)に長尾線が原田駅まで延伸されて全通したのにともない、そちらが筑豊本線となり、飯塚駅 - 上山田駅間は上山田線として分離された。

後者の区間については、筑豊地区の石炭を苅田港に輸送するために計画された油須原線の一部であり、1966年(昭和41年)に同計画の一部として建設された漆生線漆生駅 - 下山田駅(嘉穂信号場)間と同時に開業した。油須原線はもともと貨物輸送が目的の鉄道路線であったが、エネルギー革命による石炭産業の凋落とともに計画の東半分(豊前川崎駅 -添田線大任駅 -油須原駅)が未開業に終わり、結局貨物輸送に使われることはなかった。

貨物輸送の廃止後は、沿線の急激な衰退もあって営業成績は振るわず、営業係数ワーストランキングの常連となっていった。

1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により1984年(昭和59年)6月に第2次特定地方交通線に指定され、沿線に7箇所存在した自治体(飯塚市・嘉穂郡穂波町・同桂川町[注 1]・同碓井町・同嘉穂町山田市・田川郡川崎町)の中で碓井町のみが第三セクター化による存続を訴えていた。

だが、最終的には鉄道存続を断念し、JR九州へ移管されて1年5か月後の1988年(昭和63年)9月1日に全線廃止となった。

年表

[編集]
  • 1895年(明治28年)4月5日筑豊鉄道が飯塚駅 - 臼井駅間を延伸開業、臼井駅が開業[2]
  • 1897年(明治30年)10月1日:筑豊鉄道が九州鉄道に合併[5]
  • 1898年(明治31年)
    • 2月8日:臼井駅 - 大隈駅を延伸開業、大隈駅 - 下山田駅間の貨物支線を開業、大隈駅・(貨)下山田駅が開業[5]
    • 3月29日:平恒分岐点 - 平恒駅間の貨物支線を開業、(貨)平恒駅(初代)が開業。
  • 1901年(明治34年)6月28日:下山田駅 - 上山田駅間の貨物支線を延伸開業、(貨)上山田駅が開業[5]
  • 1903年(明治36年)12月20日:大隈駅 - 上山田駅間の旅客営業を開始、下山田駅、上山田駅を貨物駅から一般駅に変更[5]
  • 1907年(明治40年)7月1日:鉄道国有法により九州鉄道が買収され官営鉄道の路線となる[5]
  • 1909年(明治42年)10月12日国有鉄道線路名称制定により、若松駅 - 上山田駅間と平恒分岐点 - 平恒駅間が筑豊本線となる[5]
  • 1917年(大正6年)3月12日:平恒分岐点に貨物駅を新設し、新平恒駅となる。
  • 1929年(昭和4年)12月7日:長尾線飯塚駅 - 原田駅間全通にともない長尾線を筑豊本線に編入し、飯塚駅 - 上山田駅間 (14.4 km) を上山田線として分離[6]
  • 1939年(昭和14年)5月29日:新平恒駅 - 平恒駅間(初代)(0.7 km) の貨物支線を廃止、平恒駅(初代)を廃止、新平恒駅を平恒駅(2代)に改称。
  • 1948年(昭和23年)5月8日:平恒駅を貨物駅から一般駅に変更。
  • 1960年(昭和35年)
    • 2月:油須原線第2工区であった上山田駅 - 熊ヶ畑トンネル終点間が竣工。
    • 3月:油須原線第3工区であった熊ヶ畑トンネル終点 - 東川崎駅間が竣工。
  • 1964年(昭和39年):工事を国鉄から日本鉄道建設公団が承継。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月:油須原線第4工区であった東川崎駅 - 豊前川崎駅間が竣工。
    • 3月10日:上山田駅 - 豊前川崎駅間 (11.5 km) 延伸開業、ただし旅客営業のみ。熊ヶ畑駅、真崎駅、東川崎駅、嘉穂信号場が開業。
  • 1980年(昭和55年)3月31日:飯塚駅 - 上山田駅 (14.4 km) の貨物営業を廃止。
  • 1984年(昭和59年)6月22日:第2次特定地方交通線として廃止承認。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、日本国有鉄道から九州旅客鉄道(JR九州)に承継。
  • 1988年(昭和63年)

運行形態

[編集]

1966年(昭和41年)3月の全通時点では、飯塚駅 - 上山田駅間は17往復が設定され、筑豊本線に直通する列車も複数存在した一方、新規開業の上山田駅以東(豊前川崎駅方面)とは運行系統が分断されていた[7]。このとき開業した上山田駅以東は6往復が設定され、そのうち5往復が同時に開業した漆生線直通であった[7]

上山田駅以西(飯塚駅方面)の本数は1968年10月ダイヤ改正時点で14往復[8]1972年3月ダイヤ改正時点で10往復[9]と次第に減少したものの、廃止直前の1988年(昭和63年)3月時点においても下り11本、上り13本が設定されていた[10]。上山田駅以東は1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正で早くも日中の1本が削減され[8]、1972年(昭和47年)3月ダイヤ改正時点ではさらに午後の1往復が削減され、4往復となる[9]。以後、廃止まで4往復の体制は変わらなかったが、上山田駅以西との直通列車ものちには設定され[注 2]、漆生線廃止後の時点では2往復が上山田駅以西に直通しており[12]、その状態で全廃を迎えた[10]

使用車両

[編集]

気動車

[編集]

客車

[編集]
  • 50系:1978年(昭和53年)以降、旅客列車のほか廃止記念列車でも運用[13][14]

機関車

[編集]

駅一覧

[編集]

全駅福岡県に所在。接続路線の事業者名、所在地は当線廃止時点のもの。当線廃止前の廃止路線は、その廃止時。

駅名営業キロ接続路線・備考所在地
駅間累計
飯塚駅-0.0九州旅客鉄道筑豊本線飯塚市
平恒駅1.51.5 嘉穂郡穂波町
(現・飯塚市
臼井駅5.57.0 嘉穂郡碓井町
(現・嘉麻市)
大隈駅2.69.6 嘉穂郡嘉穂町
(現・嘉麻市)
嘉穂信号場-10.7漆生線との運転上の分岐点[* 1]
下山田駅2.812.4日本国有鉄道漆生線(1986年4月1日廃止)山田市
(現・嘉麻市)
上山田駅2.014.4 
熊ヶ畑駅3.017.4 
真崎駅4.722.1 田川郡川崎町
東川崎駅1.623.7 
豊前川崎駅2.225.9九州旅客鉄道:日田彦山線
  1. ^漆生線廃止後は単純に上山田線の閉塞境界としてのみ機能。
  • 列車交換可能な駅:飯塚駅、臼井駅、大隈駅、上山田駅、豊前川崎駅
  • 通票種別:飯塚(楕円)臼井■大隈▲嘉穂■上山田▲豊前川崎
貨物支線
新平恒駅(後の平恒駅) - (貨)平恒駅(初代)

廃止後の状況

[編集]

飯塚駅よりしばらくは筑豊本線沿いに上山田線の線路敷跡が草叢して残っている。

筑豊本線の分岐点付近から上山田駅を経て山田川の手前までの廃線跡はほぼ道路となっている。平恒駅跡は道路沿いにホーム跡が残る。臼井駅跡もホーム跡が残っていたが、現在は一部を残して埋められている。大隈駅跡は鉄道公園として腕木式信号などが保存され、往時を偲ばせている。嘉穂信号場跡は近年まで深い藪の中にその建物や廃線跡が残っていたが、並走する福岡県道443号下山田碓井線の拡張工事に伴い建物は取り壊された。建物跡付近から一部路盤が残るが前述の県道と交差する付近からは埋め立てられ、再び県道の一部となる。信号場と下山田駅との間にあった新原トンネルは撤去、開削されているがトンネル跡を示す案内板があり、道路向かいのバス停留所に現役時代の貴重な写真が掲示されている。下山田駅付近は近隣団地の緑地となり、駅跡を示すものはない。上山田駅跡には1999年(平成11年)3月まで西鉄バス(嘉穂交通)の山田支社(車体標記は○山)が置かれていたが、現在は山田生涯学習館・図書館となっており、庭の中に踏切遮断警報機と上山田駅跡を示す説明板が設置されている。

上山田駅以東は山間部を中心に廃線跡がよく残っており、熊ヶ畑駅付近では橋梁やレールが残され[15]1996年(平成8年)から山田市(現在は嘉麻市)主催で線路の保守作業に使われていた軌道自転車で上山田線跡を走る「トロッコフェスタ」が毎年10月に、のち4月もに開催されるようになった[16][17]。熊ヶ畑駅そのものは駅舎も解体され、駅跡を示すものはない。

熊ヶ畑駅から、嘉麻市と川崎町の境にある熊ヶ畑トンネルまでは道路と交差する部分を除いてレールが残っていたが、2004年(平成16年)にトンネル内のレールが約1.7 kmにわたって盗まれていることが判明し、同年11月19日に被害届が出された[18]。翌2005年(平成17年)2月に2人の容疑者が逮捕されている[19]。この事件をはじめ、トンネルの壁への落書きやトンネル内へのゴミの不法投棄もあったため、現在ではトンネル内の線路は撤去され、両方の入り口が柵で封鎖されている。

熊ヶ畑トンネルから真崎駅までは2007年(平成19年)夏に「雪舟ロード」と呼ばれる道路建設工事が完了し、遊歩道及び自転車道として使用されており、真崎駅跡地は「あまぎふれあい広場・鉄道記念公園」として整備されている。真崎駅 -東川崎駅 -豊前川崎駅までは道路になっている。東川崎駅跡には、「国鉄上山田線東川崎駅跡」の石碑が建っている。

  • 熊ケ畑トンネル(2013年)
    熊ケ畑トンネル(2013年)
  • 上山田駅跡
    上山田駅跡
  • 雪舟ロード
    雪舟ロード

代替交通

[編集]

廃止当初は、西鉄バス(のち嘉穂交通)が、

  • 80 飯塚バスセンター - 飯塚駅 - 天道 - 桂川役場 - 碓井 - 牛隈 - 日吉 - 大橋 - 西鉄上山田
  • 81 飯塚バスセンター - 飯塚駅 - 天道 - 吉隈 - 碓井 - 牛隈 - 日吉 - 山田中央 - 西鉄上山田
  • 82 飯塚バスセンター - 山野 - 漆生 - 牛隈 - 日吉 - 大橋 - 西鉄上山田
  • 83 西鉄上山田 - 熊ヶ畑 - 魚楽園入口 - 湯遊共和国 - 真崎 - 豊前川崎駅 - 奥谷

の4路線を運行し、起点であった飯塚駅には転換交付金によって「飯塚駅バス停」が新設されたが、上山田線廃止のちょうど6年後にあたる1994年(平成6年)8月31日限りで83番系統の廃止および80番系統・81番系統の飯塚駅バス停乗り入れ廃止(同時に飯塚駅バス停も廃止)、80番系統・82番系統の大幅減便を経て、2004年(平成16年)3月31日限りで上山田線のルートをできるだけ忠実に走行していた81番系統の廃止を最後にすべての系統が消滅した。

飯塚 - 平恒間、飯塚 - 西牛隈(旧大隈駅)間、飯塚 - 下山田 - 上山田間では西鉄バス筑豊が路線バスを運行している[20]。上山田駅 - 豊前川崎間も西鉄が運行していたが廃止され、代替として嘉麻市バス(旧山田市バス)が桂川駅から熊ヶ畑を結ぶ熊ヶ畑桂川線を概ね上山田線の経路に沿った形で運行しており[21]、真崎 - 豊前川崎駅間では川崎町ふれあいバスが運行されている[22]。熊ヶ畑 - 真崎間には現在バス交通はない。

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^ただし、桂川町内に上山田線の駅は存在しなかった。
  2. ^1984年2月ダイヤ改正時点では1往復が設定されている[11]

出典

[編集]
  1. ^鉄道省運輸局 編『鉄道電報用略号集』鉄道教育会、1937年2月15日、24頁。doi:10.11501/1036921https://dl.ndl.go.jp/pid/1036921/1/21 
  2. ^ab歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 4号、12頁
  3. ^ab歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 4号、15頁
  4. ^ab「TOPIC PHOTOS」『鉄道ピクトリアル』第38巻第12号、電気車研究会、1988年12月、88頁。 
  5. ^abcdef歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 4号、13頁
  6. ^歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 4号、14頁
  7. ^ab『国鉄監修 交通公社の時刻表』1966年3月号、日本交通公社、237頁。 
  8. ^ab『国鉄監修 交通公社の時刻表』1968年10月号、日本交通公社、160頁。 
  9. ^ab『国鉄監修 交通公社の時刻表』1972年3月号、日本交通公社、180頁。 
  10. ^ab『交通公社の時刻表』1988年3月号、日本交通公社、338頁。 
  11. ^『国鉄監修 交通公社の時刻表』1984年1・2月号、日本交通公社、244頁・247頁。 
  12. ^『JNR編集時刻表』1987年4月号、弘済出版社、299頁。 
  13. ^abcdefg『写真集 九州の鉄道 1963-2000』葦書房、2000年6月10日、22,33,35-37頁。 
  14. ^鉄道ジャーナル (鉄道ジャーナル社) 第12巻 (第6号): 107. (1978-6-1). 
  15. ^『失われた鉄道100選Ⅱ』淡交社、1997年11月25日、179頁。 
  16. ^トロッコフェスタ実行委員会【公式】嘉麻市 (@YAMADATOROKKO) -X
  17. ^トロッコフェスタ in YAMADA”. 福岡県観光情報 クロスロードふくおか. 2025年8月27日閲覧。
  18. ^廃線レール1700メートル盗難 福岡、売却目的か」『河北新報河北新報社、2004年11月20日。オリジナルの2004年11月20日時点におけるアーカイブ。2023年5月21日閲覧。
  19. ^旧JRのレール4キロ盗む 福岡県警、2人逮捕」『Yahoo!ニュース』(共同通信社)2005年2月18日。オリジナルの2005年4月5日時点におけるアーカイブ。2023年5月21日閲覧。
  20. ^西鉄バス路線図”. 2025年9月16日閲覧。
  21. ^嘉麻市公共交通路線図”. 2025年9月16日閲覧。
  22. ^ふれあいバス路線図”. 2025年9月16日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩く』 2巻、日本交通公社出版事業局〈JTBキャンブックス〉、1996年9月、140-143頁。ISBN 4-533-02533-1 
  • 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩く』 6巻、JTB〈JTBキャンブックス〉、1999年3月、4-14頁。ISBN 4-533-03150-1 
  • 宮脇俊三・原田勝正 編『九州2800キロ』小学館〈鉄道の旅:全線全駅〉、1982年、126-127頁。 
  • 宮脇俊三・原田勝正 編『九州720駅』小学館〈国鉄全線各駅停車〉、1983年、122-123頁。 
  • 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編)「筑豊本線・日田彦山線・後藤寺線・篠栗線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第4号、朝日新聞出版、2009年8月2日。 

外部リンク

[編集]
第1次廃止対象路線
第2次廃止対象路線
第3次廃止対象路線
路線
営業路線
廃止路線
鉄道事業部など
現有組織
廃止組織
車両基地・車両工場
現有組織
廃止組織
乗務員区所
現有組織
廃止組織
関連項目
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=上山田線&oldid=106611223」から取得
カテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp