| 「三越映画劇場」とは異なります。 |
| 三越劇場 Mitsukoshi Theater | |
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| 情報 | |
| 正式名称 | 三越劇場 |
| 旧名称 | 三越ホール |
| 完成 | 1927年 |
| 開館 | 1927年4月 |
| 収容人員 | 514人 |
| 客席数 | 1階:402 2階:112 |
| 用途 | 演劇、演芸、歌舞伎、ミュージカル興行 |
| 運営 | 三越伊勢丹 |
| 所在地 | 〒103-8001 東京都中央区日本橋室町1-4-1 日本橋三越本店 本館6階 |
| 位置 | 北緯35度41分8.6秒東経139度46分25.4秒 / 北緯35.685722度 東経139.773722度 /35.685722; 139.773722 (三越劇場)座標:北緯35度41分8.6秒東経139度46分25.4秒 / 北緯35.685722度 東経139.773722度 /35.685722; 139.773722 (三越劇場) |
| アクセス | 東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅下車。 |
| 外部リンク | 三越劇場 |
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三越劇場(みつこしげきじょう、英語:Mitsukoshi Theater)は、三越日本橋本店の本館6階にある劇場である。
収納できる座席数は最大514席で、1927年(昭和2年)に「三越ホール」という名称で開場。開場の当初は、歌舞伎や新劇の劇団興行が催されていて、古典芸能と大衆娯楽の復興に貢献した。第二次世界大戦中の一時閉鎖を経て、終戦翌年の1946年(昭和21年)から、施設名を「三越劇場」に改めたうえで営業を再開している。
「三越ホール」時代からの通算で開場90周年に当たる2017年(平成29年)には、加藤拓也が脚本と演出を手掛けた舞台作品『壁蝨』(だに)を上演。初演日(8月30日)時点での加藤の年齢は23歳8ヶ月で、正式な記録は残っていないものの、関係者によれば「当劇場で上演された作品の脚本家・演出家としては歴代最年少」とされている[1]。
定期的に行われている三越名人会や、三越落語会、毎年夏休みと冬休みに行われている劇団東少[2]の三越夏休みファミリー劇場が行われている。
三越は、かつて大阪市内で営業していた大阪店の旧館でも、同名の劇場兼映画館を運営していた。旧館は地下1階・地上8階の洋風建築で、1917年(大正6年)の営業開始当初から使用。館内の「三越劇場」では上方落語の高座なども催されていたが、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災発災を受けて旧館が解体されることに伴って、閉館を余儀なくされた。阪神・淡路大震災の震源(兵庫県の淡路島北部)から遠く離れているにもかかわらず、かねてから老朽化が進んでいた旧館の外壁に亀裂が入ったほか、館内の各階で水漏れなどが発生したことによる。
これに対して、三越は旧館の敷地内に平屋建ての新館を建設。この新館で1996年(平成8年)5月から大阪店の営業を再開した。もっとも、新館は劇場を併設しておらず、大阪店自体も2005年(平成17年)5月5日に閉店している。
| 公式サイト:www.imhds.co.jp | |||||||||||||||
| 持株会社 | |||||||||||||||
| 三越伊勢丹 |
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| 専門館 | |||||||||||||||
| 系列企業 |
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| 三越・伊勢丹関係人物 | |||||||||||||||
| 関連項目 |
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スタジオアルタ | ||
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| 法人 | ||
| 運営劇場 | ||
| 制作番組 | 森田一義アワー 笑っていいとも!シリーズ(増刊号 -SP -特大号 -夜のドラマ特大号) -日本全国ひる休み -笑ってる場合ですよ! -オレたちひょうきん族 -ライオンのいただきます -何だ?こりゃ -ブレイクもの! -バクマリヤ -プレミアの巣窟 -金爆一家 -久保みねヒャダこじらせナイト -タモリの突撃ナマ放送 -タモリの歌謡スター笑 -レディス4 -ザ・買物ゲーム -独占スタージャック!アッコと文珍の生放送 -梁山泊 -5時に夢中! -バラいろダンディ -淳と隆の週刊リテラシー -マスカットナイト | |
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