三田市(さんだし)は、兵庫県の南東部に位置する市。阪神北県民局管轄区域。本項では市制前の名称である有馬郡三田町(さんだちょう)についても述べる。
摂津国が丹波国・播磨国と国境を接している阪神地域の北側に位置している。
三田市の中心部
天神から市役所方向を望む
三田市の郊外である永沢寺兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置し、北摂北神地域の中心都市である。伊丹市、宝塚市、川西市、猪名川町とともに4市1町で「ひょうご北摂エリア」として協議会を組織している[1]。北摂三田高等学校や北摂三田テクノパークのように「北摂」と冠称で地域名称が付与される場合がある。
かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相を呈していたが、1980年代からの大規模住宅団地の開発と、福知山線(JR宝塚線)の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として急激な発展を遂げた。今日では都市と農村の二つの顔を併せ持つ田園都市と、カルチャータウンを始めウッディタウンやフラワータウンなどの高級住宅街を有する住宅都市となっている。近年では、ウッディタウンを中心にスーパーマーケットやショッピングモールなどの新規出店が相次ぎ、阪神間隋一の激戦区となっているため商業都市でもあり、さらに阪神北地域では市内総生産が伊丹市に次いで高く、製造業の割合が高いため、工業都市でもある。市内の標高最高地点は峰山の697m、最低標高地点は116mであり、市内の北部や東部は山岳地帯である。郵便番号は669-13XX〜15XX。[2]
- 有馬富士 374m
- 羽束山 528m
- 大船山 653m
- 虚空蔵山 592m
- 三国ヶ岳 648m
- 愛宕山 648m
- 千丈寺山 589m
- 峰山697m
- 扶美ヶ岳 666m
- 峯ヶ岳 659m
- 昼ヶ岳 595m
- 奥山 580m
- 烏ヶ岳 528m
[2]
三田市が運営する浄水場には古城浄水場(水源は武庫川表流水及び山田川)、高平浄水場(水源は浅井戸)、母子浄水場(水源は勝合谷池表流水)の3つがあり、不足分を兵庫県企業庁三田浄水場(水源は武庫川表流水)から受水している[3]。
1958年10月1日に市制施行時に初めて統計を取った時の人口は32673人であり、兵庫県での市で一番人口が少ない自治体であった。市制施行後も人口は横ばいであり、1985年10月1日の調査まで3万人台で推移していた。しかし、大阪のベッドタウンとして、北摂三田ニュータウン開発が始まったことにより、人口が急激に増加し、1985年に4万人、1990年に6万人、1991年に7万人、1993年に8万人、1996年には10万人を突破した。人口増加率は兵庫県はおろか10年連続日本一を記録した[4][5][6]。1999年10月1日の調査では11万395人を記録したが、その後は人口増加率が緩やかになった[6]。2010年の国勢調査で11万4216人になった後は横ばい・減少傾向となっている[6]。ニュータウン内に市内の人口の半分以上が居住している[7][8][9]。新規住民が少ない農村地域やフラワータウンの高齢化対策が課題となっている。
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| 三田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 三田市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 三田市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
三田市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 33,090人 | | | 1975年(昭和50年) | 35,261人 | | | 1980年(昭和55年) | 36,529人 | | | 1985年(昭和60年) | 40,716人 | | | 1990年(平成2年) | 64,560人 | | | 1995年(平成7年) | 96,279人 | | | 2000年(平成12年) | 111,737人 | | | 2005年(平成17年) | 113,572人 | | | 2010年(平成22年) | 114,216人 | | | 2015年(平成27年) | 112,691人 | | | 2020年(令和2年) | 109,238人 | |
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| 総務省統計局国勢調査より |
2024年現在約11万人となっている。現在の人口は1996年(平成8年)とほぼ同じ水準である。三田市の人口は他の多くのベットタウンの自治体とは異なり平成初期に伸びているのが特徴である。総人口は1950年時点では3.3万人程であり1985年時点でも約4万人程度に留まっており,この期間7,000人程度(率にして2割ほど)の人口増加に過ぎなかったが,1985年以降から2000年までの15年間にかけては6万人以上(市の人口は2.7倍)の急速な人口増加期を迎えた。2010年の国勢調査で114,216人を記録してからは横ばいあるいは減少に転じた。
表1. 国勢調査結果に基づく三田市(に相当する地域)の人口推移| 実施年 | 三田市人口(人) | 三田市増加数(人) | 三田市増加率(%) | 国内増加率(%) |
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| 1950年 | 33,211 | - | - | - |
|---|
| 1955年 | 33,667 | 456 | 1.4 | 7.3 |
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| 1960年 | 32,528 | 1,139 | 3.4 | 4.6 |
|---|
| 1965年 | 32,265 | 263 | 0.8 | 5.2 |
|---|
| 1970年 | 33,090 | 825 | 2.6 | 5.5 |
|---|
| 1975年 | 35,261 | 2,171 | 6.6 | 7.9 |
|---|
| 1980年 | 36,529 | 1,268 | 3.6 | 4.6 |
|---|
| 1985年 | 40,716 | 4,187 | 11.5 | 3.4 |
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| 1990年 | 64,560 | 23,844 | 58.6 | 2.1 |
|---|
| 1995年 | 96,279 | 31,719 | 49.1 | 1.6 |
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| 2000年 | 111,737 | 15,458 | 16.1 | 1.1 |
|---|
| 2005年 | 113,572 | 1,835 | 1.6 | 0.7 |
|---|
| 2010年 | 114,216 | 644 | 0.6 | 0.2 |
|---|
| 2015年 | 112,691 | 1,525 | 1.3 | 0.8 |
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| 2020年 | 109,238 | 3,453 | 3.1 | 0.8 |
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1989年までの面積は211.90km2。1990年には210.34km2となり、1994年には210.22km2となった[2]。
冬場になると最低気温が低くなるため、「近畿のシベリア」や「兵庫のチベット」と揶揄されることがある。ただ、最低気温になるのは明け方のことであり[10]、日中になると他都市の方が冷えることが多い[11]。
| 三田(標高150m)の気候 |
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| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
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| 最高気温記録°C (°F) | 17.4 (63.3) | 20.8 (69.4) | 24.3 (75.7) | 29.1 (84.4) | 31.6 (88.9) | 35.4 (95.7) | 37.2 (99) | 38.4 (101.1) | 36.8 (98.2) | 32.1 (89.8) | 26.3 (79.3) | 22.1 (71.8) | 38.4 (101.1) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 7.7 (45.9) | 8.7 (47.7) | 12.6 (54.7) | 18.5 (65.3) | 23.5 (74.3) | 26.5 (79.7) | 30.2 (86.4) | 31.8 (89.2) | 27.4 (81.3) | 21.7 (71.1) | 16.0 (60.8) | 10.3 (50.5) | 19.6 (67.3) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | 2.5 (36.5) | 3.3 (37.9) | 6.8 (44.2) | 12.3 (54.1) | 17.5 (63.5) | 21.6 (70.9) | 25.5 (77.9) | 26.4 (79.5) | 22.3 (72.1) | 16.1 (61) | 10.0 (50) | 4.7 (40.5) | 14.1 (57.4) |
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| 平均最低気温°C (°F) | −2.2 (28) | −1.8 (28.8) | 1.0 (33.8) | 5.9 (42.6) | 11.4 (52.5) | 17.1 (62.8) | 21.6 (70.9) | 22.1 (71.8) | 17.9 (64.2) | 11.0 (51.8) | 4.4 (39.9) | −0.4 (31.3) | 9.0 (48.2) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −10.1 (13.8) | −9.5 (14.9) | −6.3 (20.7) | −2.8 (27) | −1.2 (29.8) | 7.0 (44.6) | 12.6 (54.7) | 14.1 (57.4) | 7.6 (45.7) | 0.1 (32.2) | −3.7 (25.3) | −10.6 (12.9) | −10.6 (12.9) |
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| 降水量 mm (inch) | 41.7 (1.642) | 52.6 (2.071) | 92.8 (3.654) | 94.7 (3.728) | 125.5 (4.941) | 165.1 (6.5) | 171.1 (6.736) | 128.4 (5.055) | 165.5 (6.516) | 127.5 (5.02) | 66.5 (2.618) | 50.4 (1.984) | 1,281.8 (50.465) |
|---|
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 5.8 | 6.8 | 9.8 | 9.4 | 10.1 | 11.4 | 10.5 | 8.4 | 10.3 | 8.5 | 6.4 | 6.6 | 104.0 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 134.6 | 128.9 | 157.8 | 181.2 | 182.9 | 131.9 | 148.4 | 198.7 | 146.7 | 158.5 | 143.2 | 140.5 | 1,853.3 |
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| 出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[12][13] |
2010年国勢調査における大阪市への通勤率は13.8%、神戸市への通勤率は12.3%だった。
「金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内に記された恩田・悲田・敬田の『三福田』に由来する」という説が旧『三田市史』などに掲載されているが、新版『三田市史』(2012年完結)編纂時の調査時には確認できず、現在は地域の伝承として扱われている。
音読みの「サン」に、訓読みの「だ」が接続するのは異例。なお、「三田村」の表記が確認できる最古の記録は、室町時代後期の寛正7年(1477年)の古文書[14]。
三田盆地は旧石器時代から、人々が暮らした痕跡がある。2万5千年前の遺跡である広野地区の溝口遺跡からはナイフ形石器のほか、縄文時代の石鏃などが出土している。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡や平方遺跡は弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴建物跡などが検出されている。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の東仲古墳 、沢山1号墳など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が検出されており、「末(すえ)」という地名は今も残っている。これは三田市の北西に隣接する丹波篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられている。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が検出される複合遺跡である。
現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀頃からと考えられる。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡の松山氏が荘官として管理し通称「松山の庄」と呼ばれていた。また、金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成された。
北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園であったが、14世紀の松山彈正が荘官の時、荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納する。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していく。
平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城、貴志城、大原城などの小さな山城を築いて統治していた。
室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎片家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。
なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。
有馬郡時代の三田周辺地図「有馬郡全図」 出典:有馬郡誌
三田市中心部周辺の空中写真。2009年4月18日撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成- 1956年(昭和31年)12月7日 現在の市章である町章を制定する[4][15][16][17]。
- 1958年(昭和33年)7月1日単独市制を実施、三田市が誕生する[18](兵庫県下21番目の市[※ 1])。これにより、有馬郡は消滅。
- 1965年(昭和40年)9月30日 福祉都市宣言を制定する[19]。
- 1967年(昭和42年)三田学園高等学校が選抜高等学校野球大会初出場を決める。
- 1968年(昭和43年) 北摂ニュータウン・青野ダム開発計画発表。
- 1968年(昭和43年) 市花・市木を制定する[4]。
- 1968年(昭和43年)6月29日 市旗を制定する[20]。
- 1973年(昭和48年) 北摂ニュータウン起工。
- 1974年(昭和49年) 中央公民館落成。
- 1975年(昭和50年) 市立全校園で完全給食化。
- 1978年(昭和53年) 第1回・三田まつり開催。
- 1981年(昭和56年) 北摂ニュータウン(南地区)入居開始。
- 1982年(昭和57年) 北摂ニュータウン(翌年、北摂三田ニュータウンに改称)街開き。
- 1985年(昭和60年) マスコットを決める[4]。
- 1986年(昭和61年)国鉄(現・JR西日本)福知山線全線電化。宝塚〜新三田間複線化。新三田駅が開業。兵庫県立北摂三田高等学校開校式(ニュータウン初の県立高校)。
- 1987年(昭和62年) 北摂三田テクノパーク操業開始。
- 1988年(昭和63年) 近畿自動車道舞鶴線(現・舞鶴若狭自動車道)三田西IC、中国自動車道神戸三田ICが開通。高速バス(福知山高速線)運転開始。
- 1989年(平成元年)福知山線に快速電車が設定。
- 1990年(平成2年)六甲北有料道路が開通。三田市立図書館開館。
- 1991年(平成3年)神戸電鉄公園都市線横山 -フラワータウン間開通。
- 1992年(平成4年)兵庫県立人と自然の博物館が開館。
- 1993年(平成5年)兵庫県立三田西陵高等学校開校式。人口増加率が県下で10年連続1位(全国では6年連続1位)
- 1994年(平成6年) 高平ふるさと交流センター開館。三田幹線が全線開通。
- 1995年(平成7年)関西学院大学神戸三田キャンパス開設(西宮市のキャンパスとは別途新設)。 三田市民病院(新庁舎)開院。フラワータウン市民センター開館。
- 1996年(平成8年)神戸電鉄公園都市線フラワータウン -ウッディタウン中央間開通。人口10万人突破。広野市民センター開館。
- 1997年(平成9年)JR西日本福知山線 新三田〜篠山口間複線化。人口増加率10年連続日本一。
- 1998年(平成10年)トライやる・ウィークを初めて実施。福知山高速線廃止。
- 1999年(平成11年) 新三田駅前立体駐輪・駐車場が供用開始。
- 2000年(平成12年) 藍市民センター開館。センチュリーパーク(三田ウッディタウンサティなど)が営業開始。
- 2001年(平成13年) 市街地循環バスの試験運行開始(神姫バスが運行受託)
- 2002年(平成14年)兵庫県立三田祥雲館高等学校開校式。
- 2003年(平成15年)Honey FM(ハニーエフエム)が本放送開始。放送局は弥生が丘のフローラ88。
- 2004年(平成16年)3月 三田市ツーリズム振興指針を策定する[21]。
- 2004年(平成16年)4月1日 湊川女子高等学校が男女共学化し、三田松聖高等学校に名称変更。
- 2004年(平成16年)5月 市内の3700万年前の地層から炭獣の化石が発見された(サンダタンジュウ)。
- 2005年(平成17年)3月6日 三田ツーリズムを開催する[21][22]。
- 2005年(平成17年)9月15日 三田駅前一番館「キッピーモール」開業。
- 2005年(平成17年) ウッディタウン市民センター開館。
- 2005年(平成17年)全国育樹祭が兵庫県で開催。皇太子徳仁親王が市内訪問。
- 2006年(平成18年) 行革断行プラン公表。のじぎく兵庫国体開催(ハンドボール女子、軟式野球)
- 2007年(平成19年) 三田市総合文化センター(愛称:郷の音ホール)開館。同時に三田市民会館閉館。
- 2008年(平成20年)7月1日 三田市制50周年。
- 2012年(平成24年)3月 三田まちづくり憲章を制定する[9]。
- 2015年(平成27年)1月13日 市役所新庁舎が供用開始。
- 1889年(明治22年)4月1日 -町村制の施行により、有馬郡三田・三田屋敷町・三田村・寺村および下深田村の飛地の区域をもって三田町が発足。
- 1943年(昭和18年)12月20日 - 有馬郡貴志村の一部(下深田・上深田・池尻・貴志)を編入。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 有馬郡三輪町・広野村・小野村・高平村と合併し、改めて三田町が発足。
- 1957年(昭和32年)7月18日 - 有馬郡相野町を編入。
- 1958年(昭和33年)7月1日 - 市制施行して三田市となる。
兵庫県三田庁舎- 西藤五郎(1958年8月 - 1967年8月)
- 赤尾茂(1967年8月 - 1971年8月)
- 岡崎元次(1971年8月 - 1979年8月)
- 塔下真次(1979年8月 - 1999年8月)
- 岡田義弘(1999年8月 - 2007年8月)
- 竹内英昭(2007年8月 - 2015年8月)
- 森哲男(2015年8月 - 2023年8月)
- 田村克也(2023年8月 - )
- 日本国内
- 日本国外
市の木はアカマツ、市の花はサツキである。市の鳥は選定されていないが、市のマスコットの「キッピー」はキジがモチーフになっている。
- 2023年兵庫県議会議員選挙
- 選挙区:三田市選挙区
- 定数:2人
- 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
- 投票日:2023年4月9日
- 当日有権者数:89,446人
- 投票率:42.44%
- 2019年兵庫県議会議員選挙
- 選挙区:三田市選挙区
- 定数:2人
- 任期:2019年6月11日 - 2023年4月30日[24]
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:92,474人
- 投票率:39.07%
- 三田市内は、旧町村を基にした7地区とニュータウンの3地区の計10地区(三田地区・三輪地区・広野地区・小野地区・高平地区・藍地区・本庄地区・フラワータウン地区・ウッディタウン地区・カルチャータウン地区)に分けられる[6][25]。
| - 藍市民センター
- 野外活動センター
- 三田市立図書館
- 城山公園
- 総合福祉保健センター
- 郷の音ホール 総合文化センター
- 多世代交流館 ふらっと
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武庫川と三田市街地
総合文化センター(郷の音ホール )
- 都市再生機構あかしあ台ハイツ
- 都市再生機構あかしあ台ハイツ第2
- 都市再生機構すずかけ台ハイツ
- 都市再生機構すずかけ台ハイツ第2
- 都市再生機構すずかけ台ハイツ第3
- 県営三田高次住宅
- 県営三田武庫が丘住宅
- 県営三田狭間が丘住宅
- 県営三田富士が丘住宅
- 県営三田大池住宅
- フラワータウンアミル21
- サンディパークス
- セントラルヒルズ
- ディア・コルモ武庫が丘
- グリーンスクエア三田
- 藤和ライブタウン三田
- 東急ドエル・アルス三田ウッディタウン中央
- 三田カルチャータウン・リフォレ
キッピーモール三田駅前再開発によりキッピーテラス、フローラ88跡地にそよら三田フラワータウンが2027年に開業予定。
日乃本食産通学区域の指定は市の公式HP[33]による。
- 市立校
- 私立校
三田駅- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 神戸電鉄
市の代表駅として中心的な役割を担っているのは、三田駅である。第2の中心となる駅は、ウッディタウン中央駅・新三田駅である。
優等路線としては、市の中心部や住宅地と新神戸駅・神戸三宮駅・神戸空港を高速道路経由で結ぶ特急三ノ宮線があり、神戸方面も短時間で結ばれている。朝ラッシュ時は10分間隔で運行されており、JR線や神戸電鉄線と競合関係にある。ただし、大阪梅田・神戸三宮から三田へは鉄道が圧勝となっている。大阪駅・新大阪駅方面の路線については、1999年に福知山高速線が廃止となったが、2018年より新大阪 - 三田線が運行されている。
市内のテレビ放送は、地上アナログ放送時代は大阪府の生駒山から発せられる電波が六甲山系に遮られ難視聴地域であったため、民間のケーブルテレビが発達し多くの世帯はケーブルテレビを通じて視聴していたが、地上デジタル放送に移管後は近畿広域圏の放送は西宮市山口町の丸山山上(378m)にある西宮山口中継局から送信されており、ニュータウンや市街地であれば通常に電波受信が可能となっている。但し、テレビ大阪は大阪府の生駒山のTV塔からの送信だけであり、その電波が受信できる世帯に限り視聴可能である。ケーブルテレビ運営会社もネットサービスなどを充実させており、電波状況や住環境に合わせて選択もできる。
三田市は1980年代からの北摂三田ニュータウン(フラワータウン・ウッディタウン・カルチャータウン・北摂三田テクノパークの4団地で構成)開発を軸に発展してきた。これらの都市開発は多摩や千里の問題点を改善して計画され、事業に長期間かけたのが特長である。開発面積の合計は1,200haにも及ぶ。さらに、これらの開発が呼び水となり市内では民間主導の開発が活発化した。ゴルフ場跡地やニュータウン近隣の山林造成などで宅地を開発するとともに、ニュータウンにならい○○タウンと称して分譲され、三田市が1988年から1997年まで10年連続で人口増加率日本一となる一因ともなった。2006年11月時点のニュータウンの人口は三田市人口のほぼ半数にあたる56,521人。2010年11月現在では58,721人となっている。
なお、北摂三田ニュータウンの既設4団地と、神戸市域の藤原台地区および北神戸第1〜3地区(神戸リサーチパーク)の4団地を足した計8団地は、総面積2,000haにおよぶ神戸三田国際公園都市と称される。
フラワータウンの街並み
御霊神社
旧九鬼家住宅- キッピー、ハッピー、チャッピー(市のマスコットキャラクター)[38]
- えべっちゃん(町おこし市民グループさしすせその会)[39]
- ほっくん、くーちゃん、さっちゃん、だーくん(北摂三田高校)[40]
- くーも(三田祥雲館高校)[40]
- 三田剛君、横山愛ちゃん(三田学園)[40]
- 愛の妖精さっちゃん(社会福祉法人三田市社会福祉協議会)[41]
- ^既に消滅した兵庫県下6番目の市である飾磨市(1940年2月11日 - 1946年3月1日)が入るため21番目となる。
- 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113。
- 中川幸也『シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」』中川ケミカル、1987年10月11日。
- 望月政治『都章道章府章県章市章のすべて』日本出版貿易株式会社、1973年7月7日。
- 神戸新聞総合出版センター・編 編『兵庫県の難読地名がわかる本』(第一冊発行)のじぎく文庫、2006年12月28日。ISBN 4-343-00382-5。
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