| みつばやし きょうこ 三林 京子 | |
|---|---|
| 本名 | 宮永 佳代子 |
| 別名義 | 三代目桂 すずめ |
| 生年月日 | (1951-07-17)1951年7月17日(74歳) |
| 出生地 | (現:大阪市住之江区) |
| 身長 | 162cm[1] |
| 血液型 | A型[1] |
| 職業 | 女優・声優・ナレーター |
| ジャンル | 舞台・テレビドラマ・映画 |
| 活動期間 | 1970年[1] - |
| 配偶者 | 独身 |
| 著名な家族 | 二世桐竹勘十郎(父) 三世桐竹勘十郎(弟) 吉田簑次(甥) |
| 事務所 | 米朝事務所 |
| 公式サイト | 公式サイト |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『元禄太平記』 『ふたりっ子』 『スカーレット』 | |
| テンプレートを表示 | |
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター[1]。本名、宮永 佳代子[2]。
大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。
実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎[3]。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。
文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した[3]。
1970年に大谷高等学校を卒業[3]後、東宝演劇部と契約[3]。プロデューサーで東宝重役の菊田一夫から「三林京子」と命名される。「三林」は「左右対称の文字の名前は大物になる」という菊田自身の持論からで、「京子」は本人に「何となく京都のイメージがした」ことに由来するという[2]。同年の東宝の舞台『女坂』にて芸術座で初舞台に立ち[3]、女優デビューを果たす[1]。
1973年には、『太陽にほえろ!』(制作=東宝・日本テレビ)第62話でテレビデビュー。金庫破り一味の謎の司令塔役を演じた。1975年には『元禄太平記』でNHK大河ドラマ初出演。1978年にフリーとなり、新歌舞伎座、明治座、前進座などの舞台を中心に、俳優としてのキャリアを積む。他にも浄瑠璃、藤間流、山村流などの日本舞踊、狂言を修行する。1970年代後半にはNHKによる連続テレビ時代劇路線で相次いでヒロインに起用された。
連続テレビ小説(NHK総合)には1985年度後期放送の『いちばん太鼓』から2023年度後期放送の『ブギウギ』まで昭和・平成・令和の3時代にわたって9作品に出演している[4]。
三代目桂 すずめ(かつら すずめ、1951年7月17日 - )は、日本の落語家。本名、宮永 佳代子。
| 3代目 | |
結三柏は、桂米朝一門の定紋である。 | |
| 本名 | 宮永 佳代子 |
|---|---|
| 生年月日 | (1951-07-17)1951年7月17日(74歳) |
| 出身地 | (現:大阪市住之江区) |
| 活動期間 | 1997年 - |
| 活動内容 | 1997年:3代目桂米朝に入門 1998年:初高座 |
| 公式サイト | 公式プロフィール |
1997年6月、京都南座での舞台『海道一の男たち』で米朝一門と共演したのをきっかけに、3代目桂米朝に落語家として正式に入門。大いに話題となった。従来は米朝は女性の弟子はとらなかったので、一門初の女性落語家となる。三代目桂 すずめ(かつら すずめ)の名を許され、翌1998年に噺家としての初高座を踏んだ。現在も所属事務所は米朝事務所。
この節の加筆が望まれています。 |
エランドール賞 新人賞 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
|
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |