| 三木 卓 (みき たく) | |
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| 誕生 | 冨田 三樹(とみた みき) (1935-05-13)1935年5月13日 |
| 死没 | (2023-11-18)2023年11月18日(88歳没) |
| 職業 | 小説家・詩人 |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 | |
| 教育 | 学士(文学) |
| 最終学歴 | 早稲田大学第一文学部露文科 |
| 活動期間 | 1966年 -2023年 |
| ジャンル | 小説・詩・翻訳・随筆・評論 |
| 代表作 | 『わがキディ・ランド』(1970年・詩集) 『鶸』(1973年) 『路地』(1997年) 『裸足と貝殻』(1999年) 『K』(2012年) |
| 主な受賞歴 | H氏賞(1967年) 高見順賞(1970年) 芥川龍之介賞(1973年) 野間児童文芸賞(1984年) 平林たい子賞(1986年) 芸術選奨(1989年) 路傍の石文学賞(1997年) 谷崎潤一郎賞(1997年) 紫綬褒章(1999年) 読売文学賞(2000年) 藤村記念歴程賞(2005年) 毎日芸術賞(2006年) 蓮如賞(2006年) 日本芸術院賞・恩賜賞(2007年) 旭日中綬章(2011年) 伊藤整文学賞(2012年) |
| デビュー作 | 『東京午前三時』(1966年) |
| 所属 | 日本芸術院 |
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三木 卓(みき たく、1935年〈昭和10年〉5月13日 -2023年〈令和5年〉11月18日[1])は、日本の小説家、詩人、ノンフィクション作家、児童文学作家、翻訳家。日本芸術院会員。従四位。紫綬褒章。芸術院恩賜賞。
詩人として出発し、『東京午前三時』(1966年)、『わがキディ・ランド』(1970年)などの詩集をもつ。中国体験を素材にした『鶸』(1972年)で芥川賞受賞。ほかに『砲撃のあとで』(1973年)など。
本名は冨田 三樹[1]。東京に生まれる[1]。満洲日日新聞などの新聞記者だった父に連れられ、2歳から10歳まで大連に移住して過ごす[2]。かつて実業之日本社で児童文学の編集者をしていた父に与えられた少年少女文学集など多くの本に大きな影響を受ける。しかし敗戦で引き揚げを余儀なくされ、帰国途中で父と祖母らを亡くす[2]。
帰国後は父の故郷静岡県御前崎近くに育ち、母子家庭の貧困と小児麻痺による左足の障害に苦しみながら、静岡県立静岡高等学校を経て[2]、1955年早稲田大学第一文学部露文科に入学[3]。
大学卒業後は日本読書新聞に編集者として勤務[4]。河出書房就職の後、江東区に居を構える。当時あかね書房編集部の山下明生と知り合い、親交を深める。詩を書き始め、ロシア文学の翻訳を手がけるようになる。1967年に詩集『東京午前三時』でH氏賞[1]、1971年に詩集『わがキディ・ランド』で高見順賞受賞[1]。
その後、小説も書き始め、「ミッドワイフの家」で芥川賞候補になり、1973年に「鶸」(連作『砲撃のあとで』のうちの一編)で芥川賞を受賞[1][5]。これ以降、作家としての活動が中心となる[1]。中でも破傷風にかかった娘を描写した初期の中編『震える舌』(1975年)は高く評価され、のちに野村芳太郎によって映画化された[1]。
1980年代からは三浦半島のリゾートマンション(横須賀市芦名)に住み、小説を書くようになる。1984年に児童文学『ぽたぽた』で野間児童文芸賞、1986年に小説『馭者の秋』で平林たい子文学賞[3]、1989年に小説『小噺集』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する[3]。
1994年、心筋梗塞のため死にかけたことから鎌倉市雪ノ下に居を移し、このときの臨死記録をノンフィクション『生還の記』で発表。1997年に児童文学『イヌのヒロシ』で路傍の石文学賞、同年に小説『路地』で谷崎潤一郎賞[1]を受賞。1999年、紫綬褒章受章[2]。
2000年に小説『裸足と貝殻』で読売文学賞[2]、2006年に評伝『北原白秋』で毎日芸術賞、藤村記念歴程賞、蓮如賞をそれぞれ受賞する。2007年に文学諸分野での長年の功績が認められ、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞[5]、日本芸術院会員となる。2011年春の叙勲で旭日中綬章を授与される[5][6]。2012年、詩人だった妻福井桂子の思い出を綴った私小説『K』を上梓し、伊藤整文学賞を受賞。
2023年11月18日、老衰のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去[5][7]。88歳没。叙従四位[8]。
詩は観念的な言葉ではなく生活感に根ざした作風で[1]、小説は生々しい人物描写が特徴である[5]。作風は人のあたたかさが感じられる心優しい作風であった[3]。
英米、ロシアの児童文学の翻訳は数多く、特にアーノルド・ローベルのシリーズはロングセラーとなっている[要出典]。「系図」という詩は、高田渡により作曲、歌われ、ボンゾズがカヴァーしている[要出典]。
テストや問題集などにおいて、著作者の許諾なく著作物が使用されることには否定的で、日本は文化の後進国であり検印制度を復活すべきだと主張している[9]。
・難波律郎 - 1957年秋に阿佐ヶ谷駅南口前の虎屋2階の喫茶部で出会う[10]。三木が初めて出会った本格的な詩人である[11]。
第69回芥川龍之介賞 | |||||||||
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第33回谷崎潤一郎賞 | |
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| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
毎日芸術賞受賞者 | |
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||