三宅 博 みやけ ひろし | |
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2014年 | |
生年月日 | (1950-04-07)1950年4月7日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | (2017-04-24)2017年4月24日(67歳没) |
出身校 | 大鉄高等学校 (現:阪南大学高等学校) 四天王寺大学人文社会学部 |
前職 | 不動産会社社長 |
所属政党 | (無所属→) (たちあがれ日本→) (太陽の党→) (旧日本維新の会→) (次世代の党→) (日本のこころを大切にする党→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
配偶者 | 有 |
選挙区 | 比例近畿ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] -2014年11月21日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1999年 - 2009年 |
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三宅 博(みやけ ひろし、1950年4月7日 -2017年4月24日[2])は、日本の政治家。
衆議院議員(1期)、次世代の党総務副会長・財務局長、八尾市議会議員(3期)、特定失踪者問題調査会常務理事、頑張れ日本!全国行動委員会大阪支部代表などを歴任した。
大鉄高等学校(現・阪南大学高等学校)卒業後、不動産会社社長などを務めた[3] 後、1999年4月の八尾市議選に無所属で立候補し、初当選(連続3期)。市議時代、文教産業常任委員会に在籍[4]。
2000年、全国118名の地方議員で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国地方議員の会」を結成。副会長に就任。2003年以降、「特定失踪者問題調査会」常務理事として特定失踪者の調査救出活動に従事。2006年9月、河内国民文化研究会を設立し、会長に就任[4]。
2009年8月、八尾市議を辞職し、第45回衆議院議員総選挙に大阪14区から無所属(平沼グループの一員)で立候補したが落選。2010年4月、四天王寺大学人文社会学部入学[5]。同年10月、たちあがれ日本大阪第14支部長公認。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙で日本維新の会より比例近畿ブロック単独候補(名簿登載順位第11位)として立候補し、当選[6]。
2014年3月、四天王寺大学人文社会学部卒業。同年、日本維新の会の分党にともない次世代の党結党に参加。党総務副会長、財務局長に就任した。同年12月、第47回衆議院議員総選挙に大阪14区から立候補したが落選。
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙におおさか維新の会から比例区から立候補するも落選[7][8]。
2017年4月24日、肝臓がんのため死去。67歳没[2][9]。
年 | 選挙名 | 選挙区 | 所属政党 | 当落 | 順位 | 惜敗率 | 備考 |
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2009年 | 第45回衆院選 | 大阪14区 | 無所属 | 落選 | 4/5 | 7.4% | 同区の当選者は長尾敬 |
2012年 | 第46回衆院選 | 比例近畿ブロック | 日本維新の会 | 当選 | 比例単独で立候補。名簿順位11位 | ||
2014年 | 第47回衆院選 | 大阪14区 | 次世代の党 | 落選 | 4/4 | 15.4% | 同区の当選者は谷畑孝 |
2016年 | 第24回参院選 | 比例区 | おおさか維新の会 | 落選 | 8/18 | 最下位当選者は石井章 |
第41回 (定数33) |
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第42回 (定数30) |
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第43回 (定数29) |
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第44回 (定数29) |
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第45回 (定数29) |
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第46回 (定数29) |
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第47回 (定数29) |
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第48回 (定数28) |
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第49回 (定数28) |
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第50回 (定数28) |
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†:当選無効、↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 |