| 三宅 伸吾 みやけ しんご | |
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外務大臣政務官就任に際して公表された肖像写真 | |
| 生年月日 | (1961-11-24)1961年11月24日(63歳) |
| 出生地 | (現・さぬき市末) |
| 出身校 | 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業 東京大学大学院法学政治学研究科修了 |
| 前職 | 日本経済新聞社編集委員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 修士(東京大学・1995年) |
| 公式サイト | 三宅しんご(伸吾) |
| 選挙区 | 香川県選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 2013年7月29日 -2025年7月28日 |
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三宅 伸吾(みやけ しんご、1961年〈昭和36年〉11月24日 - )は、日本の政治家。
参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣・第1次石破内閣)、外務大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、参議院外交防衛委員長、自由民主党政務調査会環境部会部会長、同副会長、同党参議院政策審議会副会長などを歴任した[1][2][3]。
香川県志度町(現・さぬき市末)出身。農家の長男として生まれる。夜なべ仕事をする両親の背中を見て育つ。志度小学校の末分校に通い、ガキ大将として山里を駆け回る。 5年生からは自転車で峠を下り、本校に通学。この頃からサッカーを始める。[4]
志度中学では柔道部などに所属。卒業時158センチと小柄ながらも黒帯取得、現在は178センチ。藤井学園寒川高校に半年ほど通い、その後、新聞配達をしながら受験勉強。香川県立高松高校ではサッカー部のゴールキーパーとして香川県大会、四国大会ではともに準優勝に導く。[4]
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、日本経済新聞社に入社。日本企業の生産現場を毎日のように取材して歩く。[4]
1989年、米ニューヨーク市のコロンビア大学に留学。その後、東京大学・大学院法学政治学研究科に入学。修士論文を出版し日本経済新聞社に復帰。企業や中央官庁、政界を取材し、生きた日本経済や政策形成の最前線を日々学ぶ。東日本大震災発災直後には福島第一原発方面へ被災者支援と視察に行くなど、現場を自分の目で見ることを今も心がける。ベテラン記者職である編集委員を9年間にわたり務め、経済成長を促す様々な制度改革を提案。[4]
日本経済新聞編集委員としての国政批判に対し、ある国会議員からの「批判するのは簡単だ」との言葉が心に刺さり、批判や提言する立場から、自らの手で香川そして日本の課題を解決する道を決断[5]。
2012年8月、日本経済新聞社を退職。自由民主党香川県連が実施した次期参院選の公募に応募。5人が応募した選考会を経て、同年9月に自民党香川県参議院選挙区第二支部長に就任した[4]。
2013年、第23回参議院議員通常選挙に香川県選挙区(改選数1)から自民党公認で立候補し、初当選[4]。
2019年、第25回参議院議員通常選挙で再選。
2021年10月4日、第1次岸田内閣が発足。10月6日付で外務大臣政務官に就任した。
2023年9月13日、第2次岸田第2次改造内閣が発足。9月15日付で防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任した[6]。
2024年7月25日、翌年7月の第27回参議院議員通常選挙の香川県選挙区公認候補として擁立することが自民党から発表された[7]。
同年9月12日、岸田文雄総裁の後任を決める自由民主党総裁選挙において、小泉進次郎元環境相の推薦人となった[8]
参院選初当選から間もない2013年8月、三宅は参議院議員会館6階の事務所に女性(以下、A子とする)をアルバイトの事務員として雇用した。会館事務所には当初、三宅の妻も常駐していたが、10月頃に地元の香川に戻った。それをきっかけとしてA子は、会館事務所に勤める三宅の女性秘書と折り合いが悪くなり、10月27日、職場の人間関係を理由に退職したい旨のメールを三宅に送信した[14][15]。三宅は「夕食でもいかがですか。ホテルニューオータニのロビーで待ち合わせしたい」と返信し[16]、あわせて西麻布のフランス料理店にA子を誘った。A子の証言によれば、この夜の出来事がきっかけで、A子は事務所を退職した[14][15]。
2023年9月15日、政府は岸田改造内閣の副大臣26人・政務官28人の人事を決定[6]。三宅は防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任した。折しも自衛隊内では性加害やセクハラ行為が相次いで発覚している頃であり、A子はレッドカーペットが敷かれた階段の最前列で写真に収まる三宅の姿[17]を見たとき、「私にあのようなことをした人がなぜ、国の安全保障に携わる要職に就いてるのか」と思ったという[15]。
同年11月15日、週刊文春電子版が三宅の性加害疑惑を報道。同誌が三宅に事実関係を確認すると、三宅の事務所は顧問弁護士を通じ「議員は公務の予定後、A子さんとスタッフのいない事務所外で面談した可能性はあるが、セクハラ行為はあり得ない」と回答した[14]。
同日午後、松野博一官房長官は会見で上記の報道について言及。「特段の連絡は受けていない」と述べたうえで、記事の内容は把握しているとし、「本人が必要に応じ、適切に説明すると考えている」と語った[18]。
同年11月16日、参議院外交防衛委員会で、立憲民主党の福山哲郎が事実関係を確認すると、三宅は報道内容について、「御指摘の報道については、全く身に覚えがございません。その旨は週刊文春に対してもお答えをいたしております。その女性スタッフは、2013年10月27日に電子メールで私宛てに退職することを伝えてまいりました。本件記事では、その女性スタッフが私に相談のメールを送ったとありますけれども、そのメールは私に相談したいとの内容ではなく、既に退職したいと申し出る旨のメールでございます。退職の理由は、事務所スタッフとの不和と書かれていました。この記事では、あたかも私からセクハラ被害を受けたので退職したかのような内容になっておりますけれども、そのような事実はありません。」と述べて改めて否定した。その根拠として「全く身に覚えがない」「メールを確認したが、セクハラをうかがわせるようなやり取りは全くない」と説明した。また、「記事にあるようなセクハラの事実はないと確信いたしております。週刊文春に対しては、私が一切身に覚えがないと述べてきていること、私がその女性スタッフとのメールなどを提示して反論しているにもかかわらず、その女性スタッフの主張に偏った記事を掲載していることに対し、本日、弁護士を通じて抗議文を提出いたしました。」と説明した。A子と外食したかを問われると、「(メール受信日の翌日の)10月28日に面会しているのではないかと思うが、実際に面会したか、どこで面会したか、食事をとったかは覚えていない」と答えた。日本共産党の山添拓の質問に対しては、「退職後、セクハラに対する苦情といったものも含め、何らの接触もない」「クレームというか、その点についてメールを確認したところ、なかった」「それを裏付ける領収書なども確認できておりません」と答えた。山添は「クレームがなければセクハラがなかったということにはならない」と指摘した[19]。
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年07月21日 | 51 | 香川県選挙区 | 自由民主党 | 23万3270票 | 65.1% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年07月21日 | 57 | 香川県選挙区 | 自由民主党 | 19万6126票 | 54.00% | 1 | 1/3 | / |
| 落 | 第27回参議院議員通常選挙 | 2025年07月20日 | 63 | 香川県選挙区 | 自由民主党 | 14万9902票 | 34.62% | 1 | 2/6 | / |
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 小野田紀美 木村次郎 | 松本尚と共同 2023年 - 2024年 | 次代 金子容三 小林一大 |
| 先代 尾﨑正直 鈴木英敬 自見はなこ 中野英幸 本田顕子 長峯誠 里見隆治 西田昭二 柳本顕 木村次郎 | 土田慎 神田潤一 古賀友一郎 平沼正二郎 吉田宣弘→竹内真二 石井拓 加藤竜祥→尾﨑正直 国定勇人と共同 2023年 - 2024年 | 次代 岸信千世 西野太亮 友納理緒 今井絵理子 加藤明良 竹内真二 国定勇人 勝目康 小林一大 |
| 先代 國場幸之助 鈴木隼人 中西哲 | 上杉謙太郎 本田太郎と共同 2021年 - 2022年 | 次代 秋本真利 高木啓 吉川有美 |
| 議会 | ||
| 先代 足立敏之 | 2024年 - 2025年 | 次代 宮澤洋一 |
| 先代 宇都隆史 | 2017年 - 2018年 | 次代 渡邉美樹 |
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