| しちがはままち 七ヶ浜町 | |||||
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| 国 | |||||
| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 宮城県 | ||||
| 郡 | 宮城郡 | ||||
| 市町村コード | 04404-1 | ||||
| 法人番号 | 2000020044041 | ||||
| 面積 | 13.19km2 | ||||
| 総人口 | 16,980人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 1,287人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 仙台市、多賀城市、塩竈市 | ||||
| 町の木 | クロマツ | ||||
| 町の花 | ハマギク | ||||
| 七ヶ浜町役場 | |||||
| 町長 | 寺澤薫 | ||||
| 所在地 | 〒985-8577 宮城県宮城郡七ヶ浜町東宮浜字丑谷辺5番地の1 北緯38度18分16秒東経141度03分33秒 / 北緯38.30453度 東経141.05914度 /38.30453; 141.05914座標:北緯38度18分16秒東経141度03分33秒 / 北緯38.30453度 東経141.05914度 /38.30453; 141.05914 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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七ヶ浜町(しちがはままち)は、宮城県中部の太平洋沿岸に位置する町。仙台市東側の半島状の地にあり、宮城県内さらに北海道・東北地方においても最小の面積の市町村である[1]。
町域は、日本三景の一つである松島の南部に当たる。海沿いに7つの集落があったことから、「七ヶ浜」と名づけられた。7つの集落とは湊浜(砂押川の下流に在って国府・多賀城の「湊」として湊浜と命名)、松ヶ浜、菖蒲田浜、花渕浜、吉田浜、代ヶ崎浜、東宮浜である。
宮城県の中部に位置し、松島丘陵が仙台湾に半島状に海に突き出した形になっている七ヶ浜半島を町域としている。この半島は江戸時代、基部を横断するかたちで貞山運河が造られ、それによって島のような状態となっている。山として韮山、また湖沼には阿川沼がある。気候は比較的温暖で、寒暖の差が少ない。キャッチフレーズは、「うみ・ひと・まち 七ヶ浜」。隣接自治体は仙台市(宮城野区)、多賀城市、塩竈市である。
1972年に七ヶ浜町は長期基本構想を策定するが[2]、長期構想の目玉であるニュータウン計画は乱開発となることを避けるため、町は民間企業との共同開発方式を採ることとした[3]。そして、西武流通グループの西武都市開発(のちの西洋環境開発)がパートナーに選ばれた[3]。だが、七ヶ浜町の開発立地は著しく悪かった。第1に、1977年1月の時点になっても市街化区域への編入が未定で、西武都市開発はこれをどう扱うか、難しい状況にあった[3]。また開発のため調査を進めると、七ヶ浜の開発区域はかりに市街化区域になっても市場性に乏しいことが明らかになってきた。これが第2の問題点であった[3]。仙台周辺の宅地需給は長期的に供給過剰とみられ、また七ヶ浜が仙台市から実際の距離以上に遠方にあるとイメージされている市場性のなさを、どう克服するかが課題であった[3]。
1976年1月から西武都市開発は、全国のニュータウンやその計画について詳細な調査を行い、問題点を洗い出した[3]。その結果、60年代後半から交通戦争といわれる道路事情にあり、自動車公害への批判が高まっても、ニュータウン計画の多くが、近代都市論の車優先、コンクリート固めであることなど、問題点が明らかになった[3]。そこで構想されたのが、歩車共存の思想に基づくボンエルフの導入や、歩行者専用の緑道を設けることなどであり[3]、従来の東西軸ではなく南北軸の街路構成とし、開発区域を緩やかな南面傾斜として小地区ごとに変化をつけた植栽を行って、街を公園にする設計であった[3]。
このような構想で、市場性のなさを克服できる展望が開け、1977年7月には市街化区域の編入も決定した[4]。ところが、ボンエルフ計画が既存の法体系と矛盾したため、翌年春には開発申請にストップがかかった[4]。しかし、西武都市開発の担当者は、宮城県庁に日参してボンエルフの必要性を説得し、理解を求めた[4]。赤間今雄町長も[注釈 1]、機会のあるごとに建設省、宮城県に陳情した[4]。こうした町と西武都市開発の努力は、1978年12月に実り、七ヶ浜ニュータウンの開発許可が下りた[4]。そして、1979年5月に着工し、1980年9月に第一期販売にこぎ着けた[4]。第一期は、宅地25区画、建売15戸であったが即日完売となり、売れ行き不振の仙台市周辺では異例の好成績であった[4]。
この七ヶ浜ニュータウン汐見台のボンエルフ計画は、1983年4月には国際交通安全学会賞を受賞したほか、その後の国内のニュータウン計画でコミュニティ道路が採用される端緒となり[4]、西洋環境開発は、1985年から分譲を始めた京都市の桂坂ニュータウンでもボンエルフを導入している。
2010年国勢調査において昼夜間人口比率が65.0パーセントであり、日本の市区町村の中では最も低い値であった。
| 七ヶ浜町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 七ヶ浜町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 七ヶ浜町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
七ヶ浜町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、津波により町の面積の約4分の1が浸水した[5][6]。
令和6年9月現在

町内に鉄道はなく、隣接する多賀城市のJR東日本仙石線下馬駅または多賀城駅よりバスを利用する。