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一条教輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
一条教輔
時代江戸時代前期
生誕寛永10年5月2日1633年6月8日
死没宝永4年1月6日1707年2月8日
改名伊実→教良→教輔
別名号:後唯心院
官位正二位右大臣
主君後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族一条家
父母父:一条昭良、母:西洞院時直
兄弟教輔冬基
通姫
兼輝
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一条 教輔(いちじょう のりすけ)は、江戸時代前期の公卿正二位右大臣。名は始め伊実、次いで教良。法名は後唯心院

概要

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寛永10年5月2日、一条昭良の子として生まれる。母は西洞院時直の娘。1644年(寛永21年)、従三位に叙される。右近衛大将内大臣を歴任し、1655年承応4年)に右大臣に任ぜられる。1659年万治2年)、右大臣を辞任。以後、摂政・関白に任ぜられることなく、子の兼輝が没した2年後の宝永4年1月6日、75歳の生涯を終えた。法名は後唯心院。

家族・親族

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系譜

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一条家

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一条家は、九条道家の子である一条実経を始祖とし、摂家の一つであった。

→詳細は「一条家」を参照

皇室との関係

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後陽成天皇男系二世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の子。

関連項目

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一条家15代当主
宗家

分家・支流

土佐家
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