ロシア連邦 Российская Федерация 国の標語:特になし 国歌 : Госуда́рственный гимн Росси́йской Федера́ции (ロシア語) ロシア連邦国歌 ロシア連邦国歌 (演奏版)Патриоти́ческая пе́сня (ロシア語) 愛国歌 (1991 - 2000) [ 注記 1] ^ ミハイル・グリンカの作曲。日本語の訳題は定まっておらず、『愛国の歌』、『愛国者の歌』とも訳される。また、共産党時代 に付された詞の内容から『モスクワ』と呼ばれることもある。 ^ 連邦構成主体の各共和国 は連邦公用語(ロシア語)とは別に、自らの公用語を定めうることが憲法で認められている。ロシア連邦 (ロシアれんぽう、ロシア語 :Российская Федерация )、通称ロシア (ロシア語 :Россия )は、ユーラシア大陸 北部に位置する連邦共和制国家 である。首都 はモスクワ [ 3] 。
国土 は旧ロシア帝国 およびソビエト連邦 の大半を引き継いでおり、ヨーロッパ からシベリア ・極東 におよぶ。面積 は17,090,000 km2 (平方キロメートル )以上と世界最大 面積の国家である[ 4] 。
2025年6月に発表された世界平和指数によると、ロシアは世界で最も平和でない国となった[ 5] 。
民主主義指数 (2022年)国 民主主義指数 ドイツ イギリス フランス イタリア 世界平均 ロシア
ロシアは国際連合安全保障理事会常任理事国 であり、旧ソビエト連邦構成共和国 でつくる独立国家共同体 (CIS)の指導国[ 注釈 1] であるだけでなく、BRICS 、G20 、アジア太平洋経済協力 (APEC)、上海協力機構 (SCO)、ユーラシア経済連合 (EAEU)、欧州安全保障協力機構 (OSCE)、世界貿易機関 (WTO)などの加盟国である。かつてG8 加盟国であったが、2014年 3月にクリミア併合 を強行したことによりG8の参加資格を停止させられた[ 6] 。
核拡散防止条約 により核兵器 の保有を認められた5つの公式核保有国 の一つであり、世界最大の大量破壊兵器保有国 (英語版 ) である。国防費 は2010年 以降増加の一途を辿っていたが、2026年 度の連邦予算案ではウクライナ侵攻 後初の減少に転じた[ 7] [ 8] 。常備軍 のロシア連邦軍 は地上軍 ・海軍 ・航空宇宙軍 の3軍の他、戦略ロケット軍 と空挺軍 の2つの独立兵科で構成されている。運用面では地理的に分割された軍管区 に権限が委譲されており、それぞれに統合戦略コマンド が設置されて3軍と通常兵器 部隊を指揮している(戦略核兵器 部隊は指揮権外)。現役軍人は約90万人である[ 7] が、2022年ロシアのウクライナ侵攻に伴う大量の戦死傷・捕虜 や動員 で変動しており、ロシア政府は2026年にかけて軍の定員を150万人へ増やす計画を進めている[ 9] 。
政治体制 は、ソビエト連邦の崩壊 に前後してソビエト共産党 による一党独裁制 が放棄されて複数政党制 に基づく選挙が行われるようになったが、2003年 以降は事実上ウラジーミル・プーチン 率いる与党 「統一ロシア 」の一党優位政党制 になっている[ 10] 。複数政党制や選挙は一応存在するが、選挙から反体制派候補を排除するなどプーチン体制に有利な政治制度が構築されており、政治的意思を表明する機会に乏しい[ 11] 。「法の独裁」による統治を目指す強権的体質が内外から批判されており[ 10] 、エコノミスト 誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニット による民主主義指数 は、世界134位と下位で「独裁政治 体制」に分類されている(2019年度)[ 12] 。
言論の自由 に関しても、国境なき記者団 による世界報道自由度ランキング は149位と下位である(2020年度)[ 13] 。特に、2022年 のウクライナ侵攻以降は「広範囲に検閲 を行うなどしてニュース や情報 を完全に支配している」と非難されており、2022年は155位[ 14] 、2023年は164位と大幅に順位を落としている。
領土や軍事力に比べてロシアの経済 は国際的地位が低いものの、2014年 時点の名目GDP は世界第9位 (発展途上国 に有利になる購買力平価 では世界第6位 )であった[ 15] 。鉱物およびエネルギー資源は世界最大の埋蔵量であり[ 16] 、世界最大の原油生産国 (英語版 ) および世界最大の天然ガス生産国 (英語版 ) の一つである。しかし、資源依存の経済体質であるため、原油安の時期は経済が停滞する[ 17] 。加えて2014年 にクリミア併合を強行したことにより、欧米から経済制裁を受けてさらなる打撃を受けている[ 18] 。2022年にはウクライナへ侵攻したことでSWIFT からの排除など、さらなる経済制裁を受けている[ 19] 。
2023年時点ではロシアは世界第2位の暗号資産 のマイニング 大国であり、ブロックチェーン 技術を使用した国際決済(BRICS PAY )の推進や、新たな機関を設立する計画を進めている[ 20] [ 21] [ 22] [ 23] 。
人口はロシア連邦国家統計庁 によれば1億4680万人(2017年時点。ソ連時代の1990年には2億8862万人であった)[ 7] であり、世界第9位 、ヨーロッパで最も多い人口である[ 24] 。最大の民族はロシア人 であるが、ウクライナ人 やベラルーシ人 やトルコ 系のウズベク人 、またシベリアや極東の少数民族なども存在し、合計で100以上の民族がある。公用語 はロシア語 であるが、少数民族の言語も存在する[ 10] 。宗教はキリスト教徒 が人口の60%を占め、その大半がロシア正教会 の信者である。イスラム教徒 も人口の8%ほどおり、仏教徒 も存在する[ 10] 。
地理としては大陸境界 では、北西から南東へ、ノルウェー 、フィンランド 、エストニア 、ラトビア 、ともにカリーニングラード州 と隣接するリトアニア およびポーランド 、ベラルーシ 、ウクライナ 、ジョージア 、アゼルバイジャン 、カザフスタン 、中華人民共和国 、モンゴル国 、朝鮮民主主義人民共和国 と接する。海上境界線 (英語版 ) としては、日本 とはオホーツク海 ・宗谷海峡 ・根室海峡 ・珸瑤瑁水道 、カナダ とは北極海 、アメリカ合衆国 アラスカ州 とはベーリング海峡 を挟んで向かいあう。ロシアの国土面積 は17,075,400 km2 で世界最大 であり、地球 上の居住地域の8分の1を占める。国土が北アジア 全体および東ヨーロッパ の大部分に広がることに伴い、ロシアは11の標準時 を有し、 広範な環境および地形を包含する。
ロシアの歴史 は、3世紀 から8世紀 までの間にヨーロッパ で認識され始めた東スラヴ人 の歴史に始まる[ 25] 。9世紀 、ヴァリャーグ の戦士の精鋭およびその子孫により設立・統治され、キエフ大公国 の中世 国家が誕生した。
988年、東ローマ帝国 からキリスト教 正教会 を導入し、次の千年紀 のロシア文化 を特徴づける東ローマ帝国およびスラブ人の文化の統合が始まった[ 26] 。キエフ大公国は最終的に多くの国に分裂し、13世紀には領土の大部分がモンゴルに侵略 され、遊牧国家ジョチ・ウルス の属国になり、ロシアが西洋から隔絶される原因となった(タタールのくびき )[ 27] 。モスクワ大公国 は次第に周辺のロシアの公国を再統合し、キエフ大公国の文化的・政治的な遺産を支配するようになった。クリコヴォの戦い でジョチ・ウルスを破った後、ジョチ・ウルスは衰退し、イヴァン3世 (イヴァン大帝)の時代に独立した。東ロシアのほとんどがモスクワ大公国に服した[ 28] 。
16世紀 中ごろにイヴァン4世 (イヴァン雷帝)がモスクワ帝国 を建設した。ピョートル大帝 は、ロシア人がバルト海 に行く道を確保し、1703年 にバルト海に面するサンクトペテルブルク を建設した。1712年 にサンクトペテルブルクはロシアの首都になり、1721年 にロシアは帝国 になった。周辺諸国の併合などを繰り返し、史上第3位の領土を持つ帝国 となり、版図はポーランドから、北アメリカ大陸 北西部(ロシア領アメリカ 、後にアメリカ合衆国へ売却 )まで広がった[ 29] [ 30] 。
1917年 のロシア革命 の後、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 がソビエト連邦 最大かつ指導的な構成国となった。スターリン 時代には大粛清 で国民を弾圧する一方で、工業化と軍拡、周辺国の侵略(バルト諸国占領 やフィンランドに対する冬戦争 )を進めた。第二次世界大戦 ではナチス・ドイツ の先制攻撃を受けた後に反撃に転じ(独ソ戦 )、連合国 の勝利に決定的な役割を果たした[ 31] [ 32] 。こうして世界初の憲法上の社会主義共和国 および、戦後はアメリカ合衆国 と並ぶ超大国 となった[ 33] 。アメリカやその同盟国とは冷戦 で激しく対立したが、ソビエト連邦の宇宙開発 は初期においてアメリカを凌駕し、世界初の人工衛星 および世界初の有人宇宙飛行 を含む20世紀のもっとも重要な複数の技術的偉業 (英語版 ) を経験した。やがてソ連共産党による一党独裁の弊害が噴出するようになり、1991年にソ連の崩壊 に至った[ 10] 。
新たにロシア連邦を国名とし、ロシアも同等の国名とされた(1992年の憲法 改正により)。ロシアの国旗 は革命前の白・青・赤の3色旗に戻り、国際連合 における地位などは基本的に旧ソ連を引き継いでいる[ 10] (安全保障理事会常任理事国 など)。
ロシア連邦 (Российская Федерация 、ラテン文字転写 :Rossíjskaja Federátsija など、発音:ラッスィーイスカヤ・フィディラーツィヤ 、IPA :[rɐˈsʲijskəjə fʲɪdʲɪˈratsɨjə] 発音 [ヘルプ /ファイル ] )。ロシア語では略号のРФ (RF )も使われる。英語表記はRussian Federation [ 34] 。
ロシア連邦憲法 第1条第2項でロシア連邦 とロシア (Россия 、Rossíja 、ラッスィーヤ 、[rɐˈsʲijə] 発音 [ヘルプ /ファイル ] )は同じ意味(同等の扱い)としており[ 35] 、ロシア語においてもロシア連邦の意味でロシアが使われることもある。
ロシアの国名は、現代 のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシにあたるルーシ という国家のギリシャ語 名Ῥως から派生したῬωσσία (現代ギリシャ語 ではΡωσία )。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国 がルーシ北東地域を統合し、「ルーシの遺産の争い」をめぐってリトアニア大公国 と対立していた16世紀 のイヴァン4世 (雷帝)のころに使われ始め、自称に留まったロシア・ツァーリ国 を経て、18世紀 初頭のピョートル1世 (大帝)がロシア皇帝 (インペラートル )と称したことにより、対外的にも正式の国名となっている。
ルーシのギリシャ語風名称としてのロシア(正確には「ローシア」)という語[ 注釈 2] はかつてのルーシの諸地域を指し、ルーシ北西部を「大ロシア 」[ 注釈 3] 、現在の西ウクライナあるいは中・南部ウクライナを「小ロシア 」[ 注釈 4] と呼んだ。ベラルーシも「白ロシア 」[ 注釈 5] という意味である。しかし、小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人々とロシアの人々との間には異なった民族意識が醸成されていった。結果、これらの国々はロシア帝国の崩壊後に別々の国家を樹立し、再統合されたソ連邦下でも別々の共和国とされ、ソ連邦の解体に際しては別々に独立することとなった。
別の観点から言うと、ロシアはキエフ・ルーシ 時代、その大公権に属するモスクワ公国という小さな一部分に過ぎなかったが、ジョチ・ウルス の時代に征服者モンゴルとうまく協調したこと(税金を進んでモンゴルに納めたことなど)や、隣国を破って旧キエフ・ルーシの東側領土の大半を影響下に収めたこと、帝政時代の極東への進出と拡張により大国となった。その権力の正統性を説明するため、モスクワは東ローマ帝国 からローマ帝国 の威信も受け継いだという学説も考案された[ 注釈 6] 。こうしたことから、モスクワ大公国は「偉大なルーシ」の権力を継ぐ国家であると自称するようになり、なおかつヨーロッパ国家の一員であるという考えから、公式にギリシャ風の「ロシア」を国号として用いるようになった[ 注釈 7] 。
従来はよりロシア語名に近いロシヤ と表記されることが少なくなかったが、1980年代 ごろからギリシャ語風の(つまり他のヨーロッパ諸国の名称に合わせた)ロシア という表記が完全に主流となった[ 注釈 8] 。現代日本語の漢字表記 は露西亜 で、略称は露 [ 注釈 9] [ 注釈 10] 。江戸時代 にはオロシャ 、をろしや とも呼ばれた。これは、中国語 の「俄羅斯」およびモンゴル語 のОрос (オロス)に近い呼び名である。日本の江戸時代から戦前にかけては魯西亜 (魯西亞 )という表記が主流で、1855年 に江戸幕府 とロシア帝国の間の最初の条約は「日本国魯西亜国通好条約 」という名称になった。この漢字表記について、1877年 (明治 10年)にロシア領事館から「魯は魯鈍(愚かなこと・様子)を連想させる」との抗議を受けた明治政府 は、ロシア側の希望を受け入れ表記を露西亜 (露西亞 )とした[ 36] [ 37] [ 注釈 11] 。
キリスト教化前のロシア
クルガン仮説 :インド・ヨーロッパ祖語話者 の故郷としての南ロシア国家や文化、言語の変遷において「ロシア人 」の祖となる人々は、北東ルーシ と呼ばれる地域に古くから居住していたとされる。その地に暮らした東スラヴ系 の諸部族はフィン人 と隣接しており、交易 や同化 などを通して言語 や文化 において互いに大きな影響を与えたとされる。ロシア人にはフィン・ウゴル系民族 に多いとされるY染色体遺伝子 であるハプログループN系統 もある程度見られる[ 38] 。
5~7世紀のヨーロッパにおけるスラブ人の再定住 スラブの混沌の神の一柱チェルノボグ 中世ギリシャ の作家プロコピオス は、スラブ人(スクラヴ人 (英語版 ) とアント人 )は、王を持たない民主的な体制 で、彼らが犠牲を捧げる「稲妻の創造主」(ペルーン )という単一の神を信じる野蛮人であるとした。また、非常に背が高く丈夫な体を持ち、髪色は金髪ではないが完全な暗色でもないとした[ 39] 。
スラヴ人には独自の文化と神話 があった。世界は、自然の法則を支配する天の神々と、人々の習慣や行動を支配する地下の(クトニオス の)神々という、2つの反対の力によって支配されていると信じられていた。
5世紀の初めに、スラブの部族は極東ロシアの領土に移動し、この地域を支配し始めた。同時に、スラブの部族は地理的に西部 (ヨーロッパに残っている)と東部 に分かれた。
11世紀のキエフ大公国 9世紀 の北東ルーシには、ノルマン人 ではないかと推測されている民族集団「ヴァリャーグ 」が進出しており、交易や略奪、やがては入植を行った。862年 にはヴァリャーグの長リューリク が大ノヴゴロド の公 となり、町は東ローマ帝国 との貿易拠点として発展した[ 注釈 12] 。後代に書かれた『原初年代記 』[ 注釈 13] には、リューリクの一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていったと記録される。9世紀 後半にヴァリャーグはドニエプル 地方に拠点を移した。そのため、それから13世紀 にかけてのルーシの中心は、現在はウクライナの首都となっているキーウ であり、現在ロシア連邦の支配地域の中心であるモスクワ周辺は辺境であった。モスクワの文献上の初出は1147年であるが、当時はスラヴ民族ではないフィン系 のメリャ人 が居住する寒村であった。ヴァリャーグの支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国 は、9世紀に東ローマ帝国から東西教会分裂 以後に正教会 となる東方のキリスト教 とギリシャ文化を受容し、独特の文化を育んだが、13世紀初頭にモンゴル人 による侵入 で2世紀にわたってジョチ・ウルス の支配下に入った[ 40] 。その混乱の中で、それまでキーウにあった府主教 座はウラジーミル・ザレースキイ へ移された。
イヴァン雷帝 数多くいるルーシ諸公の1人に過ぎなかったモスクワ公 は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハン に納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀 にジョチ・ウルスの支配を実質的に脱して他地域への侵攻を押し進めた。府主教座もモスクワへ遷座した。国家は独立性の高い大公国 となった。のち、モスクワ大公はイヴァン3世 のときツァーリ (皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア・ツァーリ国 と自称するようになった。
16世紀 にイヴァン4世 (雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア 進出などの領土拡大を進めたが、彼の死後はその専制政治 を嫌っていた大貴族の抗争で国内が大混乱(動乱時代 )に陥った。モスクワ大公国の主要貴族(ボヤーレ )たちはツァーリの宮廷の権威を認めず、士族 民主主義 の確立していたポーランド・リトアニア共和国 を慕った。この民主派のボヤーレたちは、ポーランド・リトアニア共和国とモスクワ大公国との連邦構想さえ打ち立て、ツァーリ専制を嫌っていた農民や商人をまとめ上げ、さらには共和国軍をモスクワ領内に招き入れてツァーリ派と戦い、共和国軍とともにモスクワを占領した 。一方、ツァーリ派の貴族や商人たちは、政商ストロガノフ家 の援助でニジニ・ノヴゴロド において義勇軍を組織した。義勇軍側は、モスクワ政策を巡ってローマ・カトリック 主義のポーランド国王兼リトアニア大公 が信教自由主義 のポーランド ・リトアニア共和国議会 と激しく対立していたことを絶好の機会とし、「反ローマ・カトリック闘争」の形で急速に数を増した。
そして1612年 、ドミートリー・ポジャールスキー とクジマ・ミーニン の指揮の下、モスクワ市内のクレムリン に駐屯していた共和国軍の治安部隊を包囲攻撃、して撃破、モスクワを再占領した。ロシア連邦政府は21世紀現在でも再占領を誇示し11月4日 を祝日としている。ここで中世ロシアは終わり、ロマノフ朝 の成立とともに近代ロシアが始まることになる。
ロシア帝国 初代皇帝 、ピョートル1世 ロシア帝国 と勢力圏1613年 にロマノフ朝 が成立すると、大貴族と農奴制 に支えられ、封建色の強い帝国の発展が始まった。17世紀 末から18世紀 初頭にかけて、ピョートル1世 (大帝)は急速な西欧化・近代化政策と、新首都サンクトペテルブルク の建設(1703年 )、大北方戦争 (1700年 -1721年 )での勝利などによってロシア帝国 の絶対主義体制の基盤を固めた[ 40] 。彼の時代から正式に皇帝 (インペラートル )の称号を使用し、西欧諸国からも認められた。1762年 に即位したエカチェリーナ2世 はオスマン帝国 との露土戦争(1768年 - 1774年 と1787年 - 1792年 )に勝利するとともに、ポーランド分割 に参加し、欧州での影響力を増加させた。彼女の治世においてロシアはウクライナとクリミア・ハン国 を併合し、名実ともに「帝国 」となった。また、大黒屋光太夫 が彼女に謁見したことにより、アダム・ラクスマン が日本に派遣(詳細は「北槎聞略 」参照[ 41] )され日露関係 が実質的に始まった。彼女の時代に農奴制が固定化されていった[ 40] 。
アレクサンドル1世 の治世において1803年 に勃発したナポレオン戦争 に参戦し、1812年 にはナポレオン・ボナパルト 指揮のフランス帝国 軍に侵攻されたが、大損害を負いながらもこれを撃退(1812年ロシア戦役 )。戦後はポーランド立憲王国 やフィンランド大公国 を支配して[ 注釈 14] 、神聖同盟 の一員としてウィーン体制 を維持する欧州の大国となった。国内でのデカブリストの乱 やポーランド反乱などの自由主義 ・分離主義 運動は厳しく弾圧された。
1831年 に始まるエジプト・トルコ戦争 以降は、ロシアの南下政策 を阻むイギリス との対立が激化し、中央アジア 、アフガニスタン 、ガージャール朝 ペルシア (現・イラン )を巡って、露英両国の駆け引きが続いた(グレート・ゲーム )。1853年 に勃発したクリミア戦争 ではイギリス・フランス 連合軍に敗北し、帝国の工業や政治、軍事全般の後進性が明確になった。1861年 に皇帝アレクサンドル2世 は農奴解放令 を発布し、近代的改革への道を開いたが、農村改革や工業化のテンポは遅く、ナロードニキ による農村啓蒙運動も政府の弾圧を受けた。政治的自由化の遅れへの不満は、過激なアナキズム (無政府主義)やテロリズムを横行させ[ 40] 、無政府主義者による皇帝暗殺にまで発展した。
ロシアのシベリア征服 が進み、中国大陸 を支配する清 や日本との接点が生じた。清とはネルチンスク条約 (1689年)およびキャフタ条約 (1727年)により国境を定めていたが、清の弱体化によりロシアは極東でも南下政策をとった。アイグン条約 (1858年)によりアムール川 北岸を奪い、さらにアロー戦争 の講和(北京条約 )を仲介した見返りに日本海 に面する沿海州 を獲得し、ウラジオストク を建設した。
19世紀 末期には、ロシアはそれまでのドイツ帝国 ・オーストリア=ハンガリー帝国 との三帝同盟 からフランス第三共和国 との露仏同盟 に外交の軸足を移し、汎スラヴ主義 によるバルカン半島 での南下を極東での南下政策と平行させた。フランス資本の参加により、極東へのシベリア鉄道 の建設が行われている。20世紀 初頭になると極東への関心を強め、満州 や朝鮮 に手を伸ばそうとしたが、日本と衝突して1904年 の日露戦争 となった[ 40] 。1905年 に血の日曜日事件 など一連の革命 騒動が発生し、日本とポーツマス条約 を結んで日露戦争に敗れると、戦後の1907年 にロシアはイギリス と英露協商 、日本と日露協約 を締結し、三国協商 に立ってドイツやオーストリアと対立した。国内ではドゥーマ (国会)の開設やピョートル・ストルイピン による改革が行われたが、皇帝ニコライ2世 の消極的姿勢もあって改革は頓挫し、帝国の弱体化は急速に進行した。その中で、都市部の労働者を中心に社会主義 運動が高揚した。
1922年までにおけるソビエト連邦 の一部としてのロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 1914年 にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子らがセルビア人に暗殺されると(サラエボ事件 )、同じスラブ系国家であるセルビア を支援して、オーストリア=ハンガリー帝国およびその同盟国であるドイツと対立して互いに軍を動員し、第一次世界大戦 が勃発。ロシアは連合国 の一員として中央同盟国 (ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国 )と開戦したが、敗北を重ねて領土奥深くまで侵攻された(東部戦線 (第一次世界大戦) )。第一次世界大戦中の1917年 2月に起こったロシア革命 でロマノフ王朝 は倒された。革命後、旧帝国領土には数多の国家が乱立し、シベリア出兵 などで諸外国の干渉軍 も加わって激しいロシア内戦 となった。
1917年 11月7日 には十月革命 でソビエト政権が樹立され、そのトップとなったウラジーミル・レーニン は中央同盟国とブレスト=リトフスク条約 を結び大戦から離脱した後、赤軍 を率いてロシア内戦 に勝利し、1922年 の年の瀬には共産党による一党独裁国家 ソビエト社会主義共和国連邦 を建国した。旧ロシア帝国領の大部分を引き継いだ構成4共和国 (その後15まで増加)のうち、ロシア人が多数派を占める大部分の地域はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 (ロシア共和国)となった。ソビエト連邦とロシア共和国の首都がサンクトペテルブルク からモスクワ へと約200年ぶりに復され、同時にサンクトペテルブルク[ 注釈 15] はレニングラードに改称された。ロシア共和国内に居住する少数民族については、その人口数などに応じて自治共和国 、自治州 、民族管区 などが設定され、事実上ロシア共和国とは異なる統治体制をとった。
ソビエト体制でのロシア共和国は他の連邦加盟共和国と同格とされたが、面積・人口とも他の共和国を圧倒していたロシアでは、事実上連邦政府と一体となった統治が行われた。ソ連共産党内に「ロシア共産党 」は連邦崩壊直前の1990年まで創設されず、第二次世界大戦後の国際連合でもウクライナ共和国 や白ロシア共和国 (現在のベラルーシ)と異なり単独での加盟が認められなかった。
1930年代 の世界恐慌 で多くの資本主義 国が不況に苦しむ中、ソビエト連邦はその影響を受けず、レーニンの後を継いだスターリン による独裁的な主導の下で農業集団化 と重工業 化が断行され、高い経済成長を達成した。しかし、その実態は農民 からの強制的な収奪に基づく閉鎖的な工業化であった。農村からの収奪の結果、ウクライナやロシア南西部 では大飢饉 が発生した。その歪みはやがて政治的な大粛清 と強制収容所 の拡大など、恐怖に基づく支配をもたらす事態へとつながった(第二次世界大戦後に再び飢饉(ソビエト連邦における飢饉 (1946年-1947年) (ロシア語版 、英語版 ) )が起こる)。
1939年 9月の第二次世界大戦勃発直前に一時ナチス・ドイツ とモロトフ・リッベントロップ協定 を結んで協調し、ポーランド第二共和国 をソ連・ポーランド不可侵条約 を一方的に破棄して侵攻し、ポーランドを占領 、冬戦争 でフィンランドにも圧迫を加え、1939年12月の理事会において国際連盟 から除名された。1940年にはバルト諸国占領 によりソビエト連邦へ併合し、さらにルーマニアからベッサラビア 地方を割譲させた。1941年6月には独ソ不可侵条約 を一方的に破棄したナチス・ドイツのヒトラー に突如攻め込まれて西部の広大な地域を占領され(バルバロッサ作戦 )、危険な状況に陥った。しかし、1942年 初頭に首都モスクワ防衛に成功した 後、英米をはじめとする連合国 の助力もあってスターリングラード攻防戦 およびクルスクの戦い を境に、1943年後半には反攻に転じて独ソ戦 の主導権を握り、最終的には大戦に勝利した。さらにポーランド東半、ドイツ、ルーマニア、フィンランド、チェコスロバキア の一部などを併合し、西に大きく領土を広げた。極東方面では、1945年 8月、日本に日ソ中立条約 の不延長を通告して参戦 。満州国 やサハリン 南部、千島列島 、朝鮮北部に侵攻して占領した。
戦後は新領土内の非ロシア人の住民を追放し、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。特にエストニア やラトビア などではロシア人の比率が急増し、ソビエト連邦解体後の民族問題の原因となった。旧ドイツ領のカリーニングラード州 でもロシア人の比率が急増して、8割以上を占めるようになった。1946年 には旧ドイツ領の東プロイセン の北部をカリーニングラード州、日本に侵攻して占領したサハリン島南部(南樺太 )とクリル列島(千島列島、歯舞群島 ・色丹島 を含む)全域を南サハリン州 として編入した(南サハリン州は1947年 にサハリン州 に吸収)。一方、1954年 には黒海沿岸のクリミア半島 (クリミア州 )がウクライナに移管され、ロシア共和国の領土は2014年のクリミア半島編入 以前のロシア連邦にあたる領域になった。
日本はサンフランシスコ講和条約 で一部領土を放棄したものの、千島列島 南部の北方領土 の返還を要求。それ以外の千島列島及び南樺太は、ロシア領土 ではなく帰属 未定地であると主張している[ 注釈 16] 。ロシア(当時はソ連)はサンフランシスコ講和条約に調印していない。なお、日本はユジノサハリンスクに在ユジノサハリンスク日本国総領事館 を設置している。外務省によれば、当総領事館が位置しているユジノサハリンスク市(旧豊原市 )をはじめとした南樺太は、サンフランシスコ平和条約によりその全ての権利・権限及び請求権を放棄したため、以降ソビエト連邦及びこれを承継したロシアが継続的に現実の支配を及ぼしており、これに対してロシア以外のいかなる国家の政府も領有権の主張を行っていないことなどを踏まえ、千島列島及び南樺太を含む地域を管轄地域とする在ユジノサハリンスク日本国総領事館を設置したものであるとしている[ 42] 。
戦後、ソ連は強大なソ連軍 の軍事力を背景に1949年 の北大西洋条約機構 (NATO)結成に対抗して1955年 にワルシャワ条約機構 (WTO)を結成し、東ドイツ 、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー 、ルーマニア、ブルガリア などの東欧 諸国を衛星国 として東側諸国 の盟主となり、自国と同様の人民民主主義 体制を強要して、世界の2大超大国 の一つとしてアメリカ合衆国を盟主とする西側諸国 と冷戦 を繰り広げた。しかし、既に1948年 にはバルカン半島にてチトー主義 下のユーゴスラビア社会主義連邦共和国 がソ連から離反しており、1956年 に共産党第一書記ニキータ・フルシチョフ によるスターリン批判 が行われた後は自由主義 陣営との平和共存 路線を進めたが、このスターリン批判により衛星国であったハンガリー人民共和国 でハンガリー動乱 が発生し、さらに自由主義国との妥協を批判する毛沢東 が率いていた中華人民共和国 や毛沢東思想 に共鳴するアルバニア人民共和国 の離反を招くなど、新スターリン主義 によるソ連の指導性は揺らいだ(中ソ対立 )。
1965年 に共産党書記長レオニード・ブレジネフ が主導権を握ったあと、ベトナム戦争 にてアメリカ合衆国 と戦うホー・チ・ミン 率いる北ベトナム を支援したが、ブレジネフ在任中の1968年 には衛星国であったチェコスロバキア社会主義共和国 で「プラハの春 」が始まり、翌1969年 にはかねてから対立していた中華人民共和国と珍宝島 ・ダマンスキー島 を巡って中ソ国境紛争 を戦うなど、共産圏におけるソ連の指導性はさらに揺らぎ、1970年代 に入ると計画経済 の破綻などから次第にソ連型社会主義 の矛盾が露呈していった。1979年 から1989年 にかけてアフガニスタンを侵略した 。この際、ソ連軍がアフガニスタン の大統領官邸を急襲し、最高指導者ハフィーズッラー・アミーン と警護隊を殺害するというテロ 行為(嵐333号作戦 )を行っている。1985年 にソ連の指導者となったミハイル・ゴルバチョフ は冷戦を終結させる一方、ソ連を延命させるためペレストロイカ とグラスノスチ を掲げて改革に取り組んだものの、かえって各地で民族主義 が噴出し、共産党内の対立が激化した。
党内抗争に敗れた改革派のボリス・エリツィン は、ソ連体制内で機能が形骸化していたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を自らの権力基盤として活用し、1990年 に最高会議 (ロシア語版 ) 議長となると、同年6月12日 にロシア共和国 と改称して主権 宣言を行い、翌年にはロシア共和国大統領に就任した。1991年 8月のクーデター ではエリツィンが鎮圧に活躍し、連邦を構成していた共和国はそろって連邦を脱退していった。同年12月25日 にはソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、翌日12月26日 にソビエト連邦は崩壊した 。
1991年 12月26日 のソビエト連邦崩壊により、ロシア共和国が連邦から離脱してロシア連邦 として成立し、エリツィンが初代ロシア連邦大統領 に就任した。また、ソビエト連邦崩壊により世界規模のアメリカの覇権 が成立し、当時はこれを「歴史の終わり 」と見る向きも現れた。ロシア連邦は、旧ソ連構成国の連合体である独立国家共同体 (CIS/СНГ )加盟国の一つとなった。ロシア連邦は、ソビエト連邦が有していた国際的な権利(安全保障理事会常任理事国 など)・国際法 上の関係を基本的に継承し、大国としての影響力を保持した。
国名は1992年 5月、ロシア連邦条約によって現在のロシア連邦 と最終確定した(ロシア連邦への国名変更は、ソビエト連邦大統領 ゴルバチョフ辞任の当日である1991年 12月25日、当時のロシア最高会議 決議による)。
エリツィン政権下では市場経済の導入が進められたが、急激な移行によってロシア経済は混乱し、長期的な低迷を招いた。その一方で、この時期には「オリガルヒ 」と呼ばれる新興財閥が台頭し、政治的にも大きな影響力を持つようになった。ソ連政府は国民にあまねく賃貸住宅を配分していたが、それらを建設するだけで巨額の財政負担となっており、財政再建中のロシア連邦がリフォームすることなどかなわず、無償で住民が物件を取得できるようになり急激な私有化を進めた[ 43] 。私有化されていないものは地方自治体への譲渡が進み、人口減少社会となるなか、若者向けに低家賃で貸し出した[ 43] 。
1993年 には新憲法制定をめぐって激しい政治抗争(10月政変 )が起こったものの、同年12月12日には国民投票によってロシア連邦憲法 が制定された。1994年から1996年にかけて、ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン 独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシア連邦軍との間で第一次チェチェン紛争 が発生し、一般市民を巻き込んで10万人以上が犠牲になった。1997年5月に和平に向けてハサヴユルト協定 が調印され、5年間の停戦が合意された。ところが1999年8月、チェチェン独立派勢力(チェチェン・イチケリア共和国 など)と、ロシア人およびロシアへの残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で第二次チェチェン紛争 が発生した。1999年夏からイスラム急進派の排除という名目のもとに、ロシア軍は全面的な攻勢に出ている。同年8月にロシアの首相 に就任したウラジーミル・プーチン らがこの強硬策を推進した[ 10] 。
1996年11月、ロシアは第一回だけで10億ドルのユーロ債 を起債した[ 44] 。それまでの累積ユーロ債発行額は160億ドルほどに達した[ 44] 。
1999年 12月8日、当時の大統領エリツィンとベラルーシの大統領 アレクサンドル・ルカシェンコ との間で、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野での統合を目指すロシア・ベラルーシ連合国家創設条約 が調印された。しかし、その後、後継大統領に就任したウラジーミル・プーチンが、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになってからは、これに反発するベラルーシ側との対立により、両国の統合は停滞した。2022年ロシアのウクライナ侵攻 にルカシェンコは協力しているが、ベラルーシ共和国軍 の参戦は回避している。
1999年12月31日、当時の大統領エリツィンが任期を半年余り残して突然辞任した。首相のウラジーミル・プーチンが大統領代行に就任し、2000年3月の大統領選挙に圧勝して大統領に就任した[ 10] 。「法の独裁」による統治をめざす強権的体質が内外から批判される一方、安定した経済成長により国民の高い支持率を維持し、2004年にも再選された[ 10] 。
2003年 、ミハイル・ホドルコフスキー が脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコス の社長を辞任した。シブネフチ との合併が取り消されるなどして株価が乱高下し、内部者取引 が横行した。2005年にロシアの住宅私有化率は63パーセントに達し[ 43] 、国際的な不動産価格の下落へつながっていった。2007年、ホドルコフスキーを除くユコス株主らはロシア政府がユコスを破綻させたとしてハーグ の常設仲裁裁判所 へ提訴した。2010年6月26日、政府側のロスネフチ に賠償命令が出た。7月27日には内部者取引と株価操作を取り締まる法案が可決された[ 45] 。これは翌年から施行された。2014年7月、ユコス破綻事件で政府は19億ユーロの賠償金支払いを命じられていたが、12月に欧州人権裁判所 が政府の上訴を棄却した[ 46] 。2016年4月、ハーグ地区裁判所が、ロシア政府に株主らへ500億ドルの賠償金支払いを命じた常設仲裁裁判所の判決を棄却した[ 47] 。
政権初期にチェチェン共和国 への軍事作戦を再開するとともに、周辺各共和国への締めつけも図った。チェチェン独立派を支持するサウジアラビア などアメリカに友好的な湾岸 のスンニ派 諸国との関係悪化を招いた。これらの過程において報道管制を強化し、反政府的な報道機関やジャーナリストは強い圧力をかけられた。対外的には、上海協力機構 を通じて中華人民共和国 やイラン との関係を強化し、また、中央アジア 各国とはエネルギー開発の面での協力を強めた。ウクライナで親西側政権ができると、天然ガス 供給停止措置をとることで圧力をかけ、間接的にドイツやフランスへの自国の影響力を誇示した。
また、プーチンの大統領就任当初は、アメリカ同時多発テロ事件 以降の対テロ戦争という目的から蜜月といわれたアメリカとの関係も、イラク戦争 やイラン核開発疑惑 といった諸問題を扱うなかで悪化、また、米国が主導する旧ソ連各地のカラー革命 などロシアの裏庭地域へのアメリカによる露骨な政治介入、アメリカの反ロシアネオコン 勢力が中心となって行った東ヨーロッパのミサイル防衛 構想、ソ連崩壊時に北大西洋条約機構 (NATO)は東方へ拡大しないとしたゴルバチョフと当時のアメリカ大統領ブッシュの取り決めが破られ、実際にはNATOの東方拡大が進んだなどの理由により、関係は冷却化した。一方で、首脳同士の懇談は頻繁であり、かつての冷戦とは異なる様相である。プーチンが行った事業はいずれも西側諸国から強圧的であるとの批判が多いものの、結果的にはロシアの国際的地位を向上させた。これにはプーチン政権発足後から続くエネルギー価格の急騰により、対外債務に苦しんでいたロシアが一転して巨額の外貨準備国となり、世界経済での影響力を急速に回復したことも寄与している。2007年 には2014年 の冬季オリンピック を南部のソチ で開催するソチオリンピック の招致に成功した。
2008年 5月、側近のドミートリー・メドヴェージェフ が大統領に就任したが、プーチンも首相として引き続き残留した。同年、メドヴェージェフ政権下で南オセチア 問題を原因とする南オセチア紛争 が発生。これはソ連崩壊後、初めての対外軍事行動となっている。これらの行動から国際政治での多極主義を唱えて、ロシアが新たな一極となろうとしているとの見方がなされた[誰によって? ] 。事実、「アメリカの裏庭」であるベネズエラ 、エクアドル などの反米 的な中南米 諸国との関係を強化している(逆に、アメリカは「ロシアの裏庭」であるウクライナ 、ジョージア(グルジア) などとの関係を強化している)。このように、冷戦終結後の一極主義の維持を目指すアメリカ側と対立する「新冷戦 」の開始をもいとわないとも見られ、緊張状態が続いている[ 48] 。
2014年ウクライナ騒乱 により、財政援助を目的にロシアとの関係を強化していた同国の大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ が解任されるとロシアのプーチン大統領は反発し、オレクサンドル・トゥルチノフ 大統領代行の暫定政権を承認しなかった。
2月27日、以前からクリミア半島 に駐留していたロシア軍部隊によって、1954年までロシア領で親ロシアの住民が多いウクライナのクリミア自治共和国 ・セヴァストポリ 特別市が掌握された。
クリミア自治共和国とセヴァストポリは、3月16日 にウクライナからの独立とロシアへの編入を問う住民投票 を実施し、その結果を受けて翌3月17日 に両者はクリミア共和国 として独立し、ロシアへの編入を求める決議を採択した。
翌3月18日 、プーチンはクリミア共和国の要請に応じ、編入に関する条約に署名してクリミア半島を併合した。アメリカ合衆国、欧州連合 、そして日本などの諸外国政府はクリミアの独立とロシアへの編入は無効であるとし、ロシアとの間で対立が続いている(2014年クリミア危機 )。この経緯によってロシアはG8 の参加資格を停止され[ 6] 、欧米諸国がロシアに経済制裁 を科した。
2011年 から始まったシリア内戦 では反体制派 を支援する欧米に対し、中東 での影響力を維持したいロシアがイランと共にバッシャール・アル=アサド 政権に対して軍事的・経済的に援助を行っていることで欧米諸国と代理戦争に近い様相となり、対立を深めている。2015年9月30日にはロシア連邦軍 がアサド政権を支援する直接的な軍事介入を開始(ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆 )。これ以降、膠着状態だった戦況はアサド政権側に大きく傾いたことに加え、アサド政権とクルド人勢力 の双方を支援していることから両者の仲介や、当初はアサド政権打倒を目指し欧米と協調して反体制派を支援していたトルコ がクルド人勢力への対応で欧米と対立するに伴いシリア戦後処理へのトルコの引き込み、さらにエジプト やイラク 、イスラエル といった親米 国家であるもののアサド政権打倒後のシリアの安定に懐疑的な近隣国にも接近しつつあり、シリア内戦の収束に向けて主導的な役割を発揮し、中東での確固たる地位を築いている。
プーチンによる外交は、アメリカの大統領バラク・オバマ に並ぶ世界的な影響力を持ち[要出典 ] 、クリミア半島併合以降はとりわけ国民の支持も厚くなっている。一方、2013年以降に原油価格の暴落が続いたことで、天然資源に依存した脆弱な経済体制が浮き彫りとなり、深刻な経済的困窮を招いている。
2017年1月、アメリカで親ロシア派と公言していたドナルド・トランプ 政権への政権交代 があったものの、アメリカ国内でロシアへの敵対感情が高まっているため、弱腰外交と捉えられるような親露外交は回避し[ 49] 、米露間の関係が修復する兆しは一向にない。2016年アメリカ合衆国大統領選挙におけるロシアの干渉 や、ウクライナ紛争を巡るミンスク和平合意 の不履行による報復措置がとられたり[ 50] 、ロシアが条約に違反したとして中距離核戦力全廃条約 から撤退したりするなど[ 51] 、両国間の溝は深まるばかりである。
2018年ロシア大統領選挙 ではプーチンが4選された[ 52] 。
2021年1月、アメリカで反ロシア派と公言しているジョー・バイデン 政権への政権交代があり、今後も米露関係修復の見込みはないと考えられている[ 50] 。
2022年2月、プーチンはウクライナ東部の反政府組織が建国したドネツク人民共和国 とルガンスク人民共和国 を国家として承認し、ウクライナに事実上宣戦を布告。親ロシア勢力の保護を名目にウクライナ国内に侵攻し、交戦状態に入った(2022年ウクライナ侵攻 )ことにより、アメリカを中心とする国際社会から厳しい経済制裁をうけることとなり、西側諸国 との対立は深まり、新冷戦 と呼べる状況に陥っている。
2024年ロシア大統領選挙 ではプーチンが5選され、首相時代を含めたプーチン政権の期間は30年となり、ヨシフ・スターリン をも凌ぐ長期政権を確実にした[ 53] 。
ロシア連邦大統領 府であるクレムリン 国政では連邦制 、共和制 、半大統領制 をとっている。国家元首 であるロシア連邦大統領 がおり、三権 である
は分立している。
ロシア連邦大統領は国家元首で、国民の直接選挙で選ばれる。ソ連崩壊に伴う独立・独立国家共同体 (CIS)への加盟構成以降、大統領の任期は4年であったが、2008年 の憲法改正によって6年となった[ 54] [ 注釈 17] 。
行政権 は、ロシア連邦政府に属する。なお、大統領は外交と国防を、政府は内政 を担当するとされている。
大統領は、連邦議会 の同意を経て、政府の長 である連邦政府議長 (首相に相当する)を信任し、連邦政府議長の提案に基づいて、その他の閣僚を任命する。
なお、連邦政府議長は、副大統領 としての地位を兼ねており、大統領が欠け、または大統領に職務遂行上の故障がある場合においては、大統領の職務を代行する。
行政権の行使について、連邦政府は連帯して、大統領と連邦議会に対して責任を負う 。よって、法律、大統領令、及び連邦政府の定める政令 には、連邦政府議長及び主任の閣僚の副署 を必要とする。
大統領は、閣議 を主宰することができる。
大統領は、国家の基本的な施政方針を定め、連邦政府の助言と同意に基づいて、憲法 および法律の定めるところにより、大統領令 を発動する。
連邦政府は、憲法、法律、および大統領令の実施に関する詳細、および大統領の判断を必要としない事項についての決定を行い、連邦政府議長は、閣議に基づいて行政各部を指揮監督する。
憲法、法律および大統領令に違反する連邦政府の命令、決定及び処分 は、大統領が取り消すことができる。
大統領は、大統領全権代表 (戦前日本の官選知事に相当する)を任命する。
大統領全権代表は、連邦管区 を統括し、国家の政策を画一的・統一的に遂行する上で必要となる事項について、地方政府 の活動を統督する。
大統領は、国家安全保障会議 を主宰し、国防および治安維持 に関する基本的な方針を定め、ロシア連邦軍 及びロシア国家親衛隊 を統帥する。
→中央政界で活動する主要な政党については「
ロシアの政党 」を参照
ロシア連邦議会 (Федеральное Собрание Российской Федерации , Federal'noe Sobranie Rossijskoj Federatsii)は二院制で、各連邦構成主体 の行政府と立法府の代表1人ずつからなり、上院 に相当する連邦院 (連邦会議 、Совет Федерации , Sovet Federatsii 、定員178名)と、下院 に相当する国家院 (国家会議 、Государственная Дума , Gosudarstvennaja Duma 、定員450名)からなる。下院議員は任期4年で、小選挙区制 と比例代表制 により半数ずつ選出される仕組みであったが、2005年 4月23日 完全比例代表制に移行する選挙制度改正が下院を通過した。また、5パーセント条項が7パーセント条項へと議席を獲得するためのハードルが上げられ、ウラジーミル・プーチン 政権、シロヴィキ に有利な選挙戦が展開された。また、大統領と同様に2008年に任期が5年に延長された。
ロシアの司法 には、最高位にロシア憲法裁判所 (英語版 ) 、ロシア最高裁判所 、ロシア最高仲裁裁判所 (英語版 ) がある。その下にロシア地方裁判所 (英語版 ) 、地域裁判所がある。裁判は大陸法 型である。行政府からの訴追は司法省 が担当する。1996年に陪審制 を連邦各地に順次導入することを決定、2010年までにすべての地域で導入された。
1996年 [いつ? ] から死刑 の執行を停止していたが、2009年 11月19日に、憲法裁判所は死刑の廃止を規定している欧州人権条約 を批准 するまでは死刑の執行を停止するという命令を出した。この憲法裁判所の命令で、ロシアの死刑制度は事実上廃止された。2010 年1月15日、ロシア下院は、欧州人権条約第14追加議定書を賛成多数で批准し、名目上も死刑が廃止された。
複数政党制 を採用しており与党 統一ロシア が圧倒的多数を占めており、他にも野党 として極右 のロシア自由民主党 や極左 のロシア連邦共産党 などをはじめ様々なリベラル派 や中道派 、民族主義 ・愛国主義 、社会主義 ・共産主義 を活動理念に掲げる政党が存在する。しかし、これらの政党はいずれもプーチン政権に従順な「体制内野党」とされており、野党としての機能は喪失しているという指摘がある[ 55] 。
ロシアはアジア協力対話 参加国である ヨーロッパの国家元首との会談(2019年10月9日) この節の
加筆 が望まれています。
(2020年12月 )
ロシア連邦政府は1990年代 まで続いたソビエト連邦 の正式な後継国家で、国際連合 では安全保障理事会 の常任理事国 5か国の一つでもあり、その他国際組織でソ連の持ち分を引き継いでいる。国際関係は多面的であり、世界の191か国と外交関係を持ち、大使館 を144か国に設置している。国際関係の方針は大統領が決め、具体的には外務省 が執行する。
かつての「超大国 」を引き継いではいるが、現在の多極体制 へ移行した世界の中でその立場は専門家の間で様々に議論されており、列強 ではあるが「潜在的な超大国」扱いである[ 56] 。ロシアは「中東カルテット 」のひとつで、北朝鮮問題では「六者会合 」に参加している。欧州安全保障協力機構 (OSCE)、アジア太平洋経済協力 (APEC)の一員である。1997年には「人権と基本的自由の保護のための条約 」を批准している。ロシア連邦の成立当初はアメリカ や北大西洋条約機構(NATO) とも友好的な関係であったが、現在は様々な分野で対立が顕著である。
21世紀 になってからは、豊富な原油 や天然ガス などエネルギー資源を梃子に、特に欧州と中央アジア に対し、急速に影響力を拡大している。ソ連崩壊後の弱体性から比較すると相当影響力を取り戻したといえ、豊富な資金力を背景に軍備の更新を進めており、ロシア政府との協議なしに、ソ連の衛星国であった東欧諸国へのミサイル防衛 基地の展開を進めている米国やNATOとの緊張状態は高まりつつある(新冷戦 )。
前述の通り、2022年2月に始まったウクライナ侵攻が、擁護する一部の国を除き世界各国から強烈な批判を招き、多くの国・組織から経済・金融などの制裁を受けることとなり、国際的に孤立状態となっている。
ロシアが欧米から批判されている問題の一部に、同国における人権 問題、自由でないメディア 、LGBT 禁止問題、ノビチョク などがある。
2014年にドンバス地域において親ロ派勢力によるデモ活動 が勃発した。ウクライナ国内は混乱に陥り、結果的にロシアはクリミアを併合 するに至った。これ以降、親欧米寄りの姿勢を貫くウクライナとロシアとの間で対立が深刻化した。NATOによる東方拡大 の問題も複雑に絡み合い、両国の間では軍事的緊張が一層高まった。2022年2月にはロシアがウクライナへの侵攻を開始した。これにより両国間の外交関係は断絶した。
南アフリカ共和国 は、ソ連と公式の外交関係を結んでいたことから後継国のロシアと深い関係性を持っており、1992年2月28日付で完全な外交関係を樹立している。南アフリカはBRICSの1国として加盟。
キューバ とはソ連時代から緊密な協力関係を築いており、ソ連崩壊後も良好な外交関係を維持している。ロシアが2014年3月にウクライナ領クリミア半島の併合を宣言した際、キューバは同半島をロシアの一部として承認している[ 57] 。
ロシアはブラジル と、宇宙・軍事技術をはじめ、電気通信などの分野でパートナーシップを結んでいる。ブラジルはBRICSのメンバーでもある。
両国の間では文化的・経済的な交流がいくつもあり、観光客の往来も活発である。特に2022年のロシアによるウクライナ侵略以降、欧米と違いロシア人の入国を制限していない日本は人気の観光地となり、2025年現在ロシア人観光客は過去最多を更新している[ 58] 。一方、過去のシベリア抑留 ・北方領土問題 ・それに起因する漁民銃撃と拿捕 事件、平和条約 問題、資源問題 (サハリン2 )など、険悪な面もある。それでもロシア人の日本に対する信頼は、アメリカやイギリスに対する信頼よりも高いという調査結果が出ている。
2017年のイギリスBBC の調査によると、ロシア人は日本に対して好意的な見方をしているが[ 60] [ 61] 、日本の内閣府 の日本国民の対ロシアの世論調査(2022年)によれば、ロシアに「親しみを感じる」とする者の割合は13.1%(「親しみを感じる」1.3%および「どちらかというと親しみを感じる」11.8%)に留まり、「親しみを感じない」とする者の割合は86.4%(「どちらかというと親しみを感じない」48.9%および「親しみを感じない」37.4%)に達している。この数値は中国(「親しみを感じる」20.6%、「親しみを感じない」79.0%)をも下回っている[ 62] 。
中華人民共和国 とは2001年に中露善隣友好協力条約 を結び、東シベリア・太平洋石油パイプライン の支線も大慶油田 へ引いている。その傍らでBRICS や上海協力機構 での関係も深めており、良好な間柄となっている。
インド とは大幅な防衛・戦略上の関係(India–Russia military relations )を結んでおり、インドはロシア連邦製兵器の最大の顧客である。
ウラジーミル・プーチン とマレーシアの首相 マハティール・ビン・モハマド (2003年8月5日)ロシアとサウジアラビア の両国は「石油超大国」と呼ばれており、世界の原油生産の約4分の1を占めている。
モスクワ市 西郊外の愛国公園(Patriot Park )でロシア連邦軍 には陸軍 、海軍 、航空宇宙軍 の3軍種があり、これとは別に独立兵科として、戦略核兵器 を運用する戦略ロケット軍 と空挺軍 がある。
2017年には約100万人が軍に属しており、これは世界で第5位 である[ 63] 。これに加え、約250万人の予備役 (在郷軍人)がおり、動員可能総数は約2,500万人に上るともいわれている[ 64] 。18歳から27歳の国民男子は全て1年間の兵役義務 がある。
ロシアは世界で最多の核兵器 (Russia and weapons of mass destruction )を所有しており[ 65] 、世界2位の規模の弾道ミサイル潜水艦 (Ballistic missile submarine )部隊や戦略爆撃機 部隊がある。
ICBM「サルマト」と「死の手」 2018年 にウラジーミル・プーチンが年次教書演説で紹介し、2021年 ごろから配備を開始した大陸間弾道ミサイル (ICBM)「サルマト 」は、10発でアメリカの全国民を殺害する威力があるといわれる。射程 は1万1000キロメートル超、最大16個の核弾頭 が搭載可能なMIRV 式で、最大速度はマッハ 20の極超音速であるため、アメリカや日本のミサイル防衛網は無力化される。このサルマトには、極超音速滑空体 「アバンガルド 」が搭載され、高度100キロメートルほどの高度を、探知しにくい軌道をマッハ20で飛行する。ロシアには1985年に、敵国からの核攻撃を想定し、確実に報復攻撃を行えるようにするための「死の手 」と呼ばれる核報復システムが稼働しており、幾度も改良を重ね、運用開始当初は人間が発射ボタンを押す必要があったが、現在はAI が司令部の非常事態を認識し、核使用の判断を下すシステムとなっている[ 66] [ 67] 。
ロシアでは軍需産業 が盛んである。軍事関係の世界的な供給者としては、2001年には世界の30パーセントを占め、80か国へ輸出しており、世界でも上位にあった[ 68] 。ストックホルム国際平和研究所 の調査では、2010年 - 2014年には世界第2位の輸出国で、2005年 - 2009年に比して37パーセントの増加を示した[ 69] 。ロシアは56か国および東部ウクライナの反乱部隊 へ武器を供給した。
ロシアには正規軍以外で、以下の準軍事組織 が存在する。
ロシアはソ連時代からの伝統として特殊部隊 (スペツナズ )を重視しており、軍所属以外に後述する情報機関も以下の実戦部隊を擁している。
民間軍事会社 (PMC)が複数設立され、ロシアのその周辺のほか中東、アフリカに傭兵 として派遣されている。ワグネル・グループ が最も有名であり、オープン・ソース・インテリジェンス (OSINT)企業「モルファー」が把握したPMCは、ロシア国防省系や連邦保安庁系、国有企業・富豪が設立した会社を含め37あり、ウクライナの英字新聞『キーウ・ポスト』によると、そのうち25社がウクライナ侵攻に参加している。PMCはロシアの法律に本来反するが、戦死者に対してロシア政府が責任を負う必要がないといった利点から、全社が政府と関係を保って活動しているとみられる[ 70] 。
現在、連邦保安庁 (FSB)と対外情報庁 (SVR)がサイバー攻撃 への防衛 などをはじめとして、国内の防諜 ・情報機関 や治安組織としての役割を担っている。
他には連邦警護庁 、参謀本部情報総局 (GRU)、参謀本部軍事測量局 が存在しており、連邦の安全保障に欠かせない重要部署として機能している。
ロシアの地形図 世界最大の面積を持つロシアは、ユーラシア大陸 の北部にバルト海 沿岸から太平洋 まで東西に伸びる広大な領土を持つ。その面積は日本 の約45倍、アメリカ の約1.7倍にも達し、南アメリカ大陸 全体の大きさに匹敵する。
北辺は北極圏 に入り人口も希薄であるが、南辺に近づくと地理的に多様となり人口も多くなる。ヨーロッパ 部(ヨーロッパロシア )とアジア 部(アジアロシア )の大部分は広大な平原で、南部のステップ から北は、広大な針葉林の森であるタイガ がその大部分を占めている。さらに高緯度になると、樹木が生育しないツンドラ 地帯となる。黒海 とカスピ海 の間の南の国境にはヨーロッパ最高峰(カフカス地方をヨーロッパに含めた場合)のエリブルース山 を含むカフカース山脈 があり、ヨーロッパとアジアの境界にはウラル山脈 がある。
面積を見るとヨーロッパ部よりアジア部の方が広大であるが、国土の西端に当たるヨーロッパ部に人口や大都市、工業地帯、農業地帯が集中していることなどから、ロシアをヨーロッパに帰属させる分類が一般的であるとされる。
国土を囲む海域には北極海 の一部であるバレンツ海 、白海 、カラ海 、ラプテフ海 、東シベリア海 と、太平洋 の一部であるベーリング海 、オホーツク海 、日本海 、そして西のバルト海 と西南の黒海 があり、海岸線は3万7,000キロメートルに及ぶ。これらの海に浮かぶロシア領の主要な島には、ゼムリャフランツァヨシファ 、ノヴァヤゼムリャ (米国を越える史上最大規模の核実験 が行われた)、セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島 、ノヴォシビルスク諸島 、ウランゲル島 、サハリン (樺太)、そして日本 との領土問題を抱えるクリル諸島 (千島列島)がある。特に北極海に面した地域をはじめ、冬季は北極 寒波の影響が強いため厳寒であり、氷点下 を下回る日が長く続く。
ロシア領内の主要な川には、ヨーロッパ部のドン川 、大型で良質のチョウザメ が多数生息するヴォルガ川 、カマ川 、オカ川 、アジア部のオビ川 、エニセイ川 、レナ川 、サケ類 の漁獲で有名なアムール川 などの大河が挙げられる。これらの下流域は、日本で大河とされる最上川 、北上川 や四万十川 よりも川幅が広く、いずれもセントローレンス川 下流域に近い川幅がある。また、アジア部の大河はアムール川を除いて南から北へ流れ、北極海へ注ぐ。ブリヤート共和国 のバイカル湖 は、世界一古く水深の深い湖 として有名な構造湖 である。このほか、ソ連時代の水力ダム建設によって生まれた大規模な人造湖 が存在する。
アルハンゲリスク州 にて、冬のタイガ ロシアには基本的に大陸性気候 が卓越する。すなわち気温の年較差が大きい。ケッペンの気候区分 に従うと、亜寒帯 (冷帯)(D) に分類される地域が大半を占める。西部は大西洋の影響を受けるものの、東に進むにしたがって大陸性気候 の特徴がはっきりしてくる。冬はシベリア付近で放射冷却 のために気温が著しく下がり、優勢なシベリア高気圧 が形成される。北半球で最も寒い地域で、寒極 と呼ばれる(たとえば、マイナス71.2度〈オイミャコン 〉、マイナス66.7度〈ベルホヤンスク 〉)。しかしながら、夏季には最高気温が30度を超える。
典型的な植生は北極海 沿岸がツンドラ 、南に下るにしたがって針葉樹林 のタイガ 、混交林 、プレーリー 、ステップに移行していく。
右図はロシアを中心とした地域 にケッペンの気候 区分を適用したものである。以下、気候区分にしたがって特徴と地域区分を示す。
Dfa 亜寒帯湿潤気候 のうち、最暖月が22度以上の地域。地図では明るい空色で描かれている。黒海とカスピ海に挟まれた狭い地域に広がる。Dfb 亜寒帯湿潤気候のうち、最暖月が10度以上22度未満であり、月平均気温10度以上の月が4か月以上ある地域。地図では空色(シアン)で描かれている。ポーランドやハンガリーなどの中東欧諸国と共通の気候区分でもある。首都モスクワを含み、ロシア西部からモンゴル国境西端まで広く分布する。沿海州北部やサハリン北部にも見られる。モスクワの年平均気温は5.3度、1月の平均気温はマイナス7.5度、7月は18.4度、年平均降水量は705.3ミリメートルである。 Dfc 亜寒帯湿潤気候のうち、以下の3条件を満たす地域、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3か月以下、最寒月がマイナス38度以上マイナス3度未満。地図ではDfbの北に広がる暗緑色で描かれている。北欧諸国と共通の気候区分であり、ロシア領土に占める面積では最も広い。中央シベリア高原からカムチャツカ半島にかけて一部Dfdに移行している部分以外は、全国にまたがっている。植生はタイガ 中心。 Dfd 亜寒帯湿潤気候のうち、3つの条件、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3か月以下、最寒月がマイナス38度未満を満たす地域。中央シベリア高原から東に延びるさらに暗い緑色で描かれている(内部にDwcの領域を含む)。 Dwb 亜寒帯冬季少雨気候 のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4か月以上ある地域。地図では青紫色で描かれている。モンゴル国境から北にかけて広がる。Dwa 亜寒帯冬季少雨気候のうち、最暖月が22度以上ある地域。地図では薄紫色で描かれている。Dwbと隣接し沿海州に向かって広がる。 Dsb 高地地中海性気候 のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4か月以上ある地域。地図では赤紫色で描かれている。カムチャッカ半島西岸などに見られる。Dsd 高地地中海性気候のうち、3つの条件を満たす地域。すなわち、最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3か月以下、最寒月がマイナス38度未満。地図では薄赤紫色で描かれている。Dsbに隣接したごく狭い範囲に見られる。地球上でこの地点にのみ見られる気候区である。 ET ツンドラ気候 。地図では薄い灰色で描かれている。北極海沿岸全域に広がる。BSk ステップ気候 のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図では黄土色 で描かれている。モンゴル西端から北に伸びたごく狭い範囲に加え、カスピ海沿岸に見られる。BWk 砂漠気候 のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図ではサーモン色で描かれている。BSkに隣接したごくわずかな範囲に見られる。Cfa 温暖湿潤気候 。黒海沿岸の狭い地域に見られる。ロシア連邦は、89の連邦構成主体 と呼ばれる地方行政体からなる連邦国家 である。連邦構成主体としては、48の「州」(область oblast' )、9の「地方」(край kraj )、3の「市」(連邦市、город федерального значения gorod federal'nogo znacheniya )、24の「共和国」(республика respublika )、1の「自治州」(автономная область avtonomnaja oblast' )、4の「自治管区」(автономный округ avtonomnyj okrug )がある。ただし、このうち6つの連邦構成主体(ドネツク人民共和国 、ルガンスク人民共和国 、ザポロージェ州 、ヘルソン州 、クリミア共和国 、セヴァストポリ連邦市 )はウクライナと帰属係争中である。
ロシアの連邦構成主体区分図(黄緑色が共和国)(ただし、ウクライナと帰属係争中の連邦構成主体を除く) プーチン政権は、連邦政府の地方への影響力拡大を図り、連邦構成主体とは別に、2000年 5月13日 に全土を7つに分けた連邦管区 を設置した。2010年に北カフカース連邦管区 が新設され、現在は8つの連邦管区が存在する。なお、このほか2014年から2016年にかけてはクリミア連邦管区 が存在した。連邦管区には連邦大統領の代理人としての大統領全権代表が派遣され、連邦構成主体を監督している。
名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考 中央連邦管区 Центральный федеральный округ 39,251,950 モスクワ Москва 北西連邦管区 Северо-Западный федеральный округ 13,952,960 サンクトペテルブルク Санкт-Петербург 南部連邦管区 Южный федеральный округ 16,498,640 ロストフ・ナ・ドヌ Ростов-на-Дону 北カフカース連邦管区 Северо-Кавказский федеральный округ 9,972,590 ピャチゴルスク Пятигорск 沿ヴォルガ連邦管区 Приволжский федеральный округ 29,088,000 ニジニ・ノヴゴロド Нижний Новгород ウラル連邦管区 Уральский федеральный округ 12,333,230 エカテリンブルク Екатеринбург シベリア連邦管区 Сибирский федеральный округ 17,009,250 ノヴォシビルスク Новосибирск 極東連邦管区 Дальневосточный федеральный округ 8,131,560 ウラジオストク Владивосток
さらに、2004年 12月に地方自治体 の首長を選挙制で選ぶ方式から、大統領が指名して地方議会が承認するという方式に転換した。事実上の官選化となるこの措置に対し、欧米諸国ではプーチン政権による強権支配が民主主義を脅かすという批判が生じた。
地方自治体の首長(共和国首長・州知事など)や地方議会の選挙は毎年9月第2日曜日に行われており、直近では2023年 9月10日 に執行された (ロシア語版 ) 。
モスクワ・シティ ロシアには人口100万人を超える都市が15(2021年 時点)ある。最大の都市は首都モスクワ (1,260万人〈2021年 時点〉)である。続くサンクトペテルブルク (545万人〈2021年時点〉)との2都市が規模としては飛び抜けて大きく、独立したロシア連邦の構成主体(連邦市 )としてほかの州 や連邦内の共和国 と同格となる。ウラル山脈東山麓のエカテリンブルク 、チェリャビンスク 、シベリアのオムスク 、ノヴォシビルスク を除く都市はすべてウラル山脈よりも西側、すなわちヨーロッパロシア に位置する。一方、厳しい気候条件のために長らく人口希薄地域であった極東部や北極海沿岸地域でも、19世紀以降に鉄道・港湾整備や鉱業開発などに伴う都市建設が進み、ハバロフスク やウラジオストク は50万人を超える人口を持つ。
都市 行政区分 人口(人) 都市 行政区分 人口(人) 1 モスクワ モスクワ 12,582,631 11 ウファ バシコルトスタン共和国 1,135,658 2 サンクトペテルブルク サンクトペテルブルク 5,452,852 12 クラスノヤルスク クラスノヤルスク地方 1,106,550 3 ノヴォシビルスク ノヴォシビルスク州 1,641,654 13 ヴォロネジ ヴォロネジ州 1,076,784 4 エカテリンブルク スヴェルドロフスク州 1,508,966 14 ペルミ ペルミ地方 1,062,045 5 カザン タタールスタン共和国 1,269,382 15 ヴォルゴグラード ヴォルゴグラード州 1,007,784 6 ニジニ・ノヴゴロド ニジニ・ノヴゴロド州 1,252,398 16 クラスノダール クラスノダール地方 953,816 7 チェリャビンスク チェリャビンスク州 1,203,547 17 サラトフ サラトフ州 838,056 8 サマーラ サマラ州 1,155,859 18 チュメニ チュメニ州 834,134 9 オムスク オムスク州 1,154,546 19 トリヤッチ サマラ州 697,440 10 ロストフ・ナ・ドヌ ロストフ州 1,142,886 20 イジェフスク ウドムルト共和国 650,223 2021年国勢調査
ソビエト連邦の崩壊 後の経済成長。GDP (PPP )は1990年代 から2000年代 で2倍以上に成長しているロシアは、ブラジル ・中国 ・インド ・南アフリカ とともに「BRICS 」と呼ばれる新興経済国群の一つに挙げられている。IMF によると、2021年のロシアのGDP は1兆5800億ドルであり、世界第11位である[ 71] 。一方、1人あたりのGDPは1万1,163ドル[ 72] で、首都モスクワと地方の格差もあり、ロシア全体では先進国より低い水準である。中村逸郎 は、GDPの約70パーセントを国民の1パーセントである富裕層 が持っている[ 73] としている。
ソ連解体後、ボリス・エリツィン 大統領の主導のもと市場経済 化が進められたが、このためにかえって急速なインフレーション を招き、1990年代 半ばには経済的に落ち込んだ。その後、成長に転じつつあったが、1997年のアジア通貨危機 の影響を受けて1998年に財政危機 を招き、再び落ち込んだ。2014年のクリミア併合による欧米からの経済制裁と石油価格の下落により、経済は低迷している[ 74] 。
2019年現在、ロシアはアメリカ とサウジアラビア に次ぐ世界第3位の原油 生産国[ 75] であり、同時にサウジアラビアに次ぐ世界第2位の原油 輸出国である[ 76] 。2003年以来の原油価格 上昇によって貿易収支が改善し、市場経済転換後の長い経済停滞を脱し、急速な景気回復が見られた。豊富な地下資源を武器に石油の価格が高いときに成長が続く。その石油産業への依存の重さや自由化の恩恵にあずかった者(オリガルヒ 、新富裕層 、体制転換の混乱で成り上がった新ロシア人 (ロシア語版 ) に代表される)とそうでない者の貧富の格差の拡大、チェチェン独立派武装勢力によるテロ のリスクなど、不安定要因もいくつかは見られる。
石油価格が高かった2000年 にはGDP成長率が10パーセントを越える一方、インフレーションも抑制され、好調が続いた。1人当たり名目GDPも、1999年には1,334ドルに過ぎなかったのが、2006年には6,879ドルと5倍強の増加を見せた。しかし、輸出の6割以上を原油や天然ガスなどの鉱物資源に頼る経済構造となっている、いわゆるモノカルチャー経済である。モーリー・ロバートソン は「石油の値段が世界的に右肩上がりのときはお金がどんどん入ってくるが、原油が安くなるとあっという間に貧乏に転落するという図式」と説明する[ 73] 。
農産物の自給自足にも力を入れており、ロシアは世界における「最大の小麦 輸出国」ならびに「米 の栽培の北限地」として知られている。米国農務省 は、2016年度・2017年度(2016年 7月 -2017年 6月 )のロシアによる小麦輸出量の推定量を50万トン引き上げ、記録的な2,500万トンとしている。なお、2015年度・2016年度に米国(2,120万トン)とカナダ (2,250万トン)を抜いて世界の主要輸出国となっている[ 77] 。2014年 、同国での米生産量は113万8,000トン(うち90パーセントがクラスノダール地方 での栽培)で生産量は記録的に高いものとなっている。加えて、米の栽培効率は1ヘクタールあたり7,100キログラムで、ヨーロッパにおいて米を生産する国で知られるスペイン 、イタリア に比較しても多いものとなっているうえ、アジア諸国より多い。同国の米はウズベキスタン 、タジキスタン 、トルクメニスタン 、トルコにも輸出されている[ 78] [ 79] 。
米国農務省による2021-22年度推計では、ロシアの小麦は生産量が過去最多の8600万トン、輸出量は4000万トンで世界一を維持する見通しである。ソ連時代は大量の穀物を輸入していたが、平坦な国土に農地が広がっており、ロシア経済の安定化に伴い農機や肥料 の投入増、畜産 の効率向上による飼料 に使う小麦の節約で、生産性 や輸出余力が高まった。欧米の経済生産による通貨ルーブル の下落も輸出競争力を高めているが、パン 価格の上昇に国民が不満を抱くと輸出関税 などで国外への出荷を抑えようとする政策も採られている[ 80] 。
沿海地方ナジェジジンスコエ地区のスケソウダラ水産加工工場 ロシア連邦の海岸線は、カナダ、グリーンランド、インドネシアの海岸線に次いで世界4位の長さとなっている。ロシアの漁業の排他的経済水域 (EEZ)は760万平方キロメートルで、内陸のカスピ海と200万本以上の河川を加え、3つの海洋と12か所の海への航路が含まれている[ 81]
また、沿海地方 にはロシア領内最大規模のスケソウダラ 水産加工工場の拠点がある[ 82] 。
ロシアから伸びる原油 ・天然ガス のパイプライン ロシアはもっとも鉱物資源 が豊富な国の一つである。産出量が世界シェア10位以内となる資源だけで20種類におよぶ(以下の統計数値は、経済産業調査会 『鉱業便覧 平成14年版』による2002年時点のもの)。
有機鉱物資源では、天然ガス (21,807千兆ジュール、21.9パーセント、2位)、原油 (3.5億トン、10.3パーセント、2位)、燃料に用いられる亜炭 (8,668万トン、9.5パーセント、4位)、石炭 (1.6億トン、4.4パーセント、6位)の採掘量が多い。原油と天然ガスの産出量は1位の国(サウジアラビアと米国)との差が小さく、いずれも2ポイント未満の差にとどまる。このため、統計年度によっては1位となることもある。
これらの有機鉱物資源のうち、国内で消費される比率が高いのが石炭と亜炭(88パーセント)と天然ガス(69パーセント)である。一方、原油の国内消費比率は29パーセントと低く、主に輸出されている。ロシアの原油輸出量は世界第2位(1億6,211万トン、2001年 )である。
ベロヤルスク原子力発電所4号機『ナトリウム冷却高速中性子炉:BN-800 』 ロシアはエネルギー資源ならびに天然資源が豊富な国家である。天然ガス埋蔵量は世界最大(確認埋蔵量の18パーセント)で、石炭埋蔵量は世界第2位となっている。天然ガス生産国では世界第2位、石油生産国では第3位、石炭生産国では第6位、そして原子力発電 生産国としては第4位である[ 83] 。
石油とガスは2017年に連邦予算の36パーセントを占めた。2016年にはヨーロッパの天然ガス輸入の70パーセント以上がロシアから輸入され、原油輸入の3分の1以上もロシアから輸入された。逆に、ロシアの原油輸出のほぼ60パーセント、天然ガス輸出の75パーセント以上はヨーロッパ向けであった[ 84] 。
ロシアのエネルギー部門は自国経済において支配的な位置を占めており、同時に世界最大規模の部門の一つとして認知されている。
サンクトペテルブルク の人気観光スポットであるペテルゴフ宮殿 ロシアは世界有数の観光地として知られている。観光スポットが各地にあり、海外から多くの観光客が訪れている。その中で最も代表的なものとして知られているのは、世界遺産 に登録されているサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 や赤の広場 である。
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(2020年12月 )
色と面積で示したロシアの輸出品目 ロシア経済に占める貿易の割合は急拡大している。1992年時点では、国民総生産 3,978億ドルに対し、輸出が381億ドル、輸入が350億ドルであった。2003年には、国民総生産4,885億ドルに対し輸出は1,260億ドル、輸入524億ドルに増加しており、輸出の伸びが著しい。これは原油および、石油 関連の生産・輸出拡大によるものである。ロシアの貿易構造は1992年から2003年までの約10年間で大きく変化してきた。1992年時点ではソ連を構成していた諸国に対する貿易が、輸出で7割、輸入で5割を占め経済ブロックを形成していた。品目では機械 と原油、化学工業 製品を輸出し、建設機械 と軽工業 品、食料 を輸入していた。ところが、2003年時点では輸出入とも相手国が分散する。原油や石油製品を輸出し、機械や自動車 を輸入している。つまり、機械工業の落ち込みと原油輸出の大幅な伸びが特徴といえる。
1992年時点の輸出品の品目別の比率は、United Nations Statistical Yearbook 2003などによると、建築機械(35.0%)、天然ガスを含む原油(14.7%)、化学品 (10.6%)、軽工業品(8.1%)、鉄鋼 (6.9%)。同輸入品は、建築機械(36.2%)、軽工業品(20.4%)、食料(16.7%)、化学品(7.5%)、鉄鋼(5.0%)。2003年時点の輸出品の品目別の比率は、原油 (27.6%)、石油ガス (13.0%)、石油製品 (10.4%)、鉄鋼 (6.1%)、アルミニウム (2.6%)である。2003年時点の貿易相手国は輸出相手国が順に、オランダ (6.2%)、中国、ベラルーシ、ドイツ、ウクライナ、輸入相手国が順にドイツ(14.1%)、ベラルーシ、ウクライナ、中国、アメリカとなっている。
日本との貿易は順調に拡大している。日本からの輸入額は15億ドルから45億ドルへ、輸出額は28億ドルから62億ドルに伸びている。品目は輸入を中心に変化した。日本への輸出の変化を見ると、1992年時点は魚介類、木材の2品目で5割弱を占め、アルミニウム(アルミニウム合金を含む)、石炭、白金 が続いた。これが2003年になるとアルミニウム(アルミニウム合金 を含む、22.4%)、魚介類 、石炭、木材 、原油となった。輸入は、機械類(26.7%)、鉄鋼、電気機械、自動車、プラスチック であったものが、乗用車 (62.1%)、建設機械(6.4%)、映像機器 、通信機器 、バス に変わった。品目が自動車に集中したことになる。
高速鉄道車両『サプサン号』案内動画 ロシア鉄道のシベリア鉄道をはじめとする客車での運転スタイルが基本となるが、エレクトリーチカーなどの例外もある。ロシア鉄道の運行するシベリア鉄道を7日間かけて全線走破する特急ロシア号(ウラジボストク駅→ヤロスラフスキー駅)、同じくロシア鉄道の運行する特急オケアン(太洋)号(ウエラジオストク駅→ハバロフスク駅)などが有名である。
国際宇宙ステーション のロシア軌道セグメント 世界初の浮体原子力発電所 『アカデミック・ロモノソフ 』 VVER-1200 ロシアの科学技術 は、ピョートル大帝がロシア科学アカデミー とサンクトペテルブルク大学 を設立し、博学者ミハイル・ロモノーソフ がモスクワ大学 を設立した啓蒙時代 から急速に発展した。
19世紀から20世紀にかけて、ロシアは多くの著名な科学者 を輩出しており、物理学 、天文学 、数学 、コンピューティング 、化学 、生物学 、地質学 、地理学 などの学系分野に重要な貢献を果たしている。元素周期表のドミトリ・メンデレーエフ 、近年ではポアンカレ予想のグリゴリー・ペレルマン などが著名である。
なお、ロシアにおいて発明家 や技術者 の存在は、電気工学 、造船 、航空宇宙 、兵器 、通信 、IT 、核技術 、宇宙技術 などに幅広く影響を及ぼしている。特に、宇宙技術に関しては前身であるソ連まで含めると、最も長い開発の歴史を持つ国の一つである。ソ連時代では、冷戦という形の開発競争でアメリカとともに常に世界を牽引し続けてきた存在であった。また、ロシア連邦移行後もISS の開発などに参加し、人類の技術発展に影響をおよぼしている。
ロシアの人口ピラミッド 20世紀 のロシアの人口動態は、第一次大戦・干渉戦争期 そして第二次世界大戦期 と2度にわたって激減したが、その後は回復傾向にあった。しかし、1992年以降再び人口 減少が続き、1992年で最大1億4,800万人いた人口が、2050年 には1億1,000万人程度まで減少すると見られている[ 85] [ 86] 。原因には、出生率 の低下や男性の平均寿命 がきわめて短くなっていることがある。ロシアの男性の平均寿命は1987年以降短くなる傾向にあり、世界銀行の統計によると1994年には57.6歳まで低下した。その後回復し、2017年時点では67.5歳である。女性は、1993年に71.2歳まで低下したが、2017年には77.6歳と上昇、男女差は10歳ときわめて大きいままである[ 87] 。ちなみに2008年、OECD 諸国の平均は男性77.2歳、女性82.8歳と男女差は6歳程度である。続いていた人口減少は2012年に止まり、2014年のクリミア併合で人口増加に転じたが2016年の減少に戻り、2020年は約51万人の減少[ 88] となった[ 89] 。また、出生率も2015年には1.78をピークに上昇したが[ 90] [ 91] 、2018年時点では1.5人程である[ 92] 。
自然減を移民受け入れによる社会増が相殺したことで、21年の総人口は1億4474万人に持ち直した。しかしウクライナ侵攻 により生殖適齢期のロシア人男性数十万人が動員され、多くの死傷者が出ており、経済的困難と不確実性に直面する女性の避妊行動も拡大している。さらに、100万人規模の国外脱出、労働移民の激減を引き起こしており、「プーチンの戦争は人口増加の潜在的な源泉をすべて台無しにしている」と指摘されている。実際、23年の出生数は、ソ連崩壊後では最も低くなり、人口も21年から92万人減少した[ 93] 。
ロシアには182の民族 が住み、移民 は約700万人とされる多民族国家 である[ 95] 。2010年の統計によると約80パーセントは東スラブ系民族 となっており、ロシア人 (民族)が全人口の77.71パーセントを占める。同じ東スラブ人のウクライナ人の割合も1.35パーセントと全体の3位となっており、ベラルーシ人 やポーランド人 を含めたスラブ系全体では82.7パーセントを占める。
テュルク系のタタール人 はロシア人に次いで多い民族集団となっており全体の3.72パーセントを占め、バシキール人 やチュヴァシ人 、トゥヴァ人 、アルタイ人 、カザフ人 、ウズベク人 、アゼルバイジャン人 、サハ人 などのテュルク系民族 はロシア全体の8.7パーセントを占める。
コーカサス系で最も多いのがチェチェン人 で全体では6位の1パーセントを占め、イングーシ人 、オセット人 、アヴァール人 、アルメニア人、グルジア人などを合わせるとコーカサス系民族はテュルク系に次いで多い3.7パーセントを占めている。
ウラル系 はマリ人 、モルドヴィン人 、カレリア人 、ウドムルト人 、ネネツ人 などで構成され、全体の1.6パーセントを占めている。
そのほか、モンゴル系民族 のカルムィク人 、ブリヤート人 、ツングース系民族 のエヴェンキ人 、エスキモー系 のユピク人 、さらに、ユダヤ人 やゲルマン系 のドイツ人 など多くの非スラヴ系 民族がいるが、公用語であるロシア語 が民族共和国 を含め全域でほぼ完全に通用する。
ロシア語 を使用する地域ロシア語 が公用語 である。ロシアの各共和国の公用語として以下の29言語がある:アバザ語 、アディゲ語 、アルタイ語 、アヴァル語 、アゼルバイジャン語 、バシキール語 、ブリヤート語 、チェチェン語 、チュヴァシ語 、エルジャ語 、イングーシ語 、カザフ語 、カバルド語 、カルムイク語 (Kalmyk Oirat )、カラチャイ・バルカル語 、ハカス語 、コミ・ジリエーン語 (コミ語 )、レズギ語 、マンシ語 、マリ語 、モクシャ語 、ノガイ語 、オセット語 、タタール語 、トゥバ語 、ウドムルト語 、サハ語 、ウクライナ語 、クリミア・タタール語 。
ロシア人を含めた多くの民族がキリスト教 正教会 の信徒であるが、カトリック 、プロテスタント やイスラム教 、ユダヤ教 、仏教 などの信徒も少なくない。
法律上結婚 可能な年齢は成人となる年齢と同じ18歳である。ただし尊重すべき理由があるときはそれ以下の年齢でも認められる場合がある[ 注釈 19] (ロシア連邦家族法典 13条。2017年12月29日改定を閲覧)。
結婚後の姓は夫婦どちらかの姓に合わせる(同姓)、結婚前のまま(別姓)、姓を結合する(二重姓)の3通りあり(家族法典32条)、同姓の場合は妻が夫の姓に合わせることが多い。なおロシア連邦民法典 19条により個人の姓・名前・父称 の変更は一定の手続きにより可能である[ 96] 。
婚姻登録の申請は特別な事情がある場合を除き、結婚する1か月前までに行う(家族法典 (ロシア語版 、英語版 ) 11条)。宗教やほかの形式での結婚式が行われることもあるが、家族関係や出生・死亡を扱う市民登記機関であるザックス(ロシア語 :ЗАГС 、ザークスなどとも表記)にある結婚式場で婚姻の署名などを式典形式で行う結婚式がよく行われる。これはソビエト連邦時代からのものである。
ロシアでは同性結婚 は違法となっており、2020年以降、同国憲法においても同性結婚を明示的に禁止している。
(日本の小学校から高等学校に相当する)11学年制の義務教育課程の時点で『微積分・確率統計・代数幾何・基礎解析』初級数学は全課程履修必須及び『第一外国語(義務教育の第2学年から開始:西洋系の言語である“英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語の4ヶ国語”から選択)[ 97] /第二外国語(義務教育の第5学年から開始:東洋系の言語である“中国語”も選択可能となる)[ 98] 』語学教育必須[ 99] の旧ソ連時代同様の詰め込み教育主体である。
2023年8月、9月の新学期から16-18歳の学生向けに使用される初めての全国統一歴史教科書 が導入された。内容は、ソ連崩壊からプーチン統治時代、ウクライナ侵攻の原因に至るまで、ほぼ完璧にプーチンの歴史観と政権が用いている解釈が映し出されており、プーチン政権によるプロパガンダ が強調される形となっている[ 100] 。
モスクワ中央臨床病院 (ロシア語版 ) ロシア憲法においては、全市民へ無料のユニバーサルヘルスケア が保障されている[ 101] [ 102] 。しかし無料で医療が受けられる範囲は、法定の範囲に限定されている[ 103] 。ロシアの人口1人あたりの医師数・病院数・医療従事者数は世界の中で最も多く[ 104] 、一時はソ連崩壊によって社会・経済・生活様式の変化を受けて悪化したが[ 105] 、しかし2000年代 半ばからは回復しており、平均余命 [いつ? ] は2006年 と比べて男性で2.4年、女性で1.4年ほど長くなった[ 106] 。
2009年 には、ロシアの平均余命 は男性で62.77歳、女性で74.67歳であった[ 107] 。平均余命の男女差が大きい理由は、主に労働年齢層での死亡率の高さに起因し、それは予防可能な死(アルコール依存 、喫煙 、交通事故、暴力犯罪)であった[ 106] 。このような男女の余命差と第二次世界大戦 の戦死者によって人口男女差 (英語版 ) は大きく、女性1人あたり男性0.859人となっている。ロシア政府は2006年 から本格的に少子化 対策や医療対策に取り組んでおり、その後の出生率や死亡率 は徐々に改善されている。
年金 の支給は男性が60歳から、女性が55歳となっているが2018年に引き上げが決定し、2030年 までに引き上げが行われる[ 87] 。
世界動物保護協会の、動物保護指数によると、A-Gの7段階評価で、ロシアはDである。そのうち畜産動物保護の指数は、日本と同じ最低ランクのGとなっている[ 108] 。
2022年9月に、家畜の屠殺を規制する新しい規則が施行され、屠殺は「人道的な方法」で行うべきなどと規定された。しかし人道的な方法が明確化されていないため、動物保護団体から抗議されている。ロシア獣医師会会長は、牛は不適切に扱われているが「お金をたくさん払うよりも、安くて残酷な方法を使う方が簡単だからだ」と述べている[ 109] 。近年家畜福祉の国際的な課題となっている採卵鶏のバタリーケージ 割合はロシアではほぼ100%[ 110] 、ロシア農業省が放し飼いの農業を禁止し、家禽の自由な移動を制限することを計画するなど、家畜福祉レベルは低い[ 111] 。
2011年時点での国連からの報告では、ロシアから提示された統計によると、同国には65万人以上の孤児 が確認・登録されており、その70パーセントは1990年代に孤児院 へ誘導されている。このうちの37万人は国営施設に収容されており、残りは里親 のもとへ向かうか養子縁組 されている[ 112] 。報告によれば、これらの子供たちの66パーセントから95パーセントが社会的孤児と見なされており、生みの親の1人以上が存命中であることを示唆するものであるとされる[ 113] 。2023年時点でのロシア社会政策担当副首相の発表によると、同国内には34,000人の孤児が存在しているという[ 114] 。
ロシアの治安は不安定さが幾か所に見受けられる面を持つ。同国内務省が発表した「2017年時におけるロシア国内の犯罪 情勢」によれば、全犯罪の登録件数約2,058,500件(4.7パーセント減)のうち93.0パーセントが摘発されており、同年にロシアで認知された「テロ 行為」は37件(前年比プラス48パーセント)、テロに準じた犯罪を含む「テロの性格を有する犯罪」は1,871件(前年比マイナス16パーセント)発生している。傍らで犯罪による死亡者数は29,300人(0.5パーセント増)で、公共施設における犯罪件数は738,000件(6.6パーセント減)となっている。都市部では外国人 を狙った強盗 やスリ 、置き引き 、詐欺 、クレジットカード やキャッシュカード のスキミング などの犯罪が多発しており、被害者の中には日本人 も含まれているとの報告がある。
一方で、一般国民による反体制抗議運動は、集会法の罰則強化をはじめとする当局による規制の強化により実施されにくい状況になっているものの、それにもかかわらず首都モスクワ市内では反政権活動家による抗議集会などが開催されており、参加者が数万人規模となることもあるとされる。これらの活動は現時点において平穏に行なわれているが、一部の無許可集会などの参加者が治安当局に逮捕されることもあり、旅行などで同国を訪れたり滞在する際には、トラブルを回避するためにも、それらの集会やデモ には近付かず干渉しないことを心がける必要性が求められる[ 115] 。
ロシアの法執行機関としてロシア内務省 、ロシア連邦保安庁 (FSB)、連邦国家警備隊などがある[ 116] 。
ロシアの警察 は、内務省の一部局である。犯罪捜査を担当する刑事警察は内務省所属だが、一般的な警察官は各連邦構成主体に所属する[ 117] 。
2009年よりメドヴェージェフ大統領らにより警察組織の抜本的改革が進んでいる[ 117] 。
ロシア連邦では国民の3人のうち2人がロシア正教徒で構成されており、「同性愛は聖書で禁止されている」ので蛇蝎の如く嫌われるが、挨拶代わりの「フレンチキス」や「ハグ」は握手と同様の社交辞令であり問題とはされないという[ 118] [ 119] 。
2018年8月4日には、サンクトペテルブルク 市のLGBTゲイ ・イベントが公的権力により強制中止された。
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(2020年12月 )
公的機関も含め、YouTube やInstagram の利用も盛んである。
『商人の妻』(ボリス・クストーディエフ 画)ロシアの茶文化 を見せている 肉・魚料理、シャシリク類 スープ、ボルシチ類 野菜料理 パン・粉物料理、ピロシキ類 飲み物 アルコール飲料 ワイン については「ロシアワイン 」、ロシア国内におけるビール 全般については「ロシアのビール (ロシア語版 、英語版 ) 」を参照。デザート・スイーツ、パスハ類 この節の
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(2020年12月 )
くるみ割り人形 から『雪片のワルツ』(ピョートル・チャイコフスキー 作曲)この節の
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(2020年12月 )
“総天然色・ディズニースタイル・フルアニメーション・長編漫画映画・『雪の乙女』(Soyuzmultfilm製作:1952年公開作品)”. 「子供番組の低予算放送枠内でもフルCGによる作画崩壊が無い高品質のアニメーションが製作できる」体制がほぼ確立したため、アニメ制作現場ではCGアニメーション主流となっている[ 120] 。海外では「暴力の表現を含むアダルト向けアニメ作品は公序良俗に反するとして審査・検閲され、倫理規制によりテレビ放送そのものが禁じられる」ので、上記の「子供向けCGアニメ作品」は(2023年5月以降から)ロシア連邦領内および「中東地域/トルコ共和国/キプロス共和国/セルビア共和国/クロアチア共和国/マケドニア地域/ブルガリア共和国」にて放送されている[ 121] 。なお、2Dアニメは「CGによって手描きアニメーション風の作画(セル画)でレンダリング、手描き風の表現による親しみやすい表現と懐かしさを表現する手法」としてセルルックCGアニメーションが確立、セルライクなアニメが絶滅したわけではない[ 122] 。
『至聖三者 』(アンドレイ・ルブリョフ 画) 有名なロシアのイコン カール・ブリューロフ (1799 - 1852年) ロシアの新古典主義からロマン主義にかけての過渡期の重要人物この節の
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(2020年12月 )
有名なロシア建築 の聖ワシリイ大聖堂 この節の
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(2020年12月 )
中世時代の農民が着用していた衣装を再現したもの ロシア国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産 が16件、自然遺産 が10件存在 する(2015年の第39回世界遺産委員会 終了時点)。そこには、モンゴルと共有する自然遺産が1件、リトアニアと共有する文化遺産が1件、ウクライナ、エストニア、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ベラルーシ、モルドバ 、ラトビア、リトアニアと共有する文化遺産1件が含まれる。
クリスマス が1月7日 なのは、キリスト教の宗教行事はロシア正教 が公認しているユリウス暦 に基づいて行われていることによる(正教会 ではほかにエルサレム総主教庁 、グルジア正教会 、セルビア正教会 、アトス山 などがユリウス暦を採用している)。現在の暦であるグレゴリオ暦 は、歴史的にはカトリック側が作った暦となっているためである。すなわち、グレゴリオ暦(新暦)12月25日 がユリウス暦(旧暦)の1月7日に相当する。2100年 2月28日 まではグレゴリオ暦とユリウス暦のずれは13日である。「旧正月」も同様の理由から1月14日に祝う。ソ連時代は1917年 にロシア革命 でソヴィエト政権が成立した11月7日 が革命記念日 として最大の祝日になっていたが、プーチン政権は2005年にこれを廃止し、帝政時代に「モスクワ解放記念日」となっていた11月4日 を「国民団結の日」として復活させた。
休みにならない祝日 2014年ソチ五輪 の聖火台 ロシアはソビエト連邦時代からオリンピック で毎回優れた成績を残しており、メダル獲得数では上位にランクされることが多い。また、ロシアは1980年モスクワオリンピック をはじめ、国際スポーツ競技大会の開催も数多い。2014年には黒海 沿岸のソチ で冬季オリンピック (2014年ソチオリンピック )、2018年にはFIFAワールドカップ (2018 FIFAワールドカップ )を開催している。
国内プロリーグとしては、1992年に創設されたサッカー の「ロシア・プレミアリーグ 」や、2008年に創立されたアイスホッケー の「コンチネンタル・ホッケー・リーグ 」などがある。また、ソ連崩壊の前後から多くのロシア人指導者が国外に移住し、陸上競技 、フェンシング 、体操競技 、新体操 、アーティスティックスイミング 、フィギュアスケート などの種目で世界各国の選手を指導している。ロシア・旧ソ連発祥のスポーツ としては、日本の柔道 と西洋のレスリング などをベースに編み出されたサンボ が挙げられる。
サッカー ロシアサッカー連合 (RFU)によって構成されるサッカーロシア代表 は、これまでUEFA欧州選手権 には6度の出場歴があり、2008年大会 ではアンドレイ・アルシャヴィン やロマン・パヴリュチェンコ などの活躍によりベスト4に輝いた。さらにFIFAワールドカップ には4度の出場歴があり、2018年大会 ではベスト8の成績を収めた。しかし続く2022年大会 には、ロシアのウクライナ侵攻 に対して国際サッカー連盟 (FIFA)が代表チームに参加停止の制裁を課した為、不戦敗で予選敗退となった[ 125] 。
総合格闘技 レスリング はロシアの総合格闘技 の重要な要素と見なされている。レスリングの次に人気のある格闘技 は、ソビエト連邦 で生まれたサンボ である。ダゲスタン共和国 はUFC で地位を確立した多数の総合格闘家 を生み出している。実際にUFCで優勝した最初のロシア人 およびイスラム教徒 であり、無敗のまま引退 したハビブ・ヌルマゴメドフ は、ダゲスタンでキャリアの一部を訓練してきたことは注目に値する[ 126] [ 127] 。国内の総合格闘技 団体としては、AMC Fight Nights 、ACA 、Eagle FC が存在する。
ドーピング問題 ロシアはドーピング 問題で国家的な関与があったとして国際的な非難がされている。2018年平昌オリンピック では国家としての参加が認められず、ロシアの選手はOAR (オリンピック・アスリート・フロム・ロシア)という呼称で個人での参加となった。このオリンピックでは、公式記録上はOARとしての記録である。また、優勝しても国旗の掲揚や国歌の演奏はされず、代わりにオリンピック旗 が掲揚され、オリンピック賛歌が演奏された。
この平昌大会から正式競技となったカーリング 混合ダブルスで、当初は銅メダルを獲得したロシアのペアのドーピングが発覚しメダルを返還するなど、アンチドーピング対策が大きな課題となっている。さらに2019年に世界アンチ・ドーピング機関 は、ロシアのドーピングのデータ改ざんに対して4年間国としての参加を認めない処分を決定した。それにより2021年東京オリンピック と2022年北京オリンピック では、ROC・RPCとして大会に参加した[ 128] 。
ロシア連邦には国家を代表する象徴 が多く存在している。これらの象徴の中には、かつての帝政時代やソビエト連邦時代などの歴史的背景から残っているものもあれば、さらに古い起源を持つものも含まれている。
ロシアはヒマワリ とカミツレ の2種類を自国の国花 に指定している。これはソ連時代から引き継がれているものである。
ロシアの国石 はガーネット である。これは帝政時代から由来するもので、当時ウラル山脈から産出されていたロードライト・ガーネット を国の象徴と定めていた点にある。
ロシアの国獣 はユーラシアヒグマ (英語版 ) である。この理由の一つとしては、ユーラシアヒグマの生息数が最も多いのがロシアであり、現在においてウラル山脈東部やシベリア地域の森林地帯でその存在の個体群を確認できる点にある。
ロシア連邦は自国旗の配色として用いる、白 、青 、赤 の3色をナショナルカラー に定めている。これは汎スラヴ主義 を背景とした汎スラヴ色 に基づいており、同国政府にとってその3色は民族的な観念や概念だけに止まらず、歴史上、切っても切り離せない重要なものとなっている。二次色としては緑 を使用しており、緑は国内の各方面で広域に使用される配色となっている。
^ 元構成共和国の地域に存在するNIS諸国 の1国として影響力が大きい国家の立ち位置ともなっている。 ^ ルーシは伝統的にギリシャ(中世においては東ローマ帝国)からの文明的影響を受けてきており、より高等な文明の地であるギリシャの言語の使用はヨーロッパ国家として意義のあることであった。また、外国からも古東スラヴ語 名の「ルーシ」ではなくギリシャ語で呼ばれることが少なくなかった。 ^ 大ルーシ 。^ 小ルーシ 。時期により指す地方 が異なる。^ 白ルーシ 。^ いわゆる「モスクワ第3ローマ論 (英語版 ) 」であるが、この論は当初は宗教的側面からの戒めを説くもので、必ずしもロシアの帝国化を正当化するために考案された理論でもなかった。 ^ 「ルーシ」の語には様々な地域概念があり、政治に都合よく使われてきた用語である。当初、モスクワ大公国が用いた意味での「ルーシ」はノヴゴロド・ルーシ を起源とした北東地域を指していたが(当時の宗主ジョチ・ウルス 宛ての文書でモスクワ大公はその地域を指して「ルーシ」と呼んでいる)、やがてはジョチ・ウルスに対抗するためのアイデンティティーの拠り所として諸公の団結の合言葉に用いられ、その後モスクワ国家の強大化とロシア帝国の完成課程で「ルーシ」はかつてのキエフ・ルーシ全体の地域概念を指す用語にすり替えられた。そして、その用法における「ルーシの再統一」が、モスクワ国家=ロシア帝国がベラルーシやウクライナ全土、果ては「緑ルーシ」と名付けられたシベリア(無論、そう名付けられるまで「ルーシ」の地域ではなかった)を併合する大義名分となった。なお、その論法はソ連邦の結成時にも使用された(国歌 に謳われるとおりである)。 ^ なお1991年 (平成 3年)の内閣告示『外来語の表記』には、細則的な事項として「イ列・エ列の音の次のアの音に当たるものは、原則として「ア」と書く。 」とあり、これに従った表記は「ロシア」になる。“内閣告示第二号『外来語の表記』 ”. 文部科学省 . 2011年10月14日閲覧。 ^ 1991年 12月のソビエト連邦崩壊 直後、日本の新聞では『毎日新聞 』や『産経新聞 』が旧ロシア帝国と同じ「露」を使用する一方で、『朝日新聞 』や『読売新聞 』は旧ロシア帝国と区別するため「ロ 」と表記していた。 ただ、片仮名で「ロ 」と表記すると「口 (くち)」と誤認され易いためか後に読売新聞も「露」に転換した。「ロ」の表記は朝日以外にNHK や共同通信 が使用しているものの少数となる。なお、外務省 は「露」を用いている。^ 英語 では、帝国時代を「Russian Empire 」、大統領制時代を「Russian Federation 」として両者を区別し、現行の大統領制時代を指す場合は単に「Russia 」とせず、「Russian Federation 」ないし「Russian Fed. 」と、国号の「連邦」を強調する表記を用いる場合が多い。^ なお、白川静 の『字統』によると「魯」の原意は「おろか」でなく「よろこび」である。 ^ バルト海から黒海に至る交易路は「ヴァリャーギからギリシャへの道」と呼ばれ、東ローマ帝国やイスラム世界 との交易でスラヴの地は大いに潤ったといわれる。 ^ 厳密には、原初年代記のノヴゴロド系の写本。 ^ ナポレオン戦争後、アレクサンドル1世 の取り計らいもあり、両国はそれぞれスウェーデン 、ロシアから独立を果たしているが、その国家元首をロシア皇帝が兼任した。 ^ 当時の名はペトログラード。 ^ 詳細は北方領土問題 を参照 。 ^ ロシアの国家元首は頭髪が「ツルツル」と「フサフサ」の交互になるというジンクスがある(いわゆる「つるふさの法則 」)。 ^ 言語による分類。 ^ その場合の下限年齢は、16歳以上か連邦構成主体 の立法による16歳より下の年齢である。 ^ “Russia ” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック . 2024年9月13日閲覧。 ^a b c d e “World Economic Outlook Database, October 2021 ”. 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