レストラン (仏 :restaurant )は、客が料理 を選ぶことができ、それをテーブル で提供してもらえ、その代価として料金を支払う飲食店 [ 1] 。
元のフランス語[ 2] やそれを借用した英語では、テーブルで料理を提供してくれる広範囲の飲食店を指す用語であり、ともかくテーブルで料理を提供し対価をいただく飲食店である。フレンチ・レストラン、イタリアン・レストランなどだけでなくチャイニーズ・レストラン(中華料理店)もレストランに含み、テーブルで蕎麦を提供する蕎麦屋も英語ではsoba restaurantと言い、restaurantに含んでいる[ 3] 。
レストランの範囲、どこからがレストランでないのかについて解説すると、レストランではなくレストランと対比されるもののひとつは、テーブルでなくカウンターで飲食物を提供する店であるバール (bar)やバー (bar)である。また、たとえば料理を選ぶことができず、食べた人(生徒)から料金をとらない学校給食 もレストランでは無いものである。
一方、日本の総務省の統計では、どうしてこういう分類法になってしまったか理由や経緯は不明だが、テーブルで料理が提供されても専門料理店(蕎麦屋、ラーメン店、焼肉店 、寿司屋 など)はレストランに含めず、別の区分としている[ 4] 。これは、あくまで過去のなんらかの統計調査の都合で生まれた分類法でしかなく、百科事典の定義などに仕えるものではないので[ 注釈 1] 、本項では百科事典などに採用されている世界的に一般的な定義法を採用して説明する。
飲食を提供する店は古くからあり、例えばギリシャ・ローマ時代から使われている飲食できる店を意味する語にタベルナ があるが、これは市場などに集まってきた人々に屋台に近い設備で簡単な軽食を出すものであった[ 2] 。
中世ヨーロッパのギルド制 のもとでは飲食店も25業種に分けられ、ロスティエールではロースト料理のみ、シャルキュティエでは豚料理のみなどギルドの種類ごとに決まった料理しか提供することが認められず、トレトゥールと呼ばれた仕出し屋のみが日替わりの料理を提供できた[ 2] 。また、中世ヨーロッパでの飲食店や宿屋での食事の提供は大テーブルを客が囲み大皿から料理を取り分けて食べる方式であった[ 2] 。
レストランはフランス語 に由来し、その起源については諸説あるが、フランス語のレストレ(restaurer)から来ている[ 2] 。レストランの語が用いられるようになったのは、18世紀に都会に働きにきた人たちなどに体調を回復できるよう消化に良い食べ物を提供するようになったことが由来になっている[ 2] 。レストランでの食事の提供の特徴は、客ごとに個別のテーブルを用意したこと、客が体調に応じてメニューから料理を選択できるようにしたこと、それぞれの料理の価格を明記したことなどが挙げられる[ 2]
レストランは国際標準産業分類(ISIC)ではサービス業としてホテルと同じ区分になっている[ 5] 。また、日本標準産業分類では「小分類7611-食堂、レストラン(専門料理店を除く)」に分類されており「主として主食となる各種の料理品をその場所で飲食させる事業所」と定義されている[ 4] 。
テルモポリウム 古代ギリシャ・ローマ世界 にはテルモポリウム 、すなわち「温かい食物を提供する場所」という名で呼ばれていた飲食店があった。ヘルクラネウム の遺跡には甕 や大鍋をはめ込んだ石造りのカウンター を備えた飲食店が残されている。ポンペイ (紀元前5世紀頃 - 紀元後の79年)の遺跡にもカウンターを備えた飲食店が残り、瓶などの容器に残された成分の分析により、豚肉 、魚 、牛肉 、エスカルゴ の料理が提供されていたことが判っており、カウンター前面の絵がメニューだとすると鶏肉 料理も提供していた可能性がある[ 6] 。
バース のレストランボリス・クストーディエフ :『モスクワのレストラン』(1916年)西洋では古代 から、宿屋 が料理を提供していた。宿屋は旅行者向けの施設であり、一般に地域住民が食事をすることはほとんどなかった。
ザルツブルク のシュティフツケラー・ザンクト・ペーター は、カール大帝 の時代、803年 の創業であり「現存するレストランとしては世界最古だ」と主張している。
中世イスラム世界のレストラン 中世 のイスラーム 世界は、地中海 沿岸の広域に広がっていたわけだが、イスラーム世界には「全ての種類の料理を注文できるレストラン」があった。これらのレストランについて、ムカッダスィー (Al-Muqaddasi ) が10世紀 後半に言及した[ 7] 。
中世イスラム世界のスペイン のレストランでは、3つのコースの食事が供された。これは9世紀 にシルヤブ (Ziryab ) により早期に導入されたものであり食事はスープ 、メインコース、およびデザート の3つの独立したコースとすることが主張された[ 8] 。
18世紀 レストラン(フランス語 で「回復させる」を意味する動詞 restaurer の現在分詞 restaurant が語源)という言葉は16世紀 に現れ「回復する食事」を意味し、特に栄養に富み強く風味付けされたスープ であったが、この語が最初に食事店に使われたのは1765年 頃にブーランジェが創業したパリ のエスタミネ であった。ギルドの規則から煮込み料理は出せない代わりに、鶏や卵を使った料理やレストランを食べさせた。その後、似たような店が多数出現し、そうした店はレストラトゥールと呼ばれた[ 9] 。
18世紀 になると、特定の料理が客から注文されこの注文に従って調理するような食事を供するレストランが各都市に現れた。ギネス・ワールド・レコーズ によると現存する最古のレストランは1725年 に開業した、スペイン 、マドリード のボティン (Sobrino de Botín ) である。ロンドンでは1798年にルールズ が創業した。
標準となった形態(固定した営業時間中に客が個々のテーブルの一人分の場所に座り、メニューから料理を選ぶ)を持った最初のレストランは「Grand Taverne de Londres」(ロンドンの偉大な居酒屋)であり、1782年 にアントワーヌ・ボーヴィリエにより創業された。彼は代表的料理作家、料理学の権威であり[ 10] 、成功した料理店主として名声を得た。また、標準的な料理本となった『料理人の技術』(L'Art du cuisinier 、1814年 )を著した。
フランス革命 により料理ギルドが解体され、素晴らしい料理を作る技能を持つ使用人達を残して貴族が逃れたことでその後のフランスでレストランが普通のものとなった。一方同時に多くの地方人が、料理をしてくれる家族を残してパリに集まった。レストランはこれらの双方を呼び集める手段であった。そして、外食というフランスの伝統が生まれた。
19世紀のパリで最も有名であるとブリタニカが説明したレストランは、イタリアン大通りのカフェ・アングレ(イギリスのカフェ)である。「イギリス」がレストランの命名に使用されパリ市民がロンドン、イギリス、そしてイギリス人に対して明白に持つ高い敬意が表されている。
19世紀になってもパリ以外ではレストランは流行せず、イギリスの旅行ガイドブックにはパリに行ったときはレストランで食事することをすすめる内容が掲載されていたという[ 2] 。レストランが世界的に広まるのは19世紀中頃のことである[ 2] 。
ニューヨーク のトムズ・レストラン。スザンヌ・ヴェガ の歌「Tom's Diner」に歌われ、テレビドラマ 、『となりのサインフェルド 』に「Monk's」として登場する。英語圏 の北米 などにおいては料理・飲料類を提供する業種 を指す名称 として"restaurant"の言葉が使用され、西洋料理以外の店鋪 でも"restaurant"と称する。
アメリカ合衆国 では1794年 にボストン でレストランが開店した(Jullien's Restarator )。しかしながら多くは共有の料理のテーブルを供して客がそれを自分で取って食べる形式(Service à la française 、一般に「ファミリースタイル」レストランと呼ばれる)であり、より早く食べることを薦めるものであった。別の食事のフォーマルな形式はウェイター がテーブルの周りを料理の大皿を運ぶもので、Service à la russe として知られている。この時間差フルコースは1810年 に帝政ロシア の皇太子に仕えた政治家・外交官アレクサンドル・クラーキン によりフランスに紹介されたと言われる。これが急速にイギリスを越えて広まった。食事が既に配置されている皿が客に供される普通のパターンのサービスはアメリカ由来でないことは確かであるが、「アメリカン・サービス」と呼ばれている。
A宋 の茶屋、張択端 作『清明上河図 』より 食事のサービスを行う店は、宋 前期の中国 の北の首都である開封 で11世紀 以降から知られていた。100万人以上の人口、歓待の文化により、開封ではレストラン発展の機が熟していた。旅行者向けの茶屋と居酒屋が発展し、開封のレストランは中国の他地域からの人びとを受け入れると同時に地域住民向けの産業として発展したと考えられる[ 11] 。スティーブン・H・ウェストはレストラン事業の発展と宋で急拡大した中産階級商人に供された演劇舞台、賭博、および売春の施設に密接な関係があると論じている[ 12] 。
レストランは料理、価格帯、および宗教用件の様々な形式を供した。一軒のレストランでさえ多くの選択が可能であり、メニュー から料理を選んで注文した[ 11] 。1275年 以降の宋後期の首都、杭州 について以下のように記述されている。
杭州の人々を喜ばせることは非常に難しい。四方八方から何百もの注文が行われる。ある人は温かい料理、別の人は冷たい料理、もう1人は微温の料理、4人目は冷却された料理を注文する。ある人は調理した料理、別の人は生の料理、別の人は焙った料理、別の者は焼いた料理を注文する [ 13] 。杭州のレストランはまた1120年 の女真 の侵攻から逃れた北宋の人々の多くに利用され、多くのレストランが開封からの移民によって、経営されていたことが知られている[ 14] 。
女真に支配された金 の時代、1153年 に開封で開業した馬豫興桶子鶏 (Ma Yu Ching's Bucket Chicken House ) は、当時から現在まで変わらず経営しているとされる(連続した営業を証明する資料は存在せず、単に名前を頂いただけという可能性もある)。
昭和初期創業の雲仙観光ホテル のレストラン 日本 では明治 時代から昭和 初期にかけて高級ホテル が開業し、集客の目玉として各国の料理を提供する西洋料理レストランが日本に導入された。以降、日本の食材 と西洋料理の技法 と掛け合わせた料理法 が開発され日本独自にアレンジされた「洋食 」を提供する場として「レストラン」が各地に作られていった。また、洋風の店舗で和食を提供する料理店は「和風レストラン」と名乗ったり、様々な個性的なレストランが増えている。
フィンランド のタンペレ にある中華料理店。一軒家のイタリアンレストラン(日本) レストランは多様であり、普段の昼食や職場の近くの食事場所など普通の環境での安価で質素な料理を提供する店から、フォーマルな環境で洗練された料理とワイン が供される高価な料理店まで幅広い。
レストランは特定の種類の料理の専門店である場合もあるし、統一したテーマの料理を提供することもある。例えばシーフード レストラン、ベジタリアン レストラン、エスニックレストランがある。
欧米のレストラン(特に高級店)では、子供 の入店を禁じている。ファミリーレストラン は、子供の入店を禁じないカジュアルな店という事で、特にこのようにネーミングされたのが由来である。
クイックサービスレストラン、カジュアルダイニングレストラン、ダイニングレストランといった分類がある[ 15] 。
クイックサービスレストランファーストフードにおけるレストランをクイックサービスレストランという[ 15] 。 カジュアルダイニングレストラン中間的な形態で北米ではクイックサービスレストランとともに特に人気がある[ 15] 。 ダイニングレストランフォーマルな形式のレストランをダイニングレストランという[ 15] 。 特に高級レストランは「グランメゾン」と呼ばれる[要出典 ] 。
農林水産省「外食産業に関する基本調査結果」の業態区分では、ファーストフード 、ファミリーレストラン 、カジュアルレストラン 、ディナーレストラン、その他(喫茶店 など)に分類している[ 16] 。
ファーストフード来客1人あたりの消費金額が700円未満で料理提供時間がおおよそ3分未満のもの[ 16] 。 ファミリーレストラン来客1人あたりの消費金額が700円以上1500円未満で料理提供時間がおおよそ3分から10分のもの[ 16] 。 カジュアルレストラン来客1人あたりの消費金額が1500円以上2000円未満で料理提供時間がおおよそ3分から10分のもの[ 16] 。 ディナーレストラン来客1人あたりの消費金額が2000円以上で料理提供時間がおおよそ10分以上のもの[ 16] 。 ファミリーレストランは、一般的にはチェーンストアとして展開している、家族連れを主な対象としている、メニューに和洋中の料理を広く含むといった特徴があるものをいう[ 17] 。旧商業統計には、ファミリーレストランの定義について客単価が500円~2000円、料理提供時間が3分以上で、客席は80席以上あることという定義があった[ 17] 。旧商業統計の分類によるとファミリーレストランは客単価はディナーレストランよりも低いがファーストフード よりは高く、ファーストフードよりも料理提供時間が長いものをいい、ファミリーレストランはカジュアルレストランとほぼ同じものをいうとされていた[ 17] 。
油と動物性油脂の論争 のため米国のレストランは油が動物性油脂なしであるか、あるいは含まれることをメニューに記述することが合衆国法で定められている。またある料理に同じ油と動物性油脂を揚げ物等に使用するレストランについて、ある物質や料理の他の成分のアレルギー反応に関するケースによる話もある。ほとんどのレストランは法によりこれを強制されることはないが、メニューに記載する必要がある。[要出典 ]
地域の慣習および制度により、レストランが酒 を供することができるか否かが決定される。レストランでは、食事なしで酒を販売することがアルコール販売法で禁じられる。このような販売はバー の業務と考えられ、バーにはより厳しい制限がある。レストランには、酒の販売の認可(「完全認可」)と客によるアルコールの「持ち込み」(BYOまたはBYOB)の許可がある。ある場所ではレストランの認可はビール販売、またはワインとビールの制限がされることがある。
日本の法規では「レストラン」は、食品衛生法 第3条でいう「食品等事業者(食品もしくは添加物 を採取し、製造し、輸入し、加工し、調理 し、貯蔵し、運搬し、もしくは販売することもしくは器具もしくは容器包装を製造し、輸入し、もしくは販売することを営む人もしくは法人または学校、病院その他の施設 において継続的に不特定もしくは多数の者に食品を供与する人もしくは法人をいう。)」にあたる。
営業をするためには同法第52条の規定により、都道府県知事 の許可(窓口は保健所 )を受けなければならない。
レストランガイドはレストランをレビューし、格付けまたは客向けの情報(料理の種類、アクセシビリティ、設備等)を提供する。12世紀の杭州(上記の最初のレストランの場所)では、地域のレストランと料理の質についての地域客の意見を一覧する看板が街の広場に掲示されていた。現在、レストランのレビューはより文明的な方法で行われる。西ヨーロッパ で有名な現代のガイドのひとつは、ミシュラン の一連のガイドである。料理に高い評価が認められたレストランに、1つから3つの星が与えられる。
アメリカ合衆国では、『モービル・トラベルガイド』と『AAA(全米自動車協会)』が同様に1から5の星(モービル)またはダイアモンド(AAA)の評価でレストランを格付けする。3、4、および5星/ダイアモンドの格付けはミシュランの1、2、および3星の格付けに該当し1および2星の格付けはよりカジュアルな食事場所を示す。ミシュランは、アメリカ合衆国で初のニューヨーク市 ガイドを2005年 に発行した。ザガット・サーベイ は個人のコメント集で人気があるが、「公式の」批判的査定は記載しない。オーストラリアの新聞社フェアフォックスグループが発行する『グッド・フード・ガイド』は、オーストラリアで最も良い食事場所を一覧するガイドである。傑出するレストランに、1から3のシェフ帽が与えられる。『グッド・フード・ガイド』はまたバー、カフェ、およびプロバイダも組み込んでいる。オーストラリアにはまたもうひとつのレストラン・ガイドである『グッド・レストラン・ガイド』[ 18] があり一般客が経験したレストランのレビュー、場所の案内と詳細な連絡先を提供する。誰でもレビューを出すことができる。
ほとんどすべてのアメリカの新聞 はレストラン評論家を雇って、新聞を販売する都市のオンライン食事ガイドを発行している。出版された標準的なガイドに対しレストランへの徹底的で考え深いレビューと評判を記載する新聞も幾つかあるが、他は一覧サービスを提供している。
最近のインターネット・サイトでは、食事評論家のレビューと一般による人気レビューの両方を提供している。これらは成長分野で市場は未成熟である。どのサイトもまだ市場の優位性も批判的なサポートも得ることができていない。Zagat.com、chowhound.com、およびFodors.com等、幾つかは牽引力を有するサイトもある。ブロガー と検索エンジンにより主要な競争が行われる。これは検索エンジンが大量の静的なウェブサイトよりも活発なブロガーを好むためである。
ユニークなサイトにMenuism.comがある。ここではレストランよりも料理をレビューする。これらサイトの多くは、割引券と地図を提供する。
レストランでの昼食 Barnes Reports社による『2006 U.S. Industry & Market Outlook』によると2006年現在、およそ215,000のフルサービスレストランがアメリカ合衆国にあり、298億ドルを売上げ、250,000の限定サービス(ファストフード )レストランが260億ドルを売り上げている。
^ 行政が行う統計では、一般的な定義や分類法とは異なる妙な分類法がしばしば行われてしまう。たとえば世の中ではファミリーレストラン というカテゴリーが明らかにあり、百科事典などでも「ファミリーレストラン」は掲載され、フード業界誌などでもファミリーレストランという区分は明らかに使われ、ビジネス業界ではそれの統計がとられているが、日本の行政の統計ではなぜか「ファミリーレストラン」という区分で統計をとらず、別の2つの用語で別々に統計をとってしまっていて、非常に使いづらい。行政の統計というのは、統計をとる側の特殊な事情を優先し、しばしばまともな定義に一致しない変な区切り方を使い、ともかくそれまでに調査できて明らかにできていた数字を使って統計数値をはじき出そうとする。また政府の統計は、経年的変化を追跡するために何年も同じ基準(区分法)で集計することが優先されるので、最初にうっかり変な区分が採用されてしまうと、たとえそれが変な区分法であっても、翌年以降もその変な区分法を踏襲してしまことがほとんどである。ともかく、統計上の区分は、あくまで統計上の、しばしば人にはまともに説明できないような統計調査する側の集計上の都合の区分なので、百科事典の定義文として採用してはいけない。 ^ “American dictionary, restaurant ”. 2024年1月4日閲覧。 ^a b c d e f g h i 赤松幹之「語源を楽しむ 」『情報管理』第55巻第3号、科学技術振興機構、2012年、203-206頁、doi :10.1241/johokanri.55.203 、ISSN 0021-7298 、NAID 130001855932 。 ^ [1] ^a b “大分類M-宿泊業,飲食サービス業 ”. 総務省. 2020年11月6日閲覧。 ^ “A表 国際標準産業分類(ISIC) ”. 独立行政法人労働政策研究・研修機構. 2020年11月6日閲覧。 ^ “「古代ローマの飲食店」 ”. にゃこめしの食材博物記. 2024年7月4日閲覧。 ^ Lindsay, James E. (2005), Daily Life in the Medieval Islamic World , Greenwood Publishing Group, p. 131, ISBN 0313322708 ^ Salma Khadra Jayyusi and Manuela Marin(1994),The Legacy of Muslim Spain , p. 117,en:Brill Publishers ,ISBN 9004095993 ^ エドモンド・ネランク、ジャン=ピエール・プーラン 辻調グループ監訳『よくわかるフランス料理の歴史』同朋舎出版 1994年、ISBN 4810413276 pp56-57 ^ Encyclopaedia Britannica 15th Ed. ^a b Gernet, 133. ^ West, 69-76. ^ Kiefer, 5-7. ^ Gernet, 133-134. ^a b c d ニールセン「食品の成分と消費者の心理 世界の原材料と外食の傾向」 (2021年8月20日閲覧) ^a b c d e 農林水産省「外食産業に関する基本調査結果」 農林水産省総合食料局(2021年8月20日閲覧) ^a b c 井上尚美、西崎雅仁「ファミリーレストラン市場の変化と経営的視座に関する研究 」『経営情報学会 全国研究発表大会要旨集』2010年秋季全国研究発表大会、経営情報学会、2010年、1頁、doi :10.11497/jasmin.2010f.0.1.0 、NAID 130004606295 。 ^ グッド・レストラン・ガイド (英語)Gernet, Jacques(translated by H. M. Wright)(1962),Daily Life in China on the Eve of the Mongol Invasion, 1250-1276 , Stanford: Stanford University Press,ISBN 0-8047-0720-0 Kiefer, Nicholas M. (August 2002). “Economics and the Origin of the Restaurant ” . Cornell Hotel and Restaurant Administration Quarterly, : pp 5-7. オリジナル の2009年3月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090326185335/http://www.arts.cornell.edu/econ/kiefer/Restaurant.PDF . Spang, Rebecca L.(2000),The Invention of the Restaurant , Harvard University Press West, Stephen H. "Playing With Food: Performance, Food, and The Aesthetics of Artificiality in The Sung and Yuan," Harvard Journal of Asiatic Studies(Volume 57, Number 1, 1997): 67-106. Whitaker, Jan(2002),Tea at the Blue Lantern Inn: A Social History of the Tea Room Craze in America", St. Martin's Press.