ルー 大柴(、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、声優、茶人。本名:大柴 亨(おおしば とおる)。茶人名としては大柴 宗徹[1]。山野美容芸術短期大学客員教授[2]。遠州流茶道師範[3]。浅井企画(2008年1月末まで)→株式会社Carino所属。
東京都新宿区市谷冨久町(現・富久町)出身。立教高等学校卒業。現在は神奈川県川崎市宮前区在住[4]。
第二次世界大戦後にシベリア抑留から引き揚げてきた父と日本で知り合った母との間に、東京で生まれた。父親は旧満州のハルビンで生まれ育ち、ロシア語・中国語・英語に堪能で、幼少の大柴にハグやキスをするような国際的な人物だった[3]。また、大柴の父方の祖父はロシアのウラジオストクで宝石商を営み、ロシア革命後に満州に移り、日本軍に飛行機を一機寄付してしまうほど富裕だった。母親は再婚で、既に2女の親だった[5]。母親の実家は印刷所を営んでおり、父親は婿養子に入っていた[3]。
両親が不仲になったこともあり、高校卒業を機に家を出て独立。欧米各地で、自作のアクセサリーを露天販売しながら数年間放浪。これを機に英会話が特技となる。
帰国したときには両親は離婚しており、一旦は実家が経営する印刷会社に就職するものの即退職。三橋達也の付き人を経て、1977年にテレビドラマ『俺たちの朝』で俳優としてデビューする(ただし、一話限りの出演でそれも端役扱い)。1979年、勝新太郎が主宰した『勝アカデミー』に第一期生として参加[3]。講師だった岸田森の教えを受けた。この時、同期だった小堺一機と知り合う。この間、俳優業は鳴かず飛ばずで、司会業やモデル業をして雌伏の時を過ごす。また、この時期に出演舞台を通じて関根勤とも知り合う[3]。
折り込みチラシなど、モデル時代の事務所のパンフレットに掲載されていた“カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好”がラジオ番組『スーパーギャング・コサキン無理矢理100%』で話題となり、番組内で“ポシェット・ルー”として人気に火がつく。後に番組内でレギュラーとしてポエムコーナー『ルー大柴のパックインミュージック』が出来るまでになった。
1989年、関根の主宰する劇団『カンコンキンシアター』の旗揚げに参加し、その独特のキャラクターが脚光を浴びる。アデランスのCMでの「トゥギャザーしようぜ!!」のキャッチフレーズで一躍有名になる[3]。
1992年、第29回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。
また『笑っていいとも!』曜日レギュラー、テレビドラマ『ダブル・キッチン』、NHK大河ドラマ『花の乱』、『万引きGメン・二階堂雪』シリーズや、舞台『ハムレット』などに出演。
1990年代前半の短期間のブレイク[注 1]後、しばらくはカンコンキンシアターをはじめとする舞台演劇に活動の重点を置き、テレビ番組への出演機会が少なくなる。
2006年5月、マネージャーの勧めで自身のブログを開設。そこで記述された英語交じりの独特の文体が、20歳前後の若い世代から「ルー語」と呼ばれて注目されるようになり、50代にして再ブレイクする[6][7]。
2007年4月にリリースされた自身の曲『MOTTAINAI 〜もったいない〜』がきっかけで、環境活動家のワンガリ・マータイが提唱したMOTTAINAIプロジェクトに賛同し、テレビ出演時にはそのTシャツを着用した。
2008年、所属する浅井企画をマネージャーと共に退社し独立。
2010年4月、遠州流より準師範を許可され、当代家元小堀宗実より、宗徹(そうてつ)の名前を与えられる。
2012年10月、「ルー語」の口調でナビゲートするAndroid端末用カメラアプリ「ルー大柴のCameraでLet's TOGETHER」をリリース。
2013年4月 遠州流より師範を許可される[3]。茶道当代家元小堀宗実お家元より貫庵(かんあん)大柴宗徹(そうてつ)の庵号を与えられた。
- 役者活動を始めた22歳の頃は大柴允人(まさひと)、新劇に参加し始めた1983年からは大柴亨介と名乗っていた[8]。しかし、「大柴亭」「大紫亭」などのように、落語家の様な名前で誤表記される事が多く、「インパクトのある名前を」と言う事で「ルー大柴」という芸名にした。「ルー」は、本名の「亨(とおる)」から。大柴曰く、自身が幼い頃に家の中で暴れていたところ、それを見た父親が「ルー台風」と呼んでいたのが由来とのこと[9]。テレビに出始めたころは、新聞見出しに「ノレー大柴」や「ルール大柴」「ルー大紫」「ルー太柴」「ルー芝浦」「ルー犬柴」と誤表記されたことがあった。また、初めて書いたサインに対しては、「ノレー大紫(のれーおおむらさき)さんですか?」と聞かれたという逸話もある。
- 自称「職業は旅人」。愛車は2代目トヨタ・プリウス。1981年に結婚した妻の万規[10]との間に2人の息子がいるが一般人であり公表されていない。
- タレントとしてはキャラクター作りとして「トゥギャザーしようぜ!」「この間デパートメント・ストアーで」「ジャニュアリーで50歳になるんだよ!」など、会話の中に簡単な英単語を入れるのが特徴(しかも我流当て嵌めで文法にも適っておらず正しくない)。その発端は、高校生時代に帰国子女の同学年生と交際していて、どうしても言葉の端々で英単語が出てしまうから、と述べている[11]。また、実父が満州生まれで日本語は無論のこと、ロシア語・中国語・英語の3か国語をも自由に話せるマルチリンガルであったという、幼少時の体験も少なからず影響していた。
- また俳優を目指していた経緯から演劇指向が強く、舞台に生きる自らの事を「板人()」、また『カンコンキンシアター』では、後輩達に自身の事を「板長()」と呼ばせようとしている。業界でもそのような呼び名はないが、舞台(=板)の長として団員をまとめあげる、座長の直下のポストであるという自負から来た造語であると推測される。実際、『カンコンキンシアター』では、年齢的にもキャリアも座長の関根勤に次ぐ年長者でもあり、舞台公演時にカーテンコールで座長を紹介できる唯一の人物でもある。
- 水辺の生き物が好きで、趣味の一つにドジョウ(ローチ)の飼育があり、川などに出て採集したり、アルビノなどを観賞魚店で買い求めている。現在まで続いているドジョウとの出会いと付き合いは、1998年頃、大柴のテレビ出演が激減しスケジュール帳はいつも真っ白の時期に、息子が通う自然教室についていった際「どじょうってかわいい」と開眼したのがきっかけ。当時の大柴は自ら「人生のバッドタイム」であったと思っていたが、今思えばそれは必要な時間だったかもしれないと語っている[注 2]。2006年11月に観賞魚雑誌の月刊アクアライフ2006年12月号で、インタビューを受け、飼育風景の一部が掲載され、その後同誌2007年5月号から連載を開始した。記事の内容は川や用水路での採集や、珍しいドジョウの紹介、時には大学の研究室(ドジョウ関係の研究を行っている研究室である)を取材することもあり、独特な文章と裏腹にかなり専門性が高い内容となっている。愛魚には10年以上飼育したヒドジョウのチャッピーなどがいる。2007年6月に『ゆうどきネットワーク』にゲスト出演し、密着取材でオフの日に多摩川で小魚採取に興じる大柴を特集した。『どうぶつ奇想天外!』でも、魚部の子供たちと魚捕りをした。
- 自宅でくつろぐ方法の1つに、愛するドジョウたちを眺め、バッハのG線上のアリアを聴きながら芋焼酎(ポテト焼酎)をゆっくり飲むスタイルであると語っている。
- 福山雅治とは、福山の新人時代からの交友関係で、当時まったくの無名だった彼に親身になって相談に乗ったりアドバイスしたりしていた。福山からは今も連絡が来るらしく、一度「ルーさんの自宅にお邪魔していいですか?」と言われたが、大柴の妻が彼の大ファンで妻曰く「恐れ多い」との事で流れてしまった[12]。福山本人は「ルーマニア」を公言している[13]。
- 石田純一とは生年月日・血液型が全く同じでよくネタにしており、これまでに二人は『快傑!ドクターランド』や『ダウンタウンDX』等で顔合わせをしており、後者によるところでは生年月日も血液型も同じなのに生き方が違っていることを羨ましく思っているが(例えば石田に離婚歴と再婚歴があっても自身にはない)、実際には以前から仲がよいことを自身のブログで語っている。
先述の通り印刷業を営む母方の祖父からは、小さい頃から跡取りとして期待されていた。ただし両親が渋々印刷業をしていたこともあり、本人も稼業を継ぎたいとは思わなかった[3]。子供の頃は、父の英語を交えた日常会話[注 3]やハグなどの言動を恥ずかしく思っていたが、父の話し方は後に大柴の“ルー語”の元となった[3]。
中学生の頃に映画館で観た『サウンド・オブ・ミュージック』で、英語で歌って踊って芝居をする役者たちに衝撃を受け、役者に憧れるようになった[3]。高校卒業後「英語を使って海外で自分を表現したい」との思いから、ヨーロッパ(主にイギリスや北欧)を貧乏旅行した[注 4]。
その後母方の祖父の死を知って帰国したが既に両親が離婚していたり、帰国直後に祖父の遺産で親族が一時的にゴタゴタしたことから、大柴は遺産を受け取らずに独立[3]。役者になるための足がかりとしてモデル事務所に所属し、チラシのモデルやCMの端役などをしながらバイト三昧の生活を送った。売れないまま27歳で結婚し、30歳の頃に子供を授かったこともあり役者になる夢を諦めかけた[3]。
そんな中、面識のあった関根勤から「一回だけでいいからラジオ番組に出てくれ」としつこく口説かれて関根・小堺一機の先述の『スーパーギャング・コサキン無理矢理100%』に出演[3]。この時ルー語を用いたクセのあるキャラが彼らや番組スタッフに大受けしたことで、テレビのバラエティ番組出演など一気に仕事が増えた[3]。
1990年代前半の短期間のブレイク後はテレビ出演が激減し舞台活動がメインになっていたところ、「ルーさん最近テレビに出てないね」と“風のボイス”が大柴の耳に入るようになっていた。そんな折2005年に現在のマネージャー(兼所属事務所社長)と出逢い、「今の感じでやっていたら60歳までもたない。もう一度チャンスを掴みたいんだったら今のルー大柴を捨てたほうがいい」と仕事に対する意識変革を促された。その際、マネジャーから3つの決め事(「真面目に台本を読み込む」、「ギャラの額によってやる気を変えない」、「ファッションにも気を遣う」)を提示された[3]。それを素直に受け入れた所、不思議と仕事が途切れなくなり、50代での再ブレイクに繋がった[3]。
またマネージャーからは、「仕事を増やすため、新しく趣味のようなものを始めた方がいい」と助言された[3]。「50歳になって、今までの自分にないことをしよう」という趣旨で自らのブログを開設する事にした。そのブログに関しての話題が「2006年の“ノーベンバー”頃から、2ちゃんねる経由で火がつき」、世間の人々が注目するようになった[14]。
さらに2006年からは、茶道に入門して[注 5]月に3回のペースで茶道の先生の所に通って習得。2022年現在も遠州流で稽古をつけてもらっている。茶道習得後は仕事現場で時々お点前してスタッフなどにお茶を振る舞ったり、コロナ禍の現在(2022年)は自宅で薄茶を楽しむなどしている[3]。
大柴は、マネージャーとの出逢いを「砂浜に落としたダイヤモンドを見つけたくらいのデスティニー」と表現し、浅井企画からの独立以降も二人三脚で新しい芸風に挑んでいる[15]。
人物評と容姿
- 大柴は、若い頃イタリア人やアラブ人に顔が似ていたと発言しており、自ら「地中海の顔」と評している。 このことから、 本人は、イタリア系ハリウッドスターのアル・パチーノに似ていると称することがある[3][16]ものの、本気かジョークかは不明。 また、ブログに掲載した22歳の頃の写真が嵐の二宮和也に酷似しており、猫背気味な姿勢まで似ていることがインターネット上で話題となった[17]。
『ゆうもあ大賞』の受賞
ジュリー・アンドリュースのファン
- 俳優を目指すことになったきっかけの映画『サウンド・オブ・ミュージック』の主演女優、ジュリー・アンドリュースのファン[3]。また本人は、「イギリス出身のジュリーの影響を受けてるから、アタシの英語はクイーンズ・イングリッシュなのよ」としている[3]。
祖父の出身地・長崎県での活動
ルー語をヒントとしたシジュウカラの言語能力の解明
- 京都大学白眉センターの鈴木俊貴特定助教は鳥のシジュウカラは、"文法"に基づき"単語"を組み合わせて文章を作る能力があることを解明したが、その時ヒントになったのが「ルー語」であった。「ルー語」から「普段聞くことのない言語の組み合わせ」を使う方法を思いつき、普段から群れを作っているコガラの"言語"を組み合わせて実験を行い、これを証明した。[27]。
- ルー大柴&細川ふみえ 早押しクイズ グランドチャンピオン大会(1994年、ジャレコ) -クイズ番組を模したゲーム進行を取り仕切る司会として登場。細川ふみえと共演。
- グラナド・エスパダ(日本版) - 「アンドレ・デ・ルー大柴」役:2009年10月6日から12月1日、「大柴DEヴェンデッタ」役:2013年3月27日から6月19日 期間限定イベントNPCとして登場。イベント期間の間は編入してプレーヤーキャラクターとして操作可能。
- 月刊アクアライフ(毎月11日発売 株式会社エムピージェー)「ルー大柴PRESENTS リバーとトゥギャザーキャッチキャッチキャッチ!」
- 楽しい夜遊び STEPPER'S PARADICE with ルー大柴 2007年5月30日発売
- ルー大柴革命 〜ルー語でトゥギャザーしようぜ!〜 2007年8月24日発売
- 爆笑アニメ版!問題な日本語 2008年5月15日発売
- ルー語で覚えるお手軽クッキング 2008年5月21日発売
- ルー大柴のイングリッシュTOGETHER!!~ハワイ篇~ 2009年2月11日発売
- ^本人は、「最初のブレイク期間は約4年間だった」としている[3]。
- ^2008年6月、株式会社ユートシャルム発行「からころ」内のコーナー『わたしの気分転換』インタビューによる。その際、テレビから遠ざかっていた頃を支えてくれた“ワイフ”(妻)と、その後「ブログを始めてみては?」と勧めてくれたマネージャー・増田に感謝していると語っている。
- ^例えば、「そこにストロベリーがあるからイートしなさい」など。
- ^本人によると「父の影響で日常会話レベルの英語は、知らぬ間に身についていた。旅先では安いユースホステルを利用したり、ヒッチハイクや野宿もしました」とのこと[3]。
- ^新たな趣味について色々考えた所、ルーの芸風とのギャップの意外性から「茶道なんてどうかな」となり、当時茶道をする男性芸能人がほとんどいなかったためこれに決めた。
- ^一般人のため顔は「カレーメシ」のマークで隠している。
- ^「トゥギャザーしようぜ!!」というフレーズがアデランスのCMをきっかけに広く知られていた一方で、(広報活動の目的である)過払い金の返還を請求する権利(過払金返還請求権)に時効が定められていることを背景に、「過払い金でもトゥギャザーしようぜ!!」というキャッチフレーズをCMや新聞広告で使用。(過払い金の返還を意味する)「マネーをリターン」や、「こんなに返金されるとは寝耳にウォーター」などの「ルー語」も披露している。
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