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リュウズキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。2015年7月
リュウズキ
品種サラブレッド
性別
毛色青毛
生誕1964年4月6日
死没1989年3月
カバーラップ二世
オーカン
生国日本北海道早来町
生産者吉田牧場
馬主福井章哉
調教師矢倉玉男中山
厩務員白勢和五郎
競走成績
生涯成績35戦14勝
獲得賞金7276万100円
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リュウズキ1964年 -1989年)は、1960年代に活躍した日本競走馬種牡馬1967年に行われた第27回皐月賞および1968年に行われた第13回有馬記念の優勝馬。1967年には啓衆社賞最優秀4歳牡馬を受賞している。

デビュー時は競走馬名促音拗音が使えなかったことから、使用可能となった1968年まではリユウズキと表記された。

馬齢は、当時の旧表記(数え年)で統一する。

戦績

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3歳時

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1966年1月矢倉玉男厩舎に入厩。500キログラムを超える雄大な馬格で、ほかの調教師から「トキノミノル以来の傑作」とも称されるなど、早くから高い評価を受けていた。

同年の6月26日函館競馬場新馬戦油木宣夫を背にデビュー。翌年の桜花賞優勝馬シーエースを半馬身抑えて初勝利を挙げた。2戦目の函館3歳ステークスこそソエ(骨膜炎)が出たこともあって3着に敗れたが、このあと北海道3歳ステークスなど4連勝して3歳シーズンを終えた。レコードタイムでの勝利も2戦含まれるという好内容だった。

4歳時

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3歳の暮れごろから裂蹄に悩まされていたということもあり、明け4歳の初戦は3月までずれこむこととなった。東京競馬場のオープン戦に勝利したが、続くスプリングステークスでは最後の直線で伸びを欠いてメジロフレームの6着に終わり、連勝記録が止まった。そのうえ左後肢に外傷を負うというアクシデントもあったが、クラシック初戦の皐月賞には、厩務員ストライキによる3週間の順延が幸いし、好仕上がりで臨むことができた。

スプリングステークスの敗戦により評価が下がり、皐月賞当日は単勝3番人気であった。レースではスタートから好位置につけ、第3コーナーから仕掛けていくと第4コーナー手前で先頭に立った。鞍上の郷原洋行自身「少し早い」と認める早仕掛けであったが、ホウゲツオー以下の追撃を2馬身半差で振り切り優勝した。郷原洋行と管理調教師の矢倉玉男は、ともにこれが初のクラシック制覇だった。

続く東京優駿(日本ダービー)では1番人気に推されたが、中団から伸びを欠き、アサデンコウの5着に入るまでだった。このあとは北海道に遠征。モンタサンをアタマ差抑えて函館記念を制し、不安視もされた2400メートル距離を克服した。

秋はトライアル競走京都盃から始動し、勝ったサトヒカルからアタマ差の2着となって菊花賞に臨んだ。逃げるヤマピットを見る形で進み、最後の直線半ばで先頭に立ったが、同じ矢倉厩舎の所属馬であるニットエイトの強襲にあって同馬から1馬身半差の2着に終わる。

5歳時

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1968年2月のオープン戦から始動。カブトシロー相手に快勝したが、このあと3連敗すると天皇賞(春)を回避し、短期の休養に入った。休養後はふたたび函館競馬場に遠征。オープン特別の巴賞を制すると、函館記念では61キログラム斤量を背負いながら、レコードタイムで連覇を飾った。

秋は、目黒記念(秋)を3着として、天皇賞(秋)に出走。2番人気に推されたが、ニットエイトがレコード勝ちするなかで9着に沈んだ。続く有馬記念では、加賀武見アサカオーに騎乗することから、鞍上には初騎乗となる森安弘明を迎えた。当日は6番人気にまで評価が落ちたが、リュウズキが得意とする不良馬場だったことも幸いし、積極的な先行策から第4コーナーで先頭に立つと、後続の追撃を寄せ付けず、ニウオンワードに2馬身半差をつけ優勝した。

6、7歳時

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6歳となった翌1969年は、夏の函館でオープン戦を2勝するにとどまり、天皇賞(秋)は6着、連覇を狙った有馬記念では最下位の15着とともにいいところなく敗れている。翌1970年も現役を続行したが凡走を繰り返すのみで、札幌記念で6着に敗れたのを最後に引退した。

競走成績

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以下の内容、netkeiba.comの情報に基づく[1]

競走日競馬場競走名距離(馬場)

オッズ人気着順タイム騎手斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1966.06.26函館3歳新馬芝1000m(不)74403.7101着1:02.50油木宣夫51(シーエース)
1966.07.17函館函館3歳SOP芝1200m(良)65508.4303着1:14.80油木宣夫53コキンホース
1966.08.13札幌3歳オープンダ1000m(重)85602.5101着1:00.60油木宣夫51(ミスサバンナ)
1966.08.28札幌北海道3歳SOPダ1200m(良)93306.4301着1:11.00油木宣夫51(ヒーローブラス)
1966.11.12中山3歳オープン芝1200m(良)73302.0101着1:10.80油木宣夫53(ムネヒサ)
1966.12.03中山3歳オープン芝1200m(良)86601.9101着1:11.70小柳由春52(トヨミナミ)
1967.03.11東京4歳オープン芝1400m(重)62201.9101着1:26.90野平祐二54(サトヒカル)
1967.03.26中山スプリングSOP芝1800m(良)94401.5106着1:53.30野平祐二55メジロフレーム
1967.04.30中山皐月賞OP芝2000m(稍)1481408.4301着2:06.60郷原洋行57(ホウゲツオー)
1967.05.14東京東京優駿OP芝2400m(良)2851504.5105着2:31.70郷原洋行57アサデンコウ
1967.08.06函館函館記念OP芝2400m(良)54404.0201着2:30.40郷原洋行56(モンタサン)
1967.10.29京都京都盃OP芝2000m(稍)1181002.9102着2:04.00油木宣夫57サトヒカル
1967.11.12京都菊花賞OP芝3000m(重)2171606.9202着3:14.70郷原洋行57ニツトエイト
1968.02.19中山5歳以上オープンダ1700m(重)96604.1201着1:45.30小柳由春54(カブトシロー)
1968.03.10中山目黒記念OP芝2500m(良)1661103.6113着2:39.10郷原洋行59ダイパレード
1968.03.24中山5歳以上オープン芝1800m(重)53301.9102着1:52.50小柳由春55ナスノフブキ
1968.04.20中山5歳以上オープン芝1800m(重)44402.0103着1:52.80小柳由春55ハクセンシヨウ
1968.07.14函館巴賞OP芝1800m(重)62204.9201着1:51.00加賀武見59(モンタサン)
1968.08.04函館函館記念OP芝2000m(良)85602.9101着2:01.00加賀武見61(ムオー)
1968.11.03東京目黒記念OP芝2500m(良)117804.9103着2:36.90加賀武見61メジロタイヨウ
1968.11.23東京天皇賞OP芝3200m(良)1661207.2209着3:21.80加賀武見58ニットエイト
1968.12.22中山有馬記念OP芝2500m(不)117813.2601着2:46.20森安弘明56(ニウオンワード)
1969.01.19中山AJCCOP芝2500m(良)92206.0309着2:39.90森安弘明59アサカオー
1969.03.09東京目黒記念OPダ2300m(重)107804.2106着2:24.60加賀武見61スピードシンボリ
1969.04.13中山中山記念OP芝1800m(良)1233出走取消0油木宣夫61メイジシロー
1969.07.19函館4歳以上オープン芝1700m(良)44401.2101着1:45.80小柳由春54(ミスコマツ)
1969.08.02函館4歳以上オープン芝1700m(良)53301.6101着1:44.00小柳由春55(ダッシュリュー)
1969.08.17函館青函S芝1800m(良)76702.9103着1:50.80郷原洋行62ミスマルミチ
1969.09.28中山英国フェア開催記念OP芝1200m(良)66606.1402着1:10.70加賀武見58タケシバオー
1969.11.01中山4歳以上オープン芝2000m(良)72201.8102着2:03.40小柳由春57クリロイス
1969.11.30東京天皇賞OP芝3200m(不)134409.0206着3:36.10加賀武見58メジロタイヨウ
1969.12.21中山有馬記念OP芝2500m(良)1581521.61015着2:37.30油木宣夫55スピードシンボリ
1970.03.14東京5歳以上オープンダ1600m(良)123311.0408着1:38.60小柳由春57ヒガシヒンド
1970.04.11中山5歳以上オープン芝2000m(不)63306.4306着2:11.10小柳由春57ダッシュリュー
1970.07.04札幌4歳以上オープンダ1800m(良)106607.6406着1:52.00小柳由春56ヒデカブト
1970.07.19札幌札幌記念OPダ2000m(不)112207.0406着2:04.20加賀武見55ヒデカブト

引退後

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引退後は吉田権三郎牧場で1971年から種牡馬として供用され、1987年までに209頭に種付けを行った。初年度産駒からカブトヤマ記念を制したリュウフブキをだし、ほかに三条の若草賞を勝ったリユウフレツシユを出した。

1987年に、1頭も受胎させることができなかったことから種牡馬を引退。同牧場で余生を送っていたが、1989年に老衰のため死亡した。

母の父としては中央で札幌3歳ステークス、地方に移籍後にとちぎ大賞典などを勝ったガルダンサーを出している。

評価

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血統・血統表

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カバーラップ二世は競走馬としてアメリカ合衆国から日本に輸入された。競走馬名セイカンとして送った競走馬生活は7戦2勝と凡庸な成績だったが、種牡馬としては本馬のほかにワカクモカシュウチカラプリテイキャストなど、4頭の八大競走優勝馬を輩出する成功を収めた。

オーカンは吉田牧場の生産馬。3 - 5歳時に優駿牝馬(オークス)など7勝を挙げた。母系をたどると小岩井農場の基礎輸入牝馬であるアストニシメントにまで遡るという日本の在来血統である。

兄弟には目立った活躍馬はいない。

リュウズキ血統ハイペリオン系 /アウトブリード(血統表の出典)

*カバーラップ二世
1952黒鹿毛
父の父
Cover Up
1943 黒鹿毛
AlibhaiHyperion
Teresina
Bel AmourBeau Pere
Love Set
父の母
Betty Martin
1948鹿毛
HollyroodHigh Cloud
Mandy Hamilton
Rhoda F.Rhodes Scholar
Notebook

オーカン
1956 黒鹿毛
トシハヤ
1948 鹿毛
大鵬*シアンモア
*フリツパンシー
安優*セフト
*ステフアニア
母の母
フクニシキ
1948栃栗毛
月友Man o'War
*星友
第五ガリアス*プリメロ
ガリアスF-No.7-c


脚注

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注釈

[編集]
[脚注の使い方]


出典

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  1. ^リュウズキの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2020年10月21日閲覧。

参考文献

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外部リンク

[編集]
(旧)最優秀4歳牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀3歳牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
皐月賞勝ち馬
1930年代
1940年代
1950年代

第10回クモノハナ / 第11回トキノミノル / 第12回クリノハナ / 第13回ボストニアン / 第14回ダイナナホウシユウ / 第15回ケゴン / 第16回ヘキラク / 第17回カズヨシ / 第18回タイセイホープ / 第19回ウイルデイール

1960年代

第20回コダマ / 第21回シンツバメ / 第22回ヤマノオー / 第23回メイズイ / 第24回シンザン / 第25回チトセオー / 第26回ニホンピローエース / 第27回リュウズキ / 第28回マーチス / 第29回ワイルドモア

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
日本の旗有馬記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1956年)メイヂヒカリ
02回(1957年)ハクチカラ
03回(1958年)オンワードゼア
04回(1959年)ガーネツト
05回(1960年)スターロツチ
06回(1961年)ホマレボシ
07回(1962年)オンスロート
08回(1963年)リユウフオーレル
09回(1964年)ヤマトキヨウダイ
第10回(1965年)シンザン
第11回(1966年)コレヒデ
第12回(1967年)カブトシロー
第13回(1968年)リュウズキ
第14回(1969年)スピードシンボリ
第15回(1970年)スピードシンボリ
第16回(1971年)トウメイ
第17回(1972年)イシノヒカル
第18回(1973年)ストロングエイト
第19回(1974年)タニノチカラ
第20回(1975年)イシノアラシ
第21回(1976年)トウショウボーイ
第22回(1977年)テンポイント
第23回(1978年)カネミノブ

第24回(1979年)グリーングラス
第25回(1980年)ホウヨウボーイ
第26回(1981年)アンバーシャダイ
第27回(1982年)ヒカリデユール
第28回(1983年)リードホーユー
第29回(1984年)シンボリルドルフ
第30回(1985年)シンボリルドルフ
第31回(1986年)ダイナガリバー
第32回(1987年)メジロデュレン
第33回(1988年)オグリキャップ
第34回(1989年)イナリワン
第35回(1990年)オグリキャップ
第36回(1991年)ダイユウサク
第37回(1992年)メジロパーマー
第38回(1993年)トウカイテイオー
第39回(1994年)ナリタブライアン
第40回(1995年)マヤノトップガン
第41回(1996年)サクラローレル
第42回(1997年)シルクジャスティス
第43回(1998年)グラスワンダー
第44回(1999年)グラスワンダー
第45回(2000年)テイエムオペラオー
第46回(2001年)マンハッタンカフェ
第47回(2002年)シンボリクリスエス

第48回(2003年)シンボリクリスエス
第49回(2004年)ゼンノロブロイ
第50回(2005年)ハーツクライ
第51回(2006年)ディープインパクト

国際競走(G1)指定後:
第52回(2007年)日本の旗マツリダゴッホ
第53回(2008年)日本の旗ダイワスカーレット
第54回(2009年)日本の旗ドリームジャーニー
第55回(2010年)日本の旗ヴィクトワールピサ
第56回(2011年)日本の旗オルフェーヴル
第57回(2012年)日本の旗ゴールドシップ
第58回(2013年)日本の旗オルフェーヴル
第59回(2014年)日本の旗ジェンティルドンナ
第60回(2015年)日本の旗ゴールドアクター
第61回(2016年)日本の旗サトノダイヤモンド
第62回(2017年)日本の旗キタサンブラック
第63回(2018年)日本の旗ブラストワンピース
第64回(2019年)日本の旗リスグラシュー
第65回(2020年)日本の旗クロノジェネシス
第66回(2021年)日本の旗エフフォーリア
第67回(2022年)日本の旗イクイノックス
第68回(2023年)日本の旗ドウデュース
第69回(2024年)日本の旗レガレイラ

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