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ラーシド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、アッバース朝のカリフについて説明しています。その他の用法については「ラシド」をご覧ください。
アッ=ラーシド
الراشد
カリフ(アミール・アル=ムウミニーン)
在位1135年 -1136年

全名アブー・ジャアファル・アル=マンスール・アッ=ラーシド・ビッラー・イブン・アル=ムスタルシド・ビッラー
أبو جعفر المنصور الراشد بالله بن المسترشد بالله
出生1109年
バグダード
死去1138年6月6日
イスファハーン
継承者アル=ムクタフィー
家名アッバース家
王朝アッバース朝
父親アル=ムスタルシド
宗教スンナ派
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アッ=ラーシドアラビア語:الراشد1109年 -1138年6月6日、在位:1135年 - 1136年)は、アッバース朝の第30代カリフである。先代のカリフ、アル=ムスタルシドの子。父の跡を継いで短期間在位したがすぐに廃位された。

第39代カリフ(カイロ・アッバース朝の第2代カリフ)のハーキム1世(在位:1262年 - 1302年)はラーシドの子孫である。

生涯

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1135年、父ムスタルシドがニザール派の刺客によって殺されたことにより即位。父をとらえたセルジューク朝のマスウードと戦うべく軍を集めたが、マスウードがバグダードに入ったことを知り、モースルへ引いた。1138年、刺客に殺害された。

参考文献

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イブン・アッティクタカー(池田修・岡本久美子訳)『アルファフリー2』東洋文庫,2004

先代
ムスタルシド
アッバース朝
1135年 -1136年
次代
ムクタフィー
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