| この項目では、アッバース朝のカリフについて説明しています。その他の用法については「ラシド」をご覧ください。 |
| アッ=ラーシド الراشد | |
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| カリフ(アミール・アル=ムウミニーン) | |
| 在位 | 1135年 -1136年 |
| 全名 | アブー・ジャアファル・アル=マンスール・アッ=ラーシド・ビッラー・イブン・アル=ムスタルシド・ビッラー أبو جعفر المنصور الراشد بالله بن المسترشد بالله |
| 出生 | 1109年 バグダード |
| 死去 | 1138年6月6日 イスファハーン |
| 継承者 | アル=ムクタフィー |
| 家名 | アッバース家 |
| 王朝 | アッバース朝 |
| 父親 | アル=ムスタルシド |
| 宗教 | スンナ派 |
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アッ=ラーシド(アラビア語:الراشد、1109年 -1138年6月6日、在位:1135年 - 1136年)は、アッバース朝の第30代カリフである。先代のカリフ、アル=ムスタルシドの子。父の跡を継いで短期間在位したがすぐに廃位された。
第39代カリフ(カイロ・アッバース朝の第2代カリフ)のハーキム1世(在位:1262年 - 1302年)はラーシドの子孫である。
1135年、父ムスタルシドがニザール派の刺客によって殺されたことにより即位。父をとらえたセルジューク朝のマスウードと戦うべく軍を集めたが、マスウードがバグダードに入ったことを知り、モースルへ引いた。1138年、刺客に殺害された。
イブン・アッティクタカー(池田修・岡本久美子訳)『アルファフリー2』東洋文庫,2004
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