『五人のランツクネヒト(Die fünf Landsknechte)』Daniel Hopfer によるエッチング 。16世紀前半。 ランツクネヒト (独 :Landsknecht 、複数形:Landsknechte )は、1486年に神聖ローマ帝国 のローマ王マクシミリアン1世 によってスイス傭兵 を模範として編成されたヨーロッパ (主にドイツ )の歩兵 の傭兵 である。ランツィケネッキ (伊 :Lanzichenecchi )とも呼ばれる。
マクシミリアン1世がブルゴーニュ公国 をめぐるフランス との紛争の中で自分の歩兵部隊の必要性を痛感し組織したとされる。このランツクネヒトの登場によって、まだ決定的なものでないにしてもそれまでの騎士 を中心とする中世 ヨーロッパの戦争のあり方が徐々に変わっていった。
公式には神聖ローマ皇帝に仕えなければならなかったが、より多くの報酬や略奪を求めて、条件のよい雇用主と契約する形態が広まっていった[ 1] 。
主にピーケ (Pike、長槍)やヘルムバルテ (Helmbarte、矛槍)を、それ以外にもツヴァイヘンダー (両手剣 )や白兵戦用の剣(カッツバルゲル )を装備していた。服装は非常に派手で、ホーゼ[ 2] (パンツ/ズボン)は左右で縞模様や色の違ったものを履き、上着には縦に切れ目を入れて下地の色が見えるようになっており、この衣装で戦いに赴いた。服装に厳格であった中世においてこの衣装は非常に趣味が悪いとして顰蹙を買ったが、「あまりに危険な立場の彼らが、少しぐらいの楽しみの誇りのために、このような格好をしてもよいではないか」というマクシミリアン1世の発言により、死ぬ間際の娯楽として許可された。また、初期には弩 、後の時代には火縄銃 や大砲 を使用する事もあった。15世紀 後半から16世紀 にかけて活躍し、ルネッサンス 期の普遍的な傭兵として名声が高かった。三十年戦争 でも戦い、彼らが大活躍したからこそ戦後のドイツの人的、経済的被害は壊滅的になったとも言われている。
とりわけ危険を伴う最前線を志願して戦うことで割増の報酬を得る傭兵もおり、ドッペルゾルドナー (ドイツ語版 ) (独 :Doppelsöldner , 「2倍の報酬を得る者」の意)と呼ばれた[ 1] 。
スイス傭兵とはいわば師弟の関係になるが、同時に商売敵でもあったため、戦場で両者が対面した時は特に凄惨な戦闘が繰り広げられたという。
^a b 武器の歴史大図鑑 , pp. 108–109. ^ ラインハルト・バウマン、菊池良生訳『ドイツ傭兵の文化史』新評論社、2002年。 ラインハルト・バウマン 著、菊池良生 訳『ドイツ傭兵の文化史 中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌』新評論 、2002年。ISBN 4-7948-0576-4 。ISBN-13: 978-4-7948-0576-8。 リチャード・ホームズ 著、山崎正浩 訳『武器の歴史大図鑑』創元社 、2012年4月20日。ISBN 978-4-422-21521-1 。 Jörgensen, Christer; Pavkovic, Michael F.; Rice, Rob S.; Schneid, Frederick C.; Scott, Chris L. (2006). Fighting Techniques of the Early Modern World . Thomas Dunne Books . ISBN 0-312-34819-3 Miller, Douglas (1976). The Landsknechts . Osprey Publishing. ISBN 0850452589 Richards, John (2002). Landsknecht Soldier 1486-1560 . Osprey Publishing. ISBN 1841762431 Rogers, Cliff, ed (2010). The Oxford Encyclopedia of Medieval Warfare and Military Technology . Vol. I . Oxford University Press. ISBN 0195334035 . https://books.google.com/books?id=mzwpq6bLHhMC Tallett, Frank (2010). European Warfare 1350–1750 . Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-88628-4 ウィキメディア・コモンズには、
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